畿内のヤマト王権は、いかにして九州の邪馬台国を打ち破ったか…纒向遺跡発掘で謎解明へ [902666507]
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ヤマト王権は西の勢力が打ち立てた――長い間、日本の史学界ではそう考えられてきた。
しかし、纒向遺跡の発掘調査と研究によって、その常識は打ち破られつつある。ヤマト建国の背景には、東の文化(縄文)が色濃くあることがわかってきたのである。
略
纒向の特徴の第三は、各地から土器(外来系土器)が集まってきていたことだ。外来系の土器は全体の3割弱を占める。
内訳は東海49%、山陰・北陸17%、河内10%、吉備7%、関東5五%、近江5%、西部瀬戸内3%、播磨3%、紀伊1%で、無視できないのはこの時代もっとも栄えていた北部九州の土器がほとんど出土していないことなのだ。
「北部九州の邪馬台国が東に移動してヤマトは建国された」という考えは、もはや通用しないのである。それどころか、ヤマト建国前後の人の流れは、かつての常識を嘲笑うかのように、東から西なのだ。
ヤマトや近畿地方の人びとが、大挙して北部九州に押し寄せている。これは考古学が示す客観的な事実だ。
そして、ヤマトの発展を恐れた北部九州は、鉄を東に回さない策に出たようだ。出雲や吉備と手を組み、関門海峡と明石海峡を封鎖した気配がある。
そのため、近畿地方は鉄の過疎地帯となった。
近畿地方は困窮したが救世主が現れる。日本海側の但馬や丹波(これをタニハと呼んでおく)が鉄を含めた先進の文物を、独自のルートを使い、近畿地方、近江、東海に流し始めたのだ。一帯は次第に富を蓄え、その後ヤマトに集結した。
これが、纒向遺跡誕生の筋書きであり、あわてた吉備と出雲は北部九州との盟約を反故にして、あわてて纒向にやってきたのだ。
北部九州の土器がヤマトにやってこなかったのは、むしろ当然のことだった。そしてヤマト連合は、大挙して北部九州に押しかけたわけである。
以下略
https://news.yahoo.co.jp/articles/908dd17d61004f05193a0ce97fda2bf0686ee636?page=1 説得力ある。
纒向遺跡は中国式の建物配置だし
北部九州より高度だった。
それが邪馬台国を滅ぼしたから
その記録は途絶えた。 日本は渡来人によって支配されたので結論出てるやろ
何やかんや中国や朝鮮が日本のルーツなのは間違いない 前半もっともらしいことだけど後半妄想ばっかだな
はっきりわからないでいいと思うんだが 九州は邪馬台国なんてなかったよ
単なる通過地なだけで ちょっと待って欲しい
北九州の「やまたい」など存在しないのでは無いだろうか(´・ω・`) ヤマトは百済と連合してヤマタイを滅ぼした。
この同盟関係は白村江の戦いでの百済滅亡まで続いた >著者の頭の中では、縄文時代と古墳時代が直結している。
>縄文時代が1万年続いた影響は大きいだろうが、いきなり古墳時代て結びつけて、具体的な事例を挙げずに結論づけて論を進めている。
>まるで著者が現場を見ていたような書きぶりで、「講釈師、見てきたような◯◯を言い」という印象しか残らない。
>トンデモ本に分類すべき本である。
>関裕二って、歴史書にも考古学的にもたいした根拠のないことを、
>想像を膨らませて好き勝手に書き散らかしている人で、論文なんて書いたことないんじゃないかな。
>学会からはもとより、一般の歴史に詳しい人からも無視されてますね。
>言っている話に穴がある。
>纏向と唐古鍵遺跡との関係はどうなるのか?
>箸墓に先行する前方後円墳群(最初期の4つの古墳)の主は一体何者なのか? 都市牛利「すんませんヤマト国から日の巫女の使いで来たタジカラですが魏の王様に朝貢に来ましただ」
魏の官吏1「ヤマト国?ヒノミコ?こいつらなんて書くんだ?」
魏の管理2「こいつら蛮族だから文字とかないですよ」
魏の官吏1「じゃあ適当に当て字でかくか蛮族らしく蔑称を含めて
都市牛利、邪馬台国、卑弥呼っと」
マジでこんな感じだったとおもう 後に棒ラーメンを発売することになるマルタイである。 また新説捏造、辻褄合わせて作った説でしょう。
旧唐書にどう書かれてるか知らないが新唐書の後にできた書物で真偽の程は不確かですね。 「ヤマトが邪馬台(ヤマト)を打ち破った」って
なんで打ち破った国と打ち破られた国が同じ名前なの?
普通に考えれば片方のヤマトが移住して新しいヤマトになったのでは? またやるか
これはね、鉄器だよ
鉄器
半島から持ちこんだ
邪馬台国は銅鐸、銅鏡、銅づくし
どうのつるぎが邪馬台国で
はがねのつるぎがヤマチョ王権、つまり今の日本 大陸の進んだ技術ガーていう論法は一切通じないってことだな
縄文系の方が実は優秀だったと >>16
つまりそれは「新たなる旅立ち」って事でつね? >>20
え?なにそれ、なんか意味あるの?
分からんけど、新たなる旅立ち(新天地に移住)だとワイが言いたいのは確かです >>1
福岡人ですが、まさにほぼその通りです。オレらの祖先は本州四国のチョン共と戦って来た だいたいさ
初代天さんの誕生日が紀元前711年2月13日の水瓶座B型まではっきりしてるのに
未だに邪馬台国がどこにあったのかもわからないって、変でしょ 大倭国とか倭国って奈良のことだぞ
律令当時の文献ではそう記していたんだわ
後に雅時の和の字に変わって大和国と奈良のことを記すようになった
漢字では大倭や大和をヤマトと読む音は無い
倭=昔からのヤマトのことと昔の人は理解してから
それでこの音になった
倭建命=大和武尊=ヤマトタケルノミコトとか普通にその使い方は他でもしてた 邪馬台国はヤマト国と読むだろ
初代神武天皇の以前は神代になったんだよ
卑弥呼は天照大神 >>12
これだろうなあ
邪とか卑とか嫌な意味の漢字が使われてるの、歴史の授業で子供心に疑問だったもん 魏志倭人伝当時九州北部は吉備など瀬戸内海勢の支配下
当時の福岡の遺跡からは吉備と東海の土器が多数出土するが畿内の土器は皆無
奈良の纏向遺跡も外来系土器が多数出土し大半が東海山陰吉備の土器
邪馬台国はヤマト政権そのもので主体は東海勢と吉備勢
卑弥呼亡き後の時代に纏向遺跡から吉備の土器が突然消える
東海山陰勢と吉備勢が仲違いしたのだろう
これが卑弥呼亡き後の男王の時代の内乱の構造やろね 巻向の外来出土品のうち東海49%もすごいけど関東産が5%占めてるのがポイントだな
群馬や千葉で作られた物が邪馬台国の時代の当時に既に巻向に集められてた
そもそも巻向の位置は伊勢街道から奈良盆地に入る入口の場所で
伊勢や熱田や水路の木曽川や海路の遠州灘以東方面の強い繋がりがあるための立地だよな まあ邪馬台国が福岡なのか大分なのか、熊本なのか、宮崎なのか
四国なのかはおいといて
新羅王神社、百済神社、高麗神社
この辺はヤマチョ王権と深いかかわりがあるのは間違いないだろう >>31
そんな事までわかりつつあるとか、学問とか科学はやっぱり神だよなぁ。
全ての偏見を取り去りそこにある事実だけを見つめる、神様との交信である 邪馬台国と関係なくても、近畿の勢力が中国と交渉するために邪馬台国の後継者としてヤマトを自称するのはあるんじゃね
勘合貿易やってた大内滅ぼした武将が、大内の振りして勘合貿易やろうとしてたし 勝手にストーリー考えすぎ。
そんだけ対立してた割には戦乱の跡が無いし。
西の一大勢力が東進した訳じゃ無さそうというのは同意だけど。 >>35
福岡は元から日本人でもなければ韓国人でも無い九州人である。
縄文時代、弥生時代本州四国とは断然しており一貫してる。 >>37
でも奈良時代の日本人の中ではヤマトって言ったら奈良盆地の地方を指してたんだわ
対外呼称は捏造しても内部の呼び分けは簡単には変得られないだろ 朝鮮半島から船に乗れば北陸や新潟にたどり着くから
近畿政権は九州ではなく朝鮮半島由来なのは明らか
遺伝子的にも近畿は朝鮮半島に近い >1
出雲が九州を裏切って奈良に付いたのが国譲りなのかもシレンなぁ どちらかといえば九州北部と畿内の在地勢力は仲間だろう
福岡の住吉さんが大阪の守り神になっているくらいだし >>38
吉備の国には防衛機能に特化した弥生末期の遺跡が複数あるだろ
あと尾張の朝日遺跡が大規模な防衛設備備わってて有名 >>46
福岡でも福岡市近辺と北九州市近辺の大分は違うよよ、さらに南部の久留米はほぼ熊本とか鹿児島と近いから。
住吉神社のある福岡市は比較的早くから畿内人の支配下に入ってるからそれは仕方ないね 渡来人というが、結局は朝鮮や中国が地獄だから
逃げてきただけだからw
昔から日本は天国 朝日の枕詞は赤引きで三河に赤引きの地名が残る
東北の伝承に何かヒントがあるかもね
龍の黒神と鹿使いの赤神のアマテルを巡る戦い
アマテルを手に入れた赤神は岩隠れをし黒神は北に追いやられた
鹿と言えば鹿島の鹿が有名だが、千葉茨城辺りは日本一の縄文遺跡の集積地なんだよな 天皇家のルーツはタブーだから
大陸から来ましたではまずい 出雲と奈良が最終日に仲良しになるのは誰もが異論の無いところと思う。問題は福岡と奈良の関係なんだが、ずっと世論工作されて来たが福岡は本州四国のチョン共とずっと戦ってきた >>34
もうちょっと歴史を勉強した方がいいよ
特に昭和の時代は嘘が多いから昭和脳の人はご注意を。
「聖徳太子」が「厩戸皇子」に
「和同開珎」から「富本銭」に
大化の改新が「645年」から「646年」に
遣唐使「廃止」から「中止」に
鎌倉幕府の成立年が「1192年」から「1185年」に
11年に渡る内乱「応仁の乱」が「応仁・文明の乱」に
江戸時代の政策「鎖国」の表現変更(右往左往)
徳川綱吉のイメージが野蛮的から開明的に(犬を食ってた?)
「仁徳天皇陵」から「大仙陵古墳(大山古墳)」に
しかも古墳の全長がこれまでよりも40m長いと判明w
士農工商は嘘でしたw
肖像画違い 源頼朝、足利尊氏、西郷隆盛(誰やねんw) 東海と吉備は下戸遺伝子の集積地なんだよ
入れ墨の人物が描かれた土器も両地に共通してみつかる
赤神かもなあ
朱や赤を追跡すればもっと色々わかりそうだ >>57
酷いよな最近の歴史は
南朝の真似すんなと
改竄して成果を出そうとすんなよw ヤマト王権は福井辺りに上陸した半島人だろ
滋賀京都奈良に南下してきた
一部は関東にも南下した形跡がある地名がもろに朝鮮由来 欠史八代という実在性の怪しい天皇のなかでたった1人の娘だけ
倭迹迹日百襲姫命という名前で大したこともしてないのに
大きな墓がしっかり残ってるとか明らかに変だろ 前方後円墳
副葬品は筑紫発祥の様式で、
墳丘は吉備や出雲の特徴を持ち、
その周囲には畿内系の土器が出土する
答えは、
九州の王権が吉備出雲の技術者と畿内で徴発した奴婢を使って作ったから
考古学は発掘物の多い関西の京大がリードしてるから、この事実を認めることにプライドが許さんのだろうね >>61
大和朝廷なんていうガセもありましたね
最近じゃヤマチョ国、ヤマチョ王権と呼ぶらしいです(笑)
ところで、歴史と切り離せないのが地理なんだけど
古代のヤマチョ国って
出雲や奈良、伊勢など、1400年以上経過した
今でも新幹線すら通らない交通の要所とは到底呼べないような場所にばかりありました
それでいて、海辺からも遠いのに半島や大陸と無理矢理交流があったようです
この辺りにも邪馬台国滅亡のヒントがあります >>64
桃太郎、四道将軍は決死八代の子孫だから実在するとみてた方が良いぞ 過去にタイムスリップした現代の暦オタの若者が戦国時代とかで使われてた戦術を駆使して導いたんだろ
なろう小説でありそう 吉野ヶ里が戦の後廃墟になった理由も説明つくな
九州征伐されたんだ >>24
マジレスすると宇宙戦艦ヤマトの映画のタイトル >>72>1
吉野ヶ里の近くに佐賀県神埼町田道ケ里 という地名があるが、由来はこの人なんだよね
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/田道間守
多分吉野ヶ里滅亡させた本人では無いかと思った 福岡でも東区博多区付近は比較的開放されてた関係で早くから畿内の勢力下に入ってたのは間違いは無い。どうやらこの福岡市民が畿内と結託して久留米とか佐賀に侵攻してたというのはある 日本で出土する鉄のたたらは中国・朝鮮半島系ではなく鮮卑だか匈奴だかの系列らしい なんで古事記は東征なの?近畿が九州叩いたなら奈良を天孫降臨の地にして西へ攻めていく物語の方が良くない? キーボードを必死で叩いているおまえらの平たい顔が目に浮かぶようだ😌 要するに北九州が全部悪いということだな
スペースワールドが全部悪かったわけか >>80
宮崎から熊野へという超ド田舎の東征なんだよね >>79
いや
岡山とかあっちには鉄があるよ
戦争の時に無かったことにしただけで
実際は朝鮮式の城は日本各地にある
岡山の温羅の城は朝鮮式で
製鉄所が併設されている
ただ、戦時中にキチガイ政府が全部無かったことにして封印しただけだから >>7
現代の研究で渡来人のDNAは近畿、北陸、四国に多い事が判明している。
つまり九州北部に渡来人は住み着いた訳では無く、単なる半島からの上陸地点に過ぎなかった。 沖縄、北海道、関西、九州、沖縄人って他の地方への対抗意識があるよな。 >>93
東海ってあんま話題にならないけど重要っぽいね。
巻向の土器やらそのDNAも。 半島の先の北寄りの位置に魏があったからな
台湾経由で入ってきた呉越の連中とは派閥が違うとかなんかあったんだろう 邪馬台国がヤマト作ったと思ったが
日本史は150年位空白になっちまうんで 倭人は大陸にも半島にもいたんだろうな。
親戚は高句麗、百済支配層、初期新羅王家、穢。 邪馬台国って三国志の時代だろ?
何でこんなに分からないことが多いんだ 夷というのは中央の王朝に従わないやつをまとめて指したらしいので
その中にクメとかエベンとかアイヌとか
色んなのが含有されてたのだろう スサノオとか見てるとまるっきり朝鮮人の性質なんだけど
やっぱ朝鮮半島から流れてきたのが日本皇族の源流? 映画だとヤマトタケルがヤマタノオロチを退治してるんだよ ちな
今いる朝鮮人と
昔の百済とか新羅とか伽?とか
違う人達だからね^^ >>102
いや、朝鮮というより中国の楚・呉・越の影響が強いだろ。
あのあたり昔タイ人多くて稲作さかんだったと言うし。 スサノオとか見てるとまるっきり朝鮮人の性質なんだけど
やっぱ朝鮮半島から流れてきたのが日本皇族の源流?
天孫降臨も結局、「朝鮮半島から日本に上陸しました^^」ってことだろ
「これから日本の土人どもをしばいていきまーす^^」っていうことだろ 渡来にしてもルートは二つあるんだろう
半島経由と中国大陸から渡航
よって弥生系は血筋が複数 クメール人の伝統織物と沖縄の織物に共通点があるらしい
たぶんクマソはクメール人 古事記のスサノオとか見てるとまるっきり朝鮮人の性質なんだけど
やっぱ朝鮮半島から流れてきたのが日本皇族の源流?
天孫降臨も結局、「朝鮮半島から日本に上陸しました^^」ってことだろ
「これから大陸の発展した文明で日本の土人どもをしばいていきまーす^^」っていうことだろ >>93
福岡は半島南部の伽耶の血だろう
純粋な倭人族のDNA
山陰と近畿は半島東部の新羅の血だろう
おそらく白村江で負けて一度占領されてる
結果として近畿に一番多く
現在の韓国人のDNAとの共通点がある >文明は西から東に移ったと長い間信じられていたから、朝鮮半島から渡ってきた人びとが九州で地盤を固めて、のちにヤマトを征服したと考えられていたのだ。
こいつらのせいでホント遠回りしたわ >>96
公孫氏は半独立政権だったと見られていて、倭は公孫康のころは朝貢関係にあったとみられてるが、その公孫氏が滅ぼされたので空白になっていると思う >>112
日本人は中国の南部からも渡来しているし南方の島からも船で渡ってきているだろ。人種は。 近畿はむしろ大化の改新ちょっと前の渡来系の影響が大きいのでは?
当時の中心はあの辺だ 一回奈良に拠点をすえてから何度も南北の征伐に出かけてるしな
このやばんじんわ。 都会は外人が住むからね。
近畿が一番大陸に近い血になるのは当たり前だね。 渡来人の子孫が1000年以上後に大名になってんだよ
よってルーツが外国の大名もいる 普通に考えて邪馬台国から大和王朝にはってんしてたんなら金印伝承してたでしょうよ キングダムでも女咼燐様が像さん部隊で遊んでたし
タイとかベトナムとか、昔からお隣だしな
諸葛孔明も遠征してるし 古事記のスサノオとか見てるとまるっきり朝鮮人の性質なんだけど
やっぱ朝鮮半島から流れてきたのが日本皇族の源流?
天孫降臨も結局、「朝鮮半島から日本に上陸しました^^」ってことだろ
「これから大陸の発展した文明で日本の土人どもをしばいていきまーす^^」っていうことだろ
そりゃ"強くてニューゲーム"状態なんだから皇族一派が制覇しちゃうだろうよ
つか、古事記に一切"和を持って尊きと成す"の精神なくて笑える
南に土人部族あれば叩き潰し、東に土人部族あれば叩き潰し
日本皇族の先祖として自慢して話すようなことじゃねぇだろw>古事記
あと、これは有名な話だけど、古事記には一切"富士山"が出てこないんだよな
なぜなら、東の部族(本来の日本人)が崇めてたからw 半島南部北部九州に分布した倭人とモンゴル付近にルーツを持つ新羅人では
もともとは言葉も違う別グループ(半島での交流で多少言語の交じり合いはあった)
九州と近畿のDNAに大きな違いがあるのは
倭人と新羅人の違いでしかないだろう渡来した年代も
弥生時代と飛鳥時代で年代がまるで違う 打ち破ったんじゃないよ
祀りの力で取り込んだんだよ 北方樺太や南方台湾沖縄経由で入ってきた先住民族が列島にうようよ住んでたのに
済州島から大陸を追い出された野蛮人が侵入してきて九州の兎と組み、
山陰山陽のやつを降伏させながら進軍し
奈良にたどりついたのだ >>122
新羅はモンゴルとは違うだろ。あとで混ざるけど そこらへんは 古事記 富士山 で検索すると出てくるぞ
皇族一派が富士山に触れられない理由
ちなみに、古事記によると日本で最初に作られた場所は淡路島だとよw
ふざけすぎだろw 朝鮮戦争の時も
済州島から岩手とかに沢山来たねぇ
朝鮮人が沢山来てそのまま住み着いてしもうた
昔からいろんなとこから来てるから
全く全然ちっとも 単一民族じゃないんだよね^^w ようは大宰府の前身みたいなもんだろ、北九州は
軍事防衛拠点でもある 邪馬台国が大和国だろ
そもそも高千穂にニニギが天孫降臨する前から
大和は栄えていたと古事記にも書いてあるだろ これは俺の予想なんだが
古代朝鮮半島で覇権争いが起きて、負けた一派が東に土人島(日本)があるからそこを目指して流れ着いた
朝鮮半島の文明を使えば、島に隔離されてる日本土人を駆逐するのはわけがなかったわけで
それに本来の日本人は争いを好まないので、朝鮮半島流で武力でバシンバシンやっていくと簡単に成敗できた
そして、あっというまに日本皇族になりましたとさ>これが古事記の内容 神武天皇
なぜ、武力の武がついているのか
そういうことを考えろよと
のほほんと暮らしてたオリジナルの日本部族が朝鮮半島から流れた武装集団によって駆逐されちまったんだよ 日本ではうさぎちゃんに喩えられる兎とは
中国の夏朝の創始者 禹 の国のルーツのやつだろう
黄河の治水と開拓で知られる英雄で神として祀られ
なぜか日本でも水害の多い地方には信仰が残っている
沖縄にも禹王を祀る石碑や廟とかの遺跡がたくさんあるらしい 朝鮮の王様の弟は来てるのがわかってるし
他にも沢山
鉄器を持っていたんだわ
日本のは青銅の剣だから、鉄の剣で殴りかかられると折れるんだわ
で、次々に負けてしまうのであった
その朝鮮から来た鬼 温羅を退治する為に
あ、それは岡山に伝わっている桃太郎で^^
でも、なんか温羅の城が出てきてしまって、製鉄所が出てきたんだよね^^ >>131
朝鮮半島に文明なんか無いよ
それは超古代から現代に至るまで同じ
ロシア地域から逃げてきた土人か、日本または支那から植民した連中が居ただけ >>26
「神武」は西暦0年から100年あたりというのが有力 邪馬台国は機内だろ?
まだ九州説言ってるやついるのか?
任那否定してる朝鮮人みたいに信じたいものだけ信じるんだな。 >>134
つか、そもそもの性質が違う
日本で雨乞いとかで踊りながらのほほんと暮らしてたオリジナル日本部族に
朝鮮半島の覇権争いで破れたガチの武闘派集団が最新武器担いでやってきたんだぞ
"天孫降臨"とか言いながら
これもう勝負ついてるだろ 東の勢力って言い方が西は渡来人みたいで対立煽りっぽくてよろしくないが
学術会議みたいなのがこういう説を抑え込んでなんでも渡来人の成果にして
先住勢力を貶めていたんだろうな 朝鮮半島なんか大昔は倭人と魏の鮮卑が戦争してた国だろう 魚と羊の皮で作らせた服をかむった卑しいやつらという意味である
たぶん中国の南のほうの知識人がつけた >>126
一番最後に最も重要な本州が造られたんだから
ふざけてはいないだろ やっぱ鉄器つえーよ
青銅なんて時代遅れの武器じゃ絶対勝てない
100:1くらいの差があるんじゃないか もしかしたら複数派閥でもう何ターンか征服と巻き返しと拮抗と暗殺などの応酬があるかも >>144
本州は最初から地球上に存在する
ふざけるなよ、朝鮮人 2〜3世紀年代の出土品を見比べても圧倒的に北九州が強い
近畿にそのころ文明は無い
邪馬台国=ヤマトで狗奴国に敗北して東に落ち延びたのが
ヤマト王権の始まりでしょう 征服に成功した大王が戦の後のみんなの和解を呼びかけて結局失敗に終わった痕跡があるからな つか、そもそもの性質が違うんだよな
日本で雨乞いとかで踊りながらのほほんと暮らしてたオリジナル日本部族に
朝鮮半島の覇権争いで破れたガチの武闘派集団が最新武器担いでやってきたんだぞ
"天孫降臨"とか言いながら
これもう勝負ついてるだろ 知ってる
その後中国本土に渡って
ろくでなし劉備をぶった切って入れ替わるんだよな 新羅建国の祖は倭人やぞ?
瓢公が海も渡って来た倭人だと三国史記に明記されてる
もう一つの王族の昔氏も倭国東北一千里のところにある多婆那国の王妃の子、脱解王が渡ってきて国を立てたと書いてある >>146
青銅って伝来当初から装身具であって
日本に青銅器時代なんて無いから
最初から鉄よ
出雲が青銅で鉾をたくさん作ったけど
鉄を溶かす炉が作れなかっただけ 仮に邪馬台国が畿内だったとして
卑弥呼の時代に天皇っていたの?
いたとしたら、何やってたの? >>5
仮に渡来人が日本を支配したとすると、その後日本人が中韓を支配することになるのってある意味おもろいな >>152
好太王碑文にも倭人の方が攻めてきたと書いてあるが >>157
朝鮮出兵にあいつがこだわったのって
そもそもがそういう理由だからね^^ 考古学的な事言えば純粋な日本の青銅器文化は鏡ではなくて銅鐸作ってた奴らだよ。
日本は勾玉、鉄剣、鏡を祭祀に使う文化の民族にとって変わられている。大和民族っのがとって変わった民族そのもの。
さらに言うならそれらのルーツは明らかに中国南部から。
朝鮮半島は通り道じゃ無くて南からの征服者と北からの征服者がぶつかったところ。 >>159
ふ〜ん
じゃあ丞相は巫女にしか興味なかったのかな >>162
なんか文字コードの関係で ? になっちゃうみたいで・・・
プレビューで確認して、あらら で、しょうがないから左右を分けて書いたのだ・・・ >>156
そもそも卑弥呼と皇族の繋がりは不明
神武天皇が大和に東征する前から大和を治める勢力がいた つか、そもそもの性質が違うんだよな
日本で雨乞いとかで踊りながらのほほんと暮らしてたオリジナル日本部族に
朝鮮半島の覇権争いで破れたガチの武闘派集団が最新武器担いでやってきたんだぞ
"天孫降臨"とか言いながら
これもう勝負ついてるだろ
>>154
>>158
は?
朝鮮人が日本にやってきたのは紀元前だぞ?
シンラとかクダラとか、そんな時代よりもっと昔
そもそも、倭人ってのは中国側が日本島に住んでるやつをまとめた呼称だろうが
あと、日本に来た朝鮮人からしても自分たちは朝鮮半島からやってきたというより
神の末裔、"天孫降臨"と言ったほうが日本オリジナル部族を支配できるだろ
わざわざ、覇権争いで朝鮮半島からやってきたなんて言うかよw 旧唐書の記述には合ってるけど、古事記の記述と矛盾する気がするが、外国が書いた文献より国内が書いた文献が誤ってるということがあるのだろうか? 対馬を介して釜山と福岡を行き来してたのが倭人
これは紀元前200年ごろからの交易で古く伝統あるもの
新羅と貿易してたのは出雲や福井で始まったのは3〜4世紀ごろ
ちょうど出雲や福井に鉄器が増え始め
日本神話に登場するヒボコみたいな新羅人が介入し始めるころ つか、そもそもの性質が違うんだよな
日本で雨乞いとかで踊りながらのほほんと暮らしてたオリジナル日本部族に
朝鮮半島の覇権争いで破れたガチの武闘派集団が最新武器担いでやってきたんだぞ
"天孫降臨"とか言いながら
これもう勝負ついてるだろ
>>154
>>158
は?
朝鮮人が日本にやってきたのは紀元前だぞ?
シンラとかクダラとか、そんな時代よりもっと昔
そもそも、倭人ってのは中国側が日本島に住んでるやつをまとめた呼称だろうが
あと、日本に来た朝鮮人からしても自分たちは朝鮮半島からやってきたというより
神の末裔、"天孫降臨"と言ったほうが日本オリジナル部族を支配できるだろ
わざわざ、覇権争いで破れて朝鮮半島からやってきたなんて言うかよw
朝鮮半島からやってきて文明が劣ってる日本オリジナル土人相手に"強くてニューゲーム"状態で遊んでんのに 面白いことに
犬なんちゃらさんっていう名字の人がいて
猿なんとかさんもいて
鳥なんとかさんもいて
桃太郎のが全部普通に揃うんだよね
子孫も普通にいるのよね
しかもお武家さんなのよw >>168
日本の歴史書物もかなりいい加減だし中国の正史もなぁ。
野蛮人の事についてはかなりいい加減だしな。 日本書紀もかなり編集されてるよ^^
都合がいいようにねー
それはどこでも同じこと たぶんサルとトリとかキツネとかに喩えられる民族もいたはず つか、そもそもの性質が違うんだよな
日本で雨乞いとかで踊りながらのほほんと暮らしてたオリジナル日本部族に
朝鮮半島の覇権争いで破れたガチの武闘派集団が最新武器担いでやってきたんだぞ
"天孫降臨"とか言いながら
これもう勝負ついてるだろ
>>154
>>158
はぁ?
朝鮮人が日本にやってきたのは紀元前だぞ?
シンラとかクダラとか、そんな時代よりもっと昔
そもそも、倭人ってのは中国側が日本島に住んでるやつをまとめた呼称だろうが
あと、日本に来た朝鮮人からしても自分たちは朝鮮半島からやってきたというより
神の末裔、"天孫降臨"と言ったほうが日本オリジナル部族を支配できるだろ
わざわざ、覇権争いで破れて朝鮮半島からやってきたなんて言うかよw
朝鮮半島からやってきて文明が劣ってる日本オリジナル土人相手に"強くてニューゲーム"状態で遊んでんのに
古事記に富士山が一切出てこないことをちゃんと勉強しろよ? >>161
考古学の問題は遺物の違いで別民族と仮定しちゃうところ(´・ω・`)
日本は山川湖沼で各地が分断されてて、簡単に原住民を掃討できなく
民族が置き換わるってのが難しいの。それに日本は温和な気候のため
人口密集地で沿海州にしろ朝鮮半島にしろ日本より人口がかなり少ない
から、置き換わるレベルの日本への人口の流れを作れない。 この動物らは漢字に読み替えると多分大陸由来の色んな国や少数民族に起源が行き着くはず >>168
そりゃあるだろ
むしろ記紀なんてのは大化の改新、壬申の乱と政変の勝者側が遺した記録だぞ
客観的事実を求める方が無駄 >>100
日本人は中世まで文盲だったから
今でも英語力世界最低レベルで語学が苦手な民族だし つか、そもそもの性質が違うんだよな
日本で雨乞いとかで踊りながらのほほんと暮らしてたオリジナル日本部族に
朝鮮半島の覇権争いで破れたガチの武闘派集団が最新武器担いでやってきたんだぞ
"天孫降臨"とか言いながら
これもう勝負ついてるだろ
>>154
>>158
はぁ?
朝鮮人が日本にやってきたのは紀元前だぞ?
シンラとかクダラとか、そんな時代よりもっと昔
そもそも、倭人ってのは中国側が日本島に住んでるやつをまとめた呼称だろうが
あと、日本に来た朝鮮人からしても自分たちは朝鮮半島からやってきたというより
神の末裔、"天孫降臨"と言ったほうが日本オリジナル部族を支配できるだろ
わざわざ、覇権争いで破れて朝鮮半島からやってきたなんて言うかよw
朝鮮半島からやってきて文明が劣ってる日本オリジナル土人相手に"強くてニューゲーム"状態で遊んでんのに
古事記に富士山が一切出てこないことをちゃんと勉強しろよ?
歴史的に皇族が朝鮮半島を攻めたがる理由もわかっただろ。元は覇権争いで朝鮮半島を追い出された末裔だからだ >>178
一回目のは全部読んでるよ
だいたいあってるし
富士山の記述なんかは
勉強になった 事績がないと言われる欠史八代だが、各地豪族と政略結婚を続け
東は尾張、西は岡山まで広大な「連邦国」ガ出現するまでになった
これが八代のヤマト王権への貢 日本の農耕文化は稲作なので明らかに南方からの伝来。
半島経由の北方からはありえない話し。そもそも北部は麦作文化。
稲作の北限が朝鮮半島って事は明らかに九州を経由した伝来。 夏朝は殷より前の起源前2070年頃〜前1600年頃までの王朝らしいので
たぶんそのぐらいから渡来して作物とか作ってたやつがいたのではないか >>181
語学が苦手と言うか日本人は恥ずかしがり屋多くて英語が完璧に出来ないと話さないからな。
アメリカ人みたく、「俺日本語上手いよ。『アリガトウ』どうだ?日本語上手いだろ?」とか出来ないから。 まあ、沖縄も琉球になる前は3派閥ぐらいの民族に分かれて争ってたみたいだから >>168
日本神話は皇族公家の間で口伝されていたものだからね
数百年も口伝してたら各々の家で内容が異なっていた
だからこそ古事記や日本書紀が編纂されたけど
ベースが口伝だから矛盾と言うのがある >>183
真面目に聞くけど
そんな進歩した紀元前の古代朝鮮半島に
日本に侵出したことを明言した記録が残ってないのは何故なの 中国の歴史の中でも初めて文字書いて占いとかやりだしたのは殷
夏はそれより前 揚子江下流域で4000前ごろ生まれた太陽のカラスも
高句麗の三足烏→日本の八咫烏って
お米と一緒に伝わってるからな
稲作は呉越人が直接九州にもたらしたとかトンデモ説あるけど >>193
現在の漢字を制定したのが秦の始皇帝だしな。 >>191
なんで朝鮮半島の覇権争いで破れた一派が「俺たち日本でうまくやってるよー」なんて報告しなきゃならねぇの?w >>157
支配できてないだろw太平洋戦争でボコられたのもう忘れたか? >>191
なんで朝鮮半島の覇権争いで破れた一派が「俺たち日本でうまくやってるよー^^王様になっちゃった^^」なんて報告しなきゃならねぇの?w >>192
なんで朝鮮半島の覇権争いで破れた一派が「俺たち日本でうまくやってるよー^^王様になっちゃった^^」なんて報告しなきゃならねぇの?w >>160
木下って「朴」氏の通名として有名だよね。
そして木下姓の有名人の祖父辺りの代に、「朴」氏が関わる政変があったんだよね。 >>185
『先代旧事本紀』「国造本紀」には美志印命が、
神武天皇が天下を平定した時の従軍の功で
素賀国造に任じられて神武天皇の御代に今の掛川市にあった素賀国に赴任してるから
そこが東方の最前線だな
同じ國造本紀で13代成務天皇の御世に制定された尾張国造より古いから
多分内陸よりも海沿いにネットワーク広げてた筈 ヤマトが邪馬台国ではないのはもちろん、九州に対抗するための集まりでもない
大和に夢見すぎだっての >>190
南西諸島も半島も、一度住民が全滅して倭族(熊襲だと思われる)が移住したという点で共通しているんだよね。
前者は物証がないけど多分大津波、後者は白頭山の大噴火が原因だけど。 中国南部から伝わってきた一番古い神話 紀元前2000年
それが中国北部の神話と混じって出来た道教 紀元前1000年
半島北部の燕国と高句麗に伝わる神話 紀元前500年
釜山と福岡を行き来してた倭人に伝わる神話 紀元前200年
山陰・近畿と新羅の交流で出来た出雲神話 西暦300年
大和王権の日本支配で出来た神話 西暦400〜600年
これらの混合体が日本神話だから
どの時代に属するキャラクターかを良くよく見極めなければ >>1
前提が間違ってる。高天原(奈良)=邪馬台国=大和朝廷 としか考えられない。
古代の日本統一の過程で征服地に王族の分家を長として残して、日向に残した分家が
奈良に残った本家(直系)が混乱してるのに漬け込み攻撃して滅ぼしたのが神武東遷だ。
卑弥呼はヒメミコを聞き違えたもので斎王の役割を女王と勘違いしたのだろう。 大和政権は古墳を見る限り国力は大きかったのは事実
文化や技術をもたらす渡来人は重要視された
蘇我氏が物語っていような >>192
人骨の発掘状況や言語の特徴から、半島は熊襲が移住していったと考えられてるんだよね(半島では昔古代日本語が話されていたと現在の住民の大使館が認めてた)。
そういえば、現在の住民の神話に「熊の女」が出てきたよね。 >>207
三内丸山遺跡は紀元前4000年前の遼河文明の植民都市で東国日本人はその文化も継承してるぞ 福井説を推してる(唱えてる)ユーチューバーの動画よく見てるけどおもしろい >>209
紀元前に渡来したのは文化や技術だけではなく、王そのものが朝鮮人だとしたら?
この疑問は、専門的な学会ではタブーだけどな >>214
今の日本人の男系Y染色体ハプログループだと縄文系が優勢だから
支配者はずっと縄文系だよ >>203
今のような水田を用いた稲作は弥生時代からだが
米自体は縄文時代から食べられていた >>212
蝦夷の文化といえば御柱祭りか
縄文人の男根信仰 >>215
100年前まで乞食みたいな生活してたのに何を燃やすの? 元々ヤマト朝廷も宮崎は日向出だから同郷対決みたいなもんだ。 >>199
残った勝者の「自分たちが勝った、敗者は海に去った」って記録は?
古代朝鮮の記録にある王朝は中国起源ばっかりだよね
戦いがあったとしたら朝鮮が中国から攻められて負けて海に逃げたのよね 天皇がちょっと渡来人の血が入ってる嫁を貰ったからと言って
韓国人は天皇は朝鮮人の子孫って優越感に浸ってるからの >>207
現在の住民の言語は高麗時代にはなかったよね。
新羅の前半までは古代日本語を話してたし。
民族の成立も高麗時代だし。 >>12
個人的には大和大国、姫巫女が
邪馬台国、卑弥呼にされたと思う。 >>219
現代の源氏子孫の父系ハプログループは少なくともD1a2系統
まあ、源氏と皇室が父系違ったりする落とし穴があるかもだが >>222
自分で答え言ってるじゃん
記す価値すらないやつらが鉄の武器詰んだ船で東の海に逃亡したんだろ 朝鮮の王というのは中国皇帝に三跪九叩頭してきた
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7e/Yamen-sitzung.jpg
日本の天皇はそんな恥ずかしいことをしたことは一度もない。
朝鮮の情けない王とは違うのである。 サルはアイヌ語で芦原のこと
芦原醜男は大国主の別名
サルタヒコは大国主のことかもね >>217
縄文時代は栗の造林もやってた。
青森の三内丸山遺跡周辺の栗は、時代が後になるほど遺伝子が揃っていくからな。 >>214
そもそも紀元前の朝鮮人てどんな人たちなんだよ
朝鮮半島は人類発祥の地じゃねーし 日本人の祖先は朝鮮人という大嘘
https://userimg.teacup.com/userimg/6239.teacup.com/574744/img/bbs/0000585.jpg
1970年、韓国の東三洞貝塚遺跡で、私たちの常識を覆す考古学的発見がありました。
それは、私たちが教わってきた歴史の教科書に書かれているような、
「縄文時代の日本人は狩猟採取を行なっており、原始人の延長に過ぎなかった」
「一方、先進的な朝鮮人は稲作や鉄器などの進んだ技術や文化を持っていた」
「そんな朝鮮人が日本にやって来て文明を伝え、現地の住民と混血して日本人の祖先になった」
これらの渡来人説が、事実に基づかない嘘・偽りだったという内容でした。
その証拠となった考古学的発見とは、一体どのようなものなのか?
それは、本来日本人がいなかったはずの朝鮮半島で、大量の縄文土器が見つかったことです。
しかも、それは日本人が現地で生産していたとしか考えられないほどの量でした。
縄文土器は古代の日本人が食料を調理するために使っていたもので、世界最古の土器と言われています。
祭祀用に作られたと思われる芸術的な土器も見つかっており、新潟県の「火焔型土器」は国宝に指定されています。
このような日本人の痕跡が朝鮮半島の南部や北朝鮮など、半島のあちこちに残っており、
縄文土器だけでなく、九州産の黒曜石や新潟産のヒスイさらには当時の日本人と思われる人骨までもが発掘されているのです。
このように、朝鮮半島から渡来人がやって来たのではなく、むしろ話は逆で、朝鮮半島に
日本人が続々と移り住んでいったということが、近年の考古学によって実証されつつあります
。このことは、今まで教わってきた話とはあまりに異なるので、すぐには信じられないかもしれません。
そして、これらの不可解な事実は、彼らが決して知られたくないことなのです。 邪馬台国が九州から畿内に引っ越してきて
ヤマト国になったんと違うの? >>228
王と言うものは皇帝に任命される役職だから。
日本には天皇がいるので、中国の家臣になる事はできなかった。 >>225
大和国、姫巫女という可能性もある。
なお姫巫女の伝統は、後に伊勢神宮に受け継がれる。 >>233
それが正解だよ
九州だと攻められやすいから、機内に引っ越した
淡路島が防波堤となって攻め込まれないからな
https://i.imgur.com/unpXnr4.png >>211
百済のころの中国の史書に倭人と百済人は
通訳なしで話しが通じると書いてあるそうだね
そもそもBC8,000からBC3000の朝鮮は人がいた痕跡がない
そして縄文土器がその後南部から出土することから
朝鮮南部は倭人が先住民というのは確定 勾玉の起源は日本
勾玉の発生は日本の方が古い。日本では縄文時代から翡翠の勾玉が出土するが、
韓国では5〜6世紀ごろの翡翠の勾玉が最初である。
韓国と日本でユニークな丁子頭勾玉が出土するが、これも日本の方が古い。
韓国では、5世紀ごろの遺跡から出土するのに対して、日本では3世紀前半ごろの
平原遺跡から発見されている。日本ではさらに古く縄文遺跡からも出土している。
丁子頭勾玉は、勾玉の穴の周囲に丁子の花に似た溝が掘られてていることを特徴とする。
勾玉そのものも特徴的な造形であるが、さらにユニークな丁子模様が日韓で共通していることは、
偶然の一致ではなく、日本から朝鮮半島に運ばれたものといえる。 今、朝鮮半島に住んでるやつらは
エヴェンキとモンゴルの混血 室町時代でも鎌倉公方は言う事を聞かなくなり始めるし
九州と関西の距離があれば元が同じでも独立勢力になるやろな 大和国王「言葉の通じない奴らと謁見するのだるい。代わりに行って。」
姫巫女「わかりた」
大和国王「俺いない事にして、おまえが女王って事にしといて」
姫巫女「おk」 ヤマト王権は九州にあったんですけど
「日本(大和政権)」は古の「倭奴国(漢委奴国王)」である
国王(天皇)が自ら言うには
初代の国王は「天御中主」と名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている
彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城(九州)に存在していた
彦瀲(天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命)の(皇)子の「神武」が
大和州に移り住んで(大和の邪馬台国を軍事制圧して)その地を治め、
(邪馬台国を)継ぎ立ち、あらためて天(津)皇(子)を名乗った 国譲りの件は?
1のシナリオだと出雲との戦闘が起きない気がするけど
時代が違う? 大和王権は九州です
「宋史日本国伝」
初めの主は天御中主(あめのみなかぬし)と号す
次は天村雲尊(あめのむらくものみこと)と曰う
其の後は皆尊(みこと)を以て号と為す
天八重雲
伊弉諾
素戔烏
天照大神
正哉吾勝速日天押穂耳
天彦
彦瀲まで
凡そ二十三世、
並びに筑紫の日向宮に都す
彦瀲の第四子を神武天皇と号す 朝鮮半島南部は元々倭人の支配地
正直なところ日本人ならばこれは気持ち悪くて破棄したいところなんだが事実だから仕方ない >>233
守る人がいないと元寇みたいな時に乗り込まれるんじゃね?
そしたら地続きなんだから近畿にも攻め込まれる事になりそう >>245
そもそも
帯方郡を支配下においた公孫氏は
後漢皇帝が治める帝国内の一藩国、
つまり王国として魏を建国した曹操に恭順した際に
自らが支配下に置くのは
遼東と
遼東の南の楽浪郡と、
そのまた南の帯方郡と
そのまた南の韓と
そのまた南の海を渡った九州の倭
だと曹操に報告してる
魏の二代目の皇帝「曹叡(明帝)」と
その軍事トップの司馬懿が
九州の女王を親魏倭王にするわけがない >>243
出雲で戦争は起こってないぞ
大国主は素直に国譲りしたんだから
ただ、息子が諏訪湖まで戦いながら逃げていったが、そこで降伏した >>227
それは難民
つまり朝鮮半島から来たのはただの難民
持ってた金属武器は食料と交換
食うために技術も教えて同化
征服なんかできないよ >>207
天地開闢→更新世(ホモサピエンスの発展
天津神と神代七代→完新世氷河時代後期
イザナミイザナギ→縄文時代初期
スサノオアマテラスの子産みと岩戸籠り→縄文中期
出雲神話と国譲り→縄文後期
天孫降臨→弥生初期
海幸山幸→弥生中期
神武天皇東征即位→弥生後期
これで合う 朝鮮が優秀なら日本に併合されてないわなw
中国が優秀なら日清戦争でボロ負けして台湾を日本に捕られてないわなw
ようするに中韓は日本の属国なんだよ しかし日本の考古学界が異常なのは
倭の朝鮮南部支配を認めないのがたくさんいるからな
どんだけ朝鮮に忖度してんだよ 半島のかなり奥まで(平野部)倭人系が平和に
暮らしていたんだろうな(縄文人的な半農半漁)
そこに遊牧民気質ドロボー「女真族」が北から侵入
最終的に倭人の男は殺され、女は孕まされ残った >>121
ニニギが娶ったコノハナサクヤヒメが富士山そのものの神格化 中国春秋時代の楚の王族の姓って熊(ゆう)なんだよね
合わせて熊楚 ≒ 熊襲
なんか出来すぎてる気が >>250
大量の剣が出土したのは戦闘に使ったからじゃないの? でもヤマト王権も邪馬台国も全部朝鮮半島から渡ってきた渡来人の王族の末裔なんだよね
九州説だろうが畿内説だろうが結局は韓国系だから一緒じゃん >>233
全然違う
ヤマト王権が近畿から九州に遠征して邪馬台国を滅ぼした 日本語と高句麗語は近い関係。
日本人の親戚だよ。これ。 >>254
半島南部の倭国領を「任那(みまな)」と呼ぶけど
「那国」=「奴国」というつながりで奴国系と考えると
「後漢書東夷伝」で九州北部の倭奴国を「倭国の極南界」と書いた意味が通じてくる
陸地で暮らす我々は半島または九州島を中心に考えがちだけど
奴国系の人たちが元々海洋系(=海人系、アマ系)とすれば
対馬海峡が彼らにとっての中心で
そこから半島南部と九州北部を領有していたと考えることができる 一握りでも正しい記録が残ってればね
ほんの十年前の原発事故の記録すら有耶無耶になってるしどれだけ非科学的なんだよこの国は から、たんら、しんら、くだら。
日本は、最後に「な」がつくとこ多いイメージ。
百済のこと半島人はベクチュみたくいうけどもともとの半島人は百済をなんていったの? >>261
神武東征を全否定しないと成り立たない邪馬台国九州説w >>26
>初代天さんの誕生日が紀元前711年2月13日の水瓶座B型まではっきりしてるのに
してねーよ 聖徳太子の偉業に隋との国交があるのがなあ
考古と史学がすり合わない >>271
おそらく九州で劣勢になった邪馬台国の王子が
奈良にいた勢力に避難したか人質として送られて
それが奈良の豪族たちの間で王として担がれた
そして後年、自分たちが邪馬台国=大和の正統だって主張して
九州を征服して行った
まぁ想像だけど ロマンだなあ
神武東征自体が自分たちを神格化(進んでいる西から来た)するための
でっち上げだったのかもねえ 『魏志』(倭人伝と韓伝を含む)は
魏から禅譲をされた西晋の初代皇帝である司馬氏が297年に成立したもの
266年に壱与の遣使と共に張政が、邪馬台国から帰国してから約30年後の成立ということは
ほぼ実録だな 春秋暦と大阪湾の古代地質学の二つで
神武東征の謎が解ける >>275
まあ真面目に書いていればだが、野蛮人の話なのでクソミソ。 延喜式には皇睦神漏伎命・神漏弥命以て皇御孫之命が祭祀を行う旨が書かれている
道饗祭祝詞には高天之原に事始めた皇御孫之命の名前は八衢比古・八衢比売・久那斗であると書かれている
記紀によれば天の八衢にいたのはサルタヒコ
出雲の伝承によればサルタヒコは出雲の姫神である幸神とクナトの神の子
色々明治以降の歴史認識と違うよね 『魏志』(倭人伝と韓伝を含む)は
魏から禅譲をされた西晋の初代皇帝である司馬氏が297年に成立したもの
266年に壱与の遣使と共に張政が、邪馬台国から帰国してから約30年後の成立ということは
ほぼ実録だな
南北朝の宋(420年 - 479年)の時代、432年以降に
後漢(25年 - 220年)について書かれた『後漢書』
や
唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された
『北斉書』・『梁書』・『陳書』・『隋書』・『周書』・『晋書』
みたいに
数百年後に書かれたモノとは、ちょっと違うね ヤマト政権の始まりは倭国大乱を経て卑弥呼の時代
それ以前に奈良に大きな権力が存在した形跡はなく、他の近畿地方と同じ勾玉、銅鐸、方形周溝墓文化圏で在地の人々の痕跡しかない
ヤマト政権の始まりは纏向遺跡を見るに東海勢の西征だろう >>277
へたすりゃ
『魏志』(倭人伝や韓伝を含む)を書いていたときは、まだ邪馬台国はあった
だろうね >>280
いーや
卑弥呼が死ぬ間際の邪馬台国と戦争になった狗奴国が
「宋史日本国伝」
初めの主は天御中主(あめのみなかぬし)と号す
次は天村雲尊(あめのむらくものみこと)と曰う
其の後は皆尊(みこと)を以て号と為す
天八重雲
伊弉諾
素戔烏
天照大神
正哉吾勝速日天押穂耳
天彦
彦瀲まで
凡そ二十三世、
並びに筑紫の日向宮に都す
そして
彦瀲の第四子を神武天皇と号す >>254
>>264
任那がそもそも歴史のねつ造だったから
話がややこしくなってる >>282
万葉仮名表記が「宋史」にそのまま書かれるもなのかね 【道】饗祭
黄泉に逃れたイザナミの別名【道】敷大神
【道】の枕詞は玉鉾の
黄泉はあの世で常世のこと
明治天皇が詠まれた歌にも道が出てくる
人もわれも 道を守りてかはらずば この敷島の国はうごかじ
葦原のみづほの國の萬代もみだれぬ道は神ぞひらきし
月見れば 雁が飛んでゐる 水の中にも映るなりけり
源氏物語には常世や雁、道が出てくる歌が載っている
心から常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな
常世出でて旅の空なるかりがねも列に遅れぬほどぞなぐさむ
あかりなくにかりの常世を立ち別れ花の都に道やまどはむ タモリ倶楽部でやってたけど
淤能碁呂島って淡路島の南にある沼島っていう小さな島のことらしいね >>260
ヤマタイは知らねえけどヤマトは豪族の連合な
蘇我氏とかは朝鮮系だったっぽいが大化の改新で消された。
畿内付近の豪族なんだからどう考えても日本だわ。 >>283
中国領のある高句麗王の碑文に倭人との戦争の記録があり、関係三国が数年に渡る攻防があったと読み取れることからも
南部に強固な後方拠点があることがうかがえる >>287
ブラタモリでは
倶楽部でもやってたのか >>289
その倭人が末期の邪馬台国あたりじゃないのかな
任那日本府という表現がおかしいだけで
百済仏教が倭国に持ち込まれた経緯と
照らし合わせてみるといいかも 小室圭のおかげで象徴天皇も令和で終わりだし、全国の天皇陵とされてる墓を全部調査して日本の成り立ちを解き明かしてほしいよ ゴッサカイト遺跡だっけ?
何故か淡路島に鉄を作ってた跡がある 奈良の奴らは邪馬台国つーのはよく知らんかったのに、戦ったも糞無い
奈良から全国制覇に動いたのは、4世紀の話 もともと連立政権だったヤマト王権を大化の改新で天皇一本化した >>10
考古学者は全員そんなもんだろ
自説に都合のいいことだけ取り上げて他はガン無視するのがデフォ 邪馬台国の時代は日本には30くらい小国あったんだが >>260
当時の朝鮮半島って人口めっちゃ少ないのよ
これは遺跡で証明されてる
逆に日本は縄文末期からどんどん人口が増えてる
弥生末期古墳時代初期の邪馬臺国の時代は朝鮮半島からわたってきても日本征服なんて無理 >>5
そんな結論考古学上からも言語学上からもどうやっても導かれない 倭人は文字の読み書きができないから渡来人に外交は全て任せていた
要は渡来人に支配されてた >>102
スサノオは初代倭奴国王の息子たる師升だろ
師升にはもちろん兄弟もいて、アマテラス(男の可能性あり)だ
跡目争いはいつ時代も常で、師升は結局朝鮮半島に活路を求めた
結局は日本に帰ってきたが、実力者師升が死ぬとどうなるか、バランスが崩れるわな
その結果が、アマテラス一味とスサノオ一味の対立、倭国大乱だ
その倭国大乱で、スサノオの孫が逃げてきたのが纒向 >>293
半島南部に日本本土より遅い時期の前方後円墳が多数出土し
韓国側に不都合な真実?ということで埋め戻された
半島に日本府があることを歴史から抹殺する
韓国特有の歴史ファンタジーの圧力wがはたらく
日本側でも忖度パワー
こうなると歴史は人文科学ではなく政治宣伝の領域になる 邪馬台国以前の出雲が問題だ。
出雲は本州四国ほぼ全域を治めてたが九州はそれに完全に従う訳では無く同盟的な関係しか無かったとみてるが、邪馬台国前後で出雲は完全に奈良側に付く事になる訳ではあるが>1 正確な年代も特定出来ないのに、東から西へ証拠となる土器が使われていったとか言われてもね
別の話だけど、邪馬台国をヤマトとしないのは無理があると思う >>28
漢は辺境の国を総じて倭で表してて、日本もそれがあてられた 意味も分からず使ってた日本側は、当然それを国名のヤマトとして使う
尊大ぶって大を関して大倭
不適切な倭に変わり和を使用して大和
中心にある地域を大和と呼ぶようにした これはタイムマシンでいろんな時代を見てきた俺が言うから間違いない >>31
空港、幹線道路、都市高速を作るときに遺跡や遺物がボコスカ出て来たけど工事の進捗に関わるから、見ないふりをして埋めてたと、工事に携わってた人に聞いた事がある
実に悔しい限りだ >>111
それ見ても日本人の中では近いというだけで全然構成が違うのに近畿とかをチョン扱いするのはただのキチガイ
反日工作員 変に考えず、素直に読み解くべき
天孫降臨とは倭国大乱の事
戦争になれば、戦う前から逃げる奴もいれば、負けそうになると逃げる奴もいる
負け組の師升一味が逃げた場所が吉備から関東の間で、師升の孫(大国主の息子)は纒向に逃げた
社会情勢が落ち着きゃ、また、師升の皇統がいる纒向に集まりましょうになるだろう
纒向で国作りして、時が経ち、アマテラス一味、アマテラスのひ孫(神武)が九州からやってきた
そして、そのひ孫と纒向の一味が合体し、今度は九州を含む全国制覇に動き出した 古事記と日本書紀は全然信用出来ない。あんなの民俗学だろ。じゃあ考古学は信用出来るかというと、こっちは鏡の数で邪馬台国の場所は奈良とか言ってるしw
もう吉野ヶ里遺跡が邪馬台国でいいじゃん。始皇帝から逃げてきた大陸の人達が日本各地で文明を作ったんだよ。そして乱が起きたんだよ。各地で小さい国があって同盟を結んでたって話までは信用出来る >>44
つまり稲作に必要な磨製石器も北陸新潟に伝わったってことか
ってことは北陸新潟を発掘すれば石器が山ほど出てくるな >>313
魏志倭人伝に倭国大乱の記述があるだろ
古代から現在に至るまで戦争が起きると必ず発生するもの、難民
おそらく北部九州を中心に大規模な戦争が起きその戦禍を逃れるために近畿に移住したのだと思われる。九州から近畿だと瀬戸内を船で行けばすぐだからな
ちなみに北部九州発とすると記紀にある神武東征の際に筑紫の国になぜ立ち寄ったのかという不自然な点が無くなる >>325
倭人伝の倭国大乱は3世紀だが、4世紀に畿内の神功皇后が九州を攻めた後に高句麗攻めてる、そんな急速に力つけるのは難しいぞ 天皇のもとを辿れば紀元前に朝鮮半島からやってきた朝鮮人の武闘派集団だなんてのは日本の学会では完全なタブーなんだよな
でも、完全にわかってることなんだよ
どんぐり食いながら雨乞いしてるような島国の日本土人を
天孫降臨を自称した朝鮮半島の武闘派集団が成敗していく紀元前の話が古事記の内容だから >>328
神功皇后は
居るよ、しょうけごえ、御笠、我が心安し、産み、大分け 朝鮮半島は紀元前から戦乱状態で
どんぐり食いながら雨乞いしてぼけーっと暮らしてる日本土人はあっという間に駆逐されていったわけよ
古事記ってのは朝鮮半島からやってきた武闘派集団が、ぼけーっと暮らしてた日本土人を駆逐していった歴史を書いてるわけ
神武ってなんで武力って文字が入ってるかよく考えたほうがいいぞ
あと、古事記には富士山に関する記述が一切ない
なぜなら富士山は東の部族(オリジナル日本人)が崇拝してる霊峰だったから
紀元前に朝鮮半島からやってきて近畿に住み着いた天皇一派は富士山について古事記で書けなかった でも神話では日向から東征してるだろ
これが日本書紀が編纂された頃の遠い過去の伝承と見るに
支配層は九州→吉備→大和と移動してきた勢力じゃないか?
移動は3世紀に九州勢力と対峙する以前の出来事だとは思うけど 大分県は大分けから来てるんだが、元はヤマト王権のある大分とそれと敵対してる勢力を大きく分けるから来ており、その場所は現在の福岡県飯塚付近なんだよ、大分けという地名が残ってる ちなみにこの手の話、日本研究の学会ではタブーな
天皇の祖先が紀元前の朝鮮半島からやってきて九州や関東のどんぐり食って雨乞いしながらぼけーっと平和に暮らしてた
オリジナル日本人を
駆逐していった武闘派集団だってことを日本人が知ったらどうなる? 邪馬台国は畿内でほぼ決まりだよ。
九州説は根拠が弱いし考古学的にも無理がありすぎる。
ただし邪馬台国を作った勢力自体は畿内の土着民族ではなく西からの征服者。 大分の由来を碩田だと大分県は公式にしてるが、飯塚の大分けから東地区が全て大分けだったのは事実とてあるから分断だのどーだの恐れずに大分県はしっかり発表した方が良い>1 東から西へって、日本人の歴史でそうだもんな。
中東辺りから来たわけでしょ。
それは人類が発祥した時代からも、日ユ同祖論でも、徐福の時代でも。
で、江戸時代にはついに江戸に。
そこで太平洋に阻まれてそれ以上、東へ行けなかった。
けど、幕末、黒船が来てアメリカに渡れると知る。
「日本の夜明けぜよ」って龍馬が行ったかどうか知らないが、象徴的。
つまり、九州に上陸した人たちはそこにとどまらず、東へ行って機内という平野を見つけて住み着いたにきまってる。
農耕をする人たちだから。
ちなみに弥生時代って名称は東京の文京区弥生町で見つかった遺跡による。
それだけ東に沢山、人が居たって事だろう。
縄文人ではない、弥生文化の。
なぜ、考古学の人はそこを考慮しないんだろ。 ニギハヤヒはよく分からんが
何時の時代も、負け組が全国散り散りに逃げると、それを追討しようとするもんだろう
倭国大乱が収まると、ニニギの兄弟たるニギハヤヒが追討を命じられて、東征してきたが
纒向にいた師升の孫(大国主の息子)たる事代主に取り込まれて、事代主の娘もしくは姉妹を嫁に貰い、皇統を継いだ
そして生まれた子供、ウマシマジが事実上の王の時、神武が九州からやってきた
ウマシマジは神武にすぐ臣従したが、師升のひ孫(事代主の息子)たる長髄彦は最後まで抵抗し、滅ぼされた
神武は事代主の娘(長髄彦の姉妹)を正室した
登場人物の年代が合わない(神武の正室はババア)が、こんな感じかな
言えるのは、登場人物は元を正せば、日本列島最初の強大国、倭の奴国の王族に繋がる人々 >>337
西からとかごまかさずに紀元前の朝鮮半島からやってきた武闘派集団ってはっきり言えよ
天孫降臨=朝鮮半島の鉄で武装した武闘派集団による日本上陸
島国のオリジナル日本人は質の悪い青銅を作るのが精一杯で朝鮮半島からやってきた武闘派集団の鉄の剣の前に無力だった
そもそも島国のオリジナル日本人はどんぐり食いながら雨乞いしてぼけーっと平和に暮らしていたので
戦乱の朝鮮半島から日本にやってきたガチの戦争知ってる武闘派集団と相まみえれば、それは殺戮でしかなかった
オリジナル日本人が「どんぐりあげるから許してください」と言っても鉄の剣で首をはねられた
これが古事記の内容 >>342
ニギハヤヒは物部鈴木の祖先、銅鐸作ってたのも鈴木さんではと見てるんだが? つか、古事記のスサノオの性質見ればまるっきりわかるだろ
あれは、朝鮮人の性質
オリジナル日本人のそれではない
古事記はそこんとこ正直に書いてる
"和を持って尊きと成す"の精神なんて一切書かれてない
紀元前の朝鮮半島からやってきて、ぼけーっと暮らしてたオリジナル日本人をとにかく叩きのめすって内容が克明に記されている
戦乱の朝鮮半島から最新の武器でやってきて、ぼけーっと暮らしてた日本島のオリジナル日本人を殲滅するのは
正に"強くてニューゲーム"状態
それが神武 閉鎖された島国で暮らしてた紀元前のオリジナル日本人からしたら
戦乱の朝鮮半島からやってきた武闘派集団は、神の使いのように見えただろうな
島国では見たことのない鉄の武装をして、容赦なくオリジナル日本人を斬っていく
古事記にしっかりと書かれているぞ 天孫族と言うのは確かに渡来人貴族の末裔であると言うのはあると思うが、同時に貴族の末裔であると言うのもあるだろう、藤原とか鈴木さんもそうなのだろうが、皇室の初期の妃は全て出雲系なのを見ると天孫族はニホンの支配階層であるという意味もあった筈だぞ>1 古事記のおもしろいところは
紀元前の朝鮮半島からやってきて近畿に住み着いた武闘派集団による殺戮
まるでそれが"良い事"として書かれていることだけどな
文明の劣った野蛮な部族(オリジナル日本人)を討ち滅ぼしていくのが当然かのように書かれているから笑える
そして、挙句の果てに東の部族(オリジナル日本人)が崇拝してたからという理由で富士山について一切書けていない
日本書紀にも古事記にも、富士山について一切書かれてない理由 >>314
>ヤマトは山多(ヤマタ)から来てるからな
「雅馬図」(発音はヤマト)からですな!
「雅馬図」はシルクロード沿いの町で
現在でも日本人に似た人々が暮らし
ているし、中心部を流れるイリ川には
「ヤマト橋」が架かってる >>346
東南アジアから海流に乗ってやってきた人たちや
シベリアから千島列島伝いにやってきた人らもいるだろう(´・ω・`)
日本人は日本人だけで発生してたのか?^^; ちなみに、古事記に書かれてる日本が最初に作られた場所知ってるか?
淡路島だってよwwwwwそこから日本は始まったんだとよwwwwwww
紀元前の朝鮮半島からやってきて近畿に住み着いたからって無理があるよそれは
天皇ちゃんよぉ ちなみに、日本研究の学会では、神武は紀元前の朝鮮半島から日本にやってきて近畿に住み着いた武闘派集団の首長なのでは?
ってのはタブーな
なぜなら、この説が拡散すると、日本国民の天皇に対する敬愛心が消え失せるから
あと、お前ら読んだことないだろうけど、古事記、これつっこみどころ満載だぞ
古事記の内容は他の部族(日本に最初から住んでいたオリジナル日本人)への殺戮の正当化でしかないから
近畿を拠点にした神の子孫を自称する武闘派集団による殺戮、殺戮、また殺戮で
"和を持って尊きと成す"の真逆行ってるから >>351
最近、ブラタモリでやってたじゃん。
淡路島はなぜ、天孫降臨の場所なのかって。
あの番組は地図を元に歴史を見る地質学みたいなもんだから。
まあ、全然、意味不明だったけどな。 あと、これは興味深いポイントなんだが
紀元前の日本島のオリジナル日本人は、山や海、自然現象そのものを"人格化せずに"崇拝していたのだが
紀元前の朝鮮半島からやってきた天孫降臨を自称する武闘派集団は、神を人格化して支配の道具として使った
要するに、自分たちは、神の子孫だから支配する正当性があると言い出した
これ、海で閉鎖された日本島には本来存在しない文化、大陸から持ち込んだ文化だろ
日本島のオリジナル日本人は、どんぐり食いながら富士山を見て、雨乞いするくらいしか文化なかったわけだから
そこに人格化なんてものはなかった。山は山、海は海、雨は雨として拝んでいた
それらの自然現象を人格化して支配の道具として使うなんて発想もなかった
どう見ても、大陸から持ち込まれている >>352
日本武尊が女装して潜入してぶっ殺すとかか?^^;
みんな知ってるだろう 奈良県民はムキになって「邪馬台国は奈良」「卑弥呼は関西人」と起源を主張するが
冷静になれば畿内=ヤマト、九州=邪馬台国と考察する方が無理がない >>4
中国朝鮮九州の土器は発見されてないから影響を受けてない 近畿から北九州に人が押し寄せた、だから近畿が首都だった、と言いたいのかな
じゃあ、今の日本は日本各地から東京に人が押し寄せてるけど、日本の首都は日本各地なんだね!
てことになっちゃうぞ
1は論理破綻してる >>346
鉄を持ってたのがなぜかオリジナル日本人で近畿の渡来人たちは持ってなかったんだよね
不思議だよね >>355
そんな"お話"だけで済むわけねぇだろw
部族を壊滅させてるんだぞ
古来から九州に住む野蛮な部族、熊襲のボスをやっつけたぞ、これで熊襲は制圧した、わーい
本当にこれだけで済むと思ってるのか?
鬼退治じゃねぇんだぞw
あと、熊襲っていういかにもなネーミングも近畿の武闘派集団が名付けてるだけだし
どうとでも正当化できる
九州の土人連中だから、毛深いのは実際そうだったろうけどなw
でもどうする?お前が思ってる以上に熊襲が大人しくて平和な部族だったら
正当性を出すためにそいつらを危険で野蛮な部族に仕立て上げたってことだぞ。勝てば官軍の古事記だからな なんで九州の人ってこの話題で喧嘩腰になんの?ぶっちゃけどっちでも良くない? >>356
邪馬台国は大和国だろうよ。
邪馬台国は魏志倭人伝の中での事だから。
卑弥呼もだけど、本当は日巫女とかだろな。
自分の国や指導者に当てる漢字じゃないのに、つまり、中国が他国を揶揄する言葉。
南蛮とか東夷とか言った時代だから、充分ありうる。
それなら、どこにも邪馬台国も卑弥呼もいないのに探してるバカバカしさ。 纏向が邪馬台国と同時代と思ってるのがそもそもの間違い
四道将軍や稲荷山古墳の時代でしょ
四道に九州が入ってないのと合致するし
前方後円墳の伝播もな 古事記を絶対視するのもいかがなものか
たとえば、宮崎の天孫降臨神話との整合性がない。 >>359
それ全く違うぞ
紀元前のオリジナル日本人は青銅を作るのが精々で紀元前の朝鮮半島からやってきて近畿に住み着いた集団に駆逐された
そして、こいつらが紀元後にオリジナル日本人を名乗った
倭人って呼ばれてるのもこいつら
紀元前に朝鮮半島から近畿に移り住んだ集団が紀元後に中国人から呼称されたのが倭人 神武の兄貴は新羅王の祖とあるらしいな
年代はさておき、九州の出身だろうか
その後、丹波あたり(諸説あり)からやってきた倭人が婿入りして、王家を乗っ取ったらしい
だから、乗っ取っられたあと、九州の新羅攻撃が激烈だったんだな >>364
だから、これについても答えがある
紀元前の朝鮮半島からやってきた武闘派集団は一つではない
何度も複数やってきて、それが西日本で移住した朝鮮人伝説になってる
なぜなら、東日本や東北ではそう言った朝鮮人伝説が一切ないから
朝鮮半島から遠いだろ
なぜ、朝鮮半島に近い西日本でだけ、そういうことになるのか
それ自体が"答え"だろ >>360
あの卑怯なやり口を正史にする異常性
やはり連立制というか妥協の産物であるゆえの気遣いの気がするけどなあ^^; >>365
だからさ、その、ヤマト政権のルーツは朝鮮、という仮説は、例の「神武から雄略の間に東の88カ国を平らげた」という一節をもとにしてるんだろうけどさ、じゃあなぜ天孫降臨神話は宮崎なんだ?朝鮮から上陸してきたのなら当然、福岡あたりが天孫降臨神話の舞台にならなきゃおかしい。
あと、日本で栽培されてるコメの原種をさかのぼると、鹿児島県の大牟田というところで栽培されてるコメにいきあたるらしい。これも宮崎の天孫降臨神話との奇妙な一致。
このことからヤマト政権のおおもとは朝鮮ではなく九州南部と考えられる >>343
朝鮮半島は無いよ。
邪馬台国と文化と宗教が違うから。
朝鮮南部に日本と同じ痕跡ができるのは時代がもう少しあとだよ。 >>365
なにを言ってるのかね
>>1を読み直せよ
wikipediaでもなんでもいいからなんでも読めよ
近畿は鉄を生産できないし利用もしてない >>370
いやだから、根本から間違ってる
お前が"日本"と思ってるそれ自体が紀元前に朝鮮半島から日本にやってきた朝鮮人の末裔による文化
そもそも紀元前に朝鮮人っていう概念すらないから、そいつら(日本に移住した朝鮮人の末裔)は
マジで自分こそが日本人だと思ってる
そして中国人はそれらを倭人と呼称した >>372
じゃあなぜ宮崎に天孫降臨神話があるんだ?都合が悪いことは無視したらだめよ てか、紀元前に朝鮮人が最新の文明で日本にやってきてどんぐり食って暮らしてたオリジナル日本人を駆逐して
日本島を支配して、後に朝鮮人の末裔こそが日本人となったって
そんなに不快なのかね?
お前らがイメージしてる朝鮮人と紀元前の朝鮮人はまったく違うぞ
つか、実際問題として、閉鎖された島国のオリジナル日本人はどんぐり食って雨乞いして暮らしてた弱い民族だったんだから
戦乱の朝鮮半島からやってきた朝鮮人にまたたく間に駆逐される事実は受け入れろよ
そして、それこそが神武だっていう事実を受け入れろよ >>373
だからだな
古事記の話が西日本に集中してる事実に気づけよ
簡単な話
朝鮮半島が近いからに他ならないだろ
なんで、関東や東北(オリジナル日本人)は一切ないんだよ
朝鮮半島から遠いからだろ それともうひとつ、もしヤマトが機内発祥なら、南九州の熊襲に到達するまでに西日本のほとんどを傘下におさめる大帝國になってたはずなのに、熊襲相手に苦戦したように描かれてるのはなぜなんだ?
答えはひとつ。熊襲と戦ったとき、ヤマト政権はまだ小国だったのだ。つまり、これもヤマト政権のおおもとが南九州だという説を補強する >>375
それいいだしたら、南九州発祥説でも矛盾はないじゃないか >>372
稲作文化は明らかに南から伝播してんだよ。
で古代朝鮮に日本の祭祀の原型はない。
朝鮮半島からの征服者だとしたら祭祀は征服者と同じになる。けど事実は逆だよ。
中国→朝鮮→日本って学説に固執しすぎだよ。
中国南部の稲作が麦作地帯を飛び越えて半島経由で伝わる事なんてあり得ないよ。 >>285
『宋史』(そうし)は、中国の元代に編纂された正史(二十四史)の一つで1345年に完成 >>35
お前らの頭の中では韓国は半万年の歴史らしいけど実際は100年も満たないからな、こだいの半島にいた民族もお前らみたいなゴミムシとは別の人種、日本と関連性を持とうとする事自体おこがましい >>376
朝鮮半島から日本にやってきた武闘派集団は、人数どのくらいだと思う?
紀元前の船でどれだけの人数が日本島にやってこれた?
お前の脳みそでイメージしてみろ
お前が紀元前の最新の文明と最新の武装をした朝鮮人だったら、どうやって日本島を支配していく?
日本島の原住民はおとなしい、平和主義者、酒が好きで、大陸と違って自然現象を人格化しない、雨乞いとどんぐりが日常
さあ、日本に上陸したばかりの神武(朝鮮人武闘派集団の首長)の気持ちになって考えろ
100人の武闘派朝鮮人でどうやって日本島を支配する? 渡来人って山東半島から来た人らやろ
水稲の伝播や下戸の分布みれば朝鮮半島からはないわ
5000年前から山東半島
3000年前から九州北部
2500年前から畿内
新田開発時代が終わって良田をもらえない人らが植民した歴史じゃろ >>382
つまり、こたえはひとつ。
「そんなことはありえない」だ。 >>372
その当時の朝鮮人が今は朝鮮半島に住んでないんだけどねw >>383
それなら、天孫降臨神話は福岡になるはずだろう
なぜ宮崎なんだ?
ちなみに、天孫降臨神話は宮崎が勝手に名乗ってるわけじゃないぞ?今上陛下も皇太子時代に高千穂を登山してらっしゃる。いわば「天皇家公認の正史」だ >>387
日本を征服するほどの大船団が、わざわざ福岡をスルーしてぐるりと回り込んで宮崎に上陸?おかしいでしょそれ
朝鮮由来説は無理がありすぎだ 尾張の勢力に制圧された京都や大坂が新しく織豊政権の拠点になったように
必ずしも勝者の元々の拠点がそのまま拠点として使われるとは限らない
普通に九州勢力に畿内が制圧されてしばらく九州は九州で、畿内は昔の関東公方みたいな扱いで存在し
白村江のあとに中国大陸から距離をとるために拠点が畿内へ移されただけの予感 >>388
福岡はヤマト王権が九州を制圧するために作った町なので当時はなにもないからなw
これは後世の話だが防人も東国で徴兵して帰ってこれなかったのはまだ九州を制圧できなくて
侵略のためにたくさんの兵士が死んだからだよ 大和王権の支配者層が渡来系の征服者としても出身は中国南部からだよ。
南方からの移住者が半島で巨大な国作って南下する可能性も考えられるけど考古学的には
朝鮮半島に巨大国家の痕跡認められないし他国侵略するほど豊かな生産量や人口増加は確認されない。 >>386
九州北部でいい立地の場所がもらえん部族だっただけやろ
天孫族が筑紫平野の支配者なら畿内に移動せんかったと思う >>390
熊襲の漢字を当てたのはヤマト王権で当時の住民たちは球磨の字を当ててたからな
そいつの主張は無理がある >>376
九州のほとんどを傘下におさめる大帝國になってたのは
57年に後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜って
107年に生口160人を献じ、安帝に謁見した
漢委奴国王の倭奴國
神武はその、二十三代目の漢委奴国王
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)の
第4皇子 >>392
朝鮮由来説よりこっちのほうがまだ信憑性があるね
中国南部から出航した船団が宮崎に上陸することはありうる。
流石に朝鮮はないよ 公孫氏が独立を宣言した【燕】に属していた九州の倭奴國の二十三代目の漢委奴国王
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)が
なぜ息子の神武たちを、畿内の親魏倭王・邪馬台国に東征させたのか
それは
公孫氏を征討する「遼隧の戦い」で【燕】を皆殺しにし
その後の「韓の戦い」で【燕に属していた韓】を皆殺しにし
畿内の邪馬台国の卑弥呼を魏の皇帝に推挙して親魏倭王にさせた
魏の将軍の司馬一族が、
武帝曹操の孫にあたる魏の第5代皇帝「曹奐」から禅譲を受けて晋の皇帝になり、魏は5代45年で滅亡したから 岡田先生の
河内王朝播磨王朝越前王朝説がいちばんしっくりくる
河内の古墳群
播磨王朝は飛鳥に都
とかな 半島から九州の倭奴國に逃げた【燕】の残党と【燕に属していた韓】の残党を追撃するために
晋の皇帝になった司馬氏の正規軍が、対馬と壱岐島伝いに、侵攻してきて
奈良と出雲の陸路からは
晋の皇帝になった司馬氏が親魏倭王にした邪馬台国が攻撃してくれば
【燕】に属していた九州の倭奴國の漢委奴国王一族は
【燕】の公孫氏や、
【燕に属していた韓】の王の箕氏一族のように
司馬氏によって皆殺しにされてしまうから
【燕】に属していた九州の倭奴國の漢委奴国王一族は先手を打って、
晋の皇帝になった司馬氏が親魏倭王にした、
出雲と奈良の連合国である邪馬台国を軍事制圧して
東への退路を確保するとともに
司馬一族が皇帝となった【晋】と【倭】を断絶させたのだ 古代の鉄は悪金と呼ばれ直ぐに折れるから漢代の途中まで銅が主要武器
だから弥生時代日本と武器のレベルでは対して差がなかった。
つまり朝鮮人が鉄製武器で銅製武器の日本を征服したなんてのはファンタジー 中国東北部や半島北部は今でも農耕に適した肥沃な土地と言い難いし古代なら尚更。ましてや稲作なんて無理。
北海道でも今は米は取れるけど北海道から稲作が伝わったって言うバカは居ない。
中国東北部も朝鮮半島北部も北海道より寒い。 異民族の地とはいえ、なぜ朝貢しただけで王に封じたのか。マジで謎。
漢の皇帝から認められるには手柄が必要なはず。 >>396
近畿の朝鮮人集団と宮崎の中国人集団がぶつかったと認めたな? >>401
これ有名な話だけど、朝鮮半島が中国王朝の支配を逃れたのは、朝鮮半島の北半分が土地として終わってるからだぞ >>402
漢委奴国王、親魏倭王は
中国諸国のどこかの王家に連なる出自だったのではないかな
わけわからん奴がいきなり皇帝に会えるわけがない
隋の煬帝と聖徳太子のやりとりもまたそうだ 西周時代も春秋時代も中国の周辺じゃなく内部各地に戎や狄や夷の族が
蟠踞してたが周も諸侯国も併呑できずに並存してた。
当時から数千数万の軍が動く中国ですらそれが数百年続いてるのに
人口も少ない文化レベルも低い朝鮮の土着民が海を渡って日本を制服するなんて絶対に無理。 鉄器が半島経由とか言う奴いるけど日本の製鉄技術はたたら製鉄で古事記にも記載されている。
半島の製鉄技術とは違う製法。たたら製鉄の起源ははっきりしないが半島にはない技術。
つまり半島経由での製鉄伝来の可能性は極めて低い。 ちなみに『魏志』韓伝によれば
後漢最後の帝、献帝の、建安年間(196〜219)に公孫康が楽浪郡の屯有県以南の荒地を分けて帯方郡と為し、この後、倭(九州の筑紫城)と韓はついに帯方郡に属した
とある
そしてその後、帯方郡に属していた倭(九州の筑紫城)には、
対馬と壱岐を経由して
238年の、司馬 懿が公孫氏を征討する「遼隧の戦い」で半島から逃げてきた【燕】の遺民と
その後の「韓の戦い」で半島から逃げてきた【韓】の遺民で溢れかえる
狗奴国(倭奴國)の男王、卑弥弓呼(漢委奴国王)は
半島から逃げてきた【燕】の遺民と【韓】の遺民から
武帝曹操の孫にあたる魏の第5代皇帝「曹奐」から禅譲を受けて晋の皇帝になった司馬一族の
残忍さ、狡猾さを、さんざん吹き込まれたわけだ
そして二十三代目の漢委奴国王
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)が
朝鮮半島から逃げてきた【燕】と【韓】の遺民を集めて兵を興し
息子の神武たちを畿内の親魏倭王・邪馬台国に東征させて
もしも晋の皇帝になった司馬一族が対馬と壱岐を経由して侵攻してきた場合に備えて、東への退路を確保したんだよ 東夷土人が朝鮮朝鮮言ってて笑える
いくら頑張っても無駄だよ >>405
先遣隊が行って王朝の重臣を連れて戻ってから重臣と朝貢に行くって流れだから
別に中国と繋がりがなくてもいい ちなみに『魏志』韓伝によれば
後漢最後の帝、献帝の、建安年間(196〜219)に公孫康が楽浪郡の屯有県以南の荒地を分けて帯方郡と為し、この後、倭(九州の筑紫城)と韓はついに帯方郡に属した
とある
そしてその後、帯方郡に属していた倭(九州の筑紫城)には、
対馬と壱岐を経由して
238年の、司馬 懿が公孫氏を征討する「遼隧の戦い」で半島から逃げてきた【燕】の遺民と
その後の「韓の戦い」で半島から逃げてきた【韓】の遺民で溢れかえる
狗奴国(倭奴國)の男王、卑弥弓呼(漢委奴国王)は
半島から逃げてきた【燕】の遺民と【韓】の遺民から
「司馬一族はヤベー奴らだ」と、その残忍さ、狡猾さを、さんざん吹き込まれたわけだ
そしてついに、その司馬一族が
武帝曹操の孫にあたる魏の第5代皇帝「曹奐」から禅譲を受けて晋の皇帝になった
なので二十三代目の漢委奴国王
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)が
朝鮮半島から逃げてきた【燕】と【韓】の遺民を集めて兵を興し
息子の神武たちを畿内の親魏倭王・邪馬台国に東征させて
もしも晋の皇帝になった司馬一族が対馬と壱岐を経由して侵攻してきた場合に備えて、東への退路を確保したんだよ >>410
出自もわからんような奴に来られても
重臣も一緒に帰るの嫌だろう渡海もあるし死ぬかもしれん
ちゃっかり冊封されているのも
中国から見て出自卑しからざる者でなくては苦しくないの? >>104
スサノオが邪馬台国を退治したんだよ(´・д・`) 征服民族が土着民族と混合する場合征服民族が土着民族の神や文化に染まって統治を開始する事はない。
南米の帝国を征服したスペイン人がインカやアステカ人にならなかったように征服者は自国の宗教や文化を強要する。
年月と共に混ざる事はあってもそれらを捨てて土着民族の文化宗教になる事はない。
朝鮮半島に日本風の祭祀、文化が無いことから考古学的に半島伝来は否定される。 東日本人が日本神話について語るのはご遠慮いただきたい 日本の国力や動員力は古墳で示されている
ちょっと文化や技術が遅れていたからといって朝鮮の国々に毛遅れするようなものではなかった >>161
勾玉はなんで残ったんだろう(´・д・`) 地球の寒冷化で縄文時代晩期に東北から人が南下して日本で一番人口が多かったのは長野県
中国各地でもこの寒冷化の影響で各地の文化が滅び中原に人が集まり
夏王朝が始まり古代王朝ができる。王朝と言っても狭い範囲で点々と邑があるだけ。
今でさえ北海道並の朝鮮半島では寒冷化の時代では半島全体でも1万人も人が居なかったであろう。 その頃トンキンはただの沼地で朝鮮人しかいなかったしな >>417
そうなんよ
たとえば、異民族征服説をとなえるひとはよく、大陸の騎馬民族に日本人が征服された、的なことよく言うけど、知ってる人は知ってるけど、江戸時代まで日本で飼われてた馬は、ポニーのような小型馬で、とてもひとを乗せて走れる馬じゃないわけ。だから、少数の異民族が騎馬戦を武器に日本を征服した、てのは論理破綻してるんだよ >>12
>都市牛利「すんませんヤマト国から日の巫女の使いで来たタジカラですが魏の王様に朝貢に来ましただ」
ピミャホ: pi~mya~pho(白文:卑弥呼)の代理人は道中も能く人の話を聞いており、参国時代の前の歴史も纂集し、
ピミャホ: pi~mya~pho の兄の書庫・図書の文献とヒューリントによる情報の真偽も、強化・確認した。
中原の地は、西アジア系ハム・セム族との混血であるエイリアン秦朝の淫買も同然の子ではないが、父親が誰の子供とも
分からない気の毒な不倫の汚い血の混じった残虐な皇帝「嬴政」以降、政治的統一が無く、人望も無い文化大革命時代
もびっくりで、親・兄弟までも売らないと、自分が紅衛兵に殺されるという密告政治であり、後漢の痕も、魏呉蜀といった
異民族の混血であり、今の様な中原の地の多言語時代
(方言ではない、文法的にも全く異なるただ同じ文字を使っているだけという、上海語、広東語、北京語、湖南語、広州語圏
とイスラムのウイグル、ラマ教のチベットと、女真族とは名ばかりの朝鮮人等エベンギ族の末裔等からなる旧満州:東北地方)
をもっと複雑とした奇怪な様相の地の現実を毅然として分析し、大変だっただろう。
「隋・唐の源流である西魏は人種的にはトルコ系」と中国の学者が謂うのであるが、魏
(『篇:ヘン』「委」の構成要素は、「禾」に「女」、意味は『萎縮』の「委」で『小さい、弱い』、今時のかかあ天下・
女尊男卑のアマゾネスとは程遠く、『旁:つくり』は「鬼」で、『鬼道』という五斗米道(老子と)に通じた元祖が居り、又、エトラ
ンジェであったことも匂わせる。)
、呉は呉音と言う様に前漢時代の部族の言語の代表であるが、軍事力に乏しく頼りにはならず、
蜀は髑髏の旁に使われる如く、気持ちが悪い。それで、地政学的に判断し、近い魏と国交を結ぶ。
今のうちに、エトランジェと仲良くなっている方が儲けであると考えたのか、それとも、正道と考えたのかは、曹操が、
仏教に改宗していた点で、正解だった。 >>416
どう考えてもそれよな
それが日本側の伝承と
齟齬が有るから困ってる 文字が無くても船を造って外洋を航海したり
大軍を結集して補給物資を集めて海外派兵したりできるのか 奴隷文化を肯定してんじゃねーか。ばーか。
>因幡の白兎。 >>402
そりゃ遠くから皇帝の元に馳せ参じるんだから
皇帝の威光もそこまで届いているかと喜んで
お前そこの王なって称号与えるでしょ >>427
ソースが魏志倭人伝だし
普通に考えたら蛮族の蔑称で当て字しただけだと思う >>427
そりゃ貶める意図でしょ
鮮卑とか匈奴とか >>369
>じゃあなぜ天孫降臨神話は宮崎なんだ?朝鮮から上陸してきたのなら当然、福岡あたりが天孫降臨神話の舞台にならなきゃおかしい。
天孫降臨は、隋書の烏丸東夷(書・白文を知らない入れ墨者の汚い野蛮な外国人意)の項で『名は阿麻、字は多利思北孤』とあり、
天(アマ)照(タリシ:てらす)、彦(皇帝・オオミカミ)大御神から出て来た血統による人治の統治の概念。
もともとは、縄文人は、ポリネシア・ミクロネシアの出身。宮崎に船で漂着した移民の後。宮崎にコミュニテーを作ってしまった。
それが、高天原であり、大崩山等を背景とした天然の防砦を活用し、鬼の洗濯岩で水軍を培った。結局は、北部九州の旧渡来人(秦朝の
徐福伝説、五〇〇〇人の男女の童を不老不死の暢草を得て、プラントを製作するというプロジェクト為)とかち合って、勝利したので、
筑紫の君として、大宰府を中心とした軍事・政治の中心となるがその途中に邪馬臺(『ヤマト』、山門の意)が出来る。近畿の大和は
西の本物の詐称。それ位に、関西人の詐取したモノ。耶麻臺は古事記では、土蜘蛛として葬り去れた。 >>427
現代人の漢字の捉え方と古代人の漢字の捉え方は違う。
春秋・戦国時代の人名とか現代日本人からしたらネガティブに捉えられる漢字を使ってる事が多い。
それは漢字の原義をふまえて使ってた当時の人と意味やニュアンスが代わった現代人の差。
例えば孔明が尊敬してた斉の晏嬰の父の名は弱だが、弱は現在の弱いの意味ではなく
飾り弓を表してるのが原義。 >>426
>文字が無くても船を造って外洋を航海したり
大軍を結集して補給物資を集めて海外派兵したりできるのか
アンデスを滅ぼしたスペイン人は、古代アステカ文化は、糸から作った縄を結い、文字とした
と書いて居り、既に解読済であるが、隋書には、倭をそのように記載している。
>無文字、唯刻木結繩、敬佛法、於百濟求得佛經、始有文字、知卜筮、尤信巫覡。
しかしながら、アメリカインデアンの古代史では、カリフォルニアのクロービス文化は、古代アメリカ・インデアンの祖先であり、
遺伝子学的な解析では、西アジア系、トルコ系、アラビア人のハム族、ペルシャ人のセム族に近いらしく、
極東とは関係が全く無い。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8899/ 諸葛孔明が作った連弩がヤマトに伝わったんだよ。邪馬台国は魏に冊封してたからな。 牛は船に乗せるけど馬は乗せられない
騎馬民族ではない 倭を中国が付けた蔑称とするのは甲骨文字・金文の字義を踏まえない早計な説。
倭の「禾」は稲を現し稲に関する漢字が原義 >>442
あのさ、邪とか卑って文字の話してんのに
なんで倭の話になってんの
じゃあ邪や卑は何を表してるわけ? 中国沿岸部の殷に服属しなかった民族の総称が人方
周代になり人方が東夷と呼ばれる。
夷の字の原義は大弓を使う人で日本の和弓は大弓
中国モンゴル朝鮮は短弓 >>427
>なんで邪や卑の字が付けられてるのか気になる
官吏の質問に答えとして、烏丸・東夷伝とは、僻地の野蛮人を治める酋長の懐刀である代理人の口から、出た音をそれなりに
丁寧に、呉音で、漢字にあてたらしい。耶摩臺とは、「邪険」に扱うとか、「邪魔」だとかとうのではなくて、『邪気』つまり、
生死与奪の権限を持っており、最高裁判、国選弁護士、アメリカ合衆国帰りの特捜検事とかいうモノはなく、神そのものである
天子様によって判断されのであるが、呉音では Io-mo-tei 国(伊予)と発音したと書いてあり、日本では、「山門」・「大和」
を当てているが、東の関西人に欺かれ、詐取され、名前すら横取りされている。
「卑」には、卑しい、つまり、
「武士は食わねど高楊枝。」
と云った、偽装が出来ていない、芝居が出来ない未熟さを表している。
「腹が減ったので、遠方から来ており、自分では飯炊きする力もないので、このまま生水を飲んで、下痢をし、疫痢で死んでし
まうであろう。」
と、本意・真意は、
「病気を寫して遣る。」
と暗に陽に恫喝している。こういう態度を、
「卑」
と呼ぶ。 これは考古学が示す客観的な事実ニダ。
学者のホラ吹きの名文句に
作家がストーリーを付ける。
日本も韓国を笑えない滑稽 昔から畿内のが九州より人口多そうだしな
義仲とか義経が始めて畿内勢力に勝ったんじゃないの >>443
倭も蔑称と古くから俗説で言われてるからだろ。
邪とか卑も春秋戦国時代の漢字の用例を鑑みれば
現代と違ったニュアンスが有ると観るのが妥当。
牙は方形でない城壁が原義で卑は小さな匙を手に持つ形が原義。
漢字のニュアンスを現代だけの意味で決定付けるのは浅識の極み >>450
ここまで教えてもらって厚かましい馬鹿だな。
字義の由来でググれよ >>452
いや、そんな偉そうに語ってんのに
最後はググレとかおかしくね
なんか鼻につくんだよね >>1
これムー? とんでも理論って笑えるのだがw >>453
なんか鼻につくのはお前が無知だからか、朝鮮国粋主義だからだろう。
俺より知識が有るなら即座に反論できるはずだろう。 >>455
朝鮮の話なんてしてないよ
論点ずれてるからツッコミ入るんだよ >>449
>倭も蔑称と古くから俗説で言われてるからだろ。
倭は、狢(むじな、イモムシ)偏、獣(犬・猫・牛・虎・羊・馬)偏ではない。人偏に『委』とある。秦の生き神様・皇帝の嬴政が徐福に騙され、
暢草(百薬の長・草根木皮・ハーブ)の工場を秦にもってくるために五〇〇〇名の男女の童を数十隻の身の回りの世話をする教育係、軍人、船乗り、
料理人、水先案内人:パイロット、薬剤師、外科医、看護師、掃除係、風呂焚き、船舶修理人、経理台帳管理者、デッキ清掃係、金庫番、番頭、
通訳等をのせて、済州島よりももっと先にある倭に移民船団を送った。従って、倭は、秦の親戚となる蓋然性が極めて高い。
wiki
>『旧唐書』東夷伝の中には、日本列島について「倭国伝」と「日本国伝」の2つが並立しており、「巻199上 列傳第149上 東夷[3]」には「日本國者
> 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本爲名 或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本 或云 日本舊小國 併倭國之地[4]」とあり、倭国が国号を日本に改めたか、
>もともと小国であった日本が倭国の地を併合したと記述されている。
『倭國自惡其名不雅』
当時の倭国の高官が『倭』は、甚だ恥ずかしい字であると述べている。 >>456
じゃあ何処が論点ずれたか、お前の主張反論と共に言ってみ。 なぜ鉄を手に入れられる経済力を持つに至ったのか
なぜそこを追求しないのだ
海人による中央構造線舎上各地への辰砂交易がなければ鉄は手に入らない
また鉄をを加工するための熱源材木確保のために大和の地が選ばれた >>457
当時の中国どころか清朝末期まで殷代の甲骨文字の存在すら知らなかったからな。 >>458
元々話してる漢字の意味に触れない
他の漢字で論点ずらし
よく分からない朝鮮人認定で論点ずらし >>457
徐福が仮に日本にたどり着いてたとしても
日本の水稲はそれよりも800年古い。 >>462
このスレで倭の抽出レス56、更にお前のリクエストの
牙と卑に答えてるが。
でお前の主張反論仮説は何も言えないと >>444
>中国沿岸部の殷に服属しなかった民族の総称が人方
白川静がそう言ってたの?藤堂明保がそういったの。虫獄共産党中央軍事委員会 CCIA の高官がか?
殷は、周、後の商に攻略されて滅ぶ。商とは、商売人を言う。 Marchandise。専業の金融業は酋長や、長でなければ、
成り立たたず、不労所得の利子は、神が許さないので、戦争捕虜か、先住民族、移民して来た異宗教民族の専門職業。
つまり、移動狩猟採取経済 -> 定住農耕か、移動放牧の何れか、兼業かに分離
-> -> 武力・法理・科学・金融・医学・軍事
アメリカ合衆国は、軍事ケインズ主義経済。日本は、天皇制共産趣味国家資本主義経済。 天孫降臨とは日本書紀編纂当時、全国に散らばってた藤原の正統性を示す狙いはあった筈
>>394
隈だよ当て字は隈府があるし雑餉隈 >>465
ゴメン俺はなんのリクエストもしてないよ
流れ見てて思っただけ >>462
俺の意見に明確な自説無しに鼻につくと思うのは
朝鮮起源説しか動機はないだろう違うか? >>467
中国沿岸部の殷に服属しなかった民族の総称が人方って歴史上の記録なんだが
じゃあなんなんだ?馬鹿かお前 ヤマト王権を大和王権と書けないのはどういうことなのか 怪談で幽霊で出くるのはあっても戦国武者まで
それ以前の人らは?ってのがいつも疑問
そして戦国時代なりの頃の怪談には顔の横にフランスパンつけたような髪型の人らが出てきてたのか? 怪談ではないけど殯という風習は邪馬台国にはなかったんじゃないかな 九州から東征(移住)してきた神武ヤマトと元々近畿に住んでた饒速日命ヤマトは同族だけど別のヤマトだと何度言えば 息子の授業を知って驚いた、世界史をろくに学ばない韓国人の若者
https://news.yahoo.co.jp/articles/1544a10ee6f40929a476a6d1df29085fb4528363
日本統治時代を含め、自国の歴史教育には時間を割く韓国だが、
自国以外の世界の歴史については驚くほど時間を割かない。
韓国人が自分たちの見たい歴史、信じる歴史だけを真実と捉え、
それ以外の不都合なものを排除しようとする背景には、こういった
貧弱な歴史教育が横たわっているのです。 >>448
その前に継体天皇が畿内勢力に打ち勝ってる >>473
当時の本当の字は倭(ヤマト)だから
そして大倭→大和になった >>427
小韻の首字と言って当時の音を表す辞書の同じ音を表す漢字の筆頭語
倭人伝の倭語の音を写した単語に使われてる漢字の8割は小韻の首字 >>479
そうなんだね
何でわざわざ文字を変えたの? >>404
魏志倭人伝の時代は朝鮮の北半分に漢四郡が置かれててむしろ半島南部に三韓があったんだけど >>481
元明天皇が二字佳名の詔を発布したから
地名は二字にして好い漢字を当てろという天皇の命令 ほとんどの中国人が知らない「日本が日本と呼ばれるようになった経緯」
http://news.searchina.net/id/1698112?page=1
かつては「倭」と呼ばれていた
日本はいつから日本になったのだろうか。中国の古い歴史書には日本のことが一貫して「倭」と記されている
卑弥呼について書かれた魏志倭人伝などを見ると、日本を「倭」と呼び、日本自身も「倭」を自称していたようだ。
では日本に変わったのはいつなのか。日本は「倭」を嫌い、国号を変えたいと思っていたものの
隋が同意しなかった。推古天皇が隋への国書に「日出づる処の天子」と称した際にも、隋の皇帝を
怒らせただけで国号が変わったわけではなかった。
ところが唐の則天武后の時代に、日本が再び国号を「日本」に変えようと使者を派遣したところ、
折よく則天武后が酔っていたため同意を得ることができ、晴れて堂々と「日本」を名乗れるようになったw
以上は推測の域を出ず、しかも、中国人の視点に過ぎない。だが、隋の時代は日本という国号ではなかったのは
正しいようで、国号が「より早く太陽が昇る」という意味合いの「日の本」から、「日本」になったのは唐の時代
ということで間違いはないようだ。 前方後円墳が半島南部に多数あった。広範囲に倭人系豪族の群雄割拠状態
縄文土器も出土することから
当時の朝鮮は倭人のテリトリー 倭を自称しているのに倭を嫌う?
どうしても変える必要があったんだろうね
邪馬䑓じゃ都合が悪かったとか 改めて冷静に考えると日本って思い上がった何様なネーミングだよな… >>487
お前支石墓や無文土器が九州に多いから九州は韓のテリトリーとか言うのか? >>486
もしそうなら、日韓併合は何の問題もなかった事になるなw
なんで韓国は怒ってるんだ 改めて冷静に考えると中国って思い上がった何様なネーミングだよな
世界の中心の国だぜ 三輪山の、あるいは生駒山の背後に登る太陽を神に見立て
その裾野にある大地を日下あるいは日の本と名付けたまでだろう >>489
なんでも一番なんでも起源のDNAですよねw コピペだらけで読む気にならんな
コピペしてる人ってなんで荒らすの? 中国 シンプルすぎる日本国旗から分かる「日本古来の信仰」
http://news.searchina.net/id/1697869?page=1
カラフルなものや凝ったデザインも多数ある世界の「国旗」のなかで、
日本の国旗はシンプルという点で群を抜いている。
白地に赤い丸で、正確な比率にこだわらなければ誰でもすぐに書けるだろう。
それにしても、日の丸にはどんな由来があるのだろうか。
白地に赤という紅白の配色は、日本では伝統的にめでたい意味を持つが、
「赤い日の丸が日の出の太陽を表現している」ことに言及し、日本人にとって
それだけ太陽が特別な存在であることが分かる。
続けて、日本が太陽を特別視するのは、天照大神が太陽神であることに由来しており、
それだけ日本人にとって天皇は特別な存在で、日本古来の信仰が自然崇拝に根差している。
ただ、太陽を崇拝するというのは「中国にはそのような風習がないので、良く分からないことだ」とした。
中国の国旗について「非常に美しく、意味が深く、中国の偉大さをよく表していると自画自賛した。
中国の国旗は「五星紅旗」で、共産主義を表す赤い下地に大小の星が5つ描かれたものだ。
大きな星は中国共産党を、残りの4つの星は中国人民を表し、中国共産党の指導のもとで
人民が団結しているさまを表しているとされている。
国旗はその国を象徴するものであり、日の丸はシンプルながら日本という国をよく表していると言えるようだ。 元々邪馬台国は九州の豪族の1つで、出雲勢(大和勢)よりも弱かったから、中国のお墨付き貰って生き長らえようとしたと思われ。
台与は名前からして役割だし、邪馬台国を滅ぼして台与に継がせたか、権力で禅譲させたかでしょ。 初代姫巫女・アマテラス(天を照らすミコト)のヤマト国が九州発祥、西進して出雲を制圧(国譲り)、畿内を征服して遷都だろ。
つまり二つのヤマトは同じ国。 >>489
中国から見て日が昇るところに見える島だから
思い上がりどころか中華中心主義や >>484
おー、詳しい上に速い
やはり7-8世紀、古事記の関係者なんですね
さぞや焚書も捗ったことでしょう >>499
中国のことを日、没する国と呼んで
ホルホルすんなやこの糞チョンガー
って叱られたんやで 古墳調べさせてくれたらもうちょい楽に色々と判明するんだけどな 時の権力者、例えば秀吉や家康は暴くことも出来ただろうけど
どうだったんだろうね 発掘費用や史跡保全 それぞれの地域でお金が掛かるんだから
毎年の予算を付けて貰う為にも、邪馬台国の比定なんて
この先もずっとされる訳には行かないのです! 古墳って、ピラミッドや始皇帝陵と違って、讃えるというより
何かを隠すように造られているからね
あるだけ立派な木造建築の技術があるにもかかわらず >>491
なんで韓国併合の話なんか出てくるんだ? 纒向は九州倭国による本州経営の拠点だよ
主な任務は交易の監視と租税の徴収
任に当たるのは吉備出雲の勢力
租税は最終的に九州にいく、つまり東から西へ流れるのだから纒向に東海の土器が多いのは当たり前 >>56
もののけ姫のタタラ場って島根県みたいね
あの辺で製鉄が盛んだったのかな >>510
飛鳥から平安時代は岡山の山中あたりの生産量が多かった
島根あたりの生産量が多かったのは鎌倉以降
近代では岡山のたたら場が全滅して島根しか残ってなかったから、たたらと言えば島根になってるけどな
発祥については諸説があるけど >>5
三国志の呉の時代ですら日本遠征は日本に到達もできずに失敗してる。
縄文時代から大陸との交易はあった
このあたりを踏まえておくといい
古代に謎の高度な航海術を持つ民族が民族丸ごと武装してイチかバチかの渡洋遠征してきたなどと言うより、単に輸入したって方が圧倒的に自然だろ? >>504
天皇をDNA調査したらもっと色々判明するよ >>516
そうわよ
ろくに文字も書けないで国内もまとまってないのに
謎の高度な造船、航海技術で奈良の山奥から
朝鮮半島南部に行ったり来たりって
単に輸入したと考えた方が圧倒的に自然じゃないですかね >>521
逆に元ネタとなるエピソードあるんじゃね? >>484
なるほど
新羅、百済、高句麗→高麗
ガッテン >>505
露骨に不遜な事したら自滅するからだろw
天皇は丁重に扱いつつ大人しくして抑え込むのがベストなんだよ はい、ちゅうもーく
高麗神社 日高市 埼玉県
新羅神社 多治見市 岐阜県
百済王神社 枚方市 大阪府
日本と同じ歴史の長さです >>521
そのとおりだけど一応最古の歴史書だからね
なぜこんな歴史を書いたのか推察すると興味深い
読み解く価値がある >>521
神話を作り話というのはあまりにも無粋w >>463
宇佐神宮は比売大神が真ん中に祀られているので察してください >>526
埼玉の高麗神社って奈良時代に建てられたのでは 自分が今住んでる街にも地方の豪族を天皇サイドが成敗した伝承がある
天皇側は「悪い奴をやっつけた」みたいに記録してるけど地元じゃ「良い人だった」とも記録されてる
歴史とはそんなもんよ 皆古代が好きだねえ・・・
まあ本当の事実は分からない分好き勝手な事言えるしなw
自分は日本が日本たり得るようになったのは平安時代の国風文化が花開いて
室町時代に完成し江戸時代に庶民に広まったって部分が重要だと思うけどね! ヤマタイコク ヤマトコク ヤマト つまり邪馬台国は区域ではなく日本そものもの説もある >>525
少なくとも信長公は何か見たか、知ってしまったから
蝦夷地はほたらかして、明を目指したのかもしれませんよ >>532
ではウヨクの思考回路とは?
天皇が全て正しい?
なんでもかんでも天皇? >>535
信長は日本統一道半ばに討ち取られたじゃんかw >>534
中国「どっから来たの?」
卑弥呼「ヤマトのほうから来ました」
こんなかんじか? 先ずは普通に学校で習う日本史から勉強しなおしたら?
それが全て正しいわけじゃないだろうけど基本知識として身に着けてから
更に持論進めるくらいにしないと・・・
基本が出来てないんじゃキャッチボールやドリブルすらまともに出来ないで
野球やサッカーやってるようなもんだよw >>521
当時は今ほど学問も科学も進んでないから、口伝など土着の話を集めれば非科学的な突飛のない話も多かったのは確か
ただ編さんした人が都合よく作ったとかではないやろね。
編さんされた200年前の和歌が残ってまとめられている時代に、完全な創作の作り話なんて書いても、「いやこんな話聞いたこともねーよw」って受け入れられない >>527
正式な歴史書というよりかは
参考文献かな
時の権力者によって編纂されてるから
客観性がないし
後から突っ込まれまくる矛盾に満ち満ちている
誰かが書いてたけど古事記に富士山の記述が一切ないだとか
邪馬台国というか卑弥呼に関する記述が欠損してたりだとか
その当時の文盲は騙せても外国や現代科学の前では
100回吐いても嘘は嘘
動かぬ証拠となってしまった
まあよく1300年以上も騙されてたもんだけど
仏教神道儒教という妖はすごいですね >>542
日本書紀や古事記を本当の意味で歴史書なんて扱ってた事なんて
当時を除いてあるのかなw
強いて言うなら先の大戦中に無茶な教育したくらいじゃないの? >>238
出雲の四隅突出型墳丘墓から出てきた碧いガラスの勾玉は何処製? >>343
朝鮮半島からだったとしても
お前の祖先の朝鮮人とは全く別物だよ 江戸時代の後半にそう言うの研究する人が出て来て再評価してた
ケースもあるんだろうけど・・・
それこそがそれまでは放置されてた証なんじゃないかとw >>543
古事記は当時伝わる風土記などから日本神話をまとめたわけで歴史書じゃねーだろ
日本書紀は歴史書と言っていいのでは。
実際に中国などに持ち出されて当時の中国人には 読まれてるわけで、
嘘八百書いているわけではない >邪馬台国
普通に読めば「ヤマト国」だろ。
なんで台を敢えて「タイ」と読ませて混乱させるんだろねぇ・・
台与は「トヨ」と読むのに。 >>536
非サヨクのオレの思考は、まずはニッキヨウソ、マスコミの言う事は鵜呑みにしない、定義だの言葉だのにこだわって思考停止にはならない、そんなところか >>250
戦争は起こってないが出雲王族は根絶やしにされて乗り込んで来たのが今の千家と北島の祖先
統治はできてたが旧勢力のテロに備えて物部の軍団を出雲と石見の国境に駐屯させた >>547
まあどちらも日本の歴史では早い段階で一部の人間を除いては
忘れ去られてたもんじゃないの?
天皇だって神道の儀式はあくまでも天皇家の祭事であって仏教を
信仰してたんだろうし・・・
武家や農民に至っては知る人は少なかったでしょw 邪馬台国はさいたまに在った…ことにしないか?
埼玉古墳群あたりに >>528
作り話だから神話なんでしょ
まさか神様がいるとでも? 古事記や日本書紀もだけど万葉集も当時のこと色々わかるような >>548
>「トヨ」
「豊の国」は大分県なんだよなあ
やっぱ宇佐神宮はロマンなんだよねえ >>555
自分も古代の人々の生活や気質や心情を読み解くには
万葉集が良いと思うよ! 神話神話って言うけど欧州だって中世はキリスト教ガチガチで
聖書が絶対とかやってた訳でw
科学的な思考や学問なんて近代以降で歴史的にはかなり最近の事なんだし 日本書紀が歴史書じゃないとかマジかよ
国家事業で編纂した日本初の正史だぞ
都合の悪いことはカットしたり捏造したりしてるだけだぞ、そんなの現代でもやってる。
神話や作り話が混じってるのも当時の作風なんで。 >>551
天皇家が仏教を信奉していたのなんて歴史的に普通のことで隠すことじゃ無いだろ。
そもそも仏教を国教として普及させたのが当時の帝で日本中に国分寺を造ったし、仏門に帰依する天皇も多かった。
神道と仏教を分けたのは単に明治の政策なだけ。昔は神も仏も互いの垣根が低かった >>549
質問と違うことに答えないように
つか君にはきいてないよ 八咫烏というただのカラスが神武サーカス団を道案内したとかどう考えても作り話だよな
こういう理解に苦しむ話を神話とした天皇の知能が問題 >>530
そうわよ
まさか紀元前660年にほんまに建国されたと思ってる情弱がいるわけでもなし >>561
隠す事も糞も中学の日本史の教科書にも普通に乗ってる訳でw
学校でまともに勉強して無いような人たちなのか古代から神道が国家宗教
だったかのような勘違いをしてるっぽい人がたまにいるから・・・
ああこれはひょっとしたら日本の教育を受けてないどこぞの国の人が
なりすまして海外から書き込みしてるのかもしれないけどさw >>564
古代人は植物と会話できたて書いてあるぞ
カラスだって道案内くらいするだろ 奈良は九州に比べてクスノキが少ないから邪馬台国では無いよ 渡来人の東漢氏は倭漢氏ともいうらしいけど渡来人なのに倭でもいいんだな 学校で勉強してない人か日本の教育受けてない海外の人なのか知らないけど
明治以降の日本に重きを置き過ぎてるというかそこから一気に古代に飛んで
その間がすっぽり抜けてるというかw
しかし日本の歴史にとってはその間こそが一番重要なわけで・・・
日本の日本らしい文化が育まれてのはその間の時期なんだしさ! >>553
一応、関東説も有るには有るんだけどねえw 鹿島神宮の地だって
元々は縄文時代まで歴史は遡れるくらい古いよ >>43
なら逆かもしれんね。
無名弱小国家がヤマトを自称して魏に行ったのかもな。 >>564
中国の方から伝わってきた作風なんで。当時の流行り。
読んでて楽しい方が良いじゃん、という物書きの本能なのです。(適当 邪馬台国九州説は、学者の5%の変わり者しか支持してない珍説だよ
民間の議論の盛り上がりの為にあえて九州有利の説ばかりを集める役を引き受けた人たち
この>>1も「邪馬台国は九州」を印象付けたい為に無理やり作った仮説に見えるな 縄文人の神国津神のほうが古い神なのに
渡来人の天津神のほうが古いって時点で創作やんけ
ミジャクジやクナト、アラハバキ >>573
鹿島、香取の地もほぼ浮島みたいな感じだったろうな
今よりも霞ヶ浦とか広かったろうし
関東平野の縄文人てなんか水っぽいんだよ
水属性だわ >>533
幕開けが権力に目が眩んだ兄弟の殺し合いで
首謀者は一旦奥州に雲隠れ
調子に乗って帰って来たと思ったら
この世をば、って反吐が出るような話じゃないかな
その後も今日に至るまで人の良い天さんを出しにシマ争いでシノギシノギ >>564
ポリネシアとかの海洋民族は航海術の一端として鳥を使ったらしいぞ
船に鳥を乗せて行って、沖合に出過ぎて方向が解らなくなったら鳥を放す
海上では鳥のほうが遥かに視界が広いから、陸地を見つけてまっすぐそっちに飛んで帰るから方向が解ると >>579
奈良邪馬台国説なんてintcal20の登場で終わっただろう >>554
話が逸れるけど神様の定義による
現存天皇の祖先を神と定義してるのが今の神道と言えるしな >>579
戦前の日本の軍人=戦争の専門家、の8割型は、本心はどうあれ、太平洋戦争開始を支持していたよね?結果はどうだった?
学問は民主主義政治じゃないんだから多数決は意味がないよ
真実はいつもひとつ! >>554
神話の神々が人間に近いのはギリシャあたりも同じだよね
ここでいう神々ってのは王公貴族と解釈したらいいんじゃね? 倭人たちは頻繁に半島と九州を行き来してたようだが
遣唐使の成功率が8/18ってのは航海術が衰退したのか
それとも海賊山賊の類いに襲われて長安までたどり着けなかったのか >>571
太平記も神皇正統記も古事記伝もその間の著作ですけど ギリシャの神は自然現象を人格化したもので
エピソードは知識人名士たちが酒場盛り上がってどんどん付け加えた
同人活動によるもの >>588
九州→壱岐→対馬→半島のルートはそれほど難しくないけども
九州→中国の直接ルートは非常に難しいということだ
なんか縄文時代に中国と交易してたみたいなこと思ってる奴いるけどそんな証拠どこにもないから
糸川→出雲→北九州→半島南部→中国東北部というように交易した品物が伝わって行っただけ
糸川の人間が直接船で中国まで翡翠売りに行ったわけではない 神代は実在したと思う
卑弥呼は天照大神で壱与は三女神のことだよ
神武までの歴史は政権取るとは思ってなかったから
神話として適当に繋げたに違いない >>591
百済滅んで660年以後は
半島ルート使えなかったみたいだな
エンジン無しの漁船で海流に逆らって
長崎から直接上海目指すようなものか 冬に海凍結する北海道からシベリアの方が交流しやすいか >>588
隋の時代は九州スタートじゃなくて北陸スタートです 神武の時代ってアマテラスが天皇みたいなもんで神武が将軍みたいなもんじゃないの。
アマテラスとかタカミムスビ、スクナヒコの方がもともと偉いし政治の中心だったけど神武と愉快な仲間達のほうが偉くなってしまった。 神武東征のあとしばらくは神様がでてくるけど、あれって神武一族がもともとの各地の強い勢力と結婚やらして倭の政治の中心となっていく過程でしょ。
もともと偉い人達が神ってことだよ。
神様って上様でしょ。 >>534
漢委奴国王とか親魏倭王ってきいたことない?
>>538
別に邪馬台国から魏に行ったわけじゃないから
よくそれで邪馬台国スレに投稿できるね >>601
ネタにマジレス格好悪い
消火器のセールスマンが「消防署のほうから来ました」と言うだろ
「消防署」とは言ってない、「消防署のほう」と言ってるだけ >>586
科学は人の営みで行われる以上、殆どが多数決だよ
多数決に持っていくまでにどれだけの材料を揃えて論の正当性を訴えるかという手順があるけどな
太平洋戦争開戦なんてまるで関係ねぇ話をこじつけんな 同じく降臨したという意味じゃニギハヤヒとニニギは同じ事件をきっかけに行われた事業と思われる
出雲の国譲りでなんで宮崎?となるが実は多方面で行われたことの一つだった
神武の東征はとっくの昔に配下になっていたところへ行われた
そこから神武の物語の意味を伺うことができるのだよ >>539
>>57をみてみ
これに
任那日本府と南京大虐殺、徴用工、従軍慰安婦の削除も追加されてる >>600
そうだよ日本の記紀神話って八百万の神とか言われてて万物に神が宿るって思ってる人もいるけど
神話の人間はみんな畑耕したり絹織ったり普通の人間の生活している
アミニズムではなくただの先祖崇拝
天照大神は天皇の祖(おや)だし、他の神々も○○氏の祖みたいに書かれてる
自然現象や概念の擬人化のような神はいない 朝鮮半島南部が倭人の領域だったってのは
普通に魏史読んだらそうなるけど
それは別に日本列島にいた倭人が朝鮮半島にも進出していたみたいな話ではなく
倭人が中国の書物で書かれた最初は春秋戦国時代の燕国の従属民族としてが初で
魏史には朝鮮半島には狗邪韓国って倭人の国があって
そこを経由して邪馬台国に行きますよって書いてある
倭人ってのは縄文時代から日本列島に定住していた人ではなく
@狭義には中国の人々が名付けた、当時、西日本に住んでいた民族または住民の古い呼称
A広義には中国の歴史書に記述された、中国大陸から西日本の範囲の主に海上において活動していた民族集団
一般に集団のA一部が西日本に定着して弥生人となり「倭人」の語が@ を指すようになったものと考えられている >>555
わかるけども、殆ど時間軸の特定ができないのよね 神武東征のとき神様が助けてくれるんだよ。
アマテラスの血統でもある神武が中央の同じくアマテラスの血統のニギハヤヒとその血統の証を見せあった。
神様は神武イワレヒコを選んだ。 >>603
ちょっとまて
多数決は政治、歴史は学問
政治と学問を混同するな >>606
それは認識が浅いな。
もっといろんな文書を読めよ あの当時だと、九州に別の王様がいてもおかしくない。 天皇派は邪馬台国論争を政治にしようとしてる
邪馬台国論争は考古学です学問です 朱蒙って高句麗か。
高句麗語と日本語も似てるって話。
日本人の親戚じゃないの。 そういや神話の解釈上、
イザナギは天照大神のころや天孫降臨のころ、何してるんだ? >>5
そんな単純なものではないけどな
文化のオリジナリティってのは。 >>611
バーカ
人間は神様じゃないから真理の判定は出来ない
科学は反証可能性を必ず含んでるのだから、突き詰めれば多数決だよ
だから主流とそうでない学説があるんだよ 渡来人支配は確かなんだろうけど文法がモンゴル語・朝鮮語・日本語は似ていて
中国語は英語に近い文法な事や、性格が大陸系と日本ではえらく異なるのはなんでだろ? >>619
誰が真理の判定て言ったんだ?
妄想で暴走するなよ >>540
うん、それで日本書紀と古事記に
邪馬台国と卑弥呼はいつ出てくるの 難升米「サーセン、ヤマト国から来やしたあ」
魏官「おーこれはこれはようこそ。例の件、倭王はなんと?」
難升米「え?えーーっと、えーーと、、」
魏官「倭王にしてヤマト国王は何と、」
難升米「あーーえーと、そ、そんな事より狗奴国から攻撃されてるんですボスケテ!」
↓
大和から筑紫に向けて神功皇后出撃 >>621
妄想もクソも多数決じゃなければ何で決めてると思うの?
学会の偉い人の鶴の一声?
それとも御神託? >>541
じゃあ宮内庁は何を隠蔽しようとしてるの?
空っぽなら見せてくれてもええやろ >>625
空っぽなら空っぽで正当性を示せないし
あったらあったで反論されるかもしれんし
天皇家がこう言ってるだからそれが正であり外野が調べんなって事よ >>612
いや、そんなもんだろ
天皇の祭祀の大嘗祭とか新嘗祭とかの豊穣を祈るもの
つまり農耕社会の祭祀
農耕社会によくあるが土地を守った先祖を崇拝する
記紀神話がそのまま人間の営みをして人間の歴史と繋がるのはそういうこと >>543
神様が出てきた瞬間にラノベというか
ウリナラファンタジーでしょ
まあこのスレにはハルキストみたいなのがウヨウヨしとるみたいやけど >>620
中国は南の稲作地域と北の麦作・牧畜地域別れる
稲作とは重労働で代々受け継いだ田んぼを村全体で協力して世話するから
個人主義ではなく集団主義で母系的
牧畜は一家の主が全権を得て自分の才覚に従って全財産をもって
移動し財産を増やしていく個人主義(能力主義)で父権的
中国と言う国は周が殷を倒した時点でこの二つの思想が混ざり合い
複雑な発展をその後遂げていく
北京にも稲作地域の伝統が、上海にも牧畜地域の哲学が根付いていく
比べて日本は稲作に全振りの国だったので
ミックス思想の中国に影響を受けて封建制を強いてもなお
大きく母系社会に傾いた文化だったわけ >>620
昔は漢文で読み書きしてたでしょ
簡単な平仮名を開発して紀さんが広めて柔らかくなった
京言葉も柔らかい人間も柔らかく進化したんだ
漢字が角々なら平仮名はぽよんぽよん >>545
佐藤 中臣系
鈴木 物部系
濃度の違いはあれど
我が国で純血に近いのは
アイヌ、琉球、天皇家くらいだ
ろうね >>620
中国南方から日本経由で朝鮮半島、モンゴルへの流れもあるかもね 『隋書』(倭国伝を含む)は
隋(589年 - 618年)について
唐(618年 - 907年)が
656年に成立した
言い伝えではなく【実録】だ
唐(618年 - 907年)には大和朝廷も
遣唐使をバンバン送っていて
『隋書』(倭国伝を含む)には
百済−竹嶋−耽羅国−都斯麻国−一支国−竹斯国−秦王国−十余国を経てたどり着く大和朝廷・日本国は邪靡堆(ヤビタイ)を都にする。
すなわち、魏志の言うところの邪馬臺(ヤバタイ)である。
と書かれてある。
遣唐使をバンバン送っていた大和朝廷と
608年に文林郎裴清を奈良に遣してる唐(618年 - 907年)は
魏志の「南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所」とは大和のことだと、共通の統一見解を持っていたと言うことだ >>646
国家の根幹に関わる問題だからね
支配の根拠の秘密というか
国替え、国譲りと言えば聞こえはいいけど
要はクーデターだから >>620
ハプロタイプNOが中央アジアを通ったのはほぼ確定
倭人の祖先は山東半島あるいはそれよりも南まで行って
また北上したか、遼西・満州あたりでずっと生活しながら 南方から稲作を受容し、朝鮮に進出
華南人と同じ濃度で下戸遺伝子を持つので、
満州固着ではなく実際に南下と北上を伴う民族移動をしたか
あるいは大量の華南系北上移民と混血した
この過程で、満州地域を席巻していたタイプCの原ツングース
原モンゴル語の強力な影響にさらされ、NO以来の言語が変化した
同じく満州にいたNはアルタイによく似たウラル化をした
こいつらはシベリア西部へ去ったが
ハプロタイプOの倭人は東アジアに残り、中原の動乱に巻き込まれるかたちで日本列島に進出
具体的には春秋戦国時代か
現地で縄文語に接してさらに変化、日本語の原型が生まれた
この変化を被らず、東アジア進出当時の特徴を残す
ハプロタイプOの言語が中国語であったりチベット、
ベトナム、カンボジア、マレー、ミクロネシアの言葉であろうという青写真を描いている >>547
チョットイイデスカ
アナタハカミヲシンジマスカ? >>579
邪馬台国
畿内説は京都帝国大学の内藤湖南が元(箸墓の被葬者を卑弥呼に比定した)
九州説は東京帝国大学の東洋学者白鳥庫吉が提唱
元々戦前から学問以前に京大vs東大の
学閥対決!
なの。この論争は スレタイがすでにファンタジー
文字も記録もない時代の歴史なんていくらでも妄想が捗る >>591
松浦→五島列島→揚子江の航路は古来からあるでよ
昔から手漕ぎ船で渡ってた >>548
あーあ、また墓穴掘っちゃったね
「臺」の文字は中国の時代ごとにより、また地方ごとにより異なる。昔は[də]と表現していた時もあった。「ト」「ド」の音韻の音節があるとすればこれに該当する。但し一般には「ダ」が主流であり、隋の時代に「ダイ」に変化し、それがそのまま今の日本の発音になり、中国ではその後に「タイ」と変化していった。
「台」であれば、「と」と読めるということに異論は無いようである。しかし、「臺」と「台」は異なる文字である >>541
今城塚古墳(真の継体陵)はいろいろ出てきたで 近代の加工痕が見つかっちゃった金印もどうにかしろよ >>625
隠蔽つーより警戒してるんじゃね
戦後歴史学界は左翼が強かったから
変に利用されることを ちなみに
唐(618年 - 907年)は
尚書左僕射(尚書省長官、筆頭宰相)・監修国史の元に
『北斉書』636年(貞観10年)
『梁書』629年(貞観3年)
『陳書』636年(貞観10年)
『隋書』636年(貞観10年)
『周書』636年(貞観10年)
『晋書』648年(貞観22年)
すべてを一気に編纂しており
その後に大和王権が
それらを編纂した唐の学者を招いて
漢文で編纂したのが
『日本書紀』720年 >>591
稲作は中国南部から伝わったものだろう、朝鮮半島って稲作盛んではないような >>624
えーっとさあ、君と私はスタンスが違うのよ
会話が成り立ってない、争うのは不毛だからやめよう
自分は何かを決めたいわけじゃないし、学説なんて短期間にコロコロ変わるから固執してないの >>549
わかります
教育勅語とか大本営発表、青天井の放射能基準値とか
コロナはただの風邪とかですよね つまり日本書紀は
文字の無い口伝の大和王権の主張と
中国の正史の記述を
すり合わせた上で書かれている >>551
衆愚政治ってそんなもんですよね
ただ、嘘から出た真だけじゃあ
盛者必衰の理をあらはす 古代日本が稲作文化であり稲作型の農耕民族であることから中国→朝鮮→日本への伝播はあり得ない。
おそらくは中国南部黄河流域で始まった稲作は温暖な気候と大量の水があってこそ可能。
中国東北部→朝鮮半島って流れには絶対にならない。なぜなら気温もだが大量の水が確保出来ないから伝わりようが無い。
現代でも中国北部は麦作文化。朝鮮半島は稲作で言えば通り道じゃ無くて終着点。 >>552
どちらも読んだことある人は
少ないと思うけど
古事記の方は読み物としても
ほぼ価値がないらしい ちなみに
唐(618年 - 907年)は
尚書左僕射(尚書省長官、筆頭宰相)・監修国史の元に
『北斉書』636年(貞観10年)
『梁書』629年(貞観3年)
『陳書』636年(貞観10年)
『隋書』636年(貞観10年)
『周書』636年(貞観10年)
『晋書』648年(貞観22年)
すべてを編纂しており
それらを編纂した唐の学者を招いて
大和王権が漢文で編纂したのが
『日本書紀』720年
つまり日本書紀は
文字の無い口伝の大和王権の主張と
中国の正史の記述を
すり合わせた上で書かれている
その時に、日本の口伝はことごとく、
中国の文字での記録に覆され
文字で国史を残す重要性を痛感した朝廷は
「中国語による漢文」ではなく日本独自の「やまと言葉」を用いて『古事記』を編纂することを太朝臣安萬侶に命じるわけだ 俺が真実を教えてやるよ
邪馬台国は沖縄で本州や九州ではない
大和王権は引き籠もってた >>657
いや漫画や小説のネタにもなってるし
日本語日本文学科でも心理学の神話研究でもなんぼでも読むでそ
こないだのブラタモリ淡路島も神話ネタだったど 日本書紀の神功皇后のとこで、魏志倭人伝に出てくる卑弥呼の事か?と注釈がある
つまり、日本書紀を書いてる時点でも邪馬台国や卑弥呼の場所や存在は謎であり
それらを1300年後の現代人がドヤ顔であーだこーだと真実のように語るのは馬鹿丸出し 邪馬台国も大和朝廷も同じものの連続なのかもねえ
緩い連合国家の祭り上げられた あるいは祭司としての象徴がいただけだったのが
大化の改新あたりから神輿と実力者が結びついて
過去を神格化していった
なんてこともあり得るのかな >>662
古事記編纂の目的は現王朝である天皇の神格化
高天原の神々から連なる系譜も当然ファンタジーだし、
いわゆる初代から八代までの以上に寿命が長い天皇らいわゆる欠史八代も存在すら微妙
神々から連なる系譜は北朝鮮の金一族も似たようなファンタジー系譜を採用してるな ネトウヨ「神の子孫の大和人が東国の蝦夷と九州の熊襲を討った」(;`д´)キリッ >>651
考古学者でその説を採用している人は少ない
弥生時代に弥生人の入植と共に弥生式土器、石包丁などの農耕石器、青銅器などが伝わったが稲だけ別ルートと考える方がおかしい
朝鮮は農耕が盛んではないというが、農耕遺跡はあるし、殷の時代からあの緯度で水稲耕作は行われていた
それに朝鮮にはRM1-b以外の6種類の稲がある >>588
黒潮は一方通行だからな。外洋まで漕ぎ出せばもう
沖縄諸島から九州や紀伊半島まで来るのはあっという間の高速道路w >>657
読んだことあるけど無茶苦茶だからな。火の神を産んだら股間が焼けて、それが元で死にました。とかトンデモ本だし。
史実のわけがないというね。 この記載の火とは〜という意味ではないのか、などと、強引にこじ付けなけれは成立しないのが古事記であり、日本書紀 >>656
黄河と長江の違いもわかってないのに何を言ってるんだ
中国南部は長江
現在の中国でいう中国華北の黄河流域には紀元前6000年前には稲作の痕跡がある
紀元前3000年以降は山東半島遼東半島に稲作の痕跡がある
紀元前2000年には朝鮮からも炭化米が出る >>669
外国の神話なんかでも火を噴いて母親が死ぬなんて話は
チョクチョク見る気がするが
アレは何の例えなんだろうな
難産で脂汗たらたら垂らしまくったことなんだろうか
それにしても火というのは出てこない気がするし… 中国の正史によるとまず゜
57年に倭奴国が後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り、「漢委奴国王」になる
このときの印綬が出土していることから、この倭奴国は九州であることは確かだ
その後、後漢は西暦184年の黄巾の乱を経て衰退し
光武帝から印綬を賜り、代々「漢委奴国王」となっていた九州の倭奴国は
馬韓、辰韓、弁韓とともに、公孫氏が設けた帯方郡に属することになる
そしてその公孫氏は、魏に反旗を翻して独立を宣言し
公孫氏は、後に晋の皇帝となる司馬氏によって滅亡
帯方郡に属していた韓もその後、司馬氏によって滅亡
帯方郡に属していた九州の倭奴国には
対馬ー壱岐の島伝いに、朝鮮半島から大量の
【遺民・遺臣】避難してきて、なかば立て籠るに暮らすこととなり
魏の皇帝「曹叡(明帝)」とその軍事トップの司馬懿にとっては、北部九州の「漢委奴国王」の倭奴國は、いつまた反魏の温床になるかわからない注意するべき倭國【狗奴国】となった >>672
産褥熱だろう
発熱炎症を起こすから火を連想するんだろう なぜか朝鮮で必死こいてるやつ()が居るが
今のジャポニカ米のふるさとは中国大陸南部だからな
日本のお米のお米の出所が中国南部なのはみんな知ってる話 そもそも弥生時代もそれ以前も朝鮮半島って中国の植民地だからな
日本人が鉄を取りに入植もしてたけどさ >>677
漢四郡より南の地域は独立してたぞ
だから東夷伝韓条がある 有史以来、朝鮮半島の歴史は中国植民地から倭人の植民地。衛星国だからね
邪馬台国スレには関係無いから まず何故金印なのかって所だよな
小さい日本の一部分を支配してる程度小国なら
銅印や木印がせいぜいで
魏が金印を紫綬した国はもう一つ大月氏国だけ
こっちは支配区域の規模でいえば当時魏と争っていた蜀や呉よりも遥かに大国 >>350
九州南部の年寄りには沖縄台湾フィリピン系のDNAが7割と他の地域より多かったと以前の調査で出ている
逆にアイヌ系のDNAは東日本中部に多い 小国だったテン王国も金印を下賜されてる
https://youtu.be/rtNaycM308U
生贄の儀式など、殷王朝時代の古い慣習を継承している
金印は王墓から出土しているから、親魏倭王印も王墓にある可能性が高い >>397
倭人と魏の司馬氏の接触は公孫氏が滅びる直前の魏の遼東征伐の最中の帯方郡
そのことから
邪馬台国もまた公孫氏に朝貢していて
毎年のように朝貢にいったら公孫氏を滅ぼそうとしている魏に捕まり
そのまま魏に朝貢した説が有力
根拠として
魏に始めて献上する朝貢にしては
奴隷10人織物二匹ニ丈ってのは
漢のナノ倭の国王時代、その後の邪馬台国の朝貢品と比べてもあまりに貧弱なことがあげられる >>356
邪馬台国とは別の倭人の国が東にあると
魏志倭人伝に書いてあるからな どこぞのクソレスバかよって調子だが
こんなファイティングスタイルな記事ってありなのか? >>680
盛りに盛ってるけど萬二千余里という遠くも遠くから来たってのが大きいんだろうね
魏は漢が金印送ってたから
>>682
それより後に水稲耕作の痕跡あるし
というか稲のDNAの研究でもRM1-bが朝鮮にないからRM1-bは中国から直接来たって話だけど
逆に言えばそれ以外の稲はあるんだから稲作は盛んだということ >>376
豊臣秀吉ですら九州勢には大苦戦してた
徳川家康に至っては島津と戦争したくなくて許したし テン王国は女系社会で巫女が最高権力者だったみたいだな
種蒔きを描いた彫刻では巫女が輿に乗り、金色に着色されている >>687
なるほど
ちなみに東南アジアでは米を大量に食べる民族がいるけど、北朝鮮って米を使った代表的な料理って何があるのだろう >>690
悪いけど北朝鮮は知らんわ
探せば何かあるんだろうけど調べる気もない
半島北部はあまり稲作は盛んではなかったからそんなに無いのかもしれないね >>553
>>572
ワイ、この板に来て一番感動したことは
高麗神社と高麗郡、若光と大和朝廷について
己の浅はかさを思い知った、目から鱗、青天の霹靂でしたは >>690
その時代にはなかったろうが
冷麺が有名じゃね そもそも「当時国内最大の集落が邪馬台国」なのか?
でないと記名の物証なんて何もないけどでけえからここが邪馬台国だ!
なんて主張は不可能でしょうに >>555
わかります
令和なんておごりたかぶって和製の元号なんてつけるから
こんな呪われた時代になってしまいました >>564
岩合さんが猫の撮影に行くと、猫が道案内してくれることもあるそうだよ >>672
俺が神主に聞いた話では火山ではないかと言ってたな。 子供を産んだら母親がなくなるってのは
当時では良くあったでしょうしね >>680
中国は古くから東方の海の向こうの世界を神聖視してたから、
倭国に敬意を払ったためじゃね。魏から見て倭国の大きさなんて
分からんし、新しい時代の地図でも日本は大きく描かれてたりするから。
>>684
楽浪郡に行く予定が洛陽まで連れ去られるわけで。公孫氏の遼東郡の住民が
皆殺しにされたとか聞かされながら、帰還する軍隊と同伴しての洛陽までの
途上は生きた心地はしなかったと思うな。そんで、強制的に親魏倭王を
与えられて、伊都に魏の役人を置くことを約束させられる。一瞬で魏の属国化
したため、反発が起きて倭国内では内戦が勃発する。
>>688
秀吉はバカな部下のせいで苦戦しただけでしょ。本腰入れると大捷するし。
>>694
魏志倭人伝での投馬国と邪馬台国は広域国で集落ではない。合わせて12万戸が
倭国のほぼ全人口(朝鮮半島南部から九州北部)。 天孫降臨の時代は高千穂峰がバンバン噴火してたんじゃね? 知らんけど >>556
豊田市の香嵐渓、足助山なんかも雰囲気はあるよ >>326
神功皇后1人で、江田島平八10人分の戦力だから………。 >>537
そう、最も信頼していたはずの部下二人による下克上によってね
死後、一番得をしたあの人がまさかの黒幕だったとわ >>674
そんなものがあるんだ
知らなかった
命を育むというのは大変なことなんだねえ >>557
539が言いたいこともわかるよ
トラップが下手だから見てられないし
WBCはプロ入れないと勝てないし >>705
仲哀天皇出征後に、間男の子供妊娠して応神天皇産んだくせに 『隋書』都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
隋書に大和=邪馬台国って書いてるのに >>666
朝鮮半島経由で稲作はあり得ない
朝鮮半島が稲の生育に適して無いから
南から伝わった、日本から朝鮮半島に伝わったってのが最近わかってきた事 福岡人必死だな。福岡はただの関所だろ。そんな日本海に近くて攻撃されやすい所にヤマトは置かないよ。 >>712
ホラの門とかDHCチャンネルめっちゃ見てそう
普通に複数ルートあるだけの話 >>675
そうそう
戦後のWGIPで朝鮮に配慮してるんだろう
朝鮮半島から稲作とかありえない >>712
適してないというのはただの思い込み
普通に水稲耕作の遺跡がある
朝鮮には稲の遺伝子のRM1-b以外の6遺伝子を持つ稲がある
日本にはRM1-a〜cの3遺伝子しかない
日本の方が遺伝子が少ないのに朝鮮に伝わったと言うのはただの万物日本紀元説に過ぎない >>560
正史なら箇条書きでいいから
たんたんと事実だけ羅列すればいいのよ
変に抑揚つけて偉大なる天皇陛下マンセイとかやるから
おかしなことになる。 >>561
う〜ん
天さんと邪馬台国は直接関係ないから
仏教だろうが神道だろうがキリスト教だろうがユダヤ教だろうが創価学会だろうが
どーでもいいんだけどね
邪馬台国は、卑弥呼はどうだったのってことが重要なわけで >>713
もう少し勉強した方がいいぞ サガ土人w >>717
思い込みって稲作は温かい地域が適してるんだよ
朝鮮半島って知ってる?日本で言うと北海道の気候だよ?
技術が進んでくれば可能になって来ただけで
普通は育ちやすい気候で伝わるだろ
わざわざ寒冷地経由とか余程の事がない限り無いのはわかるだろ >>566
まあその辺は葬儀なんかも
江戸時代まで仏式、明治から神式とか
ノンポリやからしゃーないて
ちなみに初めての火葬は建国時の1300年前や >>721
歴史の話なら吉野ヶ里がある佐賀には刃向かえないんだよなあ >>720
天皇家を作ったのが邪馬台国の卑弥呼だよ
どの世界も本当の黒幕は表に立たないもんさ >>569
またサラッと興味深いネタを投下するんだね
>>570
倭の定義難しいね
奴国と狗奴国から当たった方が良さそう 天皇家というか天皇制度というか
邪馬台国、卑弥呼の一族はいわゆる秦氏と組んでる
秦氏とともに天皇を裏から支えていたというか、統治を天皇に任せていた 2世紀の後半から6世紀にかけて世界的に寒冷化となったため、中国大陸北部(高句麗など)に住んでいた東夷族(縄文系)が、故郷の日本に里帰りしてきた
これが古墳時代の幕開けで、卑弥呼もこの時に九州の宇佐に来た
卑弥呼は天照大御神になった 3世紀に文字がなく記録が一切無いとか情けないわ
三平方の定理のピタゴラスは紀元前6世紀の人物だよ
その800年後に文字すら無いってどんだけアホなの >>573
縄文時代まで遡るのは世界中どこでも一緒だけど
創建が神武元年て、ちょっと胡散臭すぎやしませんか?
日本書紀にはどこでもドアとか出てくるわけ? 戦後アメリカによって禁止されたのが理由だけど
地政学の観点が抜けてる。
だから日本の形成にシナ朝鮮半島情勢が影響してる
という発想が基本ない。
始皇帝の登場以降のシナの混乱と朝鮮半島への余波が
影響しないわけがない。
400年にやってきた秦氏や東漢氏も朝鮮半島に逃げて
さらに日本に亡命してきた人なわけだから。 >>574
どうやって?国内は戦争状態のはずなのに たしか1万年前に阿曽山大噴火で灰が九州全土に降り積もり人類もかなり死滅してたよな?
だから九州に人はそもそも少ないのでは? >>575
そういえば邪馬台国と古墳、特に前方後円墳も
接点ないよね
半島南部とは深い関わりがあるのに
卑弥呼の墓とかどうなったんだろうね
中国の歴史書に名を残すほどの重鎮なのに >>741
卑弥呼のお墓は宇佐神宮
宇佐神宮は丘になっていて、それがいわゆる古墳 奴国は福岡市だし伊都国は隣の糸島市だし
創造する歴史ロマンなんてないよ。
邪馬台国だから特別な何かなんてない。 >>581
そもそも縄文時代の関東平野は海だぞ。
温暖化で、群馬に貝塚が出来るほどの海面上昇しとる。 関東平野か。
ちなみに東京も石器時代からの遺跡がある。
誰も興味持たないからか価値が分からないんだろうけど。 西日本ではあんまりそういう記憶ないが、
東京というより東日本は同じ場所から石器ー縄文ー弥生
と出土するそうだ。
そもそもふつーに公園に破片があるそうだしな。
だから東日本の人間はそれが当たり前で価値がわからないんだろう。 >>730
福岡県には樹齢2000年のクスノキが多く残ってます。卑弥呼の時代から生えている巨木です。さて纏向周辺では如何でしょうかね?魏志倭人伝では邪馬台国にはクスノキが生えていると記述されてますよね そんな時代は日が登ったら何かして日が暮れたら眠ってたんだろうね
その辺の綺麗な川や海で泳いだり木の実を食べたり
恋をしたりナンパして野外セックスしたりしてたんだろうな
暇そうで良いよね 朝鮮半島を考える場合は
紀元前1万年〜縄文中期まで朝鮮半島は無人状態で
だから何も出土しないというのが大事だな。
よほど嫌なのかユーチューブで動画消えてるけど
ニコニコ動画の方にはあるかもしれない。
鹿児島沖の鬼界カルデラ噴火の後に突然半島南部に
九州北部とおなじ副葬品の遺跡が出現してるそうだ。 あと>>734のようなお話もそうだけど、
これも地政学の観点になるのかもしれない。
朝鮮半島は昔から38度線で民族が違う。
それより北になると稲作ができないから。 >>748
ある意味レジャーが日常だからな
しかし多くが幼少で死に、成人したとて40そこらまでしか生きられない訳だが >>577
まあ北に伊都国、南に狗奴国はともかく、
西に会稽が答え合わせですよ
ただ、東に別の倭国?が気になるけど、
四国?山口? いまでも北朝鮮の主食はトウモロコシだそうだよ。
米が作れない。熱帯の植物だからね稲は。 三韓征伐やるくらいだからね。
もうよっぽど酷かったんだとおもうよ。
食えなくて朝鮮半島に逃げてきた人間が
日本海で暴れ回ってたんだろう。
邪馬台国がどうというより統一国家化して
防衛にあたる必要があった。 清朝がトウモロコシを導入して人が増えすぎたってのがあるね
古代の水稲もそれぐらいインパクトがあったんだろな >>747
木材って楠に限らず建造物・船・燃料と多用途に使用される物ですが?
四大文明の跡地が砂漠化してるのは木材が切り倒されたからなんですよ。
逆に何で現在まで残ってると決めつけるんですか? >>726
読解力が無いんだな
稲作してないとは一言も言って無いが?
お前みたいなバカに言われたく無いな(笑) >>751
そうですねぇ。
伊弉諾と伊奘冉、天照大神は今の世をどう思し召すんだろうね
彼らはまだ日本のどこかに居るんだろうか? だいたい秦氏の亡命もそうだもんな。
よっぽど環境悪かったんだろう。 >>754
新羅と婿や嫁やり取りして手打ちをしては
ちゃぶ台返しで争って、また和睦して
やっぱり戦争してっていう新羅と大和とダラダラした関係
とても大和が理性的で新羅が野蛮などとは 仁徳天皇陵もそう。
当ったり前に考えればわかるのに、
誰もやらない。ほんと日本人みんな病気なんだと思う。
苦労して亡命してきた秦氏に朝廷は京都を与える。
東漢氏にも奈良だけでなく日本各地に土地与える。
あの仁徳天皇陵ってのは感謝の表れだと思うよ。 昔大和朝廷があった場所はヤマト湖があって国家は存在しえなかった
ヤマト湖周囲に全国の豪族の墓が並んでるという事で
古代ヤマトは合議制で、ヤマトは日本で神聖な場所だったって本読んだことあったわ だとすると民のかまどの逸話も解けるでしょ。
あの民ってたぶん泰氏や東漢氏のことなんじゃないかと思う。
亡命してきた土地与えられたからって田んぼはすぐできない。
田んぼ作って土壌が安定するまで調整してやっと使える。
それまで税金を免除したんじゃないかな。 >>579
ガリレオガリレイって知ってますか?
正直、邪馬台国の正確な場所はわかっていないし、
未来永劫わからないかもしれません
ただ、なぜあなたがた大和人が大した根拠もなく
強引な理屈で同一視したがるのかは正直疑問です
同じでないと何か不都合でもあるのでしょうか
仮に邪馬台国が畿内にあったとしても
天皇の出自とは関係ないはずです
ちなみに倭人の倭と委の奴国の委は別の字で
読みもまったく違います
ヤマタイをヤマトと聞き違えるのは日本人ではないからです
もちろんそういう主張を大声で繰り返す人種もそうです 邪馬台(ヤマタイ)なんて日本語ないだろ。
素直にヤマトと読め。 なんでなんだろう。
何も謎という謎ないと思うんだけど。
たとえば幾つも国があったらさ、王様同士会って、
おまえのところは朝鮮の誰と仲良いんだ?とか、
朝鮮で戦争起きても巻き添えで俺たちが戦争するのはやめようなとか、
話し合ったはずでしょ。
それが連合国家の始まりでしょう。 卑弥呼の時代には宇佐神宮は今の場所には無かったはずだよ
六世紀の末ごろに遷座されています
諸説あるけど築上町の金富神社が元宮だって説が有力だったはず
築城基地のちょっと東あたり
この神社の裏山は今でも禁足地になっていてそこが宇佐神宮の元の場所だって言われてる >>766
「大和王朝および天皇家は邪馬台国にルーツを持つ」って設定を前提にするから、謎になってるだけだからな >>764
ゞ彡' 〜ミヽ 三〜ソ ノヾヽ
/ ノノ ( ゝ
, ソヾミュ (( ソ
l j マ@ヽ =彡へミヽ (( /
|/ ー- )‐-√`@ヽ、_, ヘ r‐、ノ ガリレオガリレイぐらい知ってる!!!
j`ヽ- ノ {!  ̄` ヽ=-''^ Y /
! /ゝ \__ ノ '' ,6 ノ 当たり前じゃないかそんな事!!!!
フウフウ-' | ゚ l!  ̄ l ・⌒ ; ! j
-───'^ /| ,r-=ミヽ、 | r‐'\
ノ \ ⌒ `ヽ /ノ ヽ
く \ ⌒ヽ プルプル ノ.: `ー >>768
あ、そっか。
俺基本的に神武天皇だって個人じゃなくて
連合軍だと思ってる。
べつにそれでも神話が壊れることはないし。
親戚関係にはなってただろうしね連合国の中で。 >>772
わからない。亡命させてくれて土地までくれた朝廷に感謝して
巨大な古墳作ってそれに逸話をくっ付けたのかもしれない。
あのデカさは巨大な感謝だと思うよ。 >>735
日本は1000年は遅れてるよ
これを言うと親中派とか言われるけど
事実なんだからしょうがない 朝鮮という国もないし朝鮮人も朝鮮半島もない北は魏の支配南は倭人が実効支配していた
彼の地をあえて言えば、、、 >>735
その日本がノーベル賞多発で、30年連続で世界最大の純債権国w
日本 対外純資産356兆円 30年連続で世界最大の純債権国
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1621903612/
日本人 個人金融資産、過去最高の1992兆円
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1631848607/
ユークリッド幾何学のギリシャなんか経済デフォルトでオワコンw >>770
韓国人が発掘したものは「話半分」
500〜1000点くらい出ないとな >>767
金富神社は辛島氏系、もう一つの元宮である薦神社は大神氏系それぞれの勢力が宇佐氏と連立して三つ巴の宇佐八幡が成立したと思う、卑弥呼は4拍手で奥宮の御許山に封印しているのだと思います 宇佐氏が祀ってたのが宗像三女神で、それで宇佐神宮で中央に祀られているのだろう。
原始の八幡神の祭祀の歴史をたどって行くのももしかして有効かも知れない。
三世紀の頃には、今の苅田町、行橋市、築上町あたりにヤハタノ神を頂くヤマトヨ国と
言う国があって、そちらの国が八幡信仰の始まり。
ちょっと長くなるけど、原始八幡信仰の研究を引用しとくね。
中野幡能著 「八幡信仰史」より
三世紀の頃、規矩、田川、京都、仲津、築城の五郡の地域に豊国があり、主祭神を
息永大姫刀自命とも豊比搭ハ依姫とも唱えて、辛島、長光、赤染等の同族によって
斎き祀られていた。
京都郡に栄えていた辛島族は三世紀の中頃に南下を始めて、当時下毛上毛の二郡の
地域にいて海神を祀る山国族と接触しこれと接触し融合して共同の祭神として
「ヤハタノ神」を創祀した是はヤマトヨ国の国魂の神であって、その地は綾幡郷
(椎田町)の中央にあり、ヤバトヨ、ヤバタ、ヤハタと呼ばれた。
この社が矢幡八幡宮であって当金富八幡宮は、その古代宮趾である。
其の後五世紀の頃、辛島族は矢幡の神を奉じて下毛郡高瀬に停まった。
この社が高瀬の矢幡八幡宮である。
更に南下して宇佐郡辛国宇豆高島に遷座した此の社が酒井泉社である。
此の故に金富社を第一次、泉社を第二次原始八幡神の創祀と呼んでいる。
此の地に於いて辛島族は三女神を奉ずる宇佐族と統合して一時期小椋山
(小倉山亀山とも云う)に共通の族神を奉斎した。
此の新たに創祀の族神を比盗_と唱え第三次原始八幡神が是である。
次で六世紀の末頃に大和の大神此義によって応神八幡神が発現され宇佐浜に上陸して
茲に大神辛島宇佐族の統合がなされ八世紀に応神八幡神が小椋山(小倉山)に創祀
された。
降って人皇の時代となり貞観元年に石清水八幡宮の勧請のことがあり此時より始めて
宇佐八幡宮と稱えられることになった。
当社は宇佐八幡宮の元社とも言う可き原始八幡神顕現の霊地であって他に類を見ない
ものである。 >>684
『魏志』韓伝によれば
後漢最後の帝、献帝の、建安年間(196〜219)に公孫康が楽浪郡の屯有県以南の荒地を分けて帯方郡と為し、
この後、倭と韓はついに帯方郡に属した
とある
この公孫康が創設した帯方郡に属した倭は邪馬台国ではなく、
57年に後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜った
九州の倭奴國の漢委奴国王
公孫康はその後、後漢皇帝が治める帝国内の一藩国、つまり王国として魏を建国した曹操に恭順するときに
自らが支配下に置くのは
遼東と
遼東の南の楽浪郡と、
そのまた南の帯方郡と
そのまた南の韓と
そのまた南の倭
だと曹操に報告し、後漢から襄平侯・左将軍に任命されている
魏の遼東征伐の最中の帯方郡に
倭の九州から、壱岐ー対馬づたいに朝貢するなんて
ムリですから 奈良の大和あたりにある地名は
九州にもある
同じような位置関係でね
九州から奈良に移設したと考えるのが妥当だよ
記紀も万葉集もよく読めば九州が舞台 >>669
焼畑農耕の開始を表しているのです
大地に火を放って農地とする どう考えても対馬、壱岐、伊都国で伽耶との貿易仕切ってた
綿津見一族の姫が卑弥呼だよな >>755
稲は交換材として普及した
日本人は日常生活で大して米食べてない
半分以上酒にしてた
日常的に食べるようになったのは江戸時代 実在するか微妙な天皇の墓はいつごろ作ったんやろな
奈良とかいっぱいあるけど一気に作ったわけじゃないだろ >>781
辛島氏が香春岳で新羅の神を祀ったのが八幡神の始まりでは? >>782
最後の三行と上の長文が繋がってないけど
最後の三行が言いたいことかな?
景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏将送詣京都 其年十二月 詔書報倭女王曰
景初二年(238)六月、倭の女王は、大夫の難升米等を派遣して帯方郡に至り、天子にお目通りして献上品をささげたいと求めた。太守の劉夏は官吏を派遣し、難升米等を引率して送らせ、都(洛陽)に至った。その年の十二月、詔書が倭の女王に報いて、こう言う。
公孫氏滅亡は238年の8月23日ね >>792
香春神社の祭神は神功皇后と言われてはいたような 神功皇后ゆかりの地はほとんど北部九州だわな
そこらじゅうにある >>796
あと中国地方もな
九州で熊襲や隼人を一瞬で制圧したのだろう 貢ぎ物の巨大像の中に兵士を潜ませて、夜になってから門を開いて攻めたんだっけ やっぱ邪馬台国は九州以外は有り得んって話にしかならんよなあ
つーか毎回、畿内派は尻つぼみで敗走してんのに
何故かスレが立つたびに復活するんだよなw >>790
連作障害のあるヒエ畑を毎年収穫できる水田にした方が効率がいいんやで 今は豊前市から東が福岡県になってるけど、昔は金富神社のある築上町あたりまでが豊前国・豊の国だったんだよ 奈良大阪は昔は東京みたいなもんで田舎もんや外国人が集まってきたんだろうな。 畿内派の言い分はいつも同じ
学会じゃ常識まともな学者は取り上げないとかね
もう権威主義でなんとかなる時代じゃ無いのに愚かだね
学術的な反論にも主張にもなっていない希望的観測と罵詈雑言
その下品な姿勢のせいでどんどん信憑性を失ってるぞ >>804
俺も何度もその言いまわし見たわ
要は「畿内に無いと困る人が沢山居るんですよ!」って言ってるだけだよなw
学者よ、真実は何処に行った?w 武器は九州のが最先端じゃなかったっけ?
纏向からは金属武器出てないよね
昔は畿内説優勢だったけど、
纏向遺跡を調べれば調べるほど無理筋になってるよね 現在の感覚で平野部が農耕民、山地が狩猟民て思い込みがあるけど、古代においては
大規模灌漑技術が導入されるまでは、平野部を水田に使うのはなかなか難しかった。
当時の農法でどうやったかと言うと、まず水源地近くの水が落ちてくる所に水田を作る。
次の年はそのすぐ下を整地して水面を作る、さらにその下を...って感じで今の段々畑
みたいな感じで順に水を受けていく。
日本で始めに稲作を受容したのは、山間の縄文人の集落でしょ。
櫛稲田姫の隠し田のイメージ。
航空写真で見ると解るけど、築上町あたりの地形はそうなってる。 九州から東に行ったとして
なんでそこにあった大事なものを持っていかない前提なのか疑問しかないわ。
アホやろ。 >>793
だから
対馬も壱岐も使わずに九州以外の地方から帯方郡にたどり着いたんですよ >>684
『魏志』韓伝によれば
後漢最後の帝、献帝の、建安年間(196〜219)に公孫康が楽浪郡の屯有県以南の荒地を分けて帯方郡と為し、
この後、倭と韓はついに帯方郡に属した
とある
この公孫康が創設した帯方郡に属した倭は邪馬台国ではなく、
57年に後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜った
九州の倭奴國の漢委奴国王
公孫康はその後、後漢皇帝が治める帝国内の一藩国、つまり王国として魏を建国した曹操に恭順するときに
自らが支配下に置くのは
遼東と
遼東の南の楽浪郡と、
そのまた南の帯方郡と
そのまた南の韓と
そのまた南の倭
だと曹操に報告し、後漢から襄平侯・左将軍に任命されている
魏の遼東征伐の最中の帯方郡に
倭の九州から、壱岐ー対馬づたいに朝貢するなんて
ムリですから >>803
誰のレスと勘違いして僕のレスに安価したか知らんけど
壱岐ー対馬づたいに朝貢したかどうかを全く話してないし
知らんし興味もない
レスと関係ない自分の知識を披露したいだけなら
安価しないで書き込んでね 『魏志』(倭人伝を含む)にも
対馬も壱岐も使わず、筑紫(九州)にも上陸しない
と明記されているだろ
帯方郡ー韓国−対海國−一大国−末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国を経て、邪馬壱國 >>775
魏の時代は倭は半島南部を支配してないぞ この手の歴史スレって
歴史書読むより先に
マジで日本語や他人とまともにコミュニケーションをとる能力を学べってやつが現れるよな なにが難しいのかわからん。
九州が魏と繋がってる。
他の地域は繋がってないとしたら
外交が一元化してないと国内で戦争になりかねない。
わけわからん在日が大量に来られても困る。
自然と統一国家化するだろう。 宮崎は海洋民にとっては住心地の悪い土地だぞ
地図を見ればすぐわかる
半島や島による出入りが極端に少ないからな
このコピペ貼っとく
いわば日向というのは東北のみちのくみたいなものだ
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷(改)
日向国風土記逸文(713、引用は釋日本紀1275-1301、萬葉集註釋1269)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。
本当に原本にあったか?というか500年以上たって元ネタはなんだ)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) >>795
辛国息長大姫大目命の名前からして出自は新羅ですね、辛島氏が後に建てた正八幡宮の大隅八幡宮縁起には、出自に関してもっと具体的な記述がありますね、宇佐八幡で日本化して行った八幡神に不満があったのでしょう。 >>816
九州が繋がってるのは魏じゃねーよ
西暦237年に、魏の皇帝「曹叡(明帝)」とその軍事トップの司馬懿に反旗を翻し
遼東の襄平城において自らを
遼東・楽浪・帯方・韓・倭を支配下に置く「燕王」と名乗って独立を宣言した
「後漢の左将軍・襄平侯」である公孫氏と九州は繋がってた
だから九州の倭奴國・漢委奴国王は、魏にとって朝敵 未だに、いわゆる考古学に対して、「東亜板あたり発のコピペの知識」で対抗しようとする奴がいるのが驚きだわw 曹操の息子である初代魏皇帝「曹丕」は、徐姫夫人の子供である京兆王曹礼を後継ぎにしたいという気持ちを、公孫氏を含めた重臣に漏らしていた・・にもかかわらず
西暦226年、曹操の息子である初代魏皇帝「曹丕」が病に倒れると、曹丕の有力な将軍であった司馬懿は
曹丕に誅殺された甄夫人の子供で、その存在すら知られていなかった「曹叡」を次の皇帝にしようと皇太子に復活させた
そのため、曹操に恭順して、曹操の推薦によって
後漢の献帝から「左将軍・襄平侯」に任ぜられて
朝鮮半島南半から北部九州まで統治していた公孫氏は、猛反発
曹丕の死後、司馬懿たちのゴリ押しで、曹叡がそのまま2代皇帝に即位(明帝)すると、公孫氏は魏朝の仇敵である呉の孫権との同盟を画策し、
「曹叡(明帝)」から「大司馬・楽浪公」を賜ることを断り
ついには帯方郡が統治している倭と韓とともに魏に反旗を翻して独立を宣言
西暦237年に、遼東の襄平城において自らを
遼東・楽浪・帯方・韓・倭を支配下に置く「燕王」と名乗った
そのため「曹叡(明帝)」とその軍事トップの司馬懿は西暦238年、倭と韓とともに独立を宣言した公孫氏の征討を開始した 司馬 懿は、
毌丘倹、胡遵らを陸路で北から遼東に攻め込ませるとともに、
劉マと鮮于嗣を密かに海路で楽浪郡と帯方郡の2郡に派遣して南からも遼東に攻め込ませた
挟み撃ちとなった公孫淵は、遼東の襄平城に立て籠るが
司馬 懿軍は
子の公孫脩とともに数百騎の騎兵隊を率いて包囲を突破して襄平城から逃亡した公孫淵親子を斬り殺し、首を都へ送って、
返す刀で襄平城を陥落させて、公孫淵の高官たちを斬り殺し、
いつまた反魏の温床になるかわからないということで
15歳以上の男子を皆殺しにして、朝鮮半島南半を制圧した
その真っ只中の6月に
倭國の邪馬台国の女王の卑弥呼の使者の難升米と都市牛利が帯方郡に突如現れて、
劉マの後に太守となっていた劉夏に魏の皇帝「曹叡(明帝)」への拝謁を願い出て
劉夏はこれを許し、役人と兵士をつけて彼らを都まで送る
つまり、朝鮮半島で戦闘中の魏の軍勢は
始めて聞く倭國の邪馬台国とその女王卑弥呼のことを
公孫氏が独立を宣言した帯方郡と楽浪郡を領土とする【燕】に属してた九州の漢委奴国王の倭奴國とは無関係と判断して
魏の皇帝「曹叡(明帝)」への拝謁を許したわけだ そしてその後、新たに(帯方郡)太守となった弓遵が240年に
建中校尉梯儁等を邪馬台国に派遣してみたら
対馬も壱岐も経由せず、対海国と一大国を経由して山陰に上陸し、
出雲まで、草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えない場所を歩かされる
マジで、公孫氏が独立を宣言した帯方郡と楽浪郡を領土とする【燕】に属してた九州とは無関係の
遠いという表現を越えている、畿内の倭國だった
というわけだ >>1
天皇家は朝鮮系と深い関わりがあるって話
完全に無視してんの >>796
日清戦争の時の広島大本営みたいな物だしなあ >>5
何故言語が中国語や朝鮮語では無いのか?少なくとも支配者層の人達はそうするはず。当初は公式文書は中国語式の漢文だったが途中から日本式漢文に切り替わっている。
支配者層は日本語の方が使いやすいから。つまり日本人って事になる。 >>827
新羅から追い出されたのが祖先でしょ
古代大王は年2回年を取ったようだからBC3〜BC2世紀の頃が神武大王?でその数世代前 >>5
もちろん日本に中国や朝鮮から人が渡来している事実はあるがそれが即、支配層になれたわけではない。渡来した方が圧倒的に人数は下。武器があったとしても多人数に襲いかかってきたら勝ち目は無い。それに食料の問題もある。
渡来人は結果的に平和的に日本人と融合しただろう。それを象徴して大和の名前になったのだろう。
この文字でヤマトとは読めないがそれをキラキラネームみたいに無理に当てはめたんだろう。 >>829
それだと百済とずっと親密だった説明がつかない
君自身の妄想以外に考えられない 朝鮮南部に縄文人が上陸して生活していた。みまな国になった。百済と仲良くやっていた。縄文式土器や日本式古墳があるし。 >>830
縄文人の血は8%程度
つまり、ひいひいおじいちゃんが一人だけ縄文人で
残りは渡来人(弥生人)だから
4〜7世紀に日本に来た百済新羅高句麗の人間は少数派だろうけど >>831
伝承では新羅の第何王子が女性を追って海を渡ったのだとか
天皇の皇后は百済系渡来人子孫が多いからそっちの関係では
稗田のあれさんに聞いてよ >>834
みまな国にいた縄文人が現地人と子供を作れば弥生人の遺伝子も入る。みまなの縄文人は北九州の国とも交流あったので人の移動も当然あった。嫁として弥生人は日本に来ているだろう。
遺伝子上弥生人が多数派だから支配者も中国や朝鮮系ってのが短絡的すぎる。言語の問題もあるし。 秦の始皇帝時代に東に不老不死の薬を求めて日本にやってきた徐福がいた。若い男女3000人を引き連れてきたという。日本の稲の遺伝子は中国南部の稲と同じ事もわかっている。その時に持ち込まれていただろう。 >>837
少なくとも小学校の歴史の授業を学び直した方がいい
縄文時代と古墳時代がどれだけ離れてるかを >>836
日韓ワールドカップの時に当時の天皇が母方祖先は百済って言ってるから調べてみてよ >>837
縄文後期→弥生時代→古墳時代前期の流れで見て
半島北部 燕国→高句麗→高句麗
半島中部 蓋国→辰韓→新羅
半島西部 倭国→馬韓→百済
半島南部 倭国→弁韓→伽耶
九州北部 倭国→倭国→倭国
こんな感じやろ >>840
それ亡命百済王族の子孫が天皇の側室だったって話やで >>824
鬱陵島⇒竹島⇒鳥後島⇒境港
あたりの海路はあったかもね。
対海国とか一大国がなんて発音するのか
判れば何かヒントになるかもだね。 朝鮮人が日式古墳があったと大騒ぎしたが年代測定で日本よりも新しい事がわかったら破壊してるからな。
歴史の真実はどうでもいい。 誰が滅ぼしたのってなるから
開けられない古墳と一緒、パンドラの箱 ニュー速の邪馬台国スレで
邪馬台国は九州
畿内の大和王権が九州を征服した
神武東征は、畿内が征服した事実の裏返し
出雲の国譲りと同じように、征服した対象から恨まれないよう、相手勢力の鎮魂等の意味も含めて事実を改変している
と言い続けてたんだが
>>1はその俺の妄想と同じじゃないのか?
となると、俺の意見に反対してた畿内説の馬鹿たちは
やっぱり馬鹿だったという事になるんだろうな なんか、日本古代の国家間の関係って、氏族社会を基幹にした連合体の合議制って印象なんだよね。
だから、ある連合体の一番有力な奴が頭を張る。
ある時はA国、ある時はB国みたいな?交代時には争いはあるけど其々の共同体は残ってゆく。
だから記紀や風土記なんかで同じ国同士が何度も争ってたりするけど、それもあり得る事なんじゃないかな。
氏の上は負けて落ちぶれたりするけどその氏族は沢山枝分かれしてたりするわけで、同氏族の別の枝が氏族を纏めていく。
だから、卑弥呼を出した一族も後の朝廷の参加した氏族の中に居たのかもしれない。 >>848
続き。
葛城氏とか蘇我や紀氏なんかも大王を出した時があったのかもしれない
蘇我なんかは宗家が滅びた後も一族が滅法したわけじゃないでしょ。 >>848
そこが大陸の王朝交代との違いだ。負けた方は一族郎党皆殺しだからな。
一人でも生き残らせると復讐に来る危険があるから。
日本の場合、トップは腹を切らさせるがそれ以外の者は新トップの下になるだけだし。今の時代に通じている。 万世一系にケチつけたいのだろうけど、
たぶん万世一系だと思ってる人はいないとおもうよ。
でもそれで万世一系の神話が壊れることもない。 科学的に見ても日本の神話は壊れない。
それがわからない人が神話を科学的に分析することを嫌がる。
きちんと実態が分かれば困るのはこのスレにいる人間の方だよ。
だから既に分かってることも分からないふりして垂れ流してる。 >>851
>万世一系にケチつけたいのだろうけど、
ちょっと異論を挟んだらこんな反論をしてくるやつが一番迷惑
思想の話じゃないンだわ 元々の成り立ちは多民族国家だからな。そこで新しい分化を吸収しても日本人に合わせる様に作り変えて利用する。食事も法律などの制度も。これは明治時代の近代化も同じ。 邪馬台国 (やまたいこく)
卑弥呼の後継者は 台与 (とよ)
答え出てるのにいつまで続ける気だろうか じゃあ何の話なの。連合国家だと思ってる。
神武天皇もおそらくは連合軍だっただろう。
そして政略結婚をして親戚関係になってる。
万世一系ではなくても八紘一宇ではある。
それ以上何もないよ。
そして総合すると万世一系の神話も壊れない。 あと大事なことを無視するよね。
縄文中期まで朝鮮半島は無人状態だったことを。
あと38度線より北は稲が育たなくて古代から民族の境界線
ってことも意図的に頑なに無視するよね。 ちなみに俺は渡来系の子孫だよ。
来たのが西暦400年なのか800年後の元寇の時かは分からないけど。
どっちにしてもいまの偽者漢民族じゃなくてオリジナルの漢民族の子孫。
九州はそういう人間多いはずだよ。 >>856
>じゃあ何の話なの。
歴史の話だろ
卑弥呼は日本の中の諸国が共立した王
大和王権、つまり今の天皇家とは一切関係がなく
大和王権は邪馬台国とは別個に当時から存続しているので
万世一系が壊れることもない
大和王権が邪馬台国を含む諸国を後の世に征服しただけ >>850
欽明帝以前の皇統譜もね、その時々の一番権力があって大王を張った氏族の系譜だと思うんだ。
でもそれは、血縁を否定するものじゃない。大王の選定に名乗りを上げるほどの氏族なら血縁関係があっても不思議じゃないからね。
継体帝なんかわかりやすいと思うんだ。
基本的に今の父子相続制が確立したのは天智天武以後のような気がする。 この話も絶対に嫌だと思うけど、海幸彦山幸彦。
これが兄弟というのは嘘だけど、でも神話は壊れない。
海幸彦は台湾の原住民の子孫だよ。オーストロネシア系。
だから相撲の寺尾関だったり野球の川崎宗則だったり、
東南アジアのイケメンのような顔が鹿児島には多い。
そしてこれが絶対嫌だろうけど台湾国民の7割以上が
実は台湾原住民の子孫。 >>862
お前の思考はなんかすげぇ偏ってないか?
多くの日本人は、神話が事実だったとは考えてないよ >>860
だから時代遅れの教科書の歴史観を押し付けたいわけだろう。 >>857
無人ってことは無いだろ。
無人の土地に楽浪郡を置く??
倭人の居住交易圏があるとき突然発生する???
それに当時の気候と今の気候は同じ???? >>863
それはまずいと思うぞ。話の脈絡が合ってない。
あ、ちなみに俺は本当のオリジナルの漢民族の子孫ね。偽者と違ってね。 >>864
時代遅れという考え方が間違い
学問的に事実だろうと考えられていたから教科書に載る
つい最近の発見をいきなり教科書に乗せたりはしない
新しい発見があればそれを時間をかけて調査し、教科書に乗せてもいいと考えられるようになってから教科書に乗せるんだよ
最新の知見を学びたいなら教科書ではなく論文を読めばいい
なんていうのかな、
責任の重さとかそういうものだ >>865
あー、しょうがないとは思うけど、
歴史の、時間間隔が分かってないね。
そういうのでバレるよ。
縄文中期って殷よりも遥か以前の話だから。
ちょうど台湾原住民が台湾島に移住した頃。
そのくらい昔の話。 >>867
そうだね。ロックフェラーの犬に責任感があるとは思えないけどね。 >>866
なんかあれだな
お前の相手を続けるとアホが感染りそう
ちょっと書き込み回数減らすわ
>話の脈絡が合ってない。
何の話を誰がしてるんだ?
で、具体的にどんな風に脈絡があってないんだ?
これについて正しくこたえられるかどうかが、お前の評価に直結する
無視するならそれまでだし、不誠実ならその程度の奴だと評価されるよ オーストロネシア人でウィキペディア読むといいよ。
実はハワイに到達したのもイースター島でモアイ像作ったのも
元は台湾の原住民。
紀元前5000年、6000年だったかな、シナの王朝ができる遥か以前に
シナから台湾島→フィリピン→南洋の島々、ハワイ、果てはイースター島
まで行き着いてる。
当然だけど日本にも来てる。 >>868
何がバレルのかよくわからないけど
縄文中期の話をしてるの??
台湾原住民の例を出してるけど
それはいつの時代を基軸とした原住民の話?
それに縄文中期っていうと今よりかなり気候も温暖で東北あたりもかなりあたたかかったようだけど 発音不詳なのに国名は邪馬壹國は「ヤマタイコク」に限定する
妹か娘か従妹かは分からないが人命っぽいという理由で壹与は「トヨ」を採用する >>870
そのほうがいいよ。俺がいなくなってから同じことを垂れ流すほうが。
でも時代遅れの嘘を流してもねえ。
そういうのって話が繋がってなくて説得力がないからすぐわかるよ。 >>865
朝鮮人の学者の古代の歴史の本に書いてある。人骨や石器が全く見つからない地層があるって事。今後見つかる事を期待するって文で終わっている。 >>874
>>無視するならそれまでだし、不誠実ならその程度の奴だと評価されるよ
つまりお前は「その程度の奴」って評価だ
真面目に議論する相手ではないことがよくわかった 海幸彦山幸彦のウィキペディア読んでみるとすごく政治的だよ。
この神話は嘘と、つまり皇室と薩摩隼人は兄弟じゃないってことだけど、
薩摩隼人が台湾原住民の子孫だとは言わない。言えない。
さらにスケールがデカイ形で神話になるからね。
シナもロックフェラーも許さないもんね。 九州は玄関口だったからだろう、
各県違うんだよ。人種が。
なんで鹿児島や宮崎ってちょっとカッコイイ奴
多いんだチクショーと思ったら、
どうも台湾の原住民、つまり東南アジアのイケメンの血が
入ってるからみたいよ。 どう考えても8世紀の人が1000年前の出来事なんて覚えてないよね
事実かどうか調べようもないし 元寇の時も南宋から何そうもの船で亡命してきたらしい。
数万人だったかな。たぶんそれは長崎佐賀、福岡西部とかに
移住したんじゃないかな。そんな気がする。 >>879
おいでやす古賀さん?
まあまあイケメンやんか 中国人が言霊主義でヤマトに邪馬台の字を当てただけ
九州説とか言ってる人は政治的意図でしかないよ >>876
無人って表現より、疎らだったとか文明文化が確立されて無かったって表現なら納得がいくけどね だから九州ってほんとバラバラで違う。
古代に朝廷に仕えて九州を治めた人、
鎌倉時代になって幕府から送られた人、大友とか島津もそうだな、
それになんか亡命して日本に助けられてありがとうサンキューみたいな俺とか、
色々いるからね。
台湾原住民の子孫もいるし。 >>878
分子生物学や遺伝学の進歩で
人類は↓の3グループに分かれると判明して、辿ったも地理的経路も解明されつつあるから
・クロマニヨン人
・クロマニヨン人+ネアンデルタール人
・クロマニヨン人+デニソワ人
日ユ同祖論系の与太話はお呼びでない >>885
君の意見はどうでもいい。朝鮮の学者がそう書いているだけなんだけど。それが気に入らないかどうかはどうでもいい。 >>884
政治的意図がある人こそ畿内説だろ
当時の日本を代表してた邪馬台国なら天皇家とかかわりがないのはおかしい
だから畿内にあった
というしょうもない屁理屈 ってことを考えると、八紘一宇の理念はその通りだし、
まあ八紘一宇なら家族であって、万世一系でもいいんじゃない
ってなる。
これが神話が壊れる、左翼の策略だ!って言うのもわかるけど、
科学的に分析しても日本の神話にケチは付かない。 >>888
朝鮮の学者って、半島で見つかった前方後円墳を破壊してなかったことにしてたでしょ?
なんか信用できない気がするわ うまくできてるよな。八紘一宇だと万世一系にもなる。
よく考えてる。ほんと今の政治家や官僚はアホの学者じゃ
やれないと思うよ。 >>893
君ちょっと黙っててくれよ、楽しいのはわかるが すごくない。民のかまど。
民が豊かになれば朕も豊かなのだ。
つまり八紘一宇が万世一系を支える根っこでもあるという。
これ考えた人すごい。 そもそもさ
ヤマト国と呼んだら都合悪いことでもあるの? >>892
自ら自分達に不利になりそうな事を隠さず本に書いている人は朝鮮人でも、まともな人はいることがわかる。
古墳を破壊する人みたいな変な常識の無い人もいるだろうけど。 纏向遺跡の時代には邪馬台国は既に滅亡していたかも知れない >>897
中国の正式な歴史書を否定することになる 帯方郡も有ったし馬韓、辰韓、弁韓の三韓も有ったし、無人て事は無いか
伽耶国も有った
魏志倭人伝では倭国の北限として書かれてる狗邪韓国に当たるんだろうな
最近、壱岐や島原半島の南端で鉄を加工してた鍛治炉が見つかってる
その素材の鉄の出所が伽耶国
住民は倭人で言葉や習俗も北九州とほぼ変わらなかったはず
素戔嗚が来た加羅国と言うのはここの事 >>888
無頓着な言葉の選択が気になっただけだよ。 そもそも、「ヤマト」とは何語なのか
大和、これって当て字ですよね
だい、おお、
わ、なごむ
やもまもとも関係ないみたいだし 魏志倭人伝の位置の記述がムー大陸そのものだから、竹内文書を認めない限り解決しないよ。 いわゆる保守と言われる人がアホだから助かってるだけだよね。
説明が下手だし何を言えば伝わるのかとか考えてない。
アホだからね。 「八紘一宇」という言葉は、日本の侵略戦争を正当化したとして、戦勝国から厳しく批難を受けました。
GHQもこの言葉の使用を禁止しています。なぜ、平和を象徴する言葉が、全く反対の意味に理解されてしまうのでしょうか?
それには、日本と欧米の国の成り立ちの違いが関係しています。
日本は建国以来、天皇を中心とし、代々その血筋を受け継いできました。
人徳ある君主の存在があり、そのもとで国民が平和に暮らす。そんな歴史を辿ってきました。
一方、欧米はというと、絶対的な君主はおらず、強いものが上に立つという
弱肉強食の歴史を辿ってきました。隣国を侵略するというのも日常茶飯事。
侵略を前提とする世界に生きていました。
そんな彼らに、 「1つ屋根の下、仲良く暮らそう」と言ってもその真意は伝わりませんでした。
日本から見たら平和を象徴する言葉でも、欧米の論理で考えると侵略を意味してしまったのです。
戦後の日本人は、自分たちの国の成り立ちや、天皇という世界でも特別な存在について
まったく学ぶことがなくなったため、欧米人に「八紘一宇は侵略の意図を表している!」と言われると、
なんとなく信じ込んでしまったのです。 >>904
まんま高麗人だね
理屈で勝てなくなると
今度は魏志倭人伝の否定をはじめる
昨日までヤマトをヤマタイと聞き間違えたって100回くらい嘘ついてたのに
そんなカタワのボケがわざわざ海を渡って土人の国に来るかっての 隣国の数百文字の記述に頼らないと
自国の歴史が謎ってのが情けない >>909
今度は日本そのものを否定はじめるのか
あわれよの 字を持たない時代から「ヤマト」という音の名称を名乗る集団がいた。
その集団に接触した中国人は邪馬台と当て字し
日本人は意思を込めて「大和」を書き「ヤマト」と読むことにした。
邪馬台国なるものと大和が別物と考えたい人たちへ
もう貴方たちの狂気はバレてるよ。 >>906
欧米人は有色人種が一体となって白人を襲ってくるのが怖かった。第二次大戦で日本軍だけでもこれだけ被害もあったし。そのため戦後は中国や朝鮮のは日本と仲間にならないように反日教育するようにさせた。これが現在にまで続いている。 そもそも当時の世界文化の中心は韓国だから
当時の未開の地の記述とかそりゃテキトーよ 奈良に大和という地名があるのに
邪馬台国は九州とか無茶振りもいいとこ カナにも意味があるのか
古代文字は封殺されてるらしいけどさ、見たことない。 【歴史】明治天皇は、やはり大室寅之祐(朝鮮人)だった。
以前から、長州藩(現山口県熊毛郡田布施町)に住んでいた大室寅之祐と言う大男が、
江戸時代最後の天皇であった孝明天皇の息子であり、本来なら明治天皇になる筈であった
睦仁親王とすり替えられて明治天皇になったという説は、ネットで読んで知ってはいたが、
やはり、この話は本当だったと確信が持てた。
大室寅之祐については、南朝の末裔であるという説も一緒にネットでは流れていたが、
一方では、田布施町という町は、元々は朝鮮半島から渡って来た人達が住んでいる集落なので、
大室寅之祐も朝鮮の血を引く人間だと言う説もネットで読んだ様な気がする。
今回、それが、どちらも間違ってはいないと言う事が感じられた。
何があったのかと言うと、現在、中丸薫さんの著書「天皇生前退位と神国・日本の秘密」を
読んでいる最中なのだが、その中に大室寅之祐という人物の話が出て来るのである。
これはもう間違いないと思った。何故そう確信したかと言うと、その大室寅之祐、即ち、
明治天皇の実のお孫さんが言ってるからである。
つまり、明治天皇と側室である千種任子(ちくさことこ)と言う女性の間に生まれた息子・堀川辰吉郎さんの
娘である中丸薫さんご本人が自分のお祖父さん(明治天皇=大室寅之祐)の事を言われているからである。
中丸さんのこの本には、大室寅之祐が孝明天皇の息子と入れ替わって明治天皇になられた経緯も詳しく書かれている。 >>903
これも、
ヤマト王権が倭国を征服したという説の根拠
倭国(ワ)の中に存在している小国を征服して大きな倭国とする
大倭国(ダイワ)
これが大和国となり
大和を自国の読み方であるヤマトと読むようにしたんではないかと思う
そういうの想像すると面白いだろ? 安倍政権で行われている政治「自分だけ、今だけ、お金だけ」
の「自分だけ」とは「李家だけ」ということ
日本は李氏朝鮮を併合したことになっているが
実は、その李氏が日本を乗っ取ってしまった
天皇も、政治家も、大企業も、日銀、電通・・・みんな李家だ
そして李王家はロスチャイルドの分家だというのが痛い
あちらと競合する業種は譲らないといけない
例えば日本でOSを作る者がいれば、日本が自ら潰す
そういうのは天皇家=李王朝のせいだったというわけだ 旧日本軍を牛耳った朝鮮人たち
将官
洪思翊 - 中将(戦犯処刑)
趙東潤 - 中将
李秉武 - 中将(李王家・丁未七賊)
趙性根 - 中将
魚潭(西川潭一) - 中将
李垠 - 中将(李王家当主・大韓帝国皇太子)
李煕斗 - 少将
金應善(宇都宮金吾) - 少将
王瑜植 - 少将
佐官以下
李應俊(香山武俊) - 大佐(韓国軍中将、初代参謀総長)
金錫源(金山錫源) - 大佐(金鵄勲章、韓国軍少将)
安秉範(亀村貞信) - 大佐(韓国軍准将、朝鮮戦争で自決)
李金偶 - 大佐(李王家、広島市への原子爆弾投下により被爆死)
李鍵(桃山虔一) - 中佐(李王家、日本に帰化)
衛喨 - 満州国軍中佐
蔡秉徳(大島秉徳) - 少佐(韓国軍少将、参謀総長、朝鮮戦争で戦死)
白洪錫(徳川英一) - 少佐(韓国軍准将、韓国在郷軍人会初代会長)
金貞烈(香川貞雄) - 大尉(韓国軍大将、第19代首相)
丁一権(中島一権) - 満州国軍憲兵大尉(韓国軍参謀総長、第9代首相)
崔貞根(高山昇) - 中尉(所属していた第66戦隊から「特攻戦死」を認定され、陸軍第六空軍から感状も出された)
金フ天 - 中尉(抗日パルチザン、ソビエト連邦の大粛清により粛清)
池青天 - 中尉(抗日パルチザン、韓国無任所大臣)
朴正煕(高木正雄) - 満州国軍中尉(韓国軍少将、韓国大統領)
白善Y - 満州国軍中尉(韓国軍大将、韓国軍連合参謀会議議長)
張都暎 - 少尉(韓国軍中将、参謀総長、国家再建最高会議議長)
崔慶禄 - 少尉(韓国軍中将、参謀総長、交通相、国会議員、駐日大韓民国大使)
安光鎬 - 少尉(ko)(韓国軍准将、大使、大韓貿易振興公社社長) >>922
それだと、すごく論理的で理にかなっているね
でも残念ながら魏志倭人伝には出てこない
せいぜい随書以降だからやっぱり邪馬台国の女王とやらには関係ないよ >>5
未だに縄文、弥生とか明確に別れてたとか信じてそう
関西人が半島人とか未だに信じてそう >>930
西日本は百済系半島人、
東日本は高句麗系半島人、
中日本は新羅系半島人
の子孫
証拠としては佐藤姓と鈴木姓が多いこと
もっとも現代においては混血が進んでいて
当時の遺伝子が色濃く残っている
ネイティブ系は沖縄とアイヌくらいだけどね 縄文人はアラスカ経由で北米や中南米に行っている。インディアン。
なおメキシコの爺さん婆さんは昭和の爺さん婆さんはにすごく似ている。 >>930
1万年もある縄文時代に大陸との交易も行われてたんだからな
当たり前だよなぁ
何で今までその当たり前になってなかったんじゃろ >>840
いや、あんた、"皇后"に"多い"って言ってるがな。
まず、高野新笠は皇后ではない。
そして、一人だけか?ならなんで"多い"って書いた? 狂人理屈 「ヤマトがワを征服した」
アテネ、スパルタがあるギリシャと同じだよ
中央集権で統治するだけのインフラがないから各地に部族集団の国家があるが
共通認識として民族・言語的に「自分たちはギリシャだ」と認識している
ヤマトとワの関係も同じ
ワという器の中に狗奴国、邪馬台国などが存在した。
各地に王がいるが自分たちは大きくは「ワ」に属する集団だと認識している
そしてヤマトがワをを統一し「大和」と記述した
正常人間の理解 「ヤマトがワを統一した」 >>936
征服と統一は言い回しが違うだけで同じ事だよ >>937
今の日本の交通の主な要所は
大坂、名古屋、東京
これは気候もよく、人や物の流れが容易で集まりやすく、生活が豊かになる場所
新幹線も走り、港もあり経済や工業が発展する
ところが古代日本はどうだろう
奈良の山に囲まれた盆地の明日香村や藤原京、平城京、
京都の平安京はともかく、出雲の半島に近い海沿いや紀伊山地から隠れように伊勢の片田舎
今でも新幹線すら通ることなく発展の見込みもない田舎ばかり
これでどうやって国を統一したのかを考察するととても興味深い
まるで、どこからかの追手から隠れるように人も物も集まりにくい
不便な場所に拠点を築いている
これが意味するものは何か >>937
征服と語る人間たちの意図は別だよ
「外部から到来した部族集団(ヤマト)がワを征服した」のだというストーリで語ってるんだよ。
だから彼等は必死で大和王権と邪馬台国の関連性・持続性を否定する。
突如「ワ」に出現した外部渡来集団「ヤマト」にしたいわけだ。 日本はそもそも単一民族ではないよね
北はバイカルから南はミクロネシアまで遺伝的な繋がりがある
現代で言えばアメリカみたいなもん >>939
>突如「ワ」に出現した外部渡来集団「ヤマト」にしたいわけだ。
違うだろう
おそらく邪馬台国の卑弥呼が共立されたときもヤマト王権はその連合国家の一勢力だったんじゃないかと考えている
畿内の田舎にあって連合国全体を支配するほどではないがある程度強大な国として認識されてたんじゃないかな?
中途半端に強い国だから連合国の王にはなれない
逆に弱小だから邪馬台国の卑弥呼は王として「共立」された なぜ中国の歴史書から150年近く日本の記述がなくなってしまったのか >>942
一番わかりやすいのは
買収工作、つまりロビー活動だろうね
遣隋使、遣唐使
魏が滅亡して国力が弱まっていたことも関係あるだろう >>944
論拠がヤマタイとヤマトの聞き間違いの1点のみというのがね
逆ならわかるよ
任那()のことすっかり忘れちゃった遣隋使とか遣唐使が
ヤマタイをヤマトと聞き間違えた、みたいな
だってこいつらアホやから
豆腐と納豆すら区別つかんのやで >>943
列島の重要性・必要性がうすくなったからだろ >>917
大和=だいわ=大倭なのは明らか
邪馬台国と何の関係があるんだ >>948
ちょっと弱いかな
そのあとはしっかり記録が残ってるから
今となっては一番重要な民族の入れ替わりが
スルーされてるからこそ、この永遠に終わらない
歴史のロマンになってしまっているわけで
曹操と卑弥呼が同じ時代に生きてて、ほぼ同じ時期に亡くなったなんて
素敵やん
それを日本書紀は無視してるから問題なわけで
畿内説テンパードってってこんなんばっかやで
https://pbs.twimg.com/media/EM889EmVAAARDVe.jpg そういえば曹操のお墓が中国で発見されたというニュースが以前あったけど
曹操の顔が復元されてたんだな
中国流石だわ
検索したらちょっと怖そうだけど喋ったら意外と優しそうな感じのおっさんだったw >>423
元寇とか源平合戦の絵見たことないの?
彼らが乗ってるのが南部馬。
サイズはサラブレッドよりは小型だけどポニーではない中間種
なお日露戦争の後国策で絶滅させられた模様 >>951
それググったら発見はもっと前で曹操と確定してるわけじゃないのにと困惑してたようだが
その後どうなったんかね >>942
中国も五胡十六国の大乱世だったしな...
本来なら日本から使いが有ったとかの記述があって然るべきだけど、
諸王朝が乱立して日本もどこに行ったものやら解らなかったろ >>873
台与がトヨと読むのなら邪馬台をヤマトと読むのは自然な事。ヤマト王朝を漢字表記で邪馬台使ったとしても何もおかしくない。文字の無い時代だから漢字を借りて音を表しただけだし。 >>955
今でもほとんどの半島の人って、
漢字読めないんだっけ >>1
あんな水害に脆弱な九州が
邪馬台国の訳ないだろwwwww ハナホジ >>957
正しくは父系遺伝子に縄文の人の割合が3割 邪馬台国が大和として
卑弥呼のことは第何代の天皇って書いてたの? 大陸系が日本を名乗るのを止めるか、我々縄文顔耳垢柔らかい族が別名を名乗るか。ヤマトも縄文じゃないとなると何が良いかね。 >>963
普通に倭国とか奴国とか邪馬台でいいんじゃないの
それにしても、なんで大和から日本に通名したんだろうね >>843
ちゃんと正史には順序だてて記載されてる
九州には漢委奴国王がいたので、親魏倭王は九州を利用できない
魏(220年 - 265年)の『魏志』倭人伝
帯方郡 ー 韓国 − 対海國 − 一大国 − 末廬国(島根西部)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(紀伊)を経て邪馬壱國(奈良)
九州の漢委奴国王の皇子の神武が親魏倭王を制圧して天皇を宣言し出雲ルートで朝貢
梁(502年 - 557年)の『梁書』倭人伝
帯方郡 − 一支国(壱岐)− 末廬国(島根西部)− 伊都国(出雲)− 奴国(因幡)− 不弥国(摂津住吉)− 投馬国(紀伊)を経て邪馬臺国
神武が興した大和朝廷が、出雲と九州を併合(ヤマトタケルの西征)して
隋(581年 - 618年)の『隋書』倭国伝
百済 − 竹嶋 − 耽羅国 − 都斯麻国− 一支国(壱岐)− 竹斯国(筑紫)− 秦王国 − 十余国を経て難波津 − 奈良 >>950
記紀の成立年代では巫女の重要性というのはかなりなくなってるからね。
伊勢の斎宮にしても形式的なものだし。
だから無視ってよりも、そんなに重要なことだとは思ってん無かったんじゃないかと思う。
何百年も前の話だし、そもそも男王と女王の両輪政治はそんなに珍しい事ではなかったようだしね。
だからひょっとしたら、記載のある誰かがそうだったのかもしれないし、卑弥呼の記憶がキャラクターを増やしてるかもしれない。
筑紫との関連性とかを考えると中哀帝の記述が怪しい、他にもあるかもしれない。
いずれにしろ編纂時には男王の方が重要だったんだろうね。 >>959
九州が水害にやられるようになったのはここ二十年くらい、つまり、地球温暖化後のことよ
気候変動を考え給え >>965
やっぱりあれかな、左右対称じゃないと落ち着かないとか?国旗みたいに
大
和
日
本
だから日の丸はよくて旭日旗がダメとか? >>961
いや弥生人の遺伝子調べたら父系が縄文って結果が出ている
つーか3割ってどこから出たの? >>965
秦王国は大分の宇佐と関西を結ぶLINEにあったとされてるね。
完璧な渡来人の国とかある意味、邪馬台国よりも闇深いよな >>966
えっ、そっち目線ですか(笑)
たしかに建国後まもなくの推古からしばらくは女性天皇いたけど
9世紀以降1000年以上はほぼ絶滅しましたね
神功天皇もいつのまにか皇后に格下げされてたり
あきらかに別の民族が入り込んで背乗りしたのかもしれませんね >>972
別の民族ってよりも別氏族かもしれないね。
推古以後の女性天皇はあくまでも男性跡継ぎに適当なのがいなかったから臨時に過ぎない
巫女ではないな。 三足烏はエジプト神話に登場する
邪馬台国はエジプト >>973
別氏族ですかあ
まあそういう表現が無難かもしれませんね
でも日本の1300年の歴史の中で、
最初の200年間だけなんですよ
女性天皇が即位したのって
あとは今日まで18世紀に2人だけ
これはこれでミステリアスかな
まあ明治時代まで愛人オッケーもすごいけど そもそも対海國は「絶海の孤島」と記述されており
九州からも、朝鮮半島からも見え、
約100の島々で構成される対馬
とは違うわな 手塚治虫の火の鳥は
左翼思想がほんのりで
読んでて嫌になった やっぱり魏志倭人伝の記述通りの場所
つまりムー大陸があったんだよ >>977
だから学者が調査して弥生人の父系は縄文だって言っているんだから 稲作民族は女王が生まれるのは当然
村で一番偉いのはババアという世界
中国が牧畜文化から得た父権制度が封建制や律令制という
先進的な官僚システムと法律を産み出し
日本はそれを学んでいく過程で支配階層だけ父権的になっていった
農民は相変わらずババアが一番偉い世界 >>976
ミステリアスといえば継体帝な。
五世の孫とかどうよ!って感じで。
他に絶対誰かいただろ!と思う。
機内に来るのも時間がかかりすぎだし。
日本海沿いの海上貿易か、渤海との交易で財を成した有力氏族だったんじゃないか。
あの頃でもそんなミステリアスな皇継があるんだからな。 >>983
それから四道将軍で有名な景行帝。播磨地方とか山陽地方に伝承が多かった気もするし、出雲丹後地方と瀬戸内交易で優位にたっていたんだろうか
とか、天日鉾伝承との繋がりとかね。
もっと氏族関係はダイナミックだったと思うんだ。 そろそろ次スレよろ
>>983
それはもうほぼこの事件の核心と言っていいでしょう
壬申の乱の喪が明けたタイミングを見計らったのか
乙巳の変から続く一連の乗っ取り計画の総仕上げというか >>981
論文か調査結果あるか?
お前が理解してないだけで何か間違ってる
遺伝子調査の結果はこれ
日本人の父系遺伝子に占める縄文系の割合は3割 >>986
リンク先貼るとまた余所に行ってくださいになるから「父系」「縄文」で検索してみ?
毎日新聞の記事が出てくるから >>939
侵入経路ならいくらでもあっただろう
九州が一番近いとはいえ
https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201311/img/03_03.jpg
ヤマトとヤマタイが一緒って言うのは
山本浩二と山田久志の区別がつかないのと同じくらい無理があり過ぎる >>988
ではなぜ台与はタイヨではなくトヨと読むのか そろそろスレ終わりか(´・ω・`)
>>815の論文読んでみると、朝鮮南部の雑穀栽培は遼東方面からじゃなくて別
(沿海州かな)から伝播したことを示唆してる。論文は違う結論で書いてるが。
>>824
弓遵は戦死したのではなく、山陰で行方不明になったんだな。毛人に捕まってね。
通称は邪馬台国だけど、ほんとは邪馬壱国。ヤマイチ。邪馬国(佐賀熊本勢力)と
伊都国(福岡勢力)の連合国だよ。投馬国はドマ。これも連合国だけど、対馬とどっかだな。
んでも、ヤマトに拘りすぎ。九州は中国に近いだけで、当時としては九州を圧倒するぐらい
畿内方面の方が発展してた。王権とか戦争とかなく開発に沸き立ってたからね。 >>989
はあ?タイヨだけど
台湾をトワンと読むかね? >>987
なんか根本的に間違ってる。
そのニュースは「国史跡・青谷上寺地(かみじち)遺跡(鳥取市)で出土した弥生時代の大量の人骨」の解析結果が縄文系が多かったと言う話。
そもそも弥生系の父系は全て縄文人、と単純に特定できるわけもなし。割合の話だあね。 >>966
>伊勢の斎宮
時期的に神功皇后の時代だし、ヤマトタケルが伊勢で12代大王の妹で初代斎宮の叔母に剣と火打ち石を貰った頃だからどっちかじゃないかな まぁ古代において本拠地が移動するってちょっと考えにくいよね >>990
逆だと思う
九州は、漢委奴国王として200年近く大陸との交易を重ねていた
紛れも無い先進国
奈良は、親魏倭王として50年ぐらいしか倭王ではいられず
漢委奴国王の皇子の神武に軍事制圧されてしまった >>987
調べてみたら特定できたのは4体のみでC1が2体、Dが1、Oが1やん。その毎日のタイトル、明らかに間違ってるぜ?
↓ちゃんと読んだ?
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=2531&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1 >>54
天皇家の遺伝子はD系だって言うしチベット人もD系だって言うし
大陸を通って来たってのは科学的にはほぼ確定なんじゃ? 基本的なリテラシーの問題だ
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