0388セントーン(千葉県) [GB]
2021/05/11(火) 03:18:07.85ID:wvgvN4Mh0稲作(弥生人)の伝播ルートは学会では「長江 → 山東半島 → 遼東半島 → 朝鮮半島 → 北九州」でほぼ決着ついてる。
・日本には陸稲の痕跡はあっても農具が無かった
・その為に水田が現れたときに用いた農具はすべて外来のもの
・稲作伝来時、中国の江南はすでに鉄器時代、鉄製の農具が一般化していた
・しかし、中国の農具・炊具は日本に一つも伝わっていない
・弥生人が使っていたのは木製の農具や磨製石包丁であり、これらは朝鮮半島のものと同期している
・さらに日韓とも雑穀・稲の混合栽培であり、これが生まれたのは山東半島付近
プラントオパールは、粘土の粒子よりも小さくて地層を潜っていってしまうため、稲作開始の証拠に使えない。
稲作と馬は、縄文時代前期から持ち込まれていたと強弁する者もいるが、考古学では農具や馬具がいつごろ導入されたかが重要視される。
お決まりの「北部の気候で稲作はムリー!」だが、田植えは初夏にするものなので、冬場にどれだけ冷え込もうが関係がない。
現在でも満州最北の黒龍江省は稲作が盛んで、中国でも有数の米産地となっている。五常大米で検索すればわかる。
炭化米、土器、圧痕、山東半島などで検索すれば論文がいくつか見つかる。
日本の研究者も現地に行って調査している。そして江南渡来説を唱える研究者はもういない。
このことから「朝鮮半島を通って日本に伝わった」という考えが定説になっている。
■ 佐藤洋一郎「DNAが語る稲作文明・稲作の伝播ルート」
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