呉淞(ウースン)上陸作戦
プライベートライアンを見てるとどうしても思い出してしまうのがご当地名古屋の第三師団が壊滅(T_T)した呉淞(ウースン)上陸作戦です...
(呉淞=>日中戦争初期、上海攻撃部隊の上陸地点)
ここには、名古屋第三師団が10日後に四国の連隊が敵前上陸しました。
しかし、戦闘方法は、「火器によらずもっぱら銃剣によるべし」という通達が出て支給されたのは小銃弾200発と日露戦争で使った残りの骨董品の手榴弾6発だけでした。
(なんでも暴発が沢山起こって恐がって兵隊達は使わずに全部捨ててしまったそうです。(-_-;)...)
その後、補給が全然できず2ヶ月間弾薬の補給は無かったそうです(-_-;)...
そのため日本軍の戦闘法は一発も撃たずに塹壕を掘りながらにじり寄って至近距離から突撃するという危険な戦法でした...
敵前上陸...
名古屋第三師団2万人の内半分の1万人は中国軍の機関銃陣地が抜けずに海岸で全滅してしまいました。
支援の四国の連隊が10日後に上陸すると海岸は日本兵の死体で埋まり折り重なった死体で地面も見えないほどだったそうです(-_-;)...
死んでから10日もたっているので死体はどれも腐乱して膨れ上がり目が飛び出し、蛆虫が沸いて無数のハエがたかっていたそうです(T_T)...
ノルマンディーの比では無く血のオマハは1000人の死者でしたがその10倍です(T_T)...
プライベートライアンの最初の凄惨な15分を見てるととっても恐いのですがご当地名古屋の第三師団の惨状は想像を絶する恐ろしいものでした...
(しかし、この惨状は当然国内には伝えられず秘密にされました。)
この調子で兵を敵陣に突撃させたので部隊はあっという間に消耗してどの部隊も10分の1になってしまいました(~_~メ)...
補充兵は勝手が分からずに次々に倒れてしまい新任の指揮官などが来ると無茶な命令を連発されてさらに死傷者が増えました...
慌てて増援部隊を送り込みましたが無理攻めを続けたため全然進めませんでした。
呉松海岸は砂浜ではなく岸壁で日本軍はそれを登った所でトーチカ陣地から撃たれて大損害を出し岸壁の上は屍累々として足の踏み場も無かったと言う話しでした...
以下略
http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta02u8.htm