パチプロ「田山幸憲」没後20年…「昭和のパチプロ」に話を聞いてみた [902666507]
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パチプロと呼ばれる職業がある。パチンコのプロ……文字通り、パチンコで常勝を目指し、勝つことで収入を得る人々である。
そんなパチプロの代表格と言われるのが、2001年に亡くなった田山幸憲氏だろう。東大を中退し、パチプロの道に足を踏み入れ1989年から10年以上に渡って『パチンコ必勝ガイド』で『田山幸憲のパチプロ日記』を連載。
プロと同時にパチンコライターの先駆け的な存在でもあった。
今年は田山氏の没後20年を迎える。田山氏が存命だった頃と今では、パチンコは大きく変わった。
残念ながら田山氏に「今のパチンコ」について話を聞くことはできない。だが、昭和から平成にかけてパチプロとして生きた元パチプロに、今のパチンコについて話を聞てみた。
話を聞いたのは筆者と旧知の仲である、元パチプロの大島照明さん(仮名・52歳)だ。
「まぁ、確かにパチンコだけで食い始めたのが昭和天皇が崩御するちょっと前だったから、ギリギリ昭和のパチプロと言えるかな(笑)。高校出てブラブラしてる時にパチンコ覚えてのめりこんで……。
なんとか勝たちたいと思っていろんな雑誌を読んだの。それで止め打ちやボーダーなんかを覚えてね。
当時、昭和63年〜平成初期なんて、今と違って回転とか大当たり回数を表示する機械もなかったから、回転数とか大当たりの回数を数えて打ってるヤツなんていなかった。
だから、回る台を選んでちゃんと打つだけでも、しっかり勝てた」
大島さんのスタイルは今でも通用する正統派のパチプロとでも言おうか。よい釘の台を徹底的に打ち込むことで期待収支を上げていくというものだったという。
当時のパチンコは狂乱の時代とでもいうほど、攻略法が溢れかえった時代でもある。大島さんも攻略法で稼いだという。
「中には大当たりを直接狙えるような攻略法もあったけど、手軽にできて効果抜群だったのは、連チャンを誘発する打法。
アタッカーをフルオープンさせるとか、ランプのタイミングで入賞させるとかね。
ボーダーを越える台を見つけて連チャン誘発打法をしっかりやれば、まず負けなかったね。
運悪くデジパチで負けたら羽根モノの釘を読んで良調整の台で負債を減らすこともできたのはデカかった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/392ce5a8d80e930ee18c246dc30c6cc3f8dcfd8e?page=1
>>1の続き
大島さんは当時を振り返って、こう語る。
「みんなどんぶり勘定してるところで、しっかり勘定するヤツが出てくればまず間違いなく儲けをだすことができる。
当時のパチンコって、店も客もどんぶり勘定だった。だから、自分みたいなのは稼げたんじゃないかな」
そのどんぶり勘定体質が、今や業界のクビを締めているのではあるが……。
20代をパチンコに捧げ、稼ぎ、享楽に浸った人生を歩んだ大島さんは、今から20年前の2001年、平成13年にプロとしてスッパリ足を洗い、父親の家業を継ぎ、パチンコとは距離を置いた。
足を洗った理由は「打てる台がどんどん無くなっていったから」だ。しかし、今でもパチンコは“嗜む程度”に打つという。
「どんな台が出てるのかチェックもするし、動画で打ち方もみたりするよ。
時間が空くとたまに打つけど、最近はホント、釘も渋いし大当たりしても1000発どころか300発くらいしか出ない。こんなんでどうやって勝つんだって。
大当たりして確変に入ればようやく1500発とか出るけど、そもそも大当たりの確率が1/300以上で、回る台でも1000円で20回くらいでしょ。
これだと大当たりしても通常に偏ったら、通常時を打つ時間が長くなって負けがデカくなりすぎてキツいし、確変引いても取り戻すのがキツい」
しかし、こんな時台でもプロとしてしっかり稼ぐ者たちがいるのも事実である。大島さんの目には彼ら“今のパチプロ”はどう映るのだろうか。
「今の若いコたちはすごいと思うよ。止め打ちとか捻り打ちでオーバー入賞させて玉を増やすんでしょ? オレが現役の頃もオーバー入賞狙いする打ち方はあったけど、今の台ほどシビアじゃなかったもん。
Youtubeなんかで捻り打ちとか、止め打ちの動画を見たことが何度かあるけど、完全に技術職だよね、あれは。オレらの頃以上にやってることは“プロ”だと思うよ」
大島さんは感心しきりといった様子で、今の時代にパチプロをしている者たちを賞賛する。その理由は「昔よりも厳しい状況なのに勝ち続ける」からだという。
(以下興味がある人はソースで) 大学の時上京ついでに池袋の山楽会館までお姿を拝見しに行ったっけな
ガラガラのシマで一人ポツンと羽根モノを打ってたっけ
仕事の邪魔はできないと声をかけることはできなかったが ぎるびぃとか池上とかねこプロ、若くして亡くなったライター結構いるね
万発はサロンで稼いでんだっけ LINE漫画で釘師サブやん読んでるけど、なかなか味わい深い 万発のサロン月額強気すぎるわw
そういやちょっと前つべのチャンネルで田山さんのことアツく語ってたな 昔から思ってたがランプのタイミングで入れるとか可能なのか?
素人からしたら無理ゲーとしか思えないんだが
あれはプロと詐欺グループがグルでやっている攻略法じゃないの >>2
>そもそも大当たりの確率が1/300以上で、
どうでもいいけど、これ「確率が1/300以下」が正しいんじゃないのか? フル稼働でパチ屋に入る利益が80%で打ち手は20%だったかな。どんなに頑張っても負けるのがパチンコなんだよな 市内どこのパチンコ屋に行っても店長や店員とつるんで儲けてる軍団がどこにもいて萎えた
そこまで知るのに10年かかった ガル憎が小生って使い始めた頃
俺はガイド信者だったなぁ
もう20年も経つのか >>24
換金率悪かったからな
玉なら2.5円が普通だった
等価の店は珍しいけど回らなすぎて閑古鳥だったよ コツコツ勝つスタイルが好きだったなあ
5000円勝ち12時退店とかあり得ない感覚 パチンコ必勝ガイドでプログラム解析やってる
クマちゃん先生との飲み雑談が面白かった 田山プロのお気に入り
ローリングマシンT(三共)
は大阪では見掛けた事が無かったな。 換金2.5円で14万の原付をパチンコで買ったあの時代
パチンコ屋にはパチプロ居たし
稼げた時代 パチプロやスロプロって、ガンとかで早死にする人多いよな、なんでやろう? 馬場のボッタク前で見たことあるような。。あれはそーだったのか。。 1000円で28回回る台がゴロゴロしてた
そりゃ負けんわ >>26
貴方は還元率80%の事を勘違いしてるんだと思うよ。 ハネモノ全盛期は常勝無敗みたいな感じだったけど最後の頃は負けてばっかでオカルトぽい事を言い出してたな 実際俺が30過ぎまでの4号機時代まではチョロかった >>42
打ち込み玉数と日当の計算ってのは
感覚的に間違ってないよ
店は客に還元できる予算ってのは決まってるからね この人基本的に波派だったよね、哲学的風なこと書くから理論派なイメージあるけど >>46
緻密なようでいて非常に人間臭いのが魅力だな
普通はパチプロなんて嫌われモンだからね デジタル全盛になっても一般電役とかばかり打ってたのは好感持てたな パターンの認識とか言ってたな
馬場のボッタクで見掛けたわ 金閣銀閣、銀閣は死んじゃたけどゲッツは頑張ってる
巨砲もまた頑張ってる >>57
銀閣はなんで死んじゃったの?
レスラーみたいな体格してたのに 東京に出て来た当初、池袋の山楽に田山プロを観に行ったよ 近所のおばちゃんでも勝ててたな
台をどついたら電気がビーと走って当たるという理論でw
お金を落としてくれるのは夕方から打つリーマン
稼働もよかった 手打ち時代の著書には色々と味のある登場人物がいてなかなか面白い 羽根モノ全盛期だったからなぁ
後半はナナシーばっか打ってた印象 田山さんは釘読みだけじゃなくて
結構オカルトな部分を
載せてたよな何千個入れたら出るとか
止まるとか >>57
何時しんだの?
つーか、西原の付き合ってた奴では鴨ちゃんに次いで二人目っつーことなの? >>64
アレ多分手打ち時代の裏玉補給とかそういうのから来てるんだと思う
昔もなかなかシビアだったみたいよ 羽根モノの釘読みは何故か平和の台だけできたな
基本ゲージは同じなのにな不思議だったわ スロ4号機の頃まではスロプロは俺の周りにもいたけど、パチプロはいなかったな
よくパチンコで食えるなって思うわ >>66
オカルト言ってたのは
電動の羽根物時代だよ
この台は何千個飲みこんだら出だすとか
2000個出たら止まるとかね >>70
そういう逸話が手打ち時代にもあるんだな
まあ芸風なのかも アキ台見つけても閉店までタコ粘りしないでサッサと切り上げて飲みの算段始めてしまう辺りにも美学みたいのを感じてしまう
まあプロだね >>72
田山さんは今日の酒代さえ稼げれば
いいってスタンスだったよね
東京で親が一軒家持ってて
死んだ時に売り払ってたから貯金は
結構あったんじゃね >>12
フィバーボルテックスとか大当たり後5秒以内に保留2つ付ければ100%連荘して1つだと50%連荘してた
連荘機なので自力連荘もするからかなり稼げた
高校時代この台で250のバイク買えたな >>73
どうなんだろうな
その辺はエンタメ外だから興味ないが >>40
2.5円交換&ラッキーナンバー無制限制は時間があるやつなら絶対勝てるシステムだったからな。
今の等価交換でのプロ生活は無理ゲー。 その辺のおばちゃんでも確変引けば山ほどドル箱積めた時代に気張ってた古風なパチプロすよね >>54
それは人に読ませるモノとしてマンネリ防止のため脚色として意識した苦肉の策だったと後に語っていたらしい
結果論であり完全なオカルトだが実践ではそういう事象にしばしば遭遇する
これだけ打ち込めば吐き出すはず
その台の波をさも読んで数値化し立ち回るというフォームを作る事で日記にボリューム感を持たせた >>81
主流は4円交換でしょ?
殆どの地域は組合で取り決められてたはず
スロは8枚が主流 東大中退という肩書きにカリスマ性があった
レールが敷かれたエリートコースから敢えて外れパチンコという攻略要素のある(当時は)機械に取り組む
勿論、店側が有利なのは言うまでもないがそれでも幾多の試行を重ね店の隙を突いて勝ち続ける、かといって他の客の迷惑にならぬよう平日昼間のみの活動とし調整の甘い機種を見つけても荒らすような真似はしない
そんなひょうひょうとした生き様が読者の共感を得ていたのだろう >>73
パチプロ日記の書き下ろしで競輪で毎月25万くらい使ってたって白状してたよね
>>80
お母さんが確定申告に行ってたって居酒屋無駄話で熊ちゃんにバラされてた 遊び人とはこうありたいものだ
という好例
イザとなるとなかなかムツカシイよな タラレバだけど田山氏が存命だったらすっかり変わってしまった今のパチンコ業界で食って行けてたのだろうか? 知り合いにも昔20年くらいやってたパチプロがいたがそいつはもっぱら出す気のある店の出す気のあるシマに行って回る台を腰が抜けるほどブン回すと言ってたな 本業のパチンコ業よりライター収入の方が多いのを気にかけていたようにも見えた >>92
そういうのはタダのガッツキで自己中の嫌われモン
要するにクズ >>1
池袋S店
縦の比較
シメシメルック
本日もケも無し
1250個落ちで食いついた
モデルオノ >>91
昔は新台入れ替えで新台に座りさえすればその日の負けはない、最悪でもチャラという時代があったからな
今もパチプロはいるんだろうがほとんどが集団でやってるからな
しかも台取りから遠征から稼働時間からキッチリ止め打ちまで当時とは情報も技術も機動力も違う
のんびり同じ店に根を下ろしてのらりくらりやって勝ち越せるような甘い状況ではないと思うな
ピンでやってたプロはほとんどがとっくに廃業してるし だからパチンコはもう終わり
粋な人がいなくなっちゃって何の面白味もない 収入をパチンコでのみというのはキツいだろうと思う
常時、勝ち組に居続けなければならないというのは現実的に考えても無理がある
客の勝ち負け比率はおおよそ5割が負け3割がチャラ2割が勝ちくらいだろうか 好きだったなあ
縦の比較という概念は普通ではない
さすが東大中退と思ったわ 毎日遊んで飲んで幸せだったろ。パチプロにしてはいい人生 この人が死ぬ直前まで好んで打っていた台がナナシー。
そして亡くなった日が七月四日。
これには運命を感じたわ。 昔からある高確率台でも今は
エグい振り幅を見せるのでボーダーの成立すら運次第に 今のパチンコは演出長すぎでイライラする
5分ぐらい延々と激アツ続けて外れるんだが この頃は攻略マガジンはベンツ小林が派手で有名だったけど、やはり田山さんの方が地味で硬い打ち方や文章も好きだった。
派手さはなかったが、プロ故の苦悩も感じられた。 あの玉詰まりばかり起こす仏壇筐体とステップアップの連続で延々と見せられる演出は勘弁してほしいわ
あれなら流石に飽きたが海の方がずっとマシだ >>86
当時(30年前)は組合と店舗も揉めてて2・5円だったよ
と言うか取り決めが7・9交換でそれを破る店舗が等価だった気がする
BY大阪 >>92
開店、イベントプロじゃないの?
誰からも嫌われてるよw ゴト師か効果的な攻略法でもなければ、遠隔で狙われてそれで終わるよ >>113
田山プロがやってた東京は違うな
3円いくつかだったよ
昔から地域によって違う
北陸なんかは昔から等価だし >>114
当時、プロとしてやってた奴はほぼ全員がそうだよ
釘を見切り台の癖を読み切り正確なストロークだけで食ってる奴なんて見た事も聞いた事もない
セブン機が出る前にはいたかもしれないが 安田プロがフルパンで誌面デビューした時は衝撃が走ったよな 安田プロをググったらすっかりおじいちゃんになってて
悲しくなったわ
ま、自分もだけど パチプロなんてパチンコで儲けることが出来ると馬鹿に錯覚させるためのやらせだろ?
実際マジでそう錯覚してる奴をたまに5chで見るけど何だろうねあいつら
つべにも自称パチプロがいるけどああいうのも同じ類なんだろうな ローリングマシーンかな?池袋で並んで打った事あるよ 大阪だけど、シグマとか居たね
朝のモーニングタイムで当たると無制限になるから、当たって粘れば期待値はプラスってことだろうけど、
普通に仕事した方がマシなレベルだったような
底辺臭というか、世捨て人っぽくて、あんまり関わりたくなかっだけど 4号機時代は雑誌で情報を得て、完璧じゃなくても目押しが出来れば誰でも勝てそうなくらい勝ちやすかったので、荒稼ぎしてるプロも居たね。打ち子雇ってとか >>116
田山さんが引っ越し後行ってたB店は2.25円くらい
「プロは等価に近づくほど嬉しい」って日記序盤で言ってたけどね トイレ借りにパチンコ店に行くけど今の店はきれいだよね
アナウンスとか爆裂台の札とかも無くて上品になった 田山が連載してた日記に感化されて、パチプロの道に入った奴が相当数いる
そいつらは今、廃人のように細々とパチプロを続けてるか、食えなくてミジメな派遣労働などやってるか、自殺したかのいずれかだろうな・・・
田山の罪は重いよ・・・ >>122
儲ける自信はあるよ
ただ長く生活していく自信は無いわ 4号期のイベント回りやストック機での立ち回りやら朝からスロ行くほうがよっぽど稼げるのに思いながら悔しい日々だったけどあのとき公務員やめんでよかったわ 検索したら、安田一彦プロがまだ現役だということが分かった
やっぱりまともな人は残るんだな >>128
田山さんは現役当時さえ、もはや勝負を度外視をした立ち回りをしてたのにw
あれに感化されるなんてないない(´・ω・`) 確かに昔は真剣にやれば勝てた
今はどうなってるかは20年は打ってないから知らないけど 田山氏なんか連載や本の印税で細々食えてただけだろあんなオカルト立ち回りで >>132
ファンキードクターの時短捨てて競輪場行ったりしてたよな 晩年はもはや日記の連載を書くためにノルマ的に打ちに行ってる状態だと
本人が書いてたからな >>134
やめ時にしてただけでボーダーを一番重要視してただろ
等価で17/kのナナシー延々打ってた 担当はルーシー石橋だったよな?
今、何やってんだろ? >>128
んでも田山はパチプロなんてパチンコしかできないような人間のクズがやるものって事あるごとに言ってた気がする 池袋のSが、どこなのか
ずっと気になってて
ある日、山楽と知ることができて
うれしかった。けど、知ってしまったら
ありがたみがなくなったのは
なぜだろう。 >>128
石橋達也のボーダー理論に安田一彦の実戦立ち回りが、食う為のパチンコにはバイブル的な立ち位置だったと思う まさかの田山スレw
ガイドの日記はたまに読んでたけどけっこう面白かったな。
でも晩年は日記のネタのために嫌々打ってたみたいな感じだったけど。
それよりも昼間から飲む酒が楽しみだったようだね。
典型的なダメ人間だw ロスジェネが夢みてライター目指したけどwwwよくてショッカー止まり パチプロならビジュアールエイジは好きだったが廃業したのかな 雑誌で出た攻略法がしばらく使えた時代だったからなあ 10年くらいガイド買ってたけど最後は田山さんのパチプロ日記見る為に買ってたようなもんだったな。
今はホルコンで徹底的に管理されてるからパチプロなんてまず無理。特に田山さんがやってたみたいなジグマはほぼ絶滅 パールセブンいぶし銀攻略法の頃からガイド買ってたわ >>156
>>田山さんのパチプロ日記見る為に買ってたようなもん
そんな奴おらへんやろ
謎の嘘乙 昭和のトップパチプロは年収1億以上だった
マンション久保田が勝どきのタワマン1棟を25億で買ったのは有名 >>160
最初は攻略法と新台のデータが欲しいから勝ってて1日5千円くらいしか稼げない田山のことをバカにしてた。だけど最後は
主に日記見るために買うことにw 学生プロにはだし小僧、後半はのっぽ君とか革ジャンとか
独り黙々と打つ時もあっただろうけど、若者とワイワイと楽しんでいた時も
一度でいいから酒の席でご一緒させてもらいたかったわ フィーバーパワフル打ってた頃までは面白かったね
舌癌からはグダグダ 昔は良かったな
パチンコの開店待ち、前の喫茶店で朝食取りながら今日は俺がこの台打つよと許可取って打つ
全員勝ち組だから僻みもひねくれ者もいない
〇〇さん競馬でまた負けか?これも打つ?とか
今は仲間ですら敵だ、みたいなハイエナ心丸だしだしな そもそもテレビで出てくるような自称プロみたいな奴の収支はデマばかりだぞ
しのけんだって全6入れるイベに来て南国とか見てて6まるわかり台をキープして他の台が6じゃなければ0止めして流して帰る
リアルで知ってる奴ならそんな打ち方で年大きく勝てない事は知っている
その他のテレビ出てるプロの知り合いいるけど、人が打ってた状況と今日の設定状況どんなもんだったか教えてよ
教えてあげるとまるで自分で打ってたみたいに語り出す
そういう仕事だから別に構わないが
テレビ出てる、雑誌のプロ、こいつらは勝てないからリアルプロ止めて打たないプロになっただけ
そういう中にもめちゃ上手いプロがいないわけではないけど >>156
見るためにとまではいかないけど最初に開くページだった 舌癌の検査の話で、舌をパンチみたいのでバチーンと
穴開けるんだが、それが目から火花が出るほど痛い
みたいな文を読んで心底震えた
今でも舌癌と言うと田山さんの怖い文章が思い浮かぶ たしかこの人、舌癌になっても「口の中を消毒だあ」と言って酒もタバコもやめなかったバカだった >>91
言い方悪いけど良い時期に亡くなられたと思う。
今のパチの惨状見るととてもじゃないが、あのパチプロスタイルでは無理だと思うな。 >>163
億ってことは日給30万かよ
攻略プロ且つ、それだけだすと毎回店と揉めるぞ 90年代は楽しかったな
モンスターハウス、ギンパラ、源さん 本業のパチンコ(パチンコ文筆)では人並みに稼いでも、遊びの競輪で実家売却したんだからやっぱりダメな人だわ。
でも文章は読ませるんだよなぁ。 >>163
1日30万
等価交換で75000発
10−23時営業の11時間営業中1分間に上限の100発ずつ打ち続けるとして66000発
合計141000発の出玉を11時間で得るには1時間辺り13000発
当時の大当り3000発として薬物4.5回
一回の大当たり10分とすると45分
つまり当たってない時間ほとんど無いって事だ
すごいね
m9(^Д^)プギャー 日曜日のフジテレビの番組は良かったね。パチスロライターのやつ
2週続けて観ちゃった 田山プロ
溝ノ口と桜新町で打っていたころは覚えてるかな
フィーバーパワフルV 10500円ルールとか… >>113
大阪は7.5枚だったんじゃなかったか?
当時大阪まで遊びに行った時それくらいだったような >>147
名波誠は車中泊じゃなくて健康ランド生活 >>159
頭がお花畑の人は幸せだよ
ある意味、羨ましいわ 5年くらいプロやってたけど毎日研究しないといけないし朝から夜までずっとやってると体がきついし、その割に収入そんなによくない
リーマンで年収1000万の今のほうがいい >>185
時間拘束が長すぎる
ギャンブルなんて1時間で何マンも勝てなきゃギャンブルの意味がない
一日中稼働してるようなギャンブルはただの労働だw >>178
マジなの?w笑う
パチプってギャンブルジャンキーだからプロだとか娯楽打ちとか言い訳してやめられないんだよ 日給10万のスロプはいたな
毎日台番をチェックしてサイトで差枚も監視してたから間違いない
月に200万は稼いでた
カップルだから年収4800万税金なしだからサラリーマン換算なら1億あるんじゃないか?
後でプロから聴いたら店員とつるんでた
そこの店に変えてもそんなやつばっかだったな >>189
そうならグルの店員に半分以上ピンハネされてたんじゃないかなあ
結局ただの打ち子ってことだから 昔は釘の見方で変わったけど
今は電子化で確率変えれるようだし
運しだいに感じる
しらんけど この人の連載読んでたけど「こんな風にはなりたくないな」って反面教師にしてたな
セブン機メインになってからはつまらなくて読んでないわ でもパチプロの年収1000万円は
年金や保健税納めた後は、丸々自分のものですからね
基本的に脱税してるからwwwwww 東大入試を突破する学力があっても中退してこういう生き方もあるんだとショックは受けたなあ >>181
田山がナカノ羽モノ打ちに来た時はウザかったなぁ 昔より技術や知識持ってる奴等が増えすぎて終わった業界だよね
先行逃げ切り出来た幸運な人達に憧れてこの業界入った若者はほんと可哀想 晩年、中国人の女に貢いでたのは切なかったけど、敢えてそれを許した仲間たちの友情も感慨深かった >>11
万発さんの後ろにいるブレーンが色々やってるっぽいね >>191
そうだわ
半分折半
年収5000マンだな カップルで >>169
しのけんは一時期、7枚交換のグリーンピースで設定判別法やってたようなぼんくらだからな
高設定を掴むまで幾らかかるんだって話 >>96
店にもよるから何とも言えないけど。新台入荷といえど何割かはハズレ台あったぞ
どんだけ打っても吸われるだけのな
もちろん他の台は箱積んでるけど >>182
思い出した
組合推奨が7・6だわ
んで8枚とかもあって
等価の店は組合ガン無視すげえなwwwみたいな流れだった むかしパチンコ梁山泊ってゴト師集団をテレビ番組で崇めてたよな 地方は2.33円じゃなかった?
新装なんてたまにしかなくて抽選入場でもないから入り乱れてタバコで確保する人とそれを投げ捨てて座る人とカオスだった 地方は2.5円だろ
景品交換手数料のある三重は知らん >>212
神奈川県は、2円〜2.5円
東京は2円〜3.33円
1990年代はこれぐらいだった 端数鬼カットな店だったのかも
三重という名前が出て思い出したけどなぜかパチスロが禁止だったよね スロ1.0号機1.5号機は等価1回交換は主体
0号機は目押しで揃えられたと機種もあったとプロから聞いた
1.5号機の途中から7枚交換で無制限の店が増えてきた
プロは17時以降は入店禁止とか店によってマイルールがあったな パチンコ屋にいる40代後半から50代の奴なら当時を知っているだろう
当時は中学1生からパチンコ打てたから >>163
信じてんの?
頭お花畑?
ただのバカ? パチンコの演出タイミングなどをプログラムする友人がいたが話しを聞くとパチンコて凄く考えられた機械なんだよな
新台とか次々と出るがエンジニアも大変だろうな >>209
基本7.6だったな
大阪駅前ビルの店は8枚かつストック消しかつほかの客による目押し禁止
データ表示器も無かったのでやりたい放題だ
今はCUBAって名前になってるその店は吉宗でビジ中7揃い→通常画面とか平気でかましてた
パチスロって設定1より下が無いのが良いところだと思ってたけどあるんだよ
ちなみにパチは梅田あたりだと2.1が大半だったな
今はCUBAになっている某桜橋会館はそれでも羽物の1チャッカーの命釘に玉が引っかかる調整だったけどな
関東に出向いて等価のパチに知らずに座って2000個が8000円になったとき
あれ…換金所のおばちゃん間違えたん?とか思った >>218
同意
80発200円換金の時代は良かったわ
持ち玉ボーダーの5割増とかよくあった
あとはひたすら持ち玉で粘るだけ 大阪2.5円時代の時には、どこでも同じだと思ってたけど、出張先の千葉で換金したら等価だったので、びっくりした
その分、へそ、チャッカーはガン締めだったけど、田舎で客も少ないから、こんなもんかと思って打ってたけど 仕事帰りに初めての店で権利物のミルキーバー打ったら500円から当たり来て無制限だから10時まで粘ったら当時の手取りの半分も出た
昔は出玉の払い出しが遅かったから終わってから暫くジャラジャラやってたな
CRになってから興味無くしてやめた CR登場で足洗った
あんなハイリスクの運ゲーじゃコンスタントに勝てない 南北朝鮮がでかいツラし始めた頃からパチンコはやめた >>224
キューティバニーで1日14万位換金したな2.25円位でLN制だったから忙しかったわ
4連チャン(12回当たり)を4回したけど攻略法(最終アタッカーに10個以上だったか)なきゃ成立しない連チャンだった >>208
当たり終了最後にブッブーという音がムカつく >>146
全国誌でパラダイスとか紹介すりゃ旨味が無くなるんだよな
20年前長崎県は結構甘かったけどね 羽に乗れば必ずVに入る羽根物
1k/1000ぐらい回るデジパチ
1/5の一発台で1000円役物内に玉が5個は入る台
こんな台が当たり前にある時代
今では信じられんだろうが、これが現実だったんだ
スリープパート3て台で朝から閉店まで打って2回しか大当りしなかったがそれでもギリ+だった パチンコもギャンブルみたいなもんだけど
ガチの公営ギャンブルに手を出して身を崩す人って多いんだろうなあ。
有名どころでは徳光さんに蛭子さん、坂上忍辺りか。
何か人を狂わせる魔力があるんだろうねえ。 晩年の日記では桜新町でナナシーばっかり打ってたなあ。
ナナシ―、オークス、マジカルランプなどの一般電役も好きだったなあ。
特に豊丸の台がセンス良かったと思う。ドラゴン伝説とかUFO伝説なんかも。 >>219
海物語の元になったギンパラを開発した社員は新台のアイデアが出なくて困ってて、
気分転換に行った水族館でコレだ!と閃いたらしい。
そのネタが今でも現役なんだから凄いよね。 >>231
その有名どころの芸能人はそれネタに芸能人やってるからそうでもないんじゃない?
徳光さんなんて競馬関係の仕事だけで数十億円稼げている
有名どころだと関口 房朗とかかな?競馬の損失額は1000億円越えているだろう
馬券で負けているわけではないが
馬券で身を滅ぼすのは普通の一般人だけな、身の丈にあった100円買いにしておけば良いのに
10万50万賭けていつの間にか家も貯金もなくなって給料は全て借金返済
返済する予定の金も賭けて落馬で外れ
生涯賃金を全て賭けて夜逃げでホームレス
こういうの東京競馬場とかに行くと下にいっぱいいるぞ 昔は低換金だったし、釘にメリハリがあったからね
運の要素が低く、釘見だけで勝負できたしボーダー理論もその産物
攻略法も次々と発覚して稼げる奴は本当に稼げた時代
田山氏はオカルトも多分に入ってたけど、基本は正攻法 >>232
三星の台が好きだった
スクランブル、小籠包、オークス
5年前位にオークスの復刻台は打ったけどリーチが秀逸 >>11
大崎一万発てガイドの編集長じゃなかったっけ!?
ライター時代もあったが、目立った活躍何てしてたっけ 銀玉親方
グレート巨砲
負男
ポロリ
木村魚拓
ヅラプロ森藤
ドラゴン広石
アニマルかつみ
ガル僧
ういち
中武一日二膳
コホ
無道X
安田プロ
田山プロ 昔は勝てたというより傷モノで攻略可能だったからな
プロ連中は殆どこれ
ボーダープロは運の要素がデカすぎる 等価になると遊んだ分だけ負ける釘しかなさそうだから、打ってもつまらなくなったね。出玉もしょぼいし
低換金の店もあの時代だから何となく打てたけど、今だと軍団とかパチニートに粘られて上手くいかないかもね >>199
こういうやつが一番美味しい時代があったな。給料と打ち子からの上がり二重とり >>224
払い出しが速いんじゃなくて出玉が減ってんだぜ >>163
攻略法全盛期でも1億超えたプロなんて聞いた事ない
釘読みの正攻法なら尚更 1はぱよちんアナキストでサイコパス厨房でエラが張ったチンパンブタ顔で細いツリ目でヤフーニコニコア
メーバチェイルチョソンパンチョッパリニュースを閲覧しながらチャラチャラした在日僑胞男 >>243
そりゃあボーダーの台なら運任せになるだろ
最低でも+5、+7〜8回の台ならむちゃくちゃ収支は安定する >>247
AT全盛期に八王子軍団のリーダーは
確か家建てたよな4千万か45000万だったかノリ打ちとガックンチェックを
世に広めた人 >>250
スロの4号機時代なら
俺でも年間収支+1000万円以上が6年は続いた
周りには+2000万円って奴も居た
まあ政令指定都市だったけど
人口減少で衰退中の街だったから
ここら辺が精一杯 >>250
名古屋だけど普通にみんなマンション買ってたわ
俺は馬鹿だから毎日のように外食して週3でソープやヘルスに通って軽く500人の女は抱いたなあ
もちろん普通にお見合いパーティにも行って知ろうととも付き合ってた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています