森喜朗元首相の女性差別発言が批判されている。発端は日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で、
「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」等と述べたこと。その後、取材に応じて
発言を撤回したものの、糾弾の声は止まず、森元首相の進退のみならず、ジェンダーに関する大激論が
交わされている。比喩的な意味で「男の会議」と「女の会議」を分類するならば、「男の会議」には
根回しが欠かせない。会食やゴルフの場で交渉を繰り返しているから、実際の会議ではほとんど発言をしない。
だから会議自体は短くても、意思決定にやたらと時間がかかる。そもそも、権力を持つ男性の話は長い
という研究もある。確かに、校長先生や町内会長から政治家まで、壇上に登りたがる男の話は、大抵長い。

社会は変わる。それは希望である。この国でさえ、生まれによって差別されない世の中に近付きつつある。
政治家や管理職等指導的な地位に就く女性は増えていくだろうし、選択的夫婦別姓や同性婚の実現も
遠い未来ではないはずだ。だが、同時に思う。もしも自分が守旧派のまま取り残されたら、
どのような行動を取るのだろうと。民主主義は決して普遍的な政治制度ではない。21世紀中に、
日本を初めとした国々が、中国型の統治を採用する可能性は十分にある。その時、「民主主義を守りましょう」
「言論の自由は大事です」と言ったところで、老人の妄言だと一蹴されてしまうのではないか。

意思決定に膨大な時間がかかり、くだらない議論に振り回されていたあの時代に戻りたいなんて、
これだから高齢者は困ると若者に馬鹿にされるのだ。森風に言えば「人間がたくさん入っている会議は
時間がかかる」。森元首相の発言を擁護するつもりはないが、鬼の首を取ったように彼を批判する人も
未来のことを考えておいたほうがいいと思う。いつか自分が古くなってしまった時、どんな思想と言葉で
新しい社会と折り合いをつけるのか。

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