江戸時代84%は農民 あなたの先祖も農民?(画像あり)
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うちは代々水呑百姓ですから っていうネタでやってたけど、最近マジで通じなくなってきた 百姓はpeople一般庶民の意味
元々は農民の意味ではないぞ ワイの性格的にご先祖は長屋でぐーたらして、隣の部屋からの喘ぎ声でシコってたと思う。
明治に入ると日露戦争の旅順攻略戦で曽祖父は戦死してるんだがな。 百姓だな
デカい畑持ってたけどGHQに取られたって爺さんが言ってた 父親の家系なら、島津の殿様に仕えてた
武士じゃないけど 農民といっても武家や公家から帰農したやつもあるからな
それに小作ではなく地主なら農民は勝ち組だ >>13
そもそも農家と百姓はちがうだろうにな自分の土地を自前て持ってるのと
雇われの小作農では全然違うよ 部落民だよ
生まれからして俺は呪われてる
どうにかして人生好転させたい
どうすればええんやろか
スペック晒すから教えくれ
年齢27
身長171cm
体重82kg
年収350万円
昇給4000円/年
高卒
現役でニッコマ蹴ってるけど
高卒後2浪失敗してる
1浪時に親父が自殺して受験にも失敗
その後は進学せず非正規を転々として
1年前からクソみたいな中小で安サラリーマンしてる
昇給は年4000円しかない
青春コンプレックスが辛い
処女とセックスしたかった
もうどうすればいいんだよ
学歴も勤め先ももうどうにもならないし容姿も恵まれてない
なんの救いもない.....
処女とHできなかったから負け組
陰キャだから負け組
マー関以上行けなかったから負け組
大手ホワイト企業総合職になれなかったから負け組
退職金ないから負け組
年金少ないから負け組
相続できる遺産少ないから負け組
実家が田舎だから負け組
毒親持ちだから負け組
吹けば飛ぶような零細社員だから負け組 先祖は十手持ちだったって言ってた。
道場や旅館も開いてたけど、全部某新興宗教に取られたらしい。
家で某新興宗教の名前を出すのは御法度。 当然農民もいたはずだけど
名字は12世紀まで遡れた 明治時点で士族
爵位は届かなかったが勲等で1代限定で華族待遇まではいってた 百姓は最近の研究だと農民という単一職種ではなく村戸籍の職人というふうに聞いた 少し前までは〜〜どん、〜〜やん、とか本当にまんが日本昔ばなしみてえな呼び方で
各々の家自体を指す言葉であらわしてたそガチな百姓だったんだと思うな近所の人達は 田舎で周りに同じ名字が多い場合はチャンス
地方の豪族とか武士の可能性有り 小作人の百姓に菩提寺ってあったの?
そこら辺に埋めてたか共同墓地みたいな塚に入れられただけだよな ひいじいの刀があるって聞いて日本刀かと思ったら昭和の軍刀だった 農民だよ
江戸時代とか戦無いから
武士でも、土地貰って農業していたりするし・・・ ファミリーヒストリーって、芸能人がえたひにんの先祖の場合
どうすんだろうね 網野さんの本には、百姓ってのは農業だけじゃなかったらしいぞ
中には廻船問屋やってるようなのもいたらしい
江戸にいたかは知らんが 由緒正しいかは知らんが農民だが本家の長男が農業をやめたので一区切りついた >>54
そんなことより芸能人なんかほとんど白丁だろ
家系図とかどっかから買い取って捏造だよw 両親共に士族の家系だけど、だからと言って何かが有利になった事などない 津山藩の落武者
山にひっそり隠れてて、少しずつ開墾して農家になった 田植えと稲刈りは人手が必要だから、親戚総出で手伝いとかついひと昔前までやってたわけです
畑で野菜作ったりとか内職したりとかいろんなことやってた兼業がほとんどじゃないの 本当かわからんが田舎の文官みたいな武士だったらしい 江戸末期と明治初頭に家系図売買しとったやろ
信じられんで自分らの系譜 先祖っていっても代々長男でずっと本家筋ならともかく
分家とかいろいろ別れていったら先祖ですと断言しにくいんだよな
一応親がこの墓はひい婆さんの親の誰それとかいって
江戸後期生まれの親戚の墓とか普通に墓参りしてたし結構古いとこまでわかるけど
うちの親が次男次女で家を継いでないからうちの先祖と胸を張って言えない気がする >>1
まあ食が生活の基本だから。当時の生産性を考えると当然ちゃ当然。
何も恥じる事は無い。 ちなみに、戦国時代は農耕期と厳冬期以外は農民も合戦に赴くのが当たり前 >>15
うちも農地解放でGHQにやられて没落したw ばあちゃんちの実家は田舎の村の庄屋だったが話を聞くとただの調整役だな
その後「みんなの事くわしい」と言う理由だけで村長に めっちゃ遠い離島で見島って江戸時代の流刑地があるが
うちの先祖はそこ出身だった
やばそう 商人、漁師、神職、多分百姓もいる
神職の方は元が豪族だったから、分家ともめて兵を集めて戦をしたりしたと
資料がのこっているけど武士じゃないなあ >>72
農民忙しい時はあまり合戦しなかったかもな 何十年か前までは法務局?市役所?かなんかで士族、平民、新平民とか記載されたやつ見れたって、じいさんが言ってたなぁ 逆に江戸時代になるまではひたすら殺し合いをしてたんだから武士も多かったし農民も俗にいう百姓ではなく準戦闘員みたいなもんだった
なので先祖は武士という家は多くて当然 そもそも江戸時代まで遡ると何人対象がいるとおもってるんだ 江戸の植木職人って聞いた。
ばあちゃんの方は刀を持っていた農家らしい。 ちょっと前は、うちの先祖は武士だって言う人が多かったらしいけど、
令和の今は、アホらしくて言わないね 江戸時代になると農民でも功績あれば武士階級になれたからな
うちの先祖はそれだった
しかも名字を世間の流行りで付けたw 平安のときに神主に引っ付いて滋賀から福岡へ
以来農民
戦国の時は山城の門番やってたらしい >>87
令和も何も昔から自分の祖先の話なんかしなくね?
どんなタイミングで話すのか検討つかないし 俺の祖先は元寇で活躍して、伊予から越後に領地貰って引っ越したという伝承がある
あくまで伝承だけど 爺さん代まで船大工。
一応、苗字は殿様から拝領したと言い伝えがあるが定かではない。
かなり珍しい苗字。 父方の父系は豪農というか庄屋
室町の頃から名字は持っていた
刀はどうか知らないがな
昔は多いのかもしれないが神主や住職になった人もいた
父方の母系は少し有名だから割愛
どちらも旧跡や建物に名前が残ってる
母方は畿内の商人
近年で一番財を蓄えたのは母方の祖父
出自を活かせない人生を送ってると思うが自分より優秀な年上のいとこ達もそうだからそういうもんなんだろうな 農民だが名字名乗れる立場の庄屋から
かなり近い分家の出だったから
明治辺りまではかなり豊かだった
がダメ人間オブダメ人間の我が曾祖父が
我が家の山と田圃の殆ど食い潰し
果ては満州行くとかアホな事を抜かしたので
困った爺さんが本家に泣きついて曾祖父を
援助と引き換えに説得し止めさせた
そんな訳でウチは今でも
本家に頭が上がらない もう幕末から5-8世代くらい経ってるんだから大体の人が江戸時代の先祖に農民もいれば武士も公家もいるだろ。 父方の爺さんが工場に田んぼ売って豪遊
食い潰したと聞いた GHQに感謝しろよ
あいつらがやってくれなかったら今頃てめえらは地主様に尻向けてちんちんをおねだりしてたんだ 家系図見たら母の系図は公家華族だが、父は武士だった
よかったよ、チョンじゃなくて 山口に無敵って名字があって幕末の戦争で活躍したから
その名前貰ったってテレビ番組でやってたが
ほどなくしてなんかの犯罪で無敵って奴が捕まってた。
親戚かどうかわからんが
珍しい名字はあかんな 俺ん家は本家の大地主だな
曽祖父ちゃんが踊りの先生とか書道の先生とか道楽に夢中になって死ぬまで定職に就かず遊んでたって言ってた >>105
ピンキリ
華族の武士は大名クラスが基本
勲功でなった奴は維新志士だからそれこそペーペーの下級武士上がり
それ以外はその後どういうポジションになったかによる ウチは家老頭だったらしく、刀は廃刀令の時、藩内の武士達から集めて引き渡す時に、銘入の刀は屋敷や倉の天井裏や梁の上に隠してポッケないないして保管したり、戦争中も鉄の供出時にも隠して保管してた物が未だにあるが、俺達のチャンバラ遊びでボロボロになってる 旗本関係とか聞いたわ
祖父母の時は使用人とか家に沢山いて蚕とかやってたけど没落したと聞いてるわ
米軍に工場焼かれて田舎に逃げたらしいが
戦争だと一気に家潰れるよな >>95
これ、上段センターの黒服は西郷隆盛と言われてる写真だな
ちなみに西郷隆盛は写真嫌いで一切存在しないと言われてる よくみる肖像画も嘘 >>114
数は少ないけど、祖先が半島出自の武士もいるんだな 山口県人、特に西部の下関は
クラスの半分が平家の落人なんだって
そんなに末裔が多いなら
源氏に勝ってるだろw
嘘つきの半島人由来確定 >>106
そんな立派な家系でもν速いるんだな
いや、ただの偏見だけど >>28
大丈夫だ。
俺は31の時に童貞を処女の女に捧げた 華族の構成
元大名
元公家
政府官僚
高級軍人
豪商
元朝鮮王族 >>126
自分は味噌っカスですから
お茶の出がらしというか >>127
勘違いしないで欲しいのは
俺は童貞じゃないからな 地元の豪農半武士、一応戦国時代に活躍して武功あげた逸話が伝わってるくらい >>131
わかってるよ、30でも処女とできるよって意味。
まあ、相手は22だったかな うちの親父が戦後小学校に住民票持ってったら元士族が学校で自分だけだった言うてたな ドコモ社長→伊井彦根藩藩主の末裔
日本郵船社長→加賀金沢藩藩主の末裔
靖国神社神主→盛岡南部藩藩主の末裔
麻生副総理→肥後細川藩藩主の末裔
日銀総裁黒田→福岡黒田藩藩主の末裔
東海リニア開発室長→米沢上杉藩藩主の末裔 >>121
いわゆる西郷隆盛の肖像画はキヨソーネというイタリア人凸版印刷技術者が西郷の弟の
従道といとこの大山厳の顔を合成して書いたモンタージュ肖像だな 母方は医者って言ってた、@からDならどれになるの?ちなみに薩摩
父方は奈良の武士、大阪護国神社に祀られてる 江戸時代の農民の祖先の何割が戦国時代に足軽やってただろうか 3200万人で伝統を継承してきたんだから優秀だな。
少子化人口減少よりも日本が外国人に侵略されていることの方が問題だぞ、日本民族を守るには日本人だけの5000万人国家を目指すべき。 庄屋
曽祖父は台湾、満州で炭鉱を開いた
祖父はどちらも軍人
ワイは負け組低収入の社畜 曾祖父ちゃんが旧軍の中佐なんだけどそれなりの家系だったのか? 渋沢栄一が農家だけど、刀二差しぶら下げててたまげた 父方はずっと京都で町人
母方も京都だけど先祖は福井から京都に出てきた
家紋は織田家と同じ木瓜で自称平家の落人
ただ西日本の田舎は自称平家の落人だらけだからな 士族ではあったようだなただ農地改革で土地なくなったから下級国民ですは。 >>121
江戸末期の人って現代人とは、顎口の締まり方が違うなぁ
何この力強さは? 江戸時代まで遡ったら何人ご先祖様がいるとおもってんだ 先祖って10代遡ると1024人
20代遡ると百万人
30代遡ると十億人
つまり全人類が兄弟なのよ
俺もお前らも神武天皇やカエサルや曹操の血ひいてる
たぶん 1700年代中頃からの位牌があるが字がほとんど読めない
木の粗末な札の位牌だから由緒正しい家系ではないだろう。童子って書いてある子供の位牌の札が沢山あるね。
だけど子供おらんし自分の代で処分せなあかん >>153
駕籠を担いでる人に何人だったか忘れたけど外国人が肉を毎日食べさせたらバテバテで食べる前より力がなくなったそうだよ
当時は豆類ばかり食べてたそうなんだけど、それがたんぱく源で力(筋肉)になってたそうな なんか名字名乗ってもいい農家だったらしい
大地主だったけどGHQの小作開放政策でちょっと大きめの農家まで没落 下級武士だとそこらの町人より悲惨な生活してたわけで
そんな家に伝家の学問やら財産やら誇りがあるとは思えん 遺産相続の関係で戸籍謄本を取った
曾祖父が明治以前の生まれで苗字あるから
もしかして、ええとこ生まれだったの俺? 庄屋って名主だぞ
田舎だとしてもここ多すぎだろ
今は実家は郵便局やってますとか何人いるのよ 江戸時代から代々東京生まれ
とか自称する人は町人の家系だよね 牧之原茶農家だから士が開墾して農になったかも、、、
わからん。 うちのギリギリ読める崩れ落ちた墓の没年が江戸中期だから余裕で武士 母側は家老だったらしい
父側は糞田舎の村長だったみたい >>167
いわゆる世襲の特定郵便局局長は庄屋一族or網元一族多いね >>166
戸籍って明治以降だから全員付いてるんじゃ無いの?
菩提寺行って調べてきたら 百姓
だから付近の住民みんな庄屋と同じ苗字
もちろんうちも 浅野内匠頭のとこで仕えていて後に大石内蔵助の誘い断って商人始めた家系って死んだじいさんが言ってた うちは世が世なら華族とかばあちゃんがよく言ってた
土地だけで10億円とかするみたいだけど親戚連中まで先祖代々の土地だから死んでも売るなだし >>165
元々武士一族じゃなくて、豪商とか高利貸し一族が江戸時代末期に武家の株を買って武士になった
坂本竜馬とか勝海舟は下級武士でも実家はとんでもなく金持ち そのわりに先祖は武士と語る人多いよねw
苗字が同じってだけで自分もその家系って勘違いしてるのかね またお前らの武士や商人職人自慢か
どうせ捏造した歴史を教えられてるんだから直視しろよ 庄屋でした。
マッカーサーに土地を取られたのでマッカーサーは敵です >>188
そうなんだ。
うちは小さい藩だったから、別に金はない。教育する程度。 母方の祖先は明治に四国吉野川で木材を上流から下流に下ろしていたらしい。 >>192
うちも土地とられたけど
山は取られなかった >>166
明治になって政府から戸籍をつくる時に苗字を名乗れとお触れがでたので
生まれは江戸時代でも戸籍作成時点では誰でも苗字がある >>188
家に残ってるものとか菩提寺の記録とかで分かるだろ 神主だったらしい
本家は今でもそれなりの神社の宮司らしい
まぁうちは遠すぎて、それを示すのは名字だけだが >>170
そうなんだけど、俺が聞いた話だとやっぱり豆だって言ってたよ。 まあ普通武士でも、明治維新で農民と
結婚していると思う。
武士は普通そんなに金持ちではないはず。 みんなよく分かるな
墓の最初の名前は江戸後期で苗字+金之進というだけしか分からない 何分の一か武士の血入ってるから武家の末裔って言っても嘘じゃないんだよなこれ 薬草?だか育てたり町医者的なもんだったらしいけど
これって何になるんだろう商人? 百姓町人、公家・皇族は苗字無し。
いちばん金持ちは商人、いちばん貧乏が武士。
「武士は食わねば高楊枝」は伊達じゃない。 爺さんが死ぬ前に自分の祖先の事調べてたけど
7代前までしか遡れなかったらしい 当時の米=金という概念がわからないから>>1みたいな勘違い野郎が生まれる >>204
俺も家紋が神社関係者のものだけど真偽不明だ 江戸の末期、明治の始めまでは戸籍たどれば追える
それより前は寺の過去帳で追えることも有る >>213
いや君と同郷の山形だ
蚕生産してるのも居るのは分かってるんけど
何か育てて売ってるって感じの家柄ばっか
商人になるんかな
文京区? >>220
人別帳はど田舎だとそれこそ庄屋が管理していたとこもある >>1
この令和の時代には【日本人の奴隷農場】が必要 下級武士は本当に貧乏で悲惨だったみたいだな
維新の英雄の生家とかみんな下手な農家より小さくてボロいもんな >>220
戸籍は死んでから60年しか保管されないから、その変が限界だよな >>218
ガチやぞ
ちなみに麻生のいとこが福島の中村相馬藩藩主の末裔
なおいとこは札幌在住の一般人 幼少期は近所の大人から若とか殿と呼ばれて神童と持ち上げられて大変だったな
ちゃんと調べたらただの地主だったが
非常に楽に適当に商売してやっていけてるから助かってはいるな
財産が有る余裕が金を呼び込むから御先祖様様 >>222
ごめん、薬草と医者だから小石川植物園連想したのよ
山形で蚕か、昔はうちも桑の木あってお蚕様育てたこともあったらしいが、商業と直結してるならうちみたいな貧農家系とは
違うだろうな
鶴岡なら分かりやすいんだけど 百姓が最も優れてると言ってたな
武士は食わねど高楊枝で用心棒ぐらいしか仕事が出来なかった >>141
前田家の当主の人は日本郵船の役員にはなったけど社長にはなってない
当時日本郵船には徳川家の末裔もいてたまたま同じ部署だった
当時の上司は徳川と前田の上に立ったのは秀吉と俺ぐらいだって
冗談言ったらしい 俺の先祖は貝塚の隣に住んでた
その爺ちゃんはマンモス狩ってたって聞いた キリスト教対策としての寺請制度があって、どこかの寺の信徒になることになるのが条件で、村にある寺の信者リストが江戸時代の住民登録リストなんだっけ? >>141
肥後細川家の末裔ってまんま護熙さんじゃないの? >>234
へぇーそんな所あるんだ
うん地元鶴岡ですw
蚕やってた所はもうないけど
薬房?だかの蔵は未だにある >>243
単に末裔ってだけなら本家じゃなくてもいいんじゃない
というか末裔ってだけならすごい数いると思う >>243
総理の細川もだけど麻生もらしい
ソースはネットだが 〇〇の末裔でー!!〇〇の豪族でー!!
ニュー速名物妄想先祖自慢スレ
誰もお前の言うこと本気にしてないから好きなだけやっていいぞ >>250
まあ、豪族はありえないw
豪族なんていい出したら完全に嘘。 >>227
庄屋(武家階級)は家屋敷は豪勢だったな
これ、面白いのが
譜代大名の地は、庄屋家がコロコロ変わってる。
庄屋の会とかあって、年に一回宴会してる藩もあるが
譜代大名の藩は大人数。
で、外様大名の地は、戦後期の大将レベルが庄屋で
その庄屋の求心力を幕末まで引き継いでいた。=村に一家系。
譜代大名の政策は
ある意味、会計監査監視
今も、譜代大名の県は監視社会な雰囲気 >>251
田舎は、地名と今の姓が同一の人は、多い。
そして、きちんと、歴史上の豪族としての記紀ある。 母方の父親の家系はよく知らない
幼稚園の時に死んだから、聞く暇もないし離婚していたし
ただ昭和初期に九電にいたから、それなりの家系かな?とは思ってる >>105
まあ万石に乗らなかったからペーペーと言われたらそうだな
>>118
すまん、官位も貰っててそっちで華族待遇だったのかも
維新にはそこまで深く関与はしてない(あんま言うと特定されそうで怖いが) 出自ご先祖ネタを雑談程度にレス出来る日本人は、
全世界的視点で見ると、あんがい幸せなコト なんだろうなあ 室町時代で人口1000万達成とか言ってるから
俺たち殆ど親戚だろ 父方は百姓
母方は半農半士で見廻りみたいな事やってた >>253
江戸時代は武士だったら、昔の話で明治時代には書類は士族だしね。
だいたいもう室町時代には武士。 10代ぐらい遡れば本家じゃなくても何かしら混じってるだろ 地主ではないが、お寺直属の自作農だったらしい。GHQに取り上げられてないけどお寺とは縁が切れた
祖母方は武士分家から地主になったところのお嬢様、母方は酒造の杜氏の一族 >>245
鶴岡でそれだけ遺物あるなら、ちゃんと記録あるんじゃ無いかな
昔で薬というと漢方じゃ無いの
冬虫夏草とか 父方の先祖は仙台藩士だったそうだ。
全国的にも結構珍しい名字なんだけど、彼方にはたくさん居るのが面白い。 そう考えると苗字に田とか畑とかついてるのは農家だったのかなぁ 祖先はエッタです。
誰がなんと言おうと、金持ちです。 >>1
ワイ逸見氏、甲斐源氏やったが武田に負けて秩父に逃亡
江戸時代には帰農して無事百姓になる >>262
そっかサンクス
今度墓参り言ったら聞いてみる
人参なら箱に入ってんの見たことあるけど冬虫夏草あったら楽しいなw 士農工商ってのは、儒者の区分であって一般的な身分とは乖離していたと思うお >>260
爺さん婆さんは父方と母方それぞれ2人ずつ合わせて4人
曾祖父さん曾祖母さんは4人ずつつ合わせて8人
10代前の先祖は2の10乗=1024人
この中に1人くらい武士がいてもおかしくない 明治5年の戸籍謄本でひい祖父さんの父親が東京に住んでたから
江戸時代も住んでたんだろう
たぶん町人レベル 現代でのステータスに影響しないような血筋なんてくだらんね 父親の方は祖先をある程度辿れるけど母親の方はわからんわ
離婚したり若くして母方の祖父(一度も会ったことない)が死んだり姉弟以外の親戚がいなかったりとマジで謎
墓も母方の祖母しか入ってないし >>268
甲斐氏の、始祖って、
甲州と思う?おれ、阿蘇じゃないのかーと踏んでる。
高原開拓知識に長けた阿蘇の甲斐に開拓事業させた予感。 >>277
それも武士だよ。
でも武士=清潔第一だったからがんばれ >>188
ウチの母方の場合は明治になって近辺で同じ名字つける家が多かったから
区別する為に正式には屋号がついてる >>274
明治5年か、、、廃仏毀釈の以後だから
動乱で流れ着いた可能性ある。
廃仏毀釈以前ならな。江戸に居たろうけど 農民じゃなく百姓だった
土地や山もあったが
財産のほとんどが一代で
無くなって
家屋敷と4反ほどの田だけ残ったと聞いたわ
だけど、それでも分家にそれぞれの土地を
残して家建てさせてるんだから
百姓でも自作農は武士よりも金あったんだろうなあ 先祖は武士だったけど、母ちゃんの実家の先祖(農民で庄屋)の方が明らかに金持ち… 中山競馬場らへんで軍馬育ててたって言ってた。
じいちゃん父ちゃんは戦後 中山競馬場作ったって。 >>280
信玄の先祖は河内源氏(清和)だから関西人
松浦氏(水軍) 常陸の佐竹 駿河の今川 陸奥の南部 播磨の山名 房総の里見 足利将軍家も清和源氏 武士も農民やろ
ちんめいだからwikiにはあるが武士の四男坊じゃあ生活は農民と変わらんだろ
母ちゃんは神社の社家禰宜とは言っても嫁に行ったら意味ないし
そっちの男は伝統の名前つけられてるけど >>291
春画やエロマンガ描いてきた一族か
やだな(´・ω・`) >>285
そか農民じゃなく百姓のがピンと来るな
うちも清々しいまでの
一分の隙もない百姓だ 芥川龍之介とか江戸っ子っぽいけど
父親は山口出身の百姓
森鴎外の父親も山口の百姓が津和野に養子にいってる 父方が武士→投資家→国家公務員→海外の仕事?→新聞編集
母方が農民→農民→農民→国家公務員→地方公務員
ワイニート中 >>302
武家=大名屋敷の奉公人だからな
一日中正座して帳簿管理で睾丸が委縮してたんだろう。
養子が多いよな >>303
熊澤英一郎くん。
これからも、たまに来いよ。
ろくに線香もあげない親だから大変だろうが頑張れ。 父方爺が警察署署長
母方爺が陸軍少佐
父母は見合い結婚らしいから
童話エタヒニン系じゃないはず
肝心の本人は自宅警備業
大卒から勤続40年 つうか、武士に遣える足軽なんて武士に入るのか
あいつらこそ水飲み百姓より貧乏だっただろ 母方は土着のみかん農家だ
父方は爺さんは和菓子職人で店も持ってた
その先はよくわからん
名前的には真田家と近いけど多分それにあやかって近い名前を名乗った農民だろうな 制度続いてた方が恩恵受けてた側っぽい身としては残念な面もあるが
差別的な負の面もだいぶ薄まったからいい時代だわな
今でも住んでる場所とかでバレたりとかあるんだろうけど引っ越したら分からんし >>141
ニトリの創業者は南樺太生まれらしいが、江戸時代も商人の出だったんかいな。 300年後
あなたの先祖も農民?
「自宅警備員だった」
「ニートだった」
「今は無き日本とか言う国の国民だった」 >>1
一枚目の写真
右から2番目奥の女子は俺の嫁 >>95
これを見て朝鮮顔とか言っちゃう奴は
わかってない >>141
ソフトバンク→
ZOZOTOWN→
楽天→
UNIQLO→ >>319
楽天の三木谷はNHKのファミリーヒストリーで母方が本多家の子孫って言ってたな
明治維新後めちゃくちゃ苦労したって >>36
そうなのよ、その中の何人かはお武家さんの出くらいいるでしょ
なんせ長男以外は家を継げないんだから >>18
じいちゃんの母方が島津の御殿医だったそうだ 90%以上の日本人は@ABの混ざりものだろ
武家継げなかった次男以降の血とか入ってるから日本人=侍と言っても過言ではなくもない 本家は大昔は藩の家老だったのに何やらかしたんだか江戸時代のうちに百姓になったっぽい
分家のうちにも古い墓があるから歴史は長いんだろうけどずっと百姓だろうな 母は農民
父は武家だったな
ただネットだと武家多くねって印象
ほとんどは農民なんだろうけどね >>304
これ。
長男以外は家督をつげないんだから、次男三男と予備の子どもが庶民に降った例なんて腐るほどあるだろ 先祖が江戸時代に何をしていたのかは分かる人は多いが、室町時代や鎌倉時代に何をやってたか分かる?
俺は先祖が戦国時代以前に何をやってたのかはさっぱり分からん お前らの血が仮に続いたとしたら、先祖はねらーと言われるわけか… 明治の戸籍は捏造し放題だったみたいだし
紙の資料でしか先祖を辿れない家の大半は自称だろうなと思う >>328
歴史人物とほとんど血のつながりのない親戚なのに子孫を名乗ってたりな 武士って聞こえいいけど、当時のやくざなんじゃねーの? >>334
鎌倉武士はガチのヤクザ
それも中国マフィア寄り >>334
やくざはまとめ役だけ町人かな
非人をまとめてた まあそれも俺の代で終了だ
これ以上堕ちずに済んだな
よかったよかった >>1
皆揃いも揃って子汚い浮浪者みたいだな、さぞかし臭かっただろうな 俺の先祖はって行くか爺さんまでは農民であり漁民であり狩猟もしてみたいだな
東北の末端でw 先祖に一人でも武士がいれば他が百姓でも
武士の子孫やぞ? 父方はおそらく九州のエタと見てるw母方は東北の蝦夷だな
どうだ最強だろ >>330
わかるぞ
父方は源氏に仕えて後に国人領主さらに後に米沢藩家老の江戸末期の分家で辛うじて元士族
寺の過去帳でわかる
母方は相良氏の家臣で後に葦北郡の辺りに少しばかり領地持ってた元士族
婿養子に身代潰された
明治の頃の勲章とかつけた高祖父の写真が残ってたり
曾祖母が女学校の出だったりする 土岐から瀬戸に婿養子にだされて、茶碗かなんか焼いてた 親戚中に親戚ノートをばら撒いて親戚総監を作ってみたいわ 明治維新から150年も経ってるからな。
祖先って言っても混血が進み過ぎて、大半の奴は家系を辿れば一人くらい武士がいたりするんじゃないか。 今も独身者が多くて断絶する家系が多発してるだろ。
反面、栄えてる家系もあるわけ。
なにが言いたいかというと、今現在生きてる奴らは元を辿れば皆そこそこの家の出だと言うこと。
子孫を残せずに絶えた家系は山ほどある。
今現在生きている人たちは皆、さるお方の御分家の末裔だよ。 母方の血筋が江戸時代初期に家康の気まぐれで馬育てる農民から馬育てる武士にクラスチェンジした家系 曾祖父が九州出身としか判らない(´・ω・`)
丸に橘の家紋から何か分かりますかね? >>333
非日本人、非日本国籍の連中がよくやる手口だな。
日本人は飛鳥時代にほぼ原型ができてるし。
恨島で絶滅した百済の血が混じってるケースもあるが
もう血統的にはチョンの血は無いに等しい。 山口県の方の武家だったらしい
小豆相場に巻き込まれて山を失ったらしい
合点が行った (´・ω・`)
顔の特徴は するどい顔 少し上がった眉 はっきりした顔立ちっぽい(攻撃的な顔らしい)
農耕民族ではないのはわかる
なぜなら 一族皆短気なのよ おっとり生きようぜ 江戸時代に写真ってあるのかな
日本で普及してないはずだけど >>269
それは良くある誤解。
武士は支配階級として上だけど、農工商は横並びで上下は無い。 >>354
士農工商とはいっても百姓に飽きて都に出て商人や
大工や刀作りの鍛冶職人になったのもいるからな。
徳川幕府が進むにつれ監視もゆるゆるになっていくし。 しかし先祖が武士って奴が多いなw
武士なんて江戸には腐るほどいただろうけど、地方は激レアキャラ並みだろうに。
一生武士を見ないで死ぬ人の方が多かったような。
ここで言う武士とは農作業一切しない上士限定だけど。 地主の農民の家の方がサラリー武士の家より豊かだったみたいだ。
山の中の集落での武士と比べてるから、さもありなんではあるが。 >>361
幕府は人返しの法を何回も出してるぞ
一応脱藩は禁止してたけど勝手に江戸に集まってくるからな 父方が武家〜子爵 母方はわからない
どっちの名字も市の名前になってる >>362
武士は江戸で政治をやり、商業や遊興文化は大坂、朝廷は京都という区別があったから
江戸と大坂、中都市以外は百姓が主役なのは当たり前だな。
米の収穫量が天候、天災に大きく影響されるのが唯一の苦しい面だったかな。 明治まで山伏で、寺と神社と両方やってた
白川伯王家の当主が書いてくれた掛け軸の御神体が仏壇にあるよ
ずっと遡ると播磨の赤松家
赤松円心の長男の、何番目かの子の子孫て事になってる >>364
法が出てもゆるゆるな面が多かったって話よ。
大名行列の時に土下座さえしときゃ、とりあえず斬られることはないw いちばん生活が苦しかったのは武士以上に旗本だったな。 >>366
ここで先祖が武士って言ってる人もほぼ郷士の人だろうけどね。
それでもまぁレアだからすごいんだが。 >>370
江戸時代の役職を持ってない旗本は武力持った人間を飼い殺すためのシステムだったからね 一つ言えるのは古代から延々と受け継がれてたどり着いた俺という存在が子孫を残さず途絶えること >>95
これって明治天皇に替え玉になった人が写ってるとかいう写真だろ >>374
同じ根っこを持った分家が山ほどあって、
そのうちの一つが子孫を残すから心配するな。
絶えることはないよ。 >>353
いま苗字が多い一族はそれだけ人口を増やせた=経済力(土地)や権力があった
ということだと思う
下に「藤(とう)」が付く姓は藤原氏の流れで元をたどれば武士だったらしいが
その後に農家や平民になった家もあるろうが
佐藤 伊藤 齊藤 斉藤 加藤 後藤 武藤 工藤 後藤 安藤 江藤
遠藤 須藤 内藤・・ とやたら多くて日本人の約一割がこれにあたる
これらの姓が増えた理由は、子孫が繁殖できる社会的基盤があったからと考えられる >>373
それはベーシックインカムという
最先端の仕組みだよ 遠い祖先がどうであれ
今のおまえの評価には何も寄与しないけどな >>1
江戸時代は84%は百姓だったから、そんなに武士の子孫は居ないって良く言うよね。
でも、百姓は子沢山だけど、長男以外は所帯をほぼ持てなかった。 >>377
名前とか関係なしに大半が藤原の流れだよ >>380
家を継ぐ長男以外は江戸に出てきて
人足とかしていたんでないっけ
それで江戸が過密になったとか… >>381
まーそうかもしんないな
強いやつが生き残って子孫を残してるとすれば そこそこの武家だったみたいだけど、いうほど身分差なかったみたいやね 江戸時代の庶民は結婚はしないけどセックスしまくりだよ うちは室町まで家老職だったがお家騒動で放逐された家柄
没落武士はプライドがある分農民よりも暮らしは悲惨だったようだ もちろん農民なんだが
武士から帰農したって聞いてる
ド田舎の呑百姓のくせに
気位だけは高くてねえ 穢多非人の頭領だった弾左衛門は帯刀してるし、芸能界を支配してたり、ある意味特権階級だよな。 公家の落とし種伝説がある百姓
そこら辺一帯、皆貴族由来姓を長い事使ってたようだ 7%の武士の出ですがデカい領地持ってたけど明治政府に地位や土地奪われてしまいました
ウチ、金沢で超珍しい曹洞宗なんで武士の出確定なんですが、金沢市民もみんな浄土真宗だと思い込んでる農民の末裔が多くて閉口するw
意外と宗派で分かるんだなぁこれが >>391
士農工商エタヒニンという上下関係だと思われてたけど
そうじゃないみたいね 上下じゃなくて内と外
別系列でエタヒニンが存在していて、彼らには彼らの大名みたいのがいて
すごいカネ持ってて権威があって、大名行列みたいなこともしてたという
警察機能の下請けのようなこともしてた
まあいまでいうヤクザ社会が似てるけど、そもそも起源がそっちだと考えれば
当然か 芸能に携わったり、おいしいとこどりの面もあった そりゃ色々だろ
江戸時代から何代、何人の先祖がおるよ >>310
東北は長吏や番太のような被差別階級の警察補助がいなかったから
反士反農が足軽で警察補助や城下町への検問みたいな事やっていた >>384
人足とかは家出した不良。
次男以降は、労働力として死ぬまで独身で働く。 役所で連続戸籍謄本の除票だしてもらえば明治6年時点で確認取れたとこまでは遡れる、大体は江戸末期までが多いみたいね、あとは寺探して運が良ければ記録柄残ってる うちも金沢の武家だったが、あそこは武士率が40%超えてる変な都市だった。
幕府が潰れてから、町民が金沢市内に住み着くようになり、今に至る。
ちなみにうちは倒幕後も、GHQ占領後も、随分狭くなったが、屋敷はそのまま何とか維持してる。
使用済み刀が何本か残っている。
明治政府と仲悪かったらしく、廃刀令も無視、大東亜戦争時も鉄材拠出を無視、徴兵にも応じなかった。
刀には、幕府健在のときに無礼打ちにした町民の名前が、紙縒りに描かれてあった。
300年で五人くらい、切り捨てごめんやって、その度に謹慎してたらしい。
気の短い先祖だったが、お陰で、俺様は、東京の旧前田藩邸のあったあたりで、優雅に暮らしている >>394
浅草の穢多頭、弾左衛門は北関東から愛知東部の非人、芸能民、皮革職人、遊女屋などを支配独占して巨万の富を築いたと言うな マジでサッカー代表が侍ジャパンとか言ってんの失笑だわ
おまえら百姓ジャパンだろと >>405
ちゃんとボーカル入れて昔のような俺様バンドやって世界ツアーしてください伯爵 って言うか2代前で祖父祖母は4人、3代前で8人、4代前で16人、、、8代前で256人だから誰かしら農民いるだろ >>410
ていうか
その算数を続けると
全うな日本人であれば
先祖の何れかの時点で
天皇の血を引いてるって分かりそうなもの
帰農したはずのウチですら
清和源氏名乗ってたレベル >>407
たしかにwww
それは考えたことなかった うどん藩で家老やっとった
殿が維新後に蝦夷地に行けと言って
士族移民 天皇に使えてたらしい
苗字は藤原から派生したで爺が子供の頃住んでた地域もその一族が集まってたとこらしいけど
爺ちゃん謎の仏像しか残してくれなかったからなにもわからん よく知らんけど武士が支配者階級で農工商は実質同列だったんだろ?
建前上は米や物作ってるほうが尊いよねってことで農→工→商の順になってるだけで
豪商なんかだと武士に金貸してて武士より実質偉かったりしたり
エタは漢字で穢れが多いと書く
冠婚葬祭とかに関わる人が畏れから忌避されて差別につながっただけで下に見られてたのとは違う
今ちょうどコロナ脳が医療従事者を差別するようなもんで
よくわかんないけど怖いから寄るなってことで医療従事者を下に見てるわけではない
ヒニンはふつうに古事記とかの披差別対象だっけか 元々鹿児島の離島の流れだから百姓やエタヒニンですら無い >>417
4代遡るとしても、16家あるからな
その中の大半は農民なんだろうが1家でも武士っぽいのがいれば武士の子孫と主張するから
数は多いだろう >>410
それでいうと1700年もたどれば、日本人でさえあれば
全員どっかしらで天皇家とつながる計算になるんだよね
だから日本民族は全員「天皇の赤子「」だと言われた
天皇家は日本一家の総本家みたいなもので
被差別部落は部落以外との婚姻ができないので外部とみなされたのかも知れない
在日朝鮮人はもちろん祖先を3万年くらいたどっても
かすかな天皇とのつながりがあるかないか
白人黒人は100万年とかじゃないとw はい。茨城県から祖父の代でこっちへ引っ越してきました 大体は氏族辿れば日本神話の神に行き着くので神の子だぞ 叔父が調べたみたいだが絵師やら武士やらみんなバラバラな職についていたみたいだ
戦前まで金持ちの家系だったみたいだからさもありなん >>422
建前というか儒教の理念上だな
実際には、例えば農の庄屋と町民(商工)の町年寄りが
公の場での席次なんかは町民の方が上だった
エタは忌避だけじゃなくて下に見られてたよ >>2
こんなんほぼ全員先祖に農民がいるに決まってるでしょw 自分家の仏教の宗派知れば、大体わかるよ。
階級によって宗派が違うし、寺によっても武士 商人 農民 別れてる。 家系図とかもあったみたいだけど自分の代で親戚付き合いとかしなくなったからわからんな
親が先祖は殿様だったとか言っててもいまいち信用できなくね? >>422
異物に対する感覚に近いんじゃないかな
たとえばヤクザとか特殊な人々、芸能者に対する怖いものみたさのような
恐れと同時に惹かれる部分も多少あったようだ
まあ外道って憧れるでしょ >>422
どううろ覚えしたのかわからんけど古事記や日本書紀に非人なんて出てこんぞw
名前的にも立場的にも発祥は平安時代あたり
それに江戸時代にしたって穢多同様ことさら差別対象だったわけでもない
広義には無宿は全部非人でもあったし芸能民も非人の仕事
大人気の辻芸人=非人とかなんぼでもおった あれ、団体がねーぞ大昔からあったとおもってたけどなw存在意義ないのかw >>429
島国であることからその理論は成り立つな 大陸だったら無理 >>431
それは昭和のパヨ史観で江戸時代否定のために作られたもっともらしい嘘やぞ
そもそも中国古典で士農工商は儒家じゃなく法家がよく使ってる
順列も農士工商や士商農工といろいろある
単純に民全体がつく主な商売を並べただけだ 親父の実家は農家で その末裔の俺は働かず暮らす貴族になれたわ 全国の銀座由緒書に出ている氏族名家
ルーツは最古の大国主ルーツの先住出雲族でした。 元々は武士だって農民だからな
平安時代に朝廷が警察的組織として機能しなくなったせいで地方の豪農が自衛の為に武装したのが武士の始まりなんだから
以来、明治維新までずっと農民同士が田んぼの奪い合いをしてきたのが日本という世界 >>407
>>414
大日本帝国の時に
国民皆兵やったろ?
つまり
国民全部が天皇を守る侍になったと考えて
何の問題も無い 百姓だったろうけど、蔵の長持に古い刀があったなあ
昔コメとか融通した代わりに貰ったもんかな、何にしても家系図とかないし本家も農家だしその先は誰も知らんし >>445
いや、ウソとまでは言えないでしょ
当時儒学者の書いた書物に、理念として
農を尊び商を卑しむ的な事が載ってるのも事実なんでね
実際には上で書いたように、町人の方が上に扱われてたけど
まあ最近の捉え方としては、農工商をまとめて平民とするのが主流みたいだな
農工商がそんなにはっきり峻別できるものではないし、相互の移動も
頻繁にあったらしいし 総家は鎌倉時代に嵯峨源氏の松浦氏能力を認められ武家に成っている。
社家は最古の大国主の一族として江戸時代初期に復古神道で元出雲地域の神主や宮司に任官している。 じいさんの代まで坊さんやってたらしいけど、そのあとなんでか知らんが
自営業になって、8年前までガソリンスタンドやってた 母方は僧侶で父方は豪農というか寺にでっかい一族の墓あるわ 関東の家の一族は豪農が多い測量士一族として有名だったらしい。
根拠地の関西では海人族で有名で
漁夫、水軍(松浦党や村上水軍ルーツは志摩(熊野)水軍で後の織田水軍や九鬼水軍の大本、嶋衆がルーツ)。 江戸時代初期には総家は
小笠原巡検士隊隊長に幕命で任官し
小笠原諸島を調査し此島大日本国領土の立て札と父島に三神神社を建立。
江戸に帰還し小笠原諸島の珍物と測量地図を徳川家光に献上し
交流の合った水戸光圀公の水戸藩の姫君を後妻に嫁取る。
そんな家の総家は古くから○屋を営み
一族で米、船、飛脚、廻船問屋し
飛脚問屋は開祖として国土交通省に記録
明治初期〜二次大戦期の戦時中までの
全国汽船業で有名となり国策の日満航路を民間唯一の一族運営。
貨物、貨客船最盛期には37隻を登録。
保険関係で英国船籍登録し日本国内の
読売新聞社などから大バッシングされた
悪名も神戸大学に記録保存されている。
江戸時代の完全国内製造通貨の
寛永通宝、新寛永通宝の美しいレア古銭でも○屋文銭、無銭で高額取引されている。
有名氏族屋号で商印は山上印。 念仏唱えるぐらいのもんですw
しななきゃ治らないってこいつらのことな うちは有名な武家だった
戦争で刀とか甲冑を全部軍に取られた
溶かして武器にするていだったけど、横流しされて幹部の小遣いになったんだろうな 現代で家の氏族の有名人は
元東宝社長で現日本アカデミー賞協会会長の人や
元国立東京博物館副館長で現九州博物館館長兼ユネスコ記憶遺産日本委員長に
元YAMAHAテクノロジー社長。
現富山地方証券会社○大証券社長。
現資生堂副社長。
元米国製薬会社ファイザー取締役の方などが居ますね。 一般に有名なのが
松浦社長のエイベックス所属○谷ひとみ 日本書紀に登場する大国主以外の有名な先祖は八幡神の応神天皇家臣の斯摩宿禰
大国主直系の神門神家の神門伊賀曽熊の末子、島津(志摩)国造家の島(直)氏=斯摩宿禰です。 激レアな名前だし、ヤクザなおじいちゃんが先祖は忍者って言ってたどんな事してたんだろうね。郵便とか? >>1
江戸時代が昭和時代と同じ様に完成された社会構図だったことが写真からも垣間見えるな >>472もとい
日本書紀に登場する大国主以外の有名な先祖は八幡神の応神天皇家臣の斯摩宿禰
大国主直系の神門臣家の神門伊賀曽熊の末子、島津(志摩)国造家の島(直)氏=斯摩宿禰です。 >>473
朝鮮半島で迫害をされ日本へ渡ってきた
コジキ行為などして食いつないできたが
最終的には小作人として生計を立ててたみたいだな >>476
それは高句麗渡来の傀儡師で
傀儡師は日本の忍者のルーツにあらず
日本の忍者のルーツは出雲族
陰陽道開祖役小角の山伏修行から
行業を極めたモノが草→忍→忍者と成った。 >>464
そのルーツは
ニニギの兄ニギハヤヒで徐福秦氏とも言われた男天照の子孫。 刀は伝わってるが
系図は見た事ないな
やはり農民だろう ニギハヤヒは杵築大社神主だった大国主(八千矛)を殺害して天穂日を杵築大社神主にした大罪人。 >>1
そもそもの話をすると、日本人の97%の祖先は韓国人 >>479
城下町の商人≒町人だよ
町人てのは表通りに店構えて町の運営にいくらかの権利と義務を負う人で
長屋に住んでる人は何の義務も持たないかわりに権利も持ってないから町人じゃないんだわ
だから大抵の場合商人である大家とか町名主・町年寄が親代わりの後見人になるわけ
あとこのキチガイがスレ立てるたびに出る話だけど85%農民てのは
明治に戸籍作る時士分と町人と一部特殊職能民以外全部農民に勘定したから
漁師や猟師あるいは村の鍛冶屋や木地師炭焼きほか細かい仕事全部農民になってる >>1
半分が男、さらに半分が幼老とすると総兵力は50万人くらいか >>485追記。
厳密には大国主(八千矛)から八代目八千矛の出雲(神門)振禰の事だけどね。 >>489
水呑ってのは単純に自分で田畑持ってないって意味でしかなく
口入れや廻船で稼いでた大富豪水呑もいっぱいおるんやな オカンのオカンのオカンのオカンって遡っていったら最終的に誰まで行くの? >>494
現代人の開祖と言われる北アフリカに住む女性 父方は半士半農の下級武士
母方は庄屋職の農民
まあ農民の末裔 サムライ魂→百姓魂
サムライジャパン→百姓ジャパン >>494
日本人の場合、殆どが韓国人に行きあたる それなりに大きな豪農?庄屋みたいな?和宮ご降嫁の際、江戸に向かう途中泊まったか休憩したかで家に寄って、先祖がその時お話相手を務めたと誇らしげにおばあちゃんが生前何度も言ってたわ。今は別に普通の家。 案外
神門が竈門の元で
七枝刀も斯摩宿禰の使者が百済肖古王から賜り応神天皇に手渡した話の絡みかもね。 もののけ姫の
ダイダラボッチ=神門八束水臣野
アシタカ=神門阿遅須枳高彦根
だからね。 ラノベ書こうと下調べして設定作ったんですね
わかります俺もやりました
てもそれを自分に投影するのは一線越えて病気のエリアです 柳生十兵衞も本姓を菅で埼玉県の南関東国造の大宮・氷川神社神主家で祖神を
能見宿禰とし能見宿禰は先住出雲族の
向(富)家だから柳生十兵衞も出雲族ルーツ >>500
気持ち悪いぞ
日本人は猿でいいからやめろ
日本人と韓国人には遺伝的繋がりが無いことが証明されてる 400年前から近畿地方のド田舎の農家
ポツンと一軒家に登場したことがある 先祖は、苗字帯刀して居たが。農民だったよ。450年くらい前から。 魔法科高校の劣等生も司波で司馬なら
埼玉県氏姓苗字辞典サイトのシ行の島氏にある
斯摩、志摩、司馬は島と記す。で
大国主ルーツでマヘシュバラ
大国主(八千矛)=大黒天=マヘシュバラ=大自在天シヴァ=ヴィシュヌ=ブラフマー→アートマン 俺の先祖はフィリピンの戦士だった ある時村の掟を破って日本に逃亡して来たらしい この質問はせめて3代前に直系かその子供くらいでないと意味ないだろ 先住出雲族二大王族
神門家と向(富)家
始祖が国常立(クナト)大神。
クナト=イクナートン王(エジプトのファラオ、アメンホテプ4世・アクエンアテン)祖はアメンラー=アッラー=ギルガメッシュ王=マルデューク神の祖がシュメールのエンキ=2代目ヤハウェー神で親がアン王で初代ヤハウェー神。
日ユ同祖論では
アブラハム→イサク→ヤコブ→シメオン(シモン)..
シモン=神門。 うちは明治まで九州の山奥に潜んで暮らしていた
親戚はみんな浅黒く彫りが深い人ばかり
南方系のたぶん熊襲の末裔だな たぶん百姓出
4代前まで知ってるがそことは縁切りしてるからそれ以上わからない うち先祖は士族だけど貧乏な時代は使用人達と一緒に雨傘作って売ってたらしいから商人も兼ねてた感じになるのかな?
でも侍は基本慢性的な金欠だと思うの 父方は薩摩士族、篤姫ゆかりの一族。
母方は駿府の与力。オレはコンビニバイト、ウーバーイーツもやろうかと検討中。 先祖なんて遡れば1000人になるうんぬん言ってる
人の先祖は100パーセント農民凡人 平家と源氏を騙るやつは大抵クズしかあなかった
お前らのまわりはどう 今年は大河ドラマで騒いでいるが 実は渋沢栄一は地元ではそれほど人気はなかった やっぱり日本人は秀吉みたいに貧乏から苦労して成り上がった というのが好きなんだよね 江戸時代からの豪農のせがれがそのまま新政府の官僚になった では面白くもなんともない まあ紆余曲折はあるけどね 元々は武家
ただ、俺の祖先はそこから離れて神社兼農民となった
ちなみに本家とはめちゃくちゃ仲が悪い >>334
存在の大義名分。
天然痘ー飢饉ー国分寺建立ーなどで
全国の神社が荒廃した
これを再建せよ。
な。
地方に楼門など建ったのが武士による寄進。
だんだん豪華絢爛化していった。
庶民も有難くまた工事で生活も潤った
徴税年貢の大義名分でもあった 山奥の関所に住むしょーもない武士だったと聞いてるわ >>66
(´・ω・`)
>>104
宇和島?
>>151
お酒やさん?(´・ω・`) おれは何十代も続く平家の末裔だよ
大地主だったけど農地改革で貧乏になった
地元には同じ苗字多数
いまは億トレとしてお家復興を目指してるわ 自称武家出身の元農民も掃いて捨てるほどいたから爺さん婆さん辺りから聞いた出自はアテにしない方がいい うちは平城からずーっと続く記録官吏
木簡から始まり大量の歴史的な資料を
保有している
数年おきに一族で写本をして維持してきた
政治の裏側から街の噂話まで記録してきた
今も続けていて量が増えていく >>141
ただの末裔なんてねずみ算式で大量にいるだろ
本家の末裔はいるの? 本家本元は武田の武将だったらしい。
長野の集落で地名になっていて、〇〇氏発祥の地とか案内が出ていた。
現在、そこの住民に〇〇氏は一人もいないらしいけど。 うちは母方が農民、父方は武士で弓の名手だったと記録がある 元々農耕で生活してたのに、ここ100年足らずで社畜
社会に適応出来ない人が続出してもおかしくないよな ウチは米とお蚕さんと梅の農家だったわ。今は身内で食うだけの米を育ててるだけだが 地元地名由来の姓は各時代でそれなりに栄えて各地に広まった
代々兄弟従兄弟でぱっとしない方の血を辿ったから地元に残ってる こういうスレだと朝鮮人いないな
強制連行されただの慰安婦だの言っても惨めなだけだもんな ↑の自称武士の子孫に質問ですが
顕彰会や黎明会のどちらに入ってますか?
また会費はいくらですか? 豪族戦国大名の家臣だったけど
秀吉に取り潰しくらって農民になったらしい かなりの数を占めた半農半士を理解してないデータを持ってくる>>1はバカなんだろうね >>445
実際は百姓天下の時代だった
百姓が害獣駆除用に使う火縄銃の保有量も幕府や各藩の士分よりはるかに多く黙認されていた
民を食わせられない=政権転覆だからな
暴れんぼう将軍こと徳川吉宗も
新田開発・サツマイモ栽培の奨励と庶民を飢えさせない事に腐心した 父親は商人は母父は農民だ母母系は北町奉行所勤務、公務員は江戸時代だと何扱いなんだ? >>563
税制改革をしただけで一揆を起こされて改易になった郡上藩は武士が被害者だよな。 父方酒屋母方武士だったな
どっちも祖父の代で養子で入ってるから先祖もクソもないが 564
奉行所での役職は与力?同心?
それから今の徳川黎明会の会長は誰?
会費はいくら? >>568
徳川黎明会なんて武家の子孫だからって入るもんちゃうだろw >>95
佐賀藩の英語学校の写真を西郷や勝海舟などの維新の志士たちの名前にすり替えたものとして有名
かなり悪質
フルベッキ群像写真
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/フルベッキ群像写真
信じてる奴とかまだいるの? 江戸時代の加賀藩の階級別人口比
武士 2%台
足軽等 2%程度
↑
前田家と同じ曹洞宗(代々曹洞宗の武家は割合で4%〜5%程度)
百姓、町人 約92%
(町人って実は少ない。6%とかその程度で、大多数が城下町から外れた田舎で農民していた)
↑
農民、町人は浄土真宗の仏教徒、加賀の一向一揆w
少数の者が武力で抑えつけてた軍事独裁国家みたいなものやねw
それと前田家は自分の宗派を加賀の農民層に押し付けなかったのがうまくいった要素と言われている
階級別に宗派も分けた
>>564
江戸時代の武士は実態としては公務員といっしょなんで
公務員は江戸時代だと何扱い?って問いの答えなら「武士」ってなるかと
○○方は今だと何になる?って話だと
今の公務員で相当部署名になると思うよ >>573
半農半士をどちらに入れるかで統計が大きく変わるからそれを明記してないと話にならない 結構偉い系の家だったらしい
子孫めっちゃ落ちぶれてて草 >>562
佐賀鍋島藩はどうだったんだろ?
幕末はかなり先進的だったようだが 武士としては大名側近の結構いい家で明治以降にも業績あるんだけど鎌倉時代位の家の由来みたいなエピソードはかなり胡散臭いと見ている
徳川家とかですら家のルーツとかかなり盛ってる位だからね 産業革命で周囲の農家が小作に没落して近くの庄屋に取り込まれる中
うちの家だけは養蚕農家として生き残ったが
GHQに土地を取られたとばあちゃんが言ってた 両親2人、祖父母4人、曾祖父母8人… 先祖と言ってもねぇーw 一部の家系以外遡れないだろ?w なぜか槍があった
無登録だったので親父が死んだとき遺品で警察に提出して処分した
錆びた脇差もあったけど
あれはどうなったかな 何でお前ら苗字名乗らず自慢してんだよ意味わかんねえよw受けるw 一口に農民と言っても豪農と水呑百姓じゃ天と地程の差があるからな。 じいさんの親の代は割と豪農だったが
保証人になって落ちぶれたとか言ってた 御先祖様はどっかの旗本の三男坊だったって聞いたな
家宝の刀は何故か峰の部分がかなり傷んでいたらしい 離島で城の近くに住んでる訳でも無いが明治時代の戸籍を見ると士族と書いてある [ ::━◎]ノ 島津は農民も誤チェストしてたの? 農民にも色々あるからなぁ。
地元の郷土史調べてたらウチの町は源平の頃までは有名武将配下の武士団の村で、
江戸時代も半農半武でソコソコ名前の知られた徳川旗本直属、
馬牧場は、村人と旗本である領主と共用(というか村の馬牧場を領主も使用させてもらっていた形)
さらに家康の政治僧・天海が、直々に村の中心の寺を自分の配下に成るよう説得に来ていた。
つまり関東で戦が起こった場合は、旗本の配下の戦闘部隊として急遽動員出来る体制になっていた。 うちは土地持ちの農家で墓は石切出したような形で天保5年と刻まれてる
曽祖父曾祖母両養子だから血も何もないけど 先祖が鍛えた刀身がじいちゃん家の近くの神社の御神体として祀られてる
なんかるろうに剣心みたいでかっけえw 苗字のサイト見ると天皇家の子孫とか書いてあるけど何十代前の話だよって感じだし うちの先祖は郷士なんだが、農民と武士のどっちを自称すればいいの?
一応地元の名士だったみたいだが 一つは農民で関西から北海道に移住したらしいその後東北へ
一つは公家に仕えてたらしいが良く知らん
どっちも関西から来たらしい
>>15
ウチの東北方の家がそれだ
GHQに取り上げられた後に自衛隊の基地になってる 俺んち商人だわ
ほとんどいないっていう珍しさのみだな ハゲ家系の先祖は大体が武士。月代の影響があるんだろうな。
反面、フサフサ家系は百姓らしいな。ほとんど月代無精だし。 一応武士だが戦国時代に負けて身分落とされた下級武士化した家だからな。誇る意味があんまない
江戸時代に300石取り以上ないと誇れないんじゃないか 爺さんちは今も農家だし先祖は絶対に農家だろうな
俺もサラリーマン辞めて農家になりたい 長篠合戦に敗れた武田軍の落武者集落末裔だわ
長篠合戦に敗れて北へ逃げた武田軍は織田軍に徹底的追い込まれるんだけど
徳川の懐(現愛知県)へ逃げた武田軍落武者は集落を作り生き延びて
子孫はのちに小牧長久手の戦いで徳川へ与力した
という言い伝えが残ってる Twitterに武士のつもりのやつ溢れかえってるよな 先祖が藩名簿に載ってるし戊辰戦争で戦死してて討たれた場所に名前つきの石碑立ってるから、まぁ間違いなく武士だと思うけど正直
今の自分の地位、名誉、肩書、収入 >> 学歴 >>> 容姿 >>> 先祖の身分
であって所詮優先度高いからな。
先祖に肩書あっても一部歴史好きと会話が弾むくらいであんま足しにならんよな 先祖は2の乗数でいるはずだから武士もいれば農民・天皇までいるのが普通だわ どこの宗派の檀家か?でも何となく判るかもねw
宗派も地域と特色もあるからね >>630
うちも八百屋だった
ちなみに江戸期末の八百屋ってのは
今で言う銀行のことだからね 忍者ってことにしとけ
記録に残してないのも納得がいく 帰農した武士が多いし農民の大半は武士の血入ってるんじゃないか? >>635
帰農せずとも農民は戦国時代とか駆り出されて戦場を駆け巡ってたし落武者狩りで武士とか襲ってたからな
農民だからと馬鹿にできん気がする。
搾取されるだけの存在とはまた違った凶暴さがあるよ 今もかわらないんじゃ?
不労所得のみで生活できる数%の資産家。
残り大半は働かないと生活できない労働者階級。
籠や馬車が運転手付きの高級車に変わっただけだし。侍のかわりに社長に頭を下げるだけだし。 うち戦国時代は武士だったけど
江戸時代に農民区分になって
漁師の網元でその辺の武士商人より裕福だったらしい 漁師いないのかよ
これで海洋民族なんてよく言ったもんだな 名字である程度は判断できるかも知れないけど家系図がない限り信憑性は薄い >>25
本当順列つけるのが好きだな
下から数えた方が早い人間のくせに >>649
そもそも家系図があやしい
かなりいい家でもまともにとってない時代のが長いから適当に由緒ある家の傍流みたいな感じでくっつけてるのが多い >>651
そりゃ家によるだろ
家に記録残すつか寺に墓持っててそこで代々の記録も寺で残ってるからな。
このパターンで農家ですら家系図残ってる場合もあるし 父方先祖は墓に「朝臣」て文字があるから多分侍系
母方は農家だけど屋号があるから商売もしてたのかも >>651
ほんとにまともな家系なら家系図は寺が管理している >>654
寺が持ってるのは過去帳と江戸時代の人別帳で
家系図つくるのは寺のやる事じゃないんじゃね? 結構いるが藤原とかいう名字つけてるの家が一番恥ずかしい。名字なかった輩が明治につけたのだろう感が丸出しでもうね
本物は藤原じゃなく別の名出しな 毒見役してたらしいから農民では無さそうだが、中間管理職レベルだろうし何の資産も残ってないわ。
唯一殿からもらったという金の酒坏も叔母がママゴトで使ってて無くなったとかw
先祖の身分なんて完全にリセットされてるし農家の方が金持ち多いだろ。 先祖は鹿児島だが、何してたか不明。珍しい姓で鹿児島と岐阜の羽島らへんに同じ姓がいる。想像だけど、江戸の治水事業に派遣されたけど、過酷過ぎて逃げ出した百姓だと思ってるw >>659
飯食うだけの仕事って
職としては恥とされてたけど
毒味役ってけっこう上役の人間が付く仕事だぞ
何も残ってのないのは
見下されてた分
明治維新後に拾ってくれる所なくて
私財売って生計立ててたからとかじゃないかな >>652
>>654
そりゃ家によるのは当たり前の話だ
遡るほど信憑性もどんどん薄くなるし地域の移動も挟むから寺の記録ごときじゃ限界ある
まともな家っつったって大名クラスですら源流とされる氏族との繋がりが曖昧な事はザラにある 渋沢家はどっちなんやろ。結構な商人に見えるし、あんな利口な子供が農民から出るとは思えん オラげは昔っから百姓だ!って死んだ婆さんが言ってた >>661
なるほど、スゲー納得
今だったら食関係の仕事なんてたくさんありそうだけど当時じゃ何の糞役にも立たんかっただろうな 涙 >>660
岐阜羽島の方は、お世話になった薩摩義士にあやかって、明治に入った時に名字を貰っただけじゃないの?w >>668
なるほど。薩摩は武士比率高かった藩らしいから、僅かに薩摩藩士だった可能性もあるのかもなw >>663
壬申戸籍の記録
祖父母や曽祖父母が目にしてたら一度くらいは家族に聞くだろ
士族と書いてあるけど墨でばつ印が入れられている
あと寺関連の記録はバカにならない
必ず檀家になる決まりが合ったし
それを元にした宗門人別改帳は今で言う戸籍だから 俺のご先祖様は平家の落人なので800年ほど山で隠れて暮らしてたんだよ
だから難民だなw ぶっちゃけ武士って今でいうとどんな家系だったの?
乱暴者? お前ら陰キャで恋愛もしたことないし病気持ちのメンヘラも多いしけっこう底辺職のくせに
先祖だけは武士?
ウッソコケ🤣🤣🤣wwwwwwwwww >>670
人別帳は家族構成も載ってる名簿みたいなもんだから
それだけみて、家系みたいなもんはわからんよ 彦根藩も武士の割合多かったから彦根近辺には先祖が武士は結構いるな。息子の同級生は井伊家の人だし。
うちは曾祖母が言うに彦根藩のお抱え絵師だったとか旗本だったとか、琵琶湖湖岸を祖父母の父に乗せられて馬で疾走したとか、毎回言う事が違う。
馬のエピソードは暴れん坊将軍を見て自分の体験に脳内変換されたんだろと父が笑ってた。
まぁ、祖父母の実家はかなりデカいからそこそこの家柄なのは分かるけど。 >>675
人別帳は石高も載ってたりするぞ
そもそも幕府が徴税の参考にするためチェックしてたからな 名字と出身地から、壇之浦で負けて落ち延びた平家の下級武士からの戦前まで百姓 まではわかっているが、その前は不明。 500年位前から農家だけど戦中までは住み込みの使用人を数人雇ってた。
農地開放で没落。今では本家のうちが一番貧乏。 >>670
墓じまいとかそういうのを流行らすマスコミの狙いがわかろうものだね >>664
農民は利口じゃないとできんぞ中国も日本も商売上手なのは
農業という下地があるからだよ
物作りとかいうが工業は農業に不向きな不毛な地でやるものだし >>361
武士は名門武家の直系でもなければ貧しいよ武士は食わねどっていうぐらいだ
あくまで名誉職だから公家もそうだけど >>685
武家と武士が違うのと同様に農家とか農民も違うよな
家業としてやってるのか雇われなのか >>413
昔の人は子沢山だし政略結婚で分家を作りまくったりしてるから
生き残った人間が武家や公家の末裔でもおかしくないんだよな
競馬だって辿ったら三頭の種牡馬にたどり着くわねでね 一代前は父母で2人その前は4人
江戸時代の頃は何人になるん? そりゃ百姓やろなあ
家系図ないから祖父より遡って家系のことはわからん >>658
これよく言われるけど、藤原を名字で名乗ってた家も
あるにはあるんだよね
藤原が地名として昔から各地にあったのよ
で、例えば今の奈良市藤原町には鎌倉の頃から
地侍の藤原家がずっと続いてた
江戸時代のいろんな藩の侍帳も調べたことあるんだが
藤原家は多くはないものの、ちらほらあった
だから藤原=明治新姓とは言い切れない
>>692
世代30年で計算して幕末ごろなら150年前で2の5乗32
江戸初期なら400年として2の13乗8192
だけど実際にはいとこ婚とか、共通の祖先を持つケースが
かなり多いはずなのでどれぐらいになるんだろう
半分くらいになるのかね? 江戸中期以降の武士っていわゆる公務員でしょ?
今で言う警察や自衛隊も含めた。
比率は今の公務員:リーマン、自営業と変わんないんじゃないのかな。
産業も一次産業以外ほぼ無いし。 自分は東京生まれで曾祖父の代まで東北
先祖が赤松氏なのに名字も赤松じゃない
今の名字の由来は聞いている 戦国時代は織田から逃げる勝頼守って討死、江戸時代は幕府の家老首座、そんなすごい人の子孫の俺は一般人ww >>702
です
遠くは清和天皇、源氏、足利氏と続く家系ですが情けないw >>679
7世紀から防人(今の徴兵)だった時期もあるからな
神奈川(相模國)や山梨(甲斐國)と同じ木簡が佐賀で見つかってる
徴募され歩いて九州まで行ったのだろう >>696
かつて一人だけいたよ アホなイタリア料理人だったが
海外在住者同士なので 日本人同士割と距離が近くなるんだが
「源平藤橘のついた苗字は由緒ある」って 女性客に上から目線で言ってた
客に対していう話題かね?w マジでアホなやつだったな 藤原
日野って銀行員も京都の天皇家に仕えてた一族だって自慢してたけど
先祖を自慢する奴は ほとんど(今のお前はどうなのさ?)ってレベルよな(´・ω・`) プライド高いから浮くんだよw 栃木の方ですが幕末は武士で馬なんとかという仕事をしていたらしいです、武士で馬とかなんの仕事だよw >>703
やっぱり
片手千人斬りの人やね
小説、マンガ、ゲームでも出てくる人まで
遡れるのは羨ましいなあ >>707
こないだその片手千人斬りの墓参り行ってきましたよw甲府の道端にポツンとあるんですw 結局武士の地位が消えたのって時流と楠木正成せいだね
楠木正成といえば江戸時代の武士の圧倒的スーパーヒーローだが
その実,、史上最強のアンチ武士の存在 >>708
マジか!
子供が男だけで10人超えてると聞いていたからどんな好きモンなんだとか思っていたけど納得した >>709
あんまり詳細に訊いたらあれかもしれんけど
そこまで養子とかじゃなく血縁関係として直接遡れるの?
最近だと岩明均のレイリとか読みました? >>715
実家に伝わる資料残ってましたよ、誰々はいつ産まれていつ死んで足利尊氏に従ってた時はどこの守護で戒名は何々で、武田信玄に従ってた時は何々で、石高は〇石で〜、徳川幕府に入ってからは云々で
とかなんとかいっぱい書いてありました
それが足利泰氏の7男のところまで遡ってました
で、足利泰氏から上はネットにも書いてましたし自分で調べました ウチも庄屋で大地主だったそうだが
農地改革でかなり持ってかれて
残りはジジイが売り飛ばしたから
今や何もない 「庶民の家に伝わる家系図で、武将や名門に繋がっている物の8割9割は偽物である」
って、太田亮が断定しているね
戦前の有名な歴史学者。
他の人は、その家が江戸時代何をやっていたかっていうのも参考になるとか
昔からずっと庶民なら怪しいって
偽物を作っている可能性があるらしい
由緒書きなんかも 偽物を作る時にありがちなのが清和源氏系
これは武士がよくやってたパターン >>720
あら、そうなの?w
じゃウチもかな?wでも某県にある国重要文化財?の武家屋敷に親父が小さい頃住んでたんだけどなあ、、
あと戸籍?明治まで遡れるやつでなんか色々書いてあったけど、、 >>722
壬申戸籍はとっくに見れなくなってるだろ
何歳だよ >>714
知覧茶は美味しいね
ちなみに俺はは米屋と豪農のハイブリッド 江戸時代に東北方面から新潟に新田開発に来た農家だわ
沢山開墾したし、お殿様の休憩所にされてた
寺の火事で過去帳燃えたから300年位しか遡れない >>723
あ、そうなん?w
実家のやつだから知らんかったスマンw
なんか戸籍のやつだよ役所で金払ってとるやつ、明治までのが載ってるやつだったそれ ウチの家系は武士だったって神社にある書に書かれてたらしい
チョンじゃなくて良かったあ・・ >>723
あ!あと親父が何年か前に徳川家宏?だか家広さんとなんか会合してたわ! >>734
あなたの家は書いてることを信じれば
大名家そのものか分家の旗本かなんかだろ?
ウザ絡みせんでいいじゃんかw
そういうちゃんとした家じゃなくて
地方で「名家」扱いされてる元庄屋クラス
とかの話でしょ
苗字帯刀を許された時とかに由緒を
提出したりするんだが、その時の添付
の
家系図なんかは怪しいのが殆どらしい
ちゃんとした武士クラスでも
下にいけば嘘家系図は多いっていうよ 父方高祖父父 庄屋 医師 大地主
父方高祖父 貴族院多額納税勅任議員
父方曽祖父 東大医 貴族院議員
父方祖父の兄 早慶 市長 県公安委員長
父方祖父 マーチ法 検事 公証人
父方祖母 旧制東京女子専門学校(現私立大学)
父方祖母の弟 東大理 私立大学創設者
父の従兄弟 日東駒専理→アメリカの大学院 大手総合電気メーカーイギリス勤務
父の弟 早慶法 法律事務所勤務
父の妹 マーチ文 保健所
父の妹の夫 旧帝理 海運会社社長
父 マーチ理 市役所
母方祖父 高卒 県庁
母方祖母 中卒 専業主婦
母の兄 日東駒専文 建築零細社長
母 Cラン私立文 東証一部証券会社
従兄弟 早慶理 メガバン
従兄弟 マーチ文 映像製作会社
私 偏差値38高卒〔大学中退〕 高齢無職職歴無し 幕末で100人以上、江戸中期で5000人以上、江戸初期なら5万人以上祖先がいる
無駄な問いかけ 役所に保管されてる古文書だと
戦国時代は土豪で江戸時代は名主だった
爺さんの代までは地元の名家として扱われてたけど
親父の代で破産して家屋もなくなったよ 前世はお姫様とか言われて真に受けてるバカ女
前世なんて百姓や漁師に決まってるだろ 田んぼメインに畑作、養蚕、養鯉、機織りしてた農家
分家からは「母屋」と呼ばれ、他の人からは「○○様」と呼ばれる
殿様の休憩所にされてた少し大きめな農家
殿様を馬ごと担いで湿地渡ったという変な伝説付き
ご先祖は新田開発で来たんだけど、ご先祖開墾頑張りすぎて至るところに土地があるんだけど今一把握しきれてない…
河川改修にも尽力してた
長持の中に刀とか色々入ってる
祖父はインパールの生き残り 江戸時代に今の地に移り住んだけど、タイミング的に大名と一緒に移動した模様
役人か何かだったと考えるのが妥当だろう なんでおっさんの溜まり場のニュー速に名家が多いんだよ 父方の祖父と母方の祖母は先祖が士族だが父方の祖母は先祖不明で母方の祖父は豪農だったとしか分からん 某藩の家臣だったらしく、今も墓は城下の寺内にあるけど、祖父が女と駆け落ちしたから本家からは見放されてる。 テキヤと言うか香具師はどんな扱いだったのかなあ?
今の時代は人間扱いされてないけど >>745
このスレに名家が多いって
お前の名家基準はどうなってんだよ
お前んちが遡れない糞家系なだけ
下級も入れれば武士の末裔なんかまぁまぁそこらにいるだろ 俺の名字は 宇喜多(うきた) なんだが、父が
【うちって、もしかして戦国武将の宇喜多直家の子孫なんじゃねえか?】 と言って、
行政書士に8万払って19代前にまでさかのぼって調べてみたら、先祖代々筋金入りの百姓でワロタw >>749
香具師はヒニン支配、江戸関八州だとヒニンはエタ支配なのでエタ支配ともいえるけどね
他に、太鼓持ち、猿回し、紙くず拾い、物乞い、草鞋売り、夜鷹なんかもヒニン支配。
歌舞伎は途中でヒニン支配から抜けた。
この支配ってのはその生業を管理してる的な意味なので
個人の身分がエタやヒニンというわけでもなかったりする >>95
何でみんなカワハギみたいな口元なんだろう 平戸藩士だったのは間違いないけど
下級武士なんぞ只の土豪やがな >>755
歯科技術が今一だったから
皆虫歯だったんじゃね? マジレスすると
明治以降に混じりあってるから
殆んどの人が士農工商のミックスなんじゃないの? 城の建築に携わってたらしいけど、今は3代前から農民 ネットの先祖は武士率とじいちゃんは戦艦大和の生き残り率は異常 >>758
多いだろうな
うちの場合、藩士の名簿にもちゃんと載ってる武士の家だが廃藩置県でえらい目にあって金も特権なくなりバンバン農家の血も入り込んだからな。
そんな家腐るほどあんだろうな つーか、未だに士農工商という区分がまかり通るんだな >>762
うちも母方の家系は武士やけど父方は農民やな。 うちなんだかわからんけどどうやって調べんの
祖父の父が山奥に住んでて、山奥で何してたのかわからん >>768
明治時代までなら戸籍謄本、それ以前なら寺の過去帳 ウチは農民より遙か下の商人だったらしい
お蔵から殿様の借用書が出てきたんだってさ 母方は毛利の上級武士。本家いったらサビサビの刀とかあったわ。父方は農民。 >>734>>736
横入りしてスマンが、ぶっちゃけガチはどうかは墓見れば判る。
俺は歴ヲタで、知人の家系図見せてもらって調べたりするのが結構好きなんだが、「コイツん家はガチだ」と思った奴は後から聞いてみると100%墓(というか寺)が普通と違った。
自称「戦国時代まで武家で武田信玄に滅ぼされた」という同僚Aの家の墓は、長野の山奥の寺で先祖代々の墓石が100個以上あって、帰郷したらその1つ1つに水をかけなければ成らない。
自称「家康の岡崎時代からの家臣で江戸入府時について来て旗本になった」パートのオバチャンの実家の墓は、徳川家臣の家柄しか納骨出来ない寺の墓地だった。
自分ん家も家系図あって「徳川旗本」なんて言ってるが、墓は都内有名寺とは言え庶民墓。
名字もそこそこ珍しいが、俺が調べた限り徳川旗本にそんな名字は見当たらないし、ぶっちゃけ長野北部から新潟に多い名字らしい。
ただ家紋が墓石屋の家紋帳に載ってない珍しい形な事ぐらいがソレっぽい要素か。
田舎の裕福な庄屋あたりが江戸に出てきて金で家系図買ったせいで、却って元々そこそこ歴史があった本当の家系が判らなくなってしまったパターンかな?って感じ。 農民もいりゃ武士もいるし商人もいるだろ
身分制度が無くなって何世代過ぎてると思ってんだよ >>778
墓は長いだけで普通
城の近くの寺だわ。なんかでっけー鐘あるわ。
どこにでもあるか >>688
ておもうじゃん、それ、「チョン」って読むんだよな。 戦前まで戸籍に「士族」って入ってたんだってな
じいちゃんとこが加賀藩、ばあちゃんとこが富山藩
どっちも前田家だけど >>783
そりゃ本家となれば少ないだろうけど
江戸時代から5世代は経ってるんだから武士の子孫なんてたくさんいるでしょ
それに身分が低ければ先祖の記録がないだろうから
ここに書き込みができない
あと江戸時代は独身が多い
結婚して子孫を残すのは身分や階層の高い者に限られていたみたいよ
https://tk.ismcdn.jp/mwimgs/8/5/1040/img_857bef55f677c8c98ec2471b01f197b283075.gif >>786
>結婚して子孫を残すのは身分や階層の高い者に限られていたみたいよ
側室制だな
男系男子による皇位の継承は側室制によってのみ可能だった
自分はその時代だったら子孫を残せなかったであろうな 親戚によればうちは武士の家系らしいが
物的証拠が何ひとつ残ってないので実感がない 先祖は武士だけど、江戸時代に商人になって、平成に農民に。 江戸時代は分かれててもその後混ざりまくったやろ
どうせ誰の先祖にも武士農民富豪罪人いるやろ
つまらん 先祖が農民だからと言って、何一つ恥じる理由も必要も無いけどね。 父方は何かデカいお百姓
母方は税務所の家系
名前もこの役所名のままだから面白い >>782
蝶の家紋って綺麗でいいね
うちは千鳥の家紋 >>786
>>1のデータって江戸末期か明治初期のやつでしょ
9割は平民だよ 他人に先祖の話をしなくても、人から時々
「どこか品がある」とか
「やんごとなき家柄の人みたいだ」とか
「良いところの出なんでしょ」とか、似たような事を言われる
子供の頃から、家はクラスの中でもいちばん貧乏な方だったと思うけど 代々水飲み百姓だけど問題ない。
過酷な環境で生き残った先祖を心から尊敬する。 名家とは活躍しだいで大納言まで成れる家柄だそうです。 >>803
当人がそう見られるのが一番いいよ
実際やんごとなき家系のはずの竹田とか
怪しげな商売して、顔も卑しさが滲んでるでしょ
そんなんよりよっぽどいい >>30
十手持ちって半分香具師みたいなろくでなしだぞ >>321
分割相続で衰退した鎌倉期の武家を反面教師にしてるから 本家は倒幕側の私塾の関係者
ただ爺さんが三男で分家の嫡子の俺も未婚だろうから分家は断絶する
本家は結構羽振りがいいらしいけど俺はしがないサラリーマンだし
先の大戦に敗戦してしまって祖母の家が財産を失ったのが痛かったな 武家の出身?
でも今じゃお前らニートじゃん
今の年収で競おうぜw 公家とか藩の上の方の身分だったのに爺さんが華族制度なくなる辺りで遊んでたせいで一般人になった奴ら多いだろw
うちもそうだけど
>>755
撮るよってなってから実際に撮られるまでめっちゃ時間かかったらしいからみんなどうしても仏頂面になる 本家(親父様の実家)の仏壇の戒名帳の一番古い年月日は、幕末の桜田門外の変の年。
宗本家から別れた分家なんだけど
曾々祖父さんの異名が伝わってる幕末からの木材の回船問屋
異名からして、ブラック企業っぽい経営してたんじゃないかとおもう( ;´・ω・`)
曾祖父さんは、娘婿だけどなかなかのやり手で今やってる大河ドラマの人となんか仕事やったみたい(違うかもしれない)
お祖父さんまでは、羽振りよかったらしい
しかし、親父(;´Д⊂)自分子供の頃、貧乏だったとしか記憶ないんだが
叔父さん方の家は普通の暮らししてるのに
我が父が
犬神家でたとえるならチンピラ息子だと叔父さんに説明うけて悲しいけど納得した法事の夜 先祖は勤皇の志士
wikiに名前載ってた
俺は引きこもりニートだが 父方の男系だけ辿れば百姓だわ
なので江戸時代は苗字ないから屋号
菩提寺に行くと同じ姓の墓でまとめられてて、4代前まではわかるが、本家の本家は、いっぱいある中のどれかわからんw
菩提寺には江戸時代の墓もけっこう残ってるけど、よく無縁仏にならないなと感心するわ >>810
ヤクザ者やんね。
ろくでなしにろくでなしをぶつけたって聞いたわ。
先祖の事だからどうでもいいや。 うちは郷士だって聞かされた
「郷士って何?(今はわかる)」との問いに「さあ?」だから、
まあ実質的には農民だったんだろうねw
ただ一族に農民から親が御家人株を買って成り上がった
一部では有名人がいる >>786
>あと江戸時代は独身が多い
>結婚して子孫を残すのは身分や階層の高い者に限られていたみたいよ
一夫多妻制だったね
女の腹は借り物としての夫婦別姓 >>780
そこ土浦城の神龍寺?
だとしたら代々土屋氏の菩提寺だし中央に大きな鐘もある
寺内には土屋氏代々の慰碑もある
この人はマジじゃない? >>810
傀儡師→部落→弾座衛門府→岡っ引き(十手持ち=警官) まあ十手持ちも地域によって色々だけどな
岡っ引きなんかは同心が私的に雇ってた感じで
ヤクザ者、顔役みたいなやつが多かったてだけだが
近畿圏では非人が務めてたし、エタ、茶筅、鉢屋とか
制度上、十手持ち=被差別民なところの方が多いと思う >>822
ID変わってるけど734です
はい、嘘ついても意味ないのでマジですよw >>778
大名家の菩提寺も、けっこう墓地販売してるな
増上寺はないだろうけど、寛永寺は墓地販売のチラシ入る。元号寺なのにw
豪徳寺なんか行くと庶民の寺と経営状況は変わらなさそうな感じ
http://kaneijireien.jp/images/tokugawa/img1.jpg 江戸初期あたりに名字をもっている家は9割がた元侍だよ >>825
江戸城での新年のご挨拶に毎年登城して将軍に謁見してたから
旗本クラスだよね(´・ω・`) 明治に入って警官になった岡っ引は制服を着させられた訳だが、巷から疎まれ袖が角ばっていたことから角袖が偉そうにと
揶揄されていた
そこからカクソデ→クソデカ→デカと通称が変わったのはわりと有名なトリビア 20代くらい遡ればご先祖様は50万人越すんだから1人くらい武士いるだろ 数学的な話で天皇まで繋がってるようなことを言うのはファンタジーとしては面白いんだけどね
江戸以前は権力者と貧乏人の血が交わるのは希少なんじゃないのかな 江戸時代は3000万人ぐらいの人口だから210万人の武士がいたわけだ。
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