江戸時代の首切り(画像あり)
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ぐぇ
ハマタがいる 江戸時代に国内の屋外で撮影された写真をはじめて見た >>8
ただの憶測だけど
徳川最後の将軍はカメラが趣味だったらしいが
記録写真として残したんじゃ? >>19
わかる
特に外国人犯罪
すっげえ抑止力になる。 首をはねられた後じゃなくて
首をはねられて死ぬと分かった時の写真が見たかった >>34
増えてない。むしろ激減してる。江戸時代の方がよっぽど凶悪犯多い。 江戸時代の庶民って晒し首が娯楽だったんだろ
戒律や男らしさ女らしさもしっかりしていたみたいだし
現代のパヨクやフェミニストが江戸へ行ったら江戸の町娘に斬られそうだなw あれだけ毎日殺人事件があると仇討ち復活させてもいいんじゃね?
犯人殺したいくらい憎い遺族もいっぱいいるだろうし 大岡越前が名奉行とか大岡裁きとか言うけど
白子屋お熊事件では
下女お菊まで女ばかりを死罪にした
まさにキチガイ裁きだわ ガンでのたうちまって死ぬより首切りで死ぬほうが一瞬で死ねて安楽死だわ
そういう首斬りギロチン自殺セットないかなあ
もう無職だし死にたいよ >35>40>41>43
レスもらって申し訳ないけどやっぱ見ない 20歳で死ぬのも60で死ぬのも80で死ぬのも死んだらなんもないんだから変わらんだろ >>48
凶悪犯罪者とか海外みたいにその場その場で射殺出来るならね >>52
何言ってんだお前
死ぬ気ないくせにイキるなよ
本当に死にたいならいくらでも方法あるだろ いやでも、もし麻原のクビが一般公開されてたらお前らも見に行くだろ? >>18
中世ヨーロッパの死刑は受刑者をうつ伏せにして処刑人がオノで首を切断したけど
ベテランの処刑人じゃないと失敗して何度も斬り直したりムダに苦しめる事例がよくあったので
ギロチンはそれを回避するための人道的な処刑装置
ギロチン以前にヘンリー8世がアン・ブーリンを処刑する際はフランスからわざわざ腕っこきの処刑人を大金を払って呼んでいた
メアリー・ステュアートが処刑された時は処刑人が何度も失敗して3回目にやっと… >>47
こいつがVtuberやってた方が儲かるってんだからわからんよな 見せしめの為の公開処刑が大人気のエンタメ化してしまったからな
これは日本に限らず歴史ある国の多くがそう http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kodaishi/img_2[2].jpg 次は犯罪逃亡者の生野高江(1977年1月5日生)が屠殺される番だな
murdererで潜伏逃亡中の生野高江(1977年1月5日生)もこうなる運命
クズ人間に制裁と死の天罰を!必ず復讐の報いを受けさせる
いいか!絶対に復讐する!死をもって償え! 光市の犯人とかも公開処刑されたら、みんな見に行くでしょ >>8
多分だけど当時、日本に来た外国の人が物珍しさで撮影したんじゃないかな。 南千住は見せしめで死体を放置されて、あまりの臭さに誰も住んでなかったって本当ですか? >>50
この画像だったと思うけど、この人物がどこの誰で何をして磔になったか説明を見た記憶がある。 >>13
あちらでは、ギロチンは貴族や身分のある人のみに許された温情ある処刑。
通常は絞首刑。 箱根の関所跡のなんだっけ、よくそういう名所のそばにある秘宝館みたいなやつ、で見た気がする これは晒し首だろ?
打ち首とか斬首が首切りじゃねえの? >>101
昔のカメラって長時間露光しないといけないからこういう場面撮るのも大変だな >>50
ググったら元勤め先の商家に強盗に入って主人の子供を殺害して横浜暗闇坂で処刑された惣吉(22)だって >>3
これをいいと思う人ってCGの不気味の谷でも
平気なんだろうか >>110
wikiに能書きついてるな
> 外国人に向けた日本のお土産写真である横浜アルバムの中の1枚。
明治時代初期に撮影された磔と晒首の情景である。
撮影者はフェリーチェ・ベアト。
磔にされているのは惣吉(壮吉は誤り)という22歳の凶賊で、
かつて奉公先の両替金を持って逐電したが、
後に盗賊となって仲間一人と押し込み強盗に舞い戻り、
泣き声を上げた旧主の息子を殺害。
盗んだ金で飲み食いしているところを捕らえられ、
主家殺しの重罪で磔にされたものである。
ベアトが撮影してたのか 江戸時代は10両以上盗めば死罪、だっけ?1両13万円とすれば、130万円以上で死罪。
今の世に同じ法律があったら、死罪になる人は多そうだなあ。 戦争体験有る剣道の先生に、「捕虜の首をはねると、ブバーッと血柱が上がる」と嬉々として語られた事ある。 2枚目は洋装に下駄の男がいる
明治になってからか? >>3
そういや気味の悪い韓国メイクしてる女が増えたよな
ブスは余計にブスになり、可愛い子はブスになるメイク、それが韓国メイク
多分整形前提のメイクだからだろうな
しかし彫りの浅い顔で眉毛が黒いのに金髪なんて似合わないのになぜやるのか理解に苦しむ奴も増えてる >>1
こいつにも「AKITA」みたいなのつけろよ >>22
駿府に蟄居してた時期だから
毎日自転車で走り回って、川で魚取って、写真撮りまくってた
静岡駅前から丸子まで往復とか、お供は走ってついて行ってたんだぜ これって生きたまま首スパーンじゃなくて、切腹で死んだ後に首切った? >>1
右の人いいガタイしてるな
江戸時代は栄養バランス良かったのかね >>1
鈴ヶ森の刑場後にある寺にいっぱい写真あって小学校の時クラブ研究で見せてもらった >>122
店の金を持ち逃げして、さらに強盗に入って子供を含めて殺人か。
今でも死刑だわな。 >>139
静岡の農民にはケイキ様と呼ばれて大人気だったから >>140
切腹は名誉ある自殺だから晒したりしない。
打ち首だわな。 >>140
切腹と言っても腹切る必要は無いよ
あくまでも自分の意思
まあ実質打ち首だけどね >>50
執行人2人が「エイッ!エイッ!エイッ!」って掛け声で、
槍を左右下腹から、反対方向の肩の方向に向けて、
ズプズプ刺すんだよな。
大概は激痛でショック死。 >>124
wikiに載ってたんだ、ありがとう。そうそう、確かそんな内容だった。 天狗党が敦賀で斬首になった時、ほんとうに300人以上も斬首されたんかな?
相当な重労働だけど。 >>140
切腹は、身分の高い人向けの名誉を重んじた刑
農民町民は、そのまま斬首するだけ。 >>158
穴に向かって首を落とす作業だろうね
一人の罪人の周りをぐるって囲んでその罪人に切らす手伝いをさせるんじゃね? >>53
君は時代というモノを考えたことはあるか? >>156
当時の法律で死罪になるだけの事をしたから死罪なんだろうけど、内容を聞くと結構エグいなあ。
まあ「エグい」「怖い」と思わせての犯罪抑止効果を狙ったものだろうから、エグいのは当然だけどさ。 >>27
昔のカメラだからしばらく止まっておかないと撮れないんじゃなかろうか? >>50
新体操の原点って言われてる有名なやつやね >>167
世界で初めて「カメラに写った人」って偶然に入り込んだ人なんだってね。
フランスでカメラの発明者が街の風景を撮影したら、通りで靴を磨いて貰ってる人が写り込んでいたとか。
まあ靴を磨いて貰ってる間は動けないだろうからね。 >>52
張り付け獄門だと槍でつくんじゃなかったっけ >>1
2枚目の説明
https://scary.jp/syokei/syokei-keijyosyasin/
>処刑場写真保土ヶ谷処刑場獄門
明治5年の保土ヶ谷刑場
笠原伊兵衛なるもの母親むめを商人より購入せる
鼠取用毒薬を以って毒殺したる為
獄門されたるもの >>50
この状態で6日放置されて脱水死させられたゆだよな 西洋の磔刑と比べたら日本の槍で刺すなんて恩情ある方だろう まさに首が切り落とされた瞬間を見事に映した白黒写真は見たことある
たしかイエメンので死刑囚の服装が女っぽいが実は男ってやつ、ググればすぐ見れるから興味ある人はどうぞ 江戸時代の死罪あれこれ
獄門 獄中で首を撥ねられ、その首は罪状の札をつけて衆目に晒される
磔 張り付けられて槍で両方の下脇腹を突かれ死ぬまで放置、公開処刑はだいたいこれ
竹鋸引 竹でできた鋸を道行く人に一回ずつ引いてもらい、それを死ぬまで行う
火刑 張り付けて下から火で炙って処刑、主に放火犯に行われた
蓑踊り 蓑を着せて火を放ち、焼け死ぬまで暴れる様が踊っているように見えることで蓑踊りの名がついたという
牛裂き 背に柴を乗せた牛や鹿と罪人の四肢を結び付け、柴に火を放ち暴れた結果罪人の四肢がちぎれ飛ぶ >>1
なんか凄い昔に見た記憶があるたぶん30年くらい前 処刑って民衆への見せしめでもあるけど娯楽でもあったからな
マリーアントワネットも民衆の前でギロチンをされたわけだ >>158
日にち何度も分けてやったらしい
一日で300人はない 書肆ゲンシシャ/幻視者の集い @Book_Genshisha
「不倫を理由に斬首刑に処されたアラブの女性」。サウジアラビアは現在でも斬首刑を実施している唯一の国であり、不倫や婚前交渉によって女性が死刑に処される場合もあります。午前9時頃に広場で跪き、観衆が見ている前で公開処刑されます。書肆ゲンシシャでは死体の写真集を扱っています。
https://pbs.twimg.com/media/DEW_viRUwAAhC6m.jpg:orig#.jpg >>3
御用だ!
御用だ❗
>>116
アックスボンバー >>198
幕末ならある
徳川慶喜とか坂本龍馬とか近藤勇とか、いくらでも写真残ってる >>198
さっき書き込んだけど、
徳川慶喜がカメラマンだったのが割と有名
だけど時代的に機材が沢山ある訳じゃないから
慶喜の作品では無いかと類推する
カメラマンとしてはイマイチだったらしいけど
こういうグロ写真専門だったなら
芸術作品として評価がひくいのはやむを得ん >>198
1枚目は明治3年頃
暗闇坂刑場
3人組の強盗
2枚目は明治5年
保土ヶ谷刑場
母親を毒殺した殺人犯 >>3
これが男なんだからな、世の中何を信じればいいんだ? >>209
フランスは1970年代までギロチンで首切断してた
首を晒しはしないけど >>211
なんだ、明治か
恐らく物好きな欧米人が写真撮ったんだろ 打首って見た目は恐ろしいしグロいけど
一瞬で首を刎ねるんだから痛みも感じない(多分・・・)だろし
苦しめないで殺す良心的な処刑方法だよな >>50の磔写真を撮ったのも外国人
>明治2年横浜クラヤミ坂刑場
葡萄牙人(ポルトガル人)ダーローザ撮影
強盗を手引きして主家に押入主人を殺せる質屋の番頭の磔刑(写真の解説文)
1867(慶応3)主人とその息子を殺害したという罪で、信州木曽村の23歳の青年・壮吉が処刑された。
のど元が見事に槍で貫かれている。 晒し首と言うことは余程の罪人なんだろうなあ
磔獄門も死刑だけど晒し首って斬首の末更に晒される罰な訳で
誰が晒されてるか、どう言う罪で晒し首に至ったか >>221
木曽の地元の人たちはどこの家の人間か知ってるのかな >>118
すぐたらいで受けてるけど、そんなに血が大事なの? >>228沖縄でも使われるがそれ以上に海外では食材としての理由価値がある。
豚の血でググれば解る。 >>118
もっとデカいたらいを持ってくるべきだったな。 一番楽な自殺方法ってなに?
手持ちの高血圧の薬と睡眠薬全部飲んだら死ねるかな? >>3
開いてないけどどうせいつものでっかいパンツのデブだろ? 実は首を落とすのは死刑の中では軽い刑罰に当たるってのが世間的な共通認識ってのは興味深い
ただ殺すだけじゃないのが当たり前ってことなんだろうけど現代日本の感覚とは大分離れてるわ >>239
日本も石打ちとかの希望者みんなでやろう系の死刑もあるべきだわな >>237
完遂率が高く楽に死ねて、周囲への迷惑が最小なのが、首つり。これ一択。
巻き添え・火災・爆発などの可能性が、ほぼゼロ。
手順さえ守れば、失敗の可能性は低く、完遂できる。
遺体はきれいに残るので、葬式もやりやすい。
道具の入手に違法性は無いので、販売した人にも迷惑が掛からない。
練炭自殺を進める人もいるが、睡眠薬が切れて意識が戻るが、体が動かずに苦しむ場合がある。
また、途中で発見されると、脳に障害が残る状態で生き残る場合がある。
まあ、いやなことは忘れて、借りれるだけ借金して風俗にでも行きまくれ。
そんで破産すれば、もう、どうでもよくなるから死ぬ気も失せる。 まぁ、、中東のケンジさんの
動画の方が生々しかったからな
白黒静止画ではな、、 >>118
急に頭がなくなってビックリするんだろうね >>138
そのお供に靴を新調する給金を支給してたらしい >>140
>>155
介錯と打首を混同して無いか? >>53
現在進行形で民族大虐殺しまくってる大陸のアホ国家の土人に比べればずいぶん先進的なんだが ISISかなんかのテロリストに誘拐された日本人が首落とされて胴体にそれ乗せた画像あったよな こういう刑場って、今はどうなってるんだろうか?
何か別の建物が建ってたりするのかな? >>50
(壮吉主人子殺し事件の詳細)
組合村寄場名主木曽村の縫殿助の家に相州中里村伝左衛門の倅惣吉が慶応元年三月より奉公人として住んでいた。
慶応四年三月、惣吉は縫殿助の使いで十五両を両替にいく途中逐電した。
のち惣吉は押し込みを企てて脇差を求め、同年三月十一日夜、中里村大応寺へ押し込み、抜刀して「声を立てれば斬り殺す」とおどして金子四○両、銭八貫文、衣類七点を奪った。
大応寺押し込みを手はじめに相州で四件の押し込みを働いた。
惣吉は元の主人、木曽村の縫殿助がたくわえのあるのを知っていたので縫殿助宅への押し込みをはかった。
たまたま、中里村無宿銀次郎と出会い、ともに押し込みをすることにした。
慶応四年六月十六日、二人は抜刀して縫殿助宅へ押し込み、勝手知った寝所へはいって蚊帳の釣手を切り落とした。
縫殿助は驚いて蚊帳から外へ逃げたが、縫殿助の倅造酒三郎(ミキサブロウ)は蚊帳よりはい出したものの、恐怖のあまり父を呼び泣声を出したため、惣吉は持っていた脇差で造酒三郎を殺してしまった。
惣吉は泣声を出され気が動転して咄嗟に殺したのだが主家の子殺しという大罪を犯した。
殿助が「人殺し」と叫んだのを聞いた惣吉は、さらに悪心を起こして金子貸付控帳一冊、反物二反、衣類などを奪い、逃走中に金子貸付控帳を川に投げ捨てたという。
二人は金子七三両一分、銭一二一貫五○○文を奪い、そのほとんどを酒食に費やした。
のち、二人は召し捕られ、惣吉は磔(はりつけ)に、銀次郎は刎首(はねくび)となった。(『神奈川県史料 第三巻』)。 >>260
これ今だったら懲役10年くらいで模範囚なら割引ついて実質7年くらいで出てこれそう 市中引き回しは現代でも復活させたらいいと思う
ゲスい犯罪の場合ならね >>18
刃先斜めにして苦しまずに処刑できるように
提案したのがルイ16世自分がやられたが >>46
いや浮気相手の手代・忠八も獄門に成っとりますがな 死罪は老中の決裁が必要。町奉行が判決を下す権限はなく書類を作成するだけ。決裁には2〜3年かかる事もあり、その間に獄中死したら塩漬けにして決裁後に獄門にしたりしてた。 >>262
いや連続強盗サツ人の上、計画性もあるし凶器を持参してるから
「サツ意なかった」と証明されても無期懲役、軽くても懲役20年は固いだろ。下手すりゃ死刑もあり得る。
どんなに模範囚でも17年は出てこれない。 >>228
スープのアク抜きとかソースにしたりとかソーセージにしたり >>288
三国志に責任取って自分で切り取る描写が結構有ったような >>283
幕閣の手をわずわらセるもなく、あんまし酷いの扱いは牢名主さんの大事なお仕事の1つでもあったな。 >>283
江戸時代もある程度になると、汚れ仕事やりたくねーとなり
老中とかも処刑の決裁嫌がって印鑑の紐を緩めるだけでまた今度とかしてたらしいな 写真師「右の首さん動かないで じーっとしてて あーまた動いたダメですよ写真撮ってる時動いちゃ」
「真ん中の首さん縁起悪いなんて迷信です死にませんから大丈夫ですよ」 >>293
何故かメキシコの写真程は恐ろしく感じ無いな 江戸時代の刑罰と言う本を読んだ記憶によると
天下泰平の世の中
サムライが刀を新調すると、首斬り役人に金を払って、断首刑の時に自分の刀で試し切りを頼んだらしいよ。それで感想聞いたみたい、それが首斬り役人の役得の余禄だったみたいだね
今だとゴルフクラブを有料でプロに試打して貰うようなもんかね >>301
後片付けは非人の仕事で
この後河川敷に投げ捨てられて、野犬や鳥の餌になるみたいだね。まあ骨は寺に持っていったとは思うけど
着物は古着屋さんに売却して、それは後片付けの人の余禄になったみたいだよ 地元に首切り地蔵ってのがあったよ
バス停の名前も首切り地蔵前w
地元じゃない人がバスに乗ったらギョッとするだろうなw >>3
空間が…!?
スタンド攻撃を受けているぞっ! >>298
墜落した宇宙人かと思ったら、逆さ吊りにされたムッソリーニなのか
敵に捕まって辱ずかしめられるぐらいなら、
ヒトラーみたいに自決すればよかった >>318
アメリカが梅毒でアタマいかれてんのか調べてる為に一部切りとっていったんだって 一思いに斬首の方がマシって刑罰は結構あるよね
蝦夷地開拓のたこ部屋から逃げ出したやつの罰で
全裸にハチミツ塗りたくられて山中の木に縛り付けられるやつ
あれキツいわ >>327
街道沿いに罪人を据えて役人が往来する人達に少しずづノコギリ引かせるって昔小学校の時習ったけどホントかな >>306
切れ味試したらその証明として刀の付け根に「何人分切れた」みたいな文言彫ったんだっけか 子供の頃箱根の関所の施設で晒し首の写真があって、
いくつも顔の形をした霊的なものが写っててクラスメイトと大騒ぎしたな
あの写真どこで見れるんだろう アルカイダ?関連か何かでイラクかそこらへんで首切られた日本人の動画あったよな
あとイスラム国が生きてる人間焼き殺したやつとか
あっちは江戸時代だな >>324
蜂蜜が貴重な時代にそんな勿体ないことするわけないだろ 首切り地蔵ってのは 極道が自分は極道で天国を望まない。って言う証に夜中に
わざわざ首から上をとって 博打場で賭けた。って跡。つまり打ち首求む浮浪浪人。 関所の晒し首は わざわざ極悪人を埋めて 痛い目に合わせる為に竹のこ引きさせた。
また逆に 関所抜けの旅人を無くす為もので この藩にはちゃんと罪人は取り締まる。
っていう威嚇表示だった。因みに 罪人と獄悪人とは違っている。まあ捕まった悪人か
罪があるけど捕まらない。隠れキリスタンみたいな違いかな。 首狩り族ですから
ひい爺さん世代まで首狩り族ですから日本は
戦になると武士から百姓まで首をコレクションする首狩り族でした マジックショーにしか見えない。台の下は鏡なんだぜ。 >>329
切れ味の感想文は書いてくれたとは聞いたけど
天下泰平の世の中、武士の刀はアクセサリー的な物になってたんでしょうね >>345
武具一式質屋に入れてるヤツも多かったくらいだしな >>334
まぁ、核がないだけ平和
かわいいもんだ 今だって戦争や内戦になればどこの国でも同じようなことやるよ >>1
みんな、頭が悪そうな知的障害顔で首チョンパされているな
殆どの連中はアウアウなガイジだったんじゃねぇの? >>345
そういうふうに時代が移り変わる過程で
『今の武士はもののふじゃねぇ』とか『人を斬ったことねぇからなぁ…』とか昔を懐かしんでボヤきながらちゃっかり平和だけ享受してる隠居の古老剣客とかおったんだろな それで老害乙、って当時の若者に思われてたんだろうな >>259
地元は長屋状の市民住宅になってて刑を執行した場所に沢山のお地蔵様が建ってる
その市民住宅も今は老朽化で閉鎖 >>221
「裸」写真と読み違えて見ちゃったじゃないか >>193
映えますかねえ?
ハエならたくさんわきそうですが。 >>3 いいね
>>350 じゃあキミは今の時代に生まれ生きている事に感謝しなきゃじゃん >>1
周りの人ら顔が精悍やな……
昔と比べると今の日本人へなちょこスギ >>345
だんだん小さくなって耳に挟むくらいのサイズになった刀
って漫画をほりのぶゆきが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています