>>512
奴隷にされた蝦夷と隼人
 >朝貢の儀式(710年)では、天皇が大極殿に出御し、エミシとハヤトを参列させた。
 >皇城門外の朱雀路の東西に騎兵が整列する中、左右の将軍・副将軍がエミシとハヤトを率いて行進するという
 >一種の見せ物的なパレードであった。(『続日本紀』和銅3年正月元日の条)
 >エミシとハヤトは「蛮夷」とされ、天皇の権威と支配拡大の誇示に、屈辱的な形で利用されたのである。

蝦夷の民は最下層民として扱われた
 >滋賀県の玉桂寺の阿弥陀如来立像の胎内から発見された文書には「エソ三百七十人」の名前が記されていた。
 >東北地方の住民説、越中の住民説、近江の俘囚の子孫説などが唱えられている。
 >エソの人名には「きみこ」(君子・吉弥侯 = 毛野氏と同祖)のように古代の東北地方に多い姓もみえるが、
 >殆どは無姓であり、名には「いぬ」「くま」「うし」などの動物名、「とち」「まつ」などの植物名に因むものが多い。
 >これらは、非人などのような最下層民の名前の特徴と共通している。

表13 「エゾ交名」にみえる姓
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/kenshi/T2/2-h013.jpg

■ 東夷と呼ばれ迫害されたアイヌ(※中国の華夷思想の模倣)
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/EHJ/img/2569343/12-3.jpg