■配慮と敬意が不可欠
より深刻だと思うのは、ユダヤ系米国人のカップルが中華料理店として2019年に始めた店だ。「清潔な」中華料理を提供すると主張する2人はこうも言ったという。「米国の中華料理店で、私たちほど食材の品質に心を配る店はほとんどありません」。彼らは中華料理を文化的に盗用するばかりか、それを生み出した中国の人たちを侮辱している。米国では中国のみならず、ベトナムやメキシコ、他の国の料理についても、こういうことがたびたび起こる。さらに米国人シェフたちはたいてい、横取りした料理の劣化版しかつくれないから罪が重い。


これは日本食にも起こる。最近、デンマーク人のフードライターが「お好み焼き」と称した何かのレシピを紹介するのをみたが、それはもう醜いパンケーキの類いだった。私が日本人なら怒り心頭だっただろう。実のところ、日本人ではないのに、かなり頭に血が上った。そして、世界中のスーパーでまかり通るうさんくさい「スシ」について話し出すと長くなるからやめておく……。

昨今、怒りの矛先を探すのに余念がないような人がまあ多い。しかしプロフェッショナルには、他の文化の食べ物を扱うにあたって正しいやり方、間違ったやり方があると思う。もちろん、どう料理して何を食べようと誰もが自由に選び、組み合わせていい。チキンティッカをファヒータにするも、ピザにケバブの肉をのせるも、どうぞどうぞ(私はどちらもやらないが、何を言いたいかはおわかりだろう)。

だがレストランで料理を出したり、プロとしてレシピを書いたりするなら、文化的、民族的な起源や着想源を正しく敬わないとならない。もしあなたが白人で、たとえばタイ料理をつくるなら、相当の配慮と敬意をもって扱う必要がある。特に本物だと主張するならなおさらだ。本物とは事実上、食に関して言えば達成するのは不可能だし、ただでさえネット上のコメントやソーシャルメディアという素晴らしき世界には、あなたの考える本物を否定する人が常にいる。そうならば、文化の盗用をとがめる声も確実に巡ってくるだろう。(訳・菴原みなと)