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とネトウヨは息をするように嘘をつく


扶餘(プヨ) 松菊里(ソングンリ)遺跡
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忠清南道の扶餘で発見された大規模集落遺跡で、その発生は紀元前5〜4世紀頃と推定される。朝鮮における水田稲作遺跡として、平壌市南京遺跡などとともに有名になり、多くの穀類や生産道具がみつかるとともに、青銅器には東北アジアとの繋がりが見られるものがあるなど、穀物栽培の研究に重要な遺跡となった。

ここで出土した土器や住居跡などは、松菊里式土器、松菊里型住居と呼ばれ、稲作の起源や考古学の研究の基礎ともなっている。埋葬施設である石棺墓なども、北九州地方をはじめとして多くの遺跡に類似のものが見られ、副葬品に納められている石鏃や石剣なども北九州から出土しているものと同じである。

日本最古の稲作遺跡とされる菜畑遺跡(佐賀県唐津市)、板付遺跡(福岡県)から出土する石器は、松菊里遺跡から出土するものと形状が酷似している。これらを大陸系磨製石器と呼ぶ事もある。ジャポニカタイプの炭化米が多量に出土し、日本の弥生文化の故地ではないかと考えられている。菜畑遺跡と松菊里遺跡で見つかった炭化米の形状が酷似していると、和佐野喜久生氏(佐賀大学教授)は指摘している。

歴史博物館がいう「朝鮮半島南部で土着化した文化が稲作民の移動とともに九州に伝えられた」という解説は妥当だろうと思われる。