比叡山焼き打ちは1571(元亀2)年9月12日、浅井・朝倉連合軍と組んだ延暦寺を、信長が大軍で攻めた出来事。延暦寺は
1992年に境内の国宝殿横に鎮魂塚を設けて以来、毎年焼き打ちの犠牲者とともに信長や戦没者の霊を殉難者として供養してきた。


 今年は宗祖最澄の1200年大遠忌にもあたり、信長の子孫、織田茂和氏(43)と、焼き打ちに関わった光秀の子孫、
明智憲三郎氏(74)も招いた。阿弥陀堂で慰霊法要を行い、鎮魂塚も訪れて静かに手を合わせた。


 延暦寺の水尾寂芳執行は法要後、最澄が遺した「怨[うら]みをもって怨みに報ゆれば、怨みは止まず。徳をもって
怨みに報ゆれば、怨みはすなわち尽[つ]く」との言葉を紹介。「宗祖の言葉によって鎮魂塚が築かれた。
その当事者の末裔にお越しいただいて大変よかった。新しい関係が始まればと願っている」と語った。


 また水尾氏は焼き打ちの歴史について「襲った方々もその後、豊臣に、徳川に敗れた。ただ比叡山は豊臣、
徳川家によって復興されたことを思うと、怨親は定まったものではないとつくづく思う」と語った。

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