パチプロ「田山幸憲」没後20年…「昭和のパチプロ」に話を聞いてみた [902666507]
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パチプロと呼ばれる職業がある。パチンコのプロ……文字通り、パチンコで常勝を目指し、勝つことで収入を得る人々である。
そんなパチプロの代表格と言われるのが、2001年に亡くなった田山幸憲氏だろう。東大を中退し、パチプロの道に足を踏み入れ1989年から10年以上に渡って『パチンコ必勝ガイド』で『田山幸憲のパチプロ日記』を連載。
プロと同時にパチンコライターの先駆け的な存在でもあった。
今年は田山氏の没後20年を迎える。田山氏が存命だった頃と今では、パチンコは大きく変わった。
残念ながら田山氏に「今のパチンコ」について話を聞くことはできない。だが、昭和から平成にかけてパチプロとして生きた元パチプロに、今のパチンコについて話を聞てみた。
話を聞いたのは筆者と旧知の仲である、元パチプロの大島照明さん(仮名・52歳)だ。
「まぁ、確かにパチンコだけで食い始めたのが昭和天皇が崩御するちょっと前だったから、ギリギリ昭和のパチプロと言えるかな(笑)。高校出てブラブラしてる時にパチンコ覚えてのめりこんで……。
なんとか勝たちたいと思っていろんな雑誌を読んだの。それで止め打ちやボーダーなんかを覚えてね。
当時、昭和63年〜平成初期なんて、今と違って回転とか大当たり回数を表示する機械もなかったから、回転数とか大当たりの回数を数えて打ってるヤツなんていなかった。
だから、回る台を選んでちゃんと打つだけでも、しっかり勝てた」
大島さんのスタイルは今でも通用する正統派のパチプロとでも言おうか。よい釘の台を徹底的に打ち込むことで期待収支を上げていくというものだったという。
当時のパチンコは狂乱の時代とでもいうほど、攻略法が溢れかえった時代でもある。大島さんも攻略法で稼いだという。
「中には大当たりを直接狙えるような攻略法もあったけど、手軽にできて効果抜群だったのは、連チャンを誘発する打法。
アタッカーをフルオープンさせるとか、ランプのタイミングで入賞させるとかね。
ボーダーを越える台を見つけて連チャン誘発打法をしっかりやれば、まず負けなかったね。
運悪くデジパチで負けたら羽根モノの釘を読んで良調整の台で負債を減らすこともできたのはデカかった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/392ce5a8d80e930ee18c246dc30c6cc3f8dcfd8e?page=1
>>1の続き
大島さんは当時を振り返って、こう語る。
「みんなどんぶり勘定してるところで、しっかり勘定するヤツが出てくればまず間違いなく儲けをだすことができる。
当時のパチンコって、店も客もどんぶり勘定だった。だから、自分みたいなのは稼げたんじゃないかな」
そのどんぶり勘定体質が、今や業界のクビを締めているのではあるが……。
20代をパチンコに捧げ、稼ぎ、享楽に浸った人生を歩んだ大島さんは、今から20年前の2001年、平成13年にプロとしてスッパリ足を洗い、父親の家業を継ぎ、パチンコとは距離を置いた。
足を洗った理由は「打てる台がどんどん無くなっていったから」だ。しかし、今でもパチンコは“嗜む程度”に打つという。
「どんな台が出てるのかチェックもするし、動画で打ち方もみたりするよ。
時間が空くとたまに打つけど、最近はホント、釘も渋いし大当たりしても1000発どころか300発くらいしか出ない。こんなんでどうやって勝つんだって。
大当たりして確変に入ればようやく1500発とか出るけど、そもそも大当たりの確率が1/300以上で、回る台でも1000円で20回くらいでしょ。
これだと大当たりしても通常に偏ったら、通常時を打つ時間が長くなって負けがデカくなりすぎてキツいし、確変引いても取り戻すのがキツい」
しかし、こんな時台でもプロとしてしっかり稼ぐ者たちがいるのも事実である。大島さんの目には彼ら“今のパチプロ”はどう映るのだろうか。
「今の若いコたちはすごいと思うよ。止め打ちとか捻り打ちでオーバー入賞させて玉を増やすんでしょ? オレが現役の頃もオーバー入賞狙いする打ち方はあったけど、今の台ほどシビアじゃなかったもん。
Youtubeなんかで捻り打ちとか、止め打ちの動画を見たことが何度かあるけど、完全に技術職だよね、あれは。オレらの頃以上にやってることは“プロ”だと思うよ」
大島さんは感心しきりといった様子で、今の時代にパチプロをしている者たちを賞賛する。その理由は「昔よりも厳しい状況なのに勝ち続ける」からだという。
(以下興味がある人はソースで) 大学の時上京ついでに池袋の山楽会館までお姿を拝見しに行ったっけな
ガラガラのシマで一人ポツンと羽根モノを打ってたっけ
仕事の邪魔はできないと声をかけることはできなかったが ぎるびぃとか池上とかねこプロ、若くして亡くなったライター結構いるね
万発はサロンで稼いでんだっけ LINE漫画で釘師サブやん読んでるけど、なかなか味わい深い 万発のサロン月額強気すぎるわw
そういやちょっと前つべのチャンネルで田山さんのことアツく語ってたな 昔から思ってたがランプのタイミングで入れるとか可能なのか?
素人からしたら無理ゲーとしか思えないんだが
あれはプロと詐欺グループがグルでやっている攻略法じゃないの >>2
>そもそも大当たりの確率が1/300以上で、
どうでもいいけど、これ「確率が1/300以下」が正しいんじゃないのか? フル稼働でパチ屋に入る利益が80%で打ち手は20%だったかな。どんなに頑張っても負けるのがパチンコなんだよな 市内どこのパチンコ屋に行っても店長や店員とつるんで儲けてる軍団がどこにもいて萎えた
そこまで知るのに10年かかった ガル憎が小生って使い始めた頃
俺はガイド信者だったなぁ
もう20年も経つのか >>24
換金率悪かったからな
玉なら2.5円が普通だった
等価の店は珍しいけど回らなすぎて閑古鳥だったよ コツコツ勝つスタイルが好きだったなあ
5000円勝ち12時退店とかあり得ない感覚 パチンコ必勝ガイドでプログラム解析やってる
クマちゃん先生との飲み雑談が面白かった 田山プロのお気に入り
ローリングマシンT(三共)
は大阪では見掛けた事が無かったな。 換金2.5円で14万の原付をパチンコで買ったあの時代
パチンコ屋にはパチプロ居たし
稼げた時代 パチプロやスロプロって、ガンとかで早死にする人多いよな、なんでやろう? 馬場のボッタク前で見たことあるような。。あれはそーだったのか。。 1000円で28回回る台がゴロゴロしてた
そりゃ負けんわ >>26
貴方は還元率80%の事を勘違いしてるんだと思うよ。 ハネモノ全盛期は常勝無敗みたいな感じだったけど最後の頃は負けてばっかでオカルトぽい事を言い出してたな 実際俺が30過ぎまでの4号機時代まではチョロかった >>42
打ち込み玉数と日当の計算ってのは
感覚的に間違ってないよ
店は客に還元できる予算ってのは決まってるからね この人基本的に波派だったよね、哲学的風なこと書くから理論派なイメージあるけど >>46
緻密なようでいて非常に人間臭いのが魅力だな
普通はパチプロなんて嫌われモンだからね デジタル全盛になっても一般電役とかばかり打ってたのは好感持てたな パターンの認識とか言ってたな
馬場のボッタクで見掛けたわ 金閣銀閣、銀閣は死んじゃたけどゲッツは頑張ってる
巨砲もまた頑張ってる >>57
銀閣はなんで死んじゃったの?
レスラーみたいな体格してたのに 東京に出て来た当初、池袋の山楽に田山プロを観に行ったよ 近所のおばちゃんでも勝ててたな
台をどついたら電気がビーと走って当たるという理論でw
お金を落としてくれるのは夕方から打つリーマン
稼働もよかった 手打ち時代の著書には色々と味のある登場人物がいてなかなか面白い 羽根モノ全盛期だったからなぁ
後半はナナシーばっか打ってた印象 田山さんは釘読みだけじゃなくて
結構オカルトな部分を
載せてたよな何千個入れたら出るとか
止まるとか >>57
何時しんだの?
つーか、西原の付き合ってた奴では鴨ちゃんに次いで二人目っつーことなの? >>64
アレ多分手打ち時代の裏玉補給とかそういうのから来てるんだと思う
昔もなかなかシビアだったみたいよ 羽根モノの釘読みは何故か平和の台だけできたな
基本ゲージは同じなのにな不思議だったわ スロ4号機の頃まではスロプロは俺の周りにもいたけど、パチプロはいなかったな
よくパチンコで食えるなって思うわ >>66
オカルト言ってたのは
電動の羽根物時代だよ
この台は何千個飲みこんだら出だすとか
2000個出たら止まるとかね >>70
そういう逸話が手打ち時代にもあるんだな
まあ芸風なのかも アキ台見つけても閉店までタコ粘りしないでサッサと切り上げて飲みの算段始めてしまう辺りにも美学みたいのを感じてしまう
まあプロだね >>72
田山さんは今日の酒代さえ稼げれば
いいってスタンスだったよね
東京で親が一軒家持ってて
死んだ時に売り払ってたから貯金は
結構あったんじゃね >>12
フィバーボルテックスとか大当たり後5秒以内に保留2つ付ければ100%連荘して1つだと50%連荘してた
連荘機なので自力連荘もするからかなり稼げた
高校時代この台で250のバイク買えたな >>73
どうなんだろうな
その辺はエンタメ外だから興味ないが >>40
2.5円交換&ラッキーナンバー無制限制は時間があるやつなら絶対勝てるシステムだったからな。
今の等価交換でのプロ生活は無理ゲー。 その辺のおばちゃんでも確変引けば山ほどドル箱積めた時代に気張ってた古風なパチプロすよね >>54
それは人に読ませるモノとしてマンネリ防止のため脚色として意識した苦肉の策だったと後に語っていたらしい
結果論であり完全なオカルトだが実践ではそういう事象にしばしば遭遇する
これだけ打ち込めば吐き出すはず
その台の波をさも読んで数値化し立ち回るというフォームを作る事で日記にボリューム感を持たせた >>81
主流は4円交換でしょ?
殆どの地域は組合で取り決められてたはず
スロは8枚が主流 東大中退という肩書きにカリスマ性があった
レールが敷かれたエリートコースから敢えて外れパチンコという攻略要素のある(当時は)機械に取り組む
勿論、店側が有利なのは言うまでもないがそれでも幾多の試行を重ね店の隙を突いて勝ち続ける、かといって他の客の迷惑にならぬよう平日昼間のみの活動とし調整の甘い機種を見つけても荒らすような真似はしない
そんなひょうひょうとした生き様が読者の共感を得ていたのだろう >>73
パチプロ日記の書き下ろしで競輪で毎月25万くらい使ってたって白状してたよね
>>80
お母さんが確定申告に行ってたって居酒屋無駄話で熊ちゃんにバラされてた 遊び人とはこうありたいものだ
という好例
イザとなるとなかなかムツカシイよな タラレバだけど田山氏が存命だったらすっかり変わってしまった今のパチンコ業界で食って行けてたのだろうか? 知り合いにも昔20年くらいやってたパチプロがいたがそいつはもっぱら出す気のある店の出す気のあるシマに行って回る台を腰が抜けるほどブン回すと言ってたな 本業のパチンコ業よりライター収入の方が多いのを気にかけていたようにも見えた >>92
そういうのはタダのガッツキで自己中の嫌われモン
要するにクズ >>1
池袋S店
縦の比較
シメシメルック
本日もケも無し
1250個落ちで食いついた
モデルオノ >>91
昔は新台入れ替えで新台に座りさえすればその日の負けはない、最悪でもチャラという時代があったからな
今もパチプロはいるんだろうがほとんどが集団でやってるからな
しかも台取りから遠征から稼働時間からキッチリ止め打ちまで当時とは情報も技術も機動力も違う
のんびり同じ店に根を下ろしてのらりくらりやって勝ち越せるような甘い状況ではないと思うな
ピンでやってたプロはほとんどがとっくに廃業してるし だからパチンコはもう終わり
粋な人がいなくなっちゃって何の面白味もない 収入をパチンコでのみというのはキツいだろうと思う
常時、勝ち組に居続けなければならないというのは現実的に考えても無理がある
客の勝ち負け比率はおおよそ5割が負け3割がチャラ2割が勝ちくらいだろうか 好きだったなあ
縦の比較という概念は普通ではない
さすが東大中退と思ったわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています