毒蝮三太夫「玉音放送は嬉しくてたまらなかった」 [811571704]
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「ウレシくてたまらなかった」9歳で聞いた玉音放送 毒蝮三太夫が語り継ぐ戦争の悲劇
日本がアメリカに敗戦した昭和20年(1945年)8月15日、俺は9歳だった。空襲に
焼けただれた東京を離れ、親父の実家があった神奈川県戸塚の汲沢(ぐみざわ)という処に
疎開していた。そこでラジオから流れる玉音放送を聞いたんだ。
9歳の俺にはラジオから流れる言葉が難しくて詳しくはわからなかったけど、戦争が
終わったことを伝えてのは理解できた。周りの大人たちは溜息まじりにどよめいたり、
泣いてる人もいたりして、只ならぬ重たい空気になっていたっけ。
その時の俺はさ、ウレシくてたまらなかったんだ。これで戦争はおしまい、空襲はもうやってこない、
焼夷弾を落とされ、街や家を焼かれて、熱くて痛くてヘトヘトになって逃げ回る惨めな思いを
しなくていい…、そう思えて跳び上がりたいぐらいだった。
でも周りを見たらその喜びを表に出せる空気じゃなかったからさ、黙ってじっとしていたよ。
俺が戦争でいちばん悲惨な思いをさせられたのが昭和20年5月24日、25日の城南大空襲だ。
山の手大空襲とも呼ばれたこの空襲で、B29が500機も襲来した。24日には762人、25日には
3651の人が殺されてしまった。
24日の深夜に始まった大空襲で、俺は夜を徹しておふくろと逃げ回った。
そうして空襲がようやく去って朝が来て、焼けた家の方に向かって歩いていく途中、
道端のそこらじゅうに死体が転がっているのを見たよ。しつこい焼夷弾の消火に追われるうちに
逃げ切れず炎に巻かれてしまった死体、爆風に吹き飛ばされて首の無い死体、手の無い死体、
そういうのがごろごろしてた。
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全文はソース参照下さい そりゃそうだろ
そもそもアメリカが民間人露骨に殺しにくるとは誰も思ってなかっただろうて 思い出補正だよな
ほとんどの人は何言ってるか聞こえなかったとか >>3
なんかありがたい御言葉でなんとなく戦争が負けたっぽいと村一番の秀才が言ってた >>3
俺も聞いたけど、
戦争に負けたんだってのはわかった。
9歳では空襲が無くなるとは理解出来ないと思う。
後からの感想が入ってると思う。 >>3
小学校の時に居た爺さん先生は、玉音放送を聞いたって言ってた。
聞いても全く意味不明だったと。 >>7
雰囲気で大体わかるだろ。
アメリカが降参しました、なんてありえないし 9歳だろ
何も知らないガキなんだからそりゃそうだろ
戦争体験談を残そうつってもそれ語ってるジジイババアのほとんどが
ガキの頃の疎開の話ばっかりじゃねえか
そんな逃げてただけの話になんの意味があるんだよ >>12
耐え難きを耐え忍び難きを忍び
で大体察するだろ 大空襲や原爆投下を指揮した人を日本政府が表彰したときどう思ったんすか? 少年Hとか、戦後サヨクの思い出補正で
あり得ない内容だって言われてたよな。
敗戦したら鬼畜米兵の奴隷にされたり、殺されるかもしれないのに
嬉しいとかないだろ。
玉音放送の時点では、まさか、米兵がチョコレートくれるとは想像だに出来ないだろ。 戦争中はとにかく敵国に虐殺されまくってたんですよね…そんな時に政府が降伏宣言をしたんですね
私はそれがもう嬉しくてたまらなかった、これからは逃げ回ったり殺される心配をしなくて済むと思った
こういう書き方だとお前らどう思う? 内容は分からなくても大人のリアクションを見れてば察するんじゃないかな。
手塚治虫も戦争が終わったから好きな漫画が思い切り描けると喜んだそうだね。 降伏相手がタリバンだったら今生きていられたのかな? 一般人でガキならまあそう思うわな
いつくるかわからん恐怖からは解放されるし… >>23
それあとからの創作
当時の日記には敗戦が悔しくて涙が出たというようなことが書いてある >>25
子供の頭じゃその後どうなるとか想像できないしな ところで、開戦当時の一般市民の感情を記事や聞き取りで調査してる人がいて
殆どの人が、死ぬかも知れないけどスッキリした
だったそうだ
当時の閉塞感に対してそれ程ヤケクソになってたらしい 敗戦後に塗り込められた嘘だな。
終戦とともに敵兵が流れ込んできて虐殺略奪が起こると考えて恐怖するのがふつうだろ。 この人は在日朝鮮系の人なの?
テレビで見た時、かなり朝鮮半島よりの発言しててびっくりした >>3
当時はあれ聞いて
よくわからずに日本がまた戦果あげた報告なんだと思った人多かったらしい 将校やら憲兵やら威張ってた人等にとってはヤヴァイ事態だけどな・・・ >>16
当時の放送設備とかラジオの性能がねえ
あれ受信した音声じゃないし
聞き取れるのはラジオを聞きなれてる大人ぐらいだよ コロナ版玉音放送ともいえる五輪開催で、コロナから解放されて嬉しくてたまらなかったよ。俺も 当時ガキで今は記憶がおぼろげな老人の話なんか聞かせるより
アフガン帰りの米兵やアフガン、イラクの人連れてきて話しをしてもらった方いいんじゃないの 最初はプライドの張り合いで最後も「このまま無条件降伏なんて出来ない」ってメンツのみ ウルトラマンでバルタン星人に乗り移られた後で気を失なう演技が地味にうまかった >>43
大人ですら理解できなかったって人もいたくらいだしな 何を言ってるかは分からなかったけど
「これから天皇の玉音放送です」アナウンスあった後にあのテンションで喋られたら
あー負けたんだなーってわかるんじゃね >>3
ほとんどが分からなかった。
アレけっこう長いし。
放送後、役所とかそういう所から知らされて敗戦を知ったんだって。 >>19
まぁルメイは一応空自設立に尽力したから… ネトウヨって戦争の悲惨さを伝える話しを極度に嫌うよね
弱虫なクズほど暗い現実や見たくない現実は見たがらない 学校に玉音放送のレコードがあったので聞かせて貰った事はあるな。 横溝正史なんかは岡山に疎開した当初から、「敗戦して当然」てのが顔に出てたらしくて
地元民に「イヤな人が来たもんじゃなあと思ったわい」と言われたそうな
終戦を迎えるや、心の中で快哉を叫んでさっそく原稿に取り掛かり、嫁に呆れられたんだと >>53
すぐ"ネトウヨ"とか言って特別な奴らが言ってると思い込む方が現実見てないんじゃね 「あーよかったよかった、遅すぎるわ!」
というのが大半の気持ち >>57
別に君のことをネトウヨと言ったつもりないけど、どうしたの? >>61
?
別に言われたつもりも無いよ?
ただ突っ込んだだけだけど5chは初めてか? >>3
今の役所の緊急放送ですらロクに聞き取れんのに
当時の内容が聞き取れて理解できたのなんてごく一部だよ
5年くらい前に原盤公開されたけどそれでも聞き取りづらいんだから
通知が来たから敗戦を知ったってのが実情
思い出補正で玉音放送聞きながら悔しさを知った風になっちゃってる そこから黒人奴隷と同じ運命辿る可能性もあったのにな 聞き取れないから、大変なことが起こった!くらいにしか思わなかったな
同僚は短波ラジオで株価聞いてて、株に興味があったから俺も聞いてみたけど、何言ってるのかさっぱりわからなかった >>3
人間の可聴域20Hz〜20,000Hzを超える高周波だったらしいよ 耐ヘ難キヲ耐ヘ、忍ビ難キヲ、忍ビ
押サバ押セ、引カバ押セ
どっちかって言うと最期まで立ち向かえ的に聞こえるんだが
昔の人はすごいよね >>16
耐え難きを耐え忍び難きを忍び苦難の末漸くここに勝利を手にする事が出来た。 何言ってるか分からないけど悲しい、って話しか聞かないけど。 空の色は何色だったか
君は泣いたことがあるか
何があったのか
親の愛を感じたことはあるか 玉音放送の後に、改めてアナウンサーによる読み上げと解説があったと聞くが、大概はこちらで意味を理解したんじゃなかろうか >>3
何度も言ってますけど、放送後にNHKによる解説がありましたので聞いていた人は皆理解できたはずです 嘘情報ニュースで日本は連勝続きを報じてそれをガチで信じてる国民だらけだったんだから
敗戦したなんて放送聴いても理解してないの殆どだろ
余程周りに情勢がヤバい事を感じてた奴以外は >>70
ワンコが沢山ラジオの前に集まってきたらしいな。 玉音放送で多くの日本人が打ちひしがれてるときに
共産主義者(朝鮮人多数w)だけ喜んでて天皇を処刑しろ
皇后をxxxしろってアジ演説やってたらしいからなw >>63
役所の緊急放送「耐え難きを耐えーたえーたえー」「忍び難きを忍びーしのびーしのびー」 いや、ソ連が進駐してきたら毒蝮の前の前で
お姉さん・妹がレイプされるの見るところだった
だぜ?アメリカ兵どころの騒ぎじゃない。
帰国しようとした日本人にソ連は何をした?
現実としてもレイプ祭りになったわけだし。
少年の時に、人の悪意・強欲をそこまで想像
できなかったのはしょうがないけど、老人に
なっても理解していないってのは流石は芸人
頭が悪いにもほどがある。
当時思ったのはいいけど、今話すならもう一言
ないといけないだろう。 >>84
さすが陛下の御稜威は犬猫までもあまねく広まっているな (;`・ω・) よく分からなかったけれど、正直不安しかなかったな。 負けた相手がアメリカだったから、まだ良かったな
中国やロシアだったらこれからが地獄だった 分からんぞ。
日本民主主義人民共和国となって、今頃はアメリカ、中国と三つ巴で覇権を争っているかもしれん。
皇族は全員処刑、安倍は最下層だろうが、竹中は取り入ってやっぱり政権中枢にいそうだ。 >>90
人によるだろう
これから鬼畜米英にどんな酷い仕打ちをされるのか
と不安になる人だっていただろうし
半藤一利なんかはそうだったらしい その嬉しさがまた電通になって時代を超えて別枠で戦争が起こる よく解読すると、負けても日本軍部は悪くない殺したのはアメリカだと念を押すように言っとるなぁ。 >>3
うちのおばあちゃん曰く
お昼に校庭集まれって言われて「なに言うんやろね?」「どうせまた一丸になって頑張れとか言うんちゃう?」
とか友達と話しながら集まったらしい
で、放送が始まっても雑音で何言ってるのかわからなかったんだと
そのうちに誰かが「なんか戦争終わったらしいで」て言われてやっと理解したらしい >>53
無意味なんだよ。
死体の山を見てきた層が「癌と告知されたから自殺するニダ」
「告知で鬱病になったから治療が進まないニダ」
「預金は絶対に死ぬまで手放さいニダ」
「親の遺産は兄弟にだって誰にも渡さんニダ」
こんなんよ。
語ったところで、バカにしかならん >>104
そりゃ国内向けの放送だし
当時彼らが最も恐れたの内乱状態に
突入する事だったわけで >>56
でも色んな人が話をしに来てくれてそれが八つ墓村誕生に繋がった >>106
はだしのゲンと同じ感じか。
子供には何言ってるか分からなくて大人が泣き出して理解した。 >>107
そそ、普通なら、人間いつ死ぬか判らん悟って、何事にも寛大で朗らかになるはずが
飯塚幸三さえ産んでしまった戦争 こういう記憶ってその後見たテレビとか戦後教育の影響で徐々に作られてる可能性が高いよな うちの婆さんも中学生くらいやったらしいけど、まず最初はショックあったけど、そのあとすぐ学徒動員終わるって思って嬉しかったって言うてたな 日本が戦争しなければ平和だったなんて簡単な問題じゃないのに人が集まると左翼アジを繰り返す爺さん >>104
そうだよ
「世界征服なんかするわけないだろ馬鹿」と、傲慢な連合国におっしゃっている
後にマッカーサーも玉音放送が正しかったと知ることになる >>96
外地ではロシア占領地域に住んでた人は生き地獄だったらしい
中国占領地域に住んでた人はまだマシ 今風に言えば
韓流を喜んで受け入れる少年少女と、それを歯軋りして眺めるネトウヨおじさん
の間にあるようなジェネレーションギャップがあの時代にもあったと。 月金毎日(ゆうゆうワイド)→金曜のみ週1(生活は踊る→金曜たまむすび)までは聞いてたが
まだやってるの?マムちゃんコーナー >>3
大人でも何を言ってるのかわからなかったみたい
ただ日本が降伏したのはわかったらしい >>119
朝鮮半島もアメリカの管理区域とソ連の
管理区域で雲泥の差だったんだって
だから北のソ連管理区域から朝鮮人に
金払って船で海から南側に逃げたり 玉音放送な解説わかりやすいよね、でも言葉は難しくてもなんとなく雰囲気で理解してたと思うけど
どんな気持ちだったんだろうなあ
たとえば現代で中国北朝鮮に負けたとして、連中が自分達を支配するのかなと思ったら不安は大きいよね >>72
「耐ヘ難キヲ耐ヘ、忍ビ難キヲ、忍ビ」の主語は天皇だよ
後世の国民の平和のために、苦難を忍んでポツダム宣言を受諾すると言っているんだが そりゃ米の大虐殺を目の前で見てる一般人にとっては早く終わって欲しいと思うだろう 鬼畜米英を叫んでいた人が、次の日から世界平和を叫ぶ。 歌丸も当時子供だったのに知ったようなこと言って炎上したよね
戦争を語り継ぐってのは必要かもしれんけど、こういうの逆効果なんだよな >>3
当時は晩ごとのごとく空襲あひて眠るべからざりき。玉音放送には何のおどろきしやは心得られねど世間の大人が泣きたれば戦争の終はりしためしばかり理解えき。 この世界の片隅にのすずさんみたいなこと言った人いなかったのかな >>127
当時の庶民もポツダム宣言知ってたからね
「米英支ソ」「受諾せしめたり」ってとこで気付くでしょ >>135
年齢による
大人は本音と建前使い分けていた >>136
いくら大本営が景気の良い事言ってても
日に日に空爆が酷くなっていくんだから
こりゃそろそろ負けだなってのは肌感覚として
感じてただろしな この人戦中生まれだったのか
いや、平和は尊いですな
平和を守るために軍事費が多少上がっても安いもんですよ 婆ちゃんの話によると、何言ってるのかさっぱりわからなかったってさ。
事前に終戦宣言とは聞いてたらしいけど。 >>141
事前に聞いてたのか そりゃ知らなかったな 原宿から田無に疎開してた父も、善通寺から大阪に工場動員されてた母も
「何言ってんだかわからなかった」
という点では一致してた
大阪の焼け焦げた遺体の横でお昼を食べてたような状況ではラジオなんか気にしてられなかったんだろうと思う >>143
その日の新聞には既に終戦記事あって
配達は混乱防ぐために正午の放送後になってた
だから新聞店がその新聞記事の内容を
事前に知人にバラす事は出来たよ >>3
死んだじーちゃん・ばーちゃんが同じ小学校の学年違いだったので二人からきいたことあるけど、
校庭に集められ、職員室にあったラジオの音量を最大にしても後ろの方に居る人はボエ〜〜って声しか聞こえず
何がなんだか解らなかったらしい。加えて昭和天皇の言葉も何を言ってるのか言葉が難しくて分からない。
その後のNHKのアナウンサーによる解説ぽい朗読でようやく戦争に負けた・終わったというのが先生達によって知らされたらしいよ。
家に帰ってもああそうなんだ、速くとーちゃん帰ってくるといいね程度の反応だったらしい アメリカでは1945年で既に勝利宣言をテレビで速報したんだよな
日本はラジオのみ
勝てるはずないよ いつもテレビの終戦特集だと、玉音放送のラジオ聞きながら皇居前で泣いてる人々の映像が流されるけど
実は放送の時には皇居前には誰もいなかったという話だ >>35
憲兵は問題無いだろ、軍規違反をしょっぴいただけだし >>3
あれは
原爆なんか落としやがるからポツダム宣言ってのを受けてやるよ
わたしの名の下に集まって戦ってくれた人たちには遺憾な思いをさせたな
って意味だろ
殆どの人しか分からなかったと思うよ
今でも全文聴いた人は少ないだろう
「耐え難きを耐え」くらいしかやらないしマスコミも
なんか全文聞かれたくないみたいで さすがは後にフルハシ参謀になって
お抱え運転手付にまで出世した男だ! >>35
憲兵や特高警察は終戦で震え上がったろうね
国民を散々痛め付けて来たから 最近死んだけど、おじいちゃん戦争行ったからその日は悔しくて泣いたってよく言ってた
チョンはすぐ裏切るから付き合うなともw じじいになると何故大袈裟に言ったりバレバレの創作を混ぜたりするのか >>1
民間エリアも攻撃しろ
軍港でなくても破壊だ
まあ戦争に人権も正義も悪も一切ないわな
きれい事は有耶無耶になる凶気の破壊連鎖 玉音放送聞いて泣き出したって話、子供の頃は軍国主義バリバリのやばい奴が泣いたんだろうなと思ってた
大人になって、とにかく命をかけて戦った仲間に涙したんだろうなって分かった
今のウヨサヨはただの商売になっちゃってるけど、もう一度、戦争と平和を考えたい 疎開先のラジオで玉音放送聞いた人が多いと思うけど
田舎だから電波とか悪くてラジオが何話してるか
よく分からなかったてのが多いと思う 昭和48年生まれだけどものすごく自分が歳をとったんだなと改めて感じる 焼夷弾から逃げ回ったってあーた
自分は怪獣にミサイル打ち込んだりしてたクセにな。 こういうことがようやく言えるような時代になったんだな
もう何年経ってるんだよ。
今のジジィババァは本当に嫌だったと思うよ
でも言えなかったんだろな。 正直だなぁ・・・記憶に残っててもそれを口に出せる人は少ないと思うんだ
俺の爺さんは開戦時から、『この戦争は負ける』と言っていたと母親は言うが、
その話をできるのは身内の前でだけだろう
あの戦争に否定的な意見や記憶を語れない空気が高齢者には残っていると思うんだ まだ終戦して100年も経ってないのか
今20代だけどこの先生きてたらいつかデカイ戦争経験するんだろな
てかもう始まりそうか >>174
かつてのような全面戦争は
もう起きないのではないかと思う >>176
米中だけの限定戦争でも戦略核が使われたら被害は過去の大戦より大きくなるけどな
日本に落とされた様な戦術核で済むとは思えないから >>7
大叔母さんが思い出補正
都心でいろいろ情報があってこの戦争は負けるってのがあり憤慨していた
戦後は負けるに決まっていたのにねえついて話してた
帰った後お祖母ちゃんは俺たちにそのことを笑いながらはなしていた
妹尾河童の小説がそうらしい
俺たちもいろいろ・・・ 笑 >>180
子供なら、負けたらガッカリするんじゃね。
前の戦争を斜に構えてバカにする
パヨ史観の脳内修整入ってるって。 >>183
焼夷弾落ちまくってる時点で負けてるのはわかるだろ >>35
高見順の終戦日記を読むと、
この日を境にあれだけ威張っていた軍人達がしょげて見えて気の毒に思えたそう 原爆とか東京大空襲とか一切合切の死者300万人の5倍以上、ソ連では死んでるし、
朝鮮戦争も500万人以上死んでるのに、あいつらは悲劇を語り継がないんだろうか 玉音放送の難解な漢文調聞いて理解できたのは、そうはいない
その後にNHKアナウンサーが読み上げた説明でやっと理解できたそう >>179
切り取りは魔法の言葉か?
見たくない事実を否定する為の・・・ >>37
難しさも相まって、黒澤映画より聞き取れなかったと思うわ 俺も聞き終えてすぐに闇市に行って親の宝の掛け軸 徳川宗千佳の肖像画を売ってそのままトルコに行ったなあ
当時付き合ってた女が闇市でドル紙幣を持っててそれを貸せって言ってすぐにジャズバーで一杯ひっかけて行った
最近じゃSNSでいろんな女を引っ掛けてセフレにして付き合ってるけど
30代の女は性欲があっていいな
ババアはダメだ色気がない
今日は暑くて身体がしんどいとか言われても知るか!って返すとずっと泣いてた ラジオを手作りして売ってたんだよな
子供の頃、材料かき集める下っ端役のころ、取りまとめとしていたのが、あの渥美清
ってラジオで言ってた 玉音放送聞いてもホントに戦争終わったのか?
て疑った人も居たそう
終戦放送から1週間後の新聞に、
戦時中は不掲載だった天気予報が載ってるのを見て本当に戦争終わったんだ、と実感した人も多いらしい >>199
ブラジルの日系移民なんかは日本が負けたってのを
信じない人が大量にいて
日本は負けた派と勝った派で抗争してたらしいからな >>197
当時はトルコなんて無いだろ
信憑性を出したいなら赤線とか青線と書けよ
子供だなぁ・・・ >>197
ジャズバーって戦時中にジャズ流してたら殺されるだろ 直前に空襲で死体いっぱい見てんだから
こう思うのも自然なんじゃね こういう発言でNHKに媚び売ってるわけですね
ほぼNHKの福祉番組でしかみないがw 俺も聞き終えてすぐに闇市に行って親の宝の掛け軸 徳川宗千佳の肖像画を売ってそのまま赤線に行ったなあ
当時付き合ってた女が闇市でドル紙幣を持っててそれを貸せって言ってすぐに花街へ一杯ひっかけに行った
最近じゃSNSでいろんな女を引っ掛けてセフレにして付き合ってるけど
30代の女は性欲があっていいな
ババアはダメだ色気がない
今日は暑くて身体がしんどいとか言われても知るか!って返すとずっと泣いてた たぶん天皇を憎んでる人たくさんいるんだろうなこの世代 広島原爆は凄かったな
あ!って思ったらもう熱いというか痛いというか
一瞬で蒸発してたわ
あそこまで強い光線は生きてて見たことがなかった
そこから記憶がないまま今日に至る >>197
1945年の終戦当時に闇市だのジャズバーだのに出入りしていたのなら貴方は現在100歳近いのですが >>210
私の年齢でしょうか?
記憶にございません! >>207
そうでもないだろ
陛下の責任だと考える馬鹿は少ないと思うぜ 当時のラジオは真空管のラジオでアメ横によく部品を買いに行った
戦後は闇市で買ってたな
自作の無線機でアメリカの軍人と交信してたくさんの軍人と交流してたな
マッサッカーが1番親しくてよく将棋で遊んだものだ
あいつは飛車と角を四つよこせって
意外とずるっこくて往生したな >>213
あらー
昔から遅刻常習犯なもので
そろそろ帰ります ノシ >>130
それが二枚舌のKY新聞がやったことだよ ラサール石井と同じようなマスコミ受け発言
そもそも9歳の子供が玉音放送の難解な漢文調わかるわけないって
当時の大人もなに?これ戦争継続って意味か?解読するに必死だったと思うほど いま80歳前後の世代は子供でアメリカ兵が優しくて日本も復興していったからとにかく戦争が終わって良かったって言うよね >>221
徴兵制の時代の方が兵士は紳士が多い
元々が善良な一般市民だし
志願制になると下級兵士の質は落ちる >>74
負傷や復員で戻って来て武勇伝を語るようなやつが周りに一向に現れないなかで
重大放送すっから昼に全員聴けなんて朝からずっと繰り返してたら
まぁ勝ったと思うやつは誰も居ないだろう... >>221
アメリカ人兵士の尻のでかさに吃驚したといってたな
空襲で逃げる事がなくなって良かったとか
集団疎開から戻れて良かったとか
まぁ本土決戦やった未来よりは良かったろう >>221
手塚漫画見てるとクズしかいない感じだけどな vfyufkgffjytfyjtjyt
hhhhhあああ おいババア
まだ生きてやがったのかこの野郎
長生きしろよ 普通なら植民地になって奴隷同然の扱いになって財産没収されると思うんじゃね? >>124
土曜ワイドラジオ内で月末週の月1のみになった 江戸っ子なんて方言と容姿と着てるもんに罵詈雑言浴びせるしか能のない無学な下郎ばかり、と江戸学の大家三田村鳶魚が言っていたがコイツはその典型
コイツが地方行政か何かの時事的なインタビューした女性が出っ歯だったんだけど、「横向くと歯の角度がわかっちゃいますよガハハ」なんて言わずにおれない賎しい育ち 今に例えるとアベスガ逮捕されるくらいの嬉しさだろうね。 >>227
子供をからかうような兵士もいたようだから手塚世代はそういうのにムカついたんだろうね
もっと子供だからとにかくガムやチョコもらえて嬉しかったんだろう >>221
復興したのは冷戦が始まったせいなのにな
戦争のおかげ 今に例えるとパヨチンが志井と枝野にアナル弄られほじられてみずぽと蓮舫と清美にベロチューされる嬉しさなんだろうな 現在のアフガンをみればわかる。
同じ国の兵士であるタリバンが来るだけで飛行機にしがみついて逃げようとする。
日本が国同士の争いで破れたのは1500年ぶりくらい。外国の軍隊が進駐するのは建国以来はじめて。
最悪皆殺し、よくて奴隷民族にされる。
映像の世紀をみればわかる。
アメリカも日本統治がうまく行き過ぎたため、アフガンやイラクで失敗した。
イラクも撤退、アフガンも撤退。 日本のアメリカ主導のあれこれは
識字率が高かったからアメリカの描いた以上に上手く行ったんだろうね
終戦直後に調査したら97パーセントで米軍が驚いたそうだから
アメリカ人は日本でアメリカ人の思う民主主義が発展しなかったのは
識字率が低いからだと思い込んでいた
だから漢字を廃止して表記はローマ字にしようと計画していた >>245
欧州の先きに停戦(降伏)した国の情況を政府は知っていたわけで 実際、大陸のほう満州あたりじゃ、現地人による虐殺、進駐してきたソ連軍によるレイプ追い剥ぎが行われていた。
日本国内が島国だからというのと、アメリカの支配が天皇制を維持したうえでの間接統治だったので国内混乱は少なかった。もちろん三国人が暴れていたり貧困で今とは比べ物にならない混乱だったが。 実際は電波が悪くて何を言ってるのかよく分からない放送だったらしい >>158
戦後に大勢の人が1人をボコボコにしているので何事かと思ったら
殴られているが地元で有名な元憲兵で動かくなってるのに
入れ替わり立ち替わりで殴られて、その場を離れたけどあれは多分死んだなって
話しを聞いた >>158
でも終戦後の警察には特高上がりの刑事なんてゴロゴロしてたんだろ?
変わり身の早い奴はこうやって生き延びる うちのじいちゃんは満州、ばあちゃんは樺太に住んでたから戦争終わってからの方が大変だったって言ってたな >>250
お祖母ちゃんも言っていた
様子から負けたってことはわかった
その程度とか >>251
戦後長年そう教育されてきたから
お上と教師が
朝鮮戦争、ソ連でアメリカが安保で日本を基地化したかったってことか
戦前の記憶もあるからなあ
でも平和は相手があるから成立しないことも
日本がいくら九条かざしてもさ
上を向いて歩こう、が安保と関係があるって言ってたがマジかな >>239
何の意味も無く殴られたとかそんなレベルの話を自伝的な漫画で描いてた >>245
ソ連軍に占領された地域はそんな感じ
ベルリンや満州など >>243
>日本が国同士の争いで破れたのは1500年ぶりくらい
君はもうちょっと歴史を勉強した方がいいんじゃないのか
秀吉の朝鮮出兵を持ち出すまでもなく、シベリア出兵やノモンハン事件でも日本はソ連にこっぴどく負けているんだが まあクソみたいな戦争が終わって嬉しかったのは本当だろうよ 毒蝮三太夫 片平なぎさ 菊池桃子
荏原中延が生んだ3大スター 実際原爆落とされてソ連参戦してきたあたりの雰囲気はどんな感じだったんかね チンとマロの言葉は理解できないだろ、戦争に負けたのに見栄を張ってるだから負けたんだ。 コロナワクチンみたいなもんだよな
ワクチン打つのが世界的な常識ではあるし俺も打った
不安もあるけどそれが現時点の最善だと思ったから
でももし仮に反ワクチンの言う人類滅亡みたいなことが起きたら
その結果が最初から必然だったといわんばかりの情報のみが集まり残され
その状況でも絶対に打つべきだったとはまず言えなくなるだろう
結果出たあとなら自己弁護の為にも好き勝手言える
これはワクチンが悪いって事じゃなく
戦争の是非を問うというわけでもなく
どっちに転ぶかわからん状況から
結果が出たらそれに合わせて意見も変わり真実も変化するということ おい、ジジイババア
この人の体験談は後世に伝えなければならない ネトウヨ「我々の先輩は皇居前で土下座して泣いていたのに」(;`д´) (プンプン) 空襲被災者の話とか聞くと『嬉しくてたまらなかった』は本心だと思うわ >>272
皇居前広場で泣き崩れている人たちの写真はヤラセ写真
玉音放送前に撮られたモノらしい >>272
ネットない時代なのに何の先輩なの?
頭悪いの? これを放送されるまで天皇は人間以上の存在だったので、そんな宇宙人の声を聞いたことが有るのはごく一部の側近中の側近しか居なかった。
初めて聴いた昭和天皇の声は、ラジオを聴き慣れた人であってもなんだかヘタクソなアナウンサーだな、くらいしか思えなかっただろう。言ってることもまるで意味不明だし。
それでも実際に天皇の声というものを初めて聴いた瞬間の驚きは大変なものだったろうな。 なにせ神の声なんだから ていうかもうその頃になったら、もう日本帝国はだめらしいってウワサにはなっていたんだろうさ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています