でも、今まで地道に築いてきた市民間の交流や友情すらあざわらい、踏みにじるような、強烈な憎悪扇動(ヘイト)の言葉の数々。「これら全部、フランスだったら憎悪扇動とみなされて、禁止どころか、罰を受けるかも」と思う文句が並んでいます。公共の場に。

こんなものが日常生活の中にあるのに慣らされている日本人には、これらが「憎悪扇動」という自覚すらないのかもしれません。

実際に、このサッカー選手差別問題では、ここまでに書いてきたようなことは一切すべて無視して、ネトウヨ(極右)たちは「フランス人は人種差別主義者だ」「フランスは差別的な国だ」という言説を煽りました。

どうしてそこまで、すべての文脈と背景を無視できるのか。自己正当化するのには「旅行した時に嫌な思いをした」という、一度か二度の、原因も定かではない乏しい経験談のみ。

自分の国は、外国人労働者を死に至らしめるような差別をしても完全にスルーで、自分たちは、言葉で不愉快なことを言われただけで怒り、差別だとわめきたてる。

このような考えの人たちが、ネットのコメントで大変目立ち、公共の場所で堂々と広告をはる。「ネトウヨ2%説」というものがあります。実際には少数派なのかもしれませんが、とてもそうとは思えない露出ぶりです。

そして、在仏日本人は、「私は差別されている」と日本のメディアに無防備に言うことで、こういうネトウヨや極右集団に、栄養と燃料を与えていることに、まったく気づいていないらしい。ああ、おそらくこれが、私のイライラの原因でしょう。

こんな極右の風潮に、人々は、特に若者は、知らず知らずのうちに染まり洗脳されていってしまうのだろうか。本当に心配です。


https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20210815-00252298