イタリアの物理学者カルロ・ロヴェッリ氏は
新著「Helgoland」の中で、
光子、電子、または他の基本的な粒子などの量子論の対象物は、
他の対象物との相互作用の際に示す“特性”にすぎないと主張している。
物理的なモノを構成する基礎となる物質などは存在しないというのだ。
「私たちはイメージに浮かぶ幻影にほかならない」
“観察”するまでは箱の中の猫は生きていれば死んでもいるという
“量子的重ね合わせ”の状態にあるというのである。
ロヴェッリ氏
の観点ではこの“観察”によって、
猫と観察者の間に“相関性”が築かれたという解釈になる。
関係が築かれる以前の猫は量子的重ね合わせの状態にあるというよりも、
そもそも存在していないに等しいのである。
ロヴェッリ氏によれば世界は複雑に絡み合った網の目のようなものであり、
物体は独立した独自の存在ではなく、
“量子ミラー”の無限の反射で浮かび上がった“特性”である。
さらにこの“網目”の根底にある我々の現実を構成する
独立した“形而上学的”な物質は存在しないかもしれないのだ。
「私たちはイメージに浮かぶ幻影にほかなりません。
私たち自身を含む現実は、薄くて壊れやすいベールに過ぎません。
そのベールの向こうには何もありません」
(カルロ・ロヴェッリ氏)
この世界と人生が“うたかたの夢”のようなものだと
とらえることはある意味では虚しく感じられるかもしれないが、
そうであるからこそ自分を縛る“制約”など何もないのだと
考えてみればまた違った世界観と人生観にもなるだろう。
ロヴェッリ氏の相関的世界観をポジティブにとらえてみてもよさそうだ。
https://tocana.jp/2021/07/post_214628_entry.html