武田信玄のイメージ
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ニュースと関係ないスレを立てるやつを打ち首にしそう 信長の野望で武田信玄でプレイするとなんでコイツが全国統一できなかったの?と不思議に思うよね >>12
人材は豊富だけど山過ぎて無理だろうなと思う わ び ろ
わ び ろ
わ び ろぉぉ おおおおお 海がほしい
海がほしい
海がほしい
海がほしい
海がほしい 洒落にならないレベルの戦上手
海道一の弓取り徳川家康公が
ウンコもらしながら逃げるって
尋常じゃない >>12
周囲が囲まれてるからPCに任せると序盤は攻めまくるけど手薄になったところを取られて大概滅亡するだろ
最近のシリーズだと補正で勢力伸びる用になってるけど >>33
村上義清とか長野業盛とかの土豪程度に何度も負けてるけど 立地が悪い
今川と北条がいるから東海、関東に進出できずキチガイの謙信から越後を切り取るしかない上に、越後も豊かな土地じゃないという >>36
そーいや信玄公は長野業正を評価してたんだっけか 人身売買
武田信玄
親族が二貫払えば解放してやるよ
上杉謙信
親族が二十銭払えば解放してやるよ
がめつい 国人領主にかつがれ中央集権化進めてた親父を追放して武田家の芽をつぶした愚物 >>36
この前箕輪城見に行ったんだけど、井戸の中から発見された墓石って誰が入れたのかね
なんか文献残ってないものか >>45
恐怖でゲロと小便漏らした経験のある
俺は脱糞も信じるよw 映画天と地で信玄の従者が誤って通りがかりの山伏を斬殺して、信玄が現れて銭をなげつけてる
だけで、謝罪もせずその場を立ち去ってしまった。だいたいあれが実像だとおもう。世の中金金金
確かに兵馬は強かったかもしれんが、甲州金の採掘がなければ歴史に名を残すこともなかった
と思う。 >>52
人は城、人は石垣、人は堀
って言いのけた野蛮人だよね >>62
妊婦の腹割いたってのは明らかに嘘だよな
どこの武烈天皇だっての 小学生の頃に何かの本で、川中島での武田信玄と上杉謙信の直接対決を読んで、信玄も謙信スゲェスゲェと思ってたのに、大人になってから信玄が愛人の家臣に「あの浮気は本気じゃないの、許してお願い!」みたいな言い訳全開の手紙を書いてたのを知って失望した。 >>70の訂正
信玄も謙信スゲェスゲェ
↓
信玄も謙信もスゲェスゲェ >>66
まあそれは嘘だろうけど追放されてみんな喜んだって2つの記録に残ってるくらいだしな
「地下、侍、出家、男女共に喜び満足致し候こと限りなし」
「信虎平生悪逆無道なり。国中の人民牛馬畜類共に愁悩せり(中略) 人民悉く快楽の咲(わら)ひを含む」 何かのドラマで徳川秀忠が江にナイショで作った愛人の子を信玄の娘に預けて、江が信玄の娘を問い詰めるけど絶対に居場所を言わず、江がおのれ信玄の娘グギギみたいになってる場面を見た 家柄だけが取り柄の雑魚
血筋が良いので周りが盛り立てて戦国大名面してるだけ
ぶっちゃけ公家みたいなものや コロナかかったあとですぐインフルにかかったイメージ https://www.shouzou.com/mag/p/shingen_seikeiin0.jpg
これ、着物の紋が武田家ではないことからじつは能登の守護大名・畠山義続ではないかと言われているが、
畠山義続の顔はぜんぜん違うという証拠もあって結局誰なのかよくわからない >>88
畠山義続って二本松の畠山義継と同じ読みの人物が同時代にいたのか いくら戦国時代だからってそれは引くわ。ていう事を平気でやるやべえ奴
織田北条はよく我慢できたなと思う 最近唐突に淫夢がらみだとおもうが討ち死にシリーズでようつべのおすすめにあがってきた >>94
その業を一身に受けた息子の代で滅亡したけどな… 親兄弟骨肉相食むのが源氏の宿命
鎌倉将軍家も足利家もみんなそう
一族で固まる平氏とは対照的に 火事場泥棒
不可侵条約一方的に破棄
ほとんどロシアコサック野郎www 信虎は追放された後の生活の方が楽しそうだったな
駿河で子供作って上方に遊びに行ったり、京都に住んでみたり、最後は家督を継いだ孫の勝頼に会えて臨終 >>100
一族が団結した方が強そうだけど結果を見ると骨肉やった方がいいんだろうな
淘汰圧がある方が優秀な人物が上に立つ確率が上がる >>100
保元の乱の時は源氏平氏問わず同族間で敵味方に分かれて戦ったし
平氏系とされる北条家も一族で争ってるだろ >>36
村上義清の子孫が有耶無耶になってて怖い件 このホモって表向きには生涯常勝祈願で生涯童貞を貫いたことになってるんだよな >>113
それは上杉謙信では
あっちはガチの女嫌いだから童貞でもおかしくないぞ 武田信玄のバカー!
バカバカバカー!
武田信玄なんて、武田信玄なんて、大っ嫌いだーー!!!!
って何の漫画だっけ? きなこのやつ
あれ美味しいよな
コンビニで2つ入りくらいで売って欲しい ぶっちゃけ過大評価されてると思うわ。
いくら地理的にしんどかったとは言え、生涯かけて3ヶ国だろ? 信長の野望の家臣団で上杉と北条、今川を蹂躙できなかったのはおかしい >>129
筑紫餅好きなんだがきなこと黒蜜がどうしても混ざらないので食べる時イラッとする >>130
国で言うならもっと多いだろ
甲斐信濃駿河飛騨上野…は沼田も入ってるから大部分といっていいだろ
後は東美濃の岩村城や越中のほうもなんかあったよな 誰々は怖いと良く言うけど歳取ってて戦経験豊富なだけ。家康が当時年齢一番上ならやはり家康怖いってなったし タイマンだと剣の腕とかあまり関係ないらしいな、どっちが体力あって集中力がどれだけ続くからしいな 政治95以上
武力85以上
統率95以上
知略90以上 >>12
旧態依然とした老害だから
甲斐国と信濃国のお山の大将が関の山 >>88
麒麟がくるの信玄(石橋凌)は完全にこの絵に寄せてきてたな。登場当初から咳込んでてすぐに死んじゃったけど。 ゆるキャンみてると
山梨でのんびり生きたいという気持ちもわかる
富士山あるし京都とか帝とかに
あんまり興味なくなる 田亀源五郎の描くハゲマッチョで「がああああああ!」って叫ぶイメェジ 昔とある大学の合格発表を見に行き
自分の名前を見つけて安心した
その2人隣が武田信玄だった >>12
いい武将が皆年寄り過ぎて…。
真田位しか残らんくない? 北に謙信
南に今川
東に北条
西に織田
そりゃ詰んでるわな 武田信玄強い配下武将凄いってイメージつけたのは徳川家康だからな。自分が歴史的敗北してるから 大河の武田信玄は良かったな
特に真田幸隆と八重
石橋凌の織田信長は未だにモノマネやってるけど
部下に無視され始めたわ >>175
実際強いし凄いんだけど、こういう頭の悪い奴って原因と結果を混同するよな >>12
単純に甲斐が貧しい国だから(当時の状況に鑑みて)
金がないと何も出来ない
徳川時代に天領にして、必死にどうにか独立採算出来るとこまでしようと四苦八苦したが、ついに廃藩置県まで黒字にする事は出来なかった 元気だったとしても鉄砲の雨で大敗で尾張から引き返してただろうな 周囲ガーって言うほど詰んでないやろw
東の北条と南の今川は厳しいが北の上杉なんて謙信が上洛したり関東に行ったり北条や大熊など有力家臣が反乱おこしていたりと攻め入る隙あったのにそのタイミングでは攻め入らずに落ち着いた時に攻め入る風の読めなさ
西の美濃にしても巨大化した信長相手に息子勝頼は明智城近辺の東美濃と飛騨を奪ってるし勝頼が攻めた頃よりも信玄の頃の方が楽なのに攻め入れない程度
もっとも信玄は外交下手でせっかく同盟していた北条今川を敵に回してるし戦馬鹿謙信とは不倶戴天の間柄だしで信長と同盟するしかなく手出し出来なかったんだけど
その癖に信長が国力大きくなってから同盟破棄するこれまた風の読めなさw信長が美濃攻めあるいは美濃を取った直後ならいくらでも攻めれたのに戦馬鹿謙信相手を優先していたから後に豊臣秀吉が「信玄って10年も謙信相手にムキになって時間を無駄にして馬鹿じゃね」と言うくらいの馬鹿っぷり
まあ過大評価だわな 信玄「おぬし 生涯正室も側室も持たなかったそうじゃな?」
謙信「飢え杉チンチン」 >>188
センゴクでカッコ悪いの主人公くらいやん ホモなのは信仰心からだろう
出家しても少年との性行はよかったらしいから >>88
こういう絵って見たことない人が伝聞で書いてたりするからなあ
本人と似てるかどうかわからん あれ伊達政宗だっけ?武田信玄だっけ?って事がたまにある >>207
実は戦巧者なのに1度大敗で
後の世で全否定されてる処は今川義元と同じか… あの立地からよくここまでなれたというエイケツ
成長率では毛利長曽我部と並ぶ倍率 恥ずかしいラブレターが現代まで残って成仏できないイメージ >>12
上杉謙信や北条氏康と同じく寿命でしょ
>>182
甲斐の産物としては中世から馬や和紙の一大産地で他国に輸出されてた
>>52
あの映画は信玄も謙信もやばいがあくまで映画の虚像だよ わがままで外道
戦国時代であってもやってはいけないことやり続けて滅んだ >>182
貧しいどころか江戸期には貨幣経済が高度に発達していてそれが豪農の甲州財閥の形成につながった ほうとうをこよなく愛したって本当かよ
山梨の津留あたりに親戚いるけど年に何回も食わないらしいぞ
完全に観光客向けよな 上洛開始した時には体の状態はどうだったんだろう。
全く知らないで突然死。
なんかおかしいけど進軍開始。
病気ヤバい。。。上洛急いで悪化して死ぬ。 守り易い立地だったから周囲の強国と渡り合えたが
強国を落とせるほどの力は無かった >>12
拡張できたのも三国同盟のおかげだが
南出られず村上や長野と遊んだ結果
北の番長出てきて何度もガチンコするはめに
もっと早く今川を切るべきだったが
北条氏康が優秀すぎたのかな なにを考えてあんなホモビを作ったんだろう
エンディングもなんだよあれ >>29
信玄も織田との同盟が切れたら周囲全部敵になって滅亡確定なのはわかってたので
手切れ直前まで織田との同盟維持はしたかったみたいよ。
でも徳川さんが国境侵犯したり上杉と結んで織田武田同盟の妨害工作しててどんどん同盟破棄に追い込まれたみたい。
家康様、若い頃から狸オヤジだったんだな。 家康は信玄に攻め立てられウンコを漏らしたという恥ずかしい過去がある 戦国自衛隊で千葉真一と斬り合い、首を取られる田中浩 本当の意味での経済的な大きな意味に目が行く人ってほとんどいなかったからなぁ
武田も上杉も頭の中では天下を取るなら直接上洛だったからな
京のお隣の近江を一大商業地にして繋ぐような考えを持った信長が特殊だっただけ
つーか江戸末期でもそうだったよ
まぁ商人の血筋だからかもしれんが坂本龍馬は最終的に金座銀座を機内に動かしたら
それで討幕の仕上げになるって読んでたが武力討伐に固執しまくった西郷や大久保だけじゃなく
桂や中岡やその他までそれに関しては理解できなかったしな
結果的には関西の大商人がかなり貢献したのでその見返りに現在の造幣局のみ大阪になったんだけどね 武田信玄自体のイメージは
この人は有能で部下も優秀でカリスマもあったんだろうけど
戦法も含めて旧世代の人なんだよな
過渡期には信長のような形拘らない質実を取り入れる人が強大になる
あと親父を蹴落として頭になった人だし自力の天才だったんだろ
後継者の教育とかスキル振りミスったんじゃね?
勝頼は戦はべらぼうに強いが古かった
それだけの人だったっぽいしね 諏訪湖の底に菱形の物体がある
山の洞窟に甲冑が並び、奥にお宝がある 土着の家臣団を信長の様に土地から切り離しできなかった(居城を躑躅ヶ崎館から移転できなかった)
外交手腕に難あり
後継者の育成に失敗
戦国期は金山くらいしか経済の下支えがない
健康面の不安
これだけデバフがかかっていて、よくまあ家康を撃破して天下に旗をあげられるちょっと前までいけたと思うよ 甲斐は米は取れないけど金山の収入で軍事力維持出来た 信玄は家康に感謝しろよ
脱糞させて無ければ今の評価は無かったぞ 信玄を神格化してる山梨県
え?甲斐の国の人って織田家の侵攻時に武田家を全力で見捨てたよな?
恥ずかしくねーの? 武田信玄詰め放題あるらしいね
山梨に行って体験したい >>2
これ
後世でおっさん宛に出した恋文公開されるとは思わなかったろうなw >>13
見てた当時はカッコいいと思ったが、今思い返すと単なる女好きだったな、中井信玄。 戦闘93
政治92
魅力96
だいたいこんな感じ?🤔 扇子?持って座ってる絵が違う人物とか聞いた事あるな >>192
史実ではイケメンって言われていた前田利家が何故か不細工 >>16
包んでるビニールに全部ぶちまけてまじぇまじぇするのが正しい食べ方と聞いたが本当なの?
確かに黒蜜全部ぶっかけても混ぜやすかったが人前ではようやらんわ 信玄はまあ誰でも良いけど今川義元は勘九郎(当時)だな
尻丸出し、ほほ、ほほほ、尻丸出し、とか
最期のみやこへ・・・みや・・
とかアレを超える義元は出てこないだろ >>179
風林火山で佐々木蔵之介が幸隆やったけど
橋爪のうさんくささにはとうていかなわなかった
上洛戦まえに信玄と囲碁対局しながら
そちの英知が頼りじゃって言われて嬉しいのか寂しいのか複雑な顔してるのが印象的 跡目相続能力が恐ろしく低く、結局こいつが武田をつぶした張本人 山本勘助の啄木鳥破られたのは謙信の読みじゃなくて間者にバラされたからだろ 平地が極端に少ない上に全周囲山に囲まれ禄な道が無いその上山梨独自の風土病あり
無理ゲーですね俺だったら引きこもってる 井沢元彦の与太本から知識のアップデートしてないニワカ歴史オタさんが多いな
>>29
>>242
信玄の晩年には北条と同盟し駿河の領有を承認され
上杉とも和解しているよ(甲越付与)
>>288
勝頼は東濃から上野まで信玄期以上に支配地を広げている
>>294
山間部は建材や薪、漆といった林産資源の宝庫
21世紀の基準で16世紀を語るなw やっぱ5ちゃん民てオッサンばかりなんだな
今では武田信玄の肖像画って言ったらこっちの方だろ
https://i.imgur.com/kXjBHP7.jpg >>102
状況が変われば外交方針も変わるのは武田に限らず戦国の習い
例えば北条氏政は御館の乱で甲相同盟を破棄して織田と同盟を結んだが
本能寺の変で信長が死ぬと即座に織田との同盟を破棄し織田領の上野に出兵している >>294
あと日本住血吸虫は山梨県の啓発ポスターで有名になっただけで関東から九州まで
日本広域で発生していた
ニワカにもほどがあるぞ PCエンジンで初めて買ったソフトが武田信玄
国取りシミュレーションゲームかと思ってたのにアクションゲームだったので発狂した思い出 >>152
情報源は逆説の日本史?
信玄の晩年には駿河・西上野も領地化されたぞ >>308
結局、地方大名を抜け出せなかったね
孫子のような守りの兵法書を大事にし過ぎて
時間の概念が疎かになった印象 ホモ浮気しようとしたらお腹が痛いと逃げられた哀れホモかな。 >>312
もしかして「信玄はなぜ破れたか」という歴史ネタ本とか読んだ?
あれ逆説の日本史レベルの間違いの多い低質な内容だから読む価値ないぞ >>314
読んでない
昔から歴史群像シリーズは読んでる >>315
ちなみに武田や上杉は農兵だった、それを信長は「兵農分離」を行った、というのも今の歴史学で完全に否定されてるよ
詳しくは「兵農分離はあったのか」に詳しい >>317
あ、その手の話しなら、楽市楽座ってのは何かなの良く分かってないというのもある あの髭ハゲ肖像画も武田信玄ではないって説が今や有力なんだろ >>318
楽市とは商人への所役免除と権利の保護
楽座とは座への課税の免除・減税
信長は座を廃止したという戦前からの通説は完全に間違いで、実際には座を認めた上で座を優遇していた
座の廃止を意味する破座を行ったのは豊臣政権
楽市楽座はあったのかに詳しいよ 豊臣秀吉 「フッ 田舎大名」
確かに、秀吉からしたら前時代の遺物にしか見えないわなあ 信州甲州行くと、そこら中「信玄の隠し湯」って自称する温泉多すぎ問題
温泉好きにもほどがあるだろ >>255
信長は安土城に移転してからも家臣の切り離しが出来ていなくて、
いまだ安土城下に移住しない家臣の家を焼くことでそれを強行した
それが何故か近年まで「信長の兵農分離の証拠」とされてきた
武田氏では信玄どころか父の信虎の代から城下集住が実現されていた
朝倉氏はそのさらに以前から実現している
兵農分離を行った証拠は実はない
https://togetter.com/li/327812
きみ、二十年前から歴史学のアップデートないよ? 金山から掘り出した金のお陰で、なんとか体裁と勢力を保ってただけ だからなあ
こんなん近畿や東海の広大で肥沃な地帯と比べたら不利 なのはしょうがないわ >>70
俺は人間くさくて好きだが
謙信が北条あてた手紙も
「雑魚佐竹にボコられたとか草w腹筋に候ww」
くらいのテンションで馬鹿にしているから面白いよ >>211
勝頼は戦よりも、情報戦で信長に翻弄されっぱなし。 武田…中井貴一
今川…中村勘九郎
北条…杉良太郎
このメンバーでの密約のシーン
流石に中井貴一が可哀想になったわ
頑張ってたけど格が違い過ぎたよ >>319
武田信玄に関しては写真が現存してるけど
ttps://wiki.yjsnpi.nu/images/thumb/c/c5/TKDSNGN.jpg/300px-TKDSNGN.jpg
確かに肖像画と似てるからあれは本人だよ >>327
指摘有り難う。確かに知識が古いな。
昨今は平山優の「真田三代」を読んだ程度。
一点目で言いたかったのは、天下の覇権を狙える立場にありながら居城を躑躅ヶ崎館から移転できなかった点。 昔から豪放磊落な最強武将ってイメージだけが強いけど
実は緻密な名経営者だったと思う >>321
謙信にビビって北陸から逃げた人が何か言ってますね… 徳川の貨幣体制のもとを作った
徳川の河川改修の土台を作った
家康、のっかりすぎやぞ! >>296
ニワカ知識でドヤってるところ悪いけど甲越和与、な >>13
詫びろ詫びろ詫びろ詫びろ詫びろ
詫びろーーーっ! 父を追放、息子殺し、同盟破棄の常習犯
クズの印象しかないわ 山梨県人に「武田信玄はホモ」って言ってもボコられたりしない? >>361
山本勘助と露天風呂入って
ウホってなってたね 映画影武者にでてくる
ちょっと頭おかしいショーケンの
武田勝頼が好き >>360
戦国大名なんて大河ドラマと信長の野望で美化されてるだけで、どいつもこいつも鬼畜だぞ。
上杉謙信→人身売買、掠奪軍神
織田信長、伊達政宗→弟殺し、ホモ、殺戮マイスター
徳川家康→妻殺し、息子殺し
毛利元就、宇喜多直家→お家乗っ取り、暗殺マイスター >>327
それって全てあるいは大部分の家臣ではなく一部の家臣じゃなかったっけ?
安土どころか美濃攻めの為に本拠を小牧山に遷した時に小牧に移れと命令してたよね
小牧から稲葉山に移る時にも命じてる
その繰り返しの後の安土だがらその頃になっても拒否していたのは極一部だったんじゃなかった?一定以上の地位の家臣で拒んでた家臣はいなくて足軽より少し上の極一部が拒否して焼き討ち等をした
武田氏の城下集住は信玄の祖父の頃は穴山氏や小山田氏とまだ争っていて甲斐国内が大きくわけて三つに分かれてたのが信虎の時代にようやく甲斐国内が一つに纏まるもまだ纏めてまもなく信虎が穴山氏や小山田氏他が離反するのを恐れ人質込みで集めて住まわせただけ
今川氏親と伊勢宗瑞が武田攻めをした時に穴山や小山田が今川と組んで甲斐を支配するのを恐れて今川に謝りに行ってるくらいに甲斐国内は不安定だった
武田氏は領土を広げても本拠地は躑躅ヶ舘から変えずだったし信長の状況とは比較出来ないかと
朝倉も同様に >>366
どちらかといえば、信玄時代から残された遺産を抱えきれず滅んでると思う
武田家を躍進させた創業とそれを受け継ぐ次代では自ずと求められる器・役割が異なる 信玄は信玄堤でも有名で
治水と土木が優れているんだよね
金山もあって財政もがっちり
三ツ者で情報収集、隠密活動も
鉄砲隊が弱かった(少ない)のは騎馬隊が強かった裏返しかもしれないけど
武田の騎馬隊は強かった
武将として優れていることは間違いない かなりの病弱で人生の半分を療養に使ってた
けど人脈と性欲は衰えなかった 江戸幕府が信玄人気を容認してたのが今の評価に繋がってる。
最終的勝者の家康が信玄にボコボコにされてたから、信玄を神格化しないと幕府も面子を保てない。
まぁ家康をボコボコに出来たのは信玄だけだから、相当ハイスペックだったのは事実だろうね。 >>376
江戸時代は謙信と政宗も人気
政宗は家光とバチくそ仲良かったからかな?
あと南朝側の北畠顕家と楠木正成も
江戸時代の一番人気だった歌舞伎は楠木新田北畠の三人が逆賊高師直を湊川で討ち取るという内容らしい(史実では北畠顕家は湊川にはいないし楠木正成は湊川で討死する) >>114
横からだけど俺は謙信女性説を割とマジで支持してる >>353
戦略眼 秀吉>>>>>天下人の器の差>>>>> 謙信 >>330
当時の東海はただの糞田舎だろ北陸の方がはるかに都会
つーか三津七湊といいあの頃は辺鄙なところの方が栄えてるから
北陸 三重 鹿児島 高知 青森 秋田 山口とかな
今と一致するのは堺と博多くらい
とりあえず日本海側 かつ海沿い それか安全な陸の孤島
理由は京都及び明と交易できるから
まー当時も好きで殺し合いしたい奴は少数だったって事やね 住血吸虫さえいなければ甲斐は最も栄えた国になれたかもしれなかったのに、くらい酷い有様だった 割と負けてるのに謙信のついでに軍神扱い。
戦場での駆け引きより上杉北条徳川に囲われながら駿河取ったりした戦略面が評価されるべき。 俺は中井貴一の信玄が大河デビューだったから
なんとなくシュッとしているイメージがある
しかし中井貴一はバケモンのように年取ったように見えないな 越前の朝倉氏は近江京都にも影響力を持ち日本海航路で出羽の安藤氏や薩摩の島津氏と交易してたらしいね
浅井家が信長を裏切ったのも一度朝倉から離れようとしたら宗滴がアポ無しで乗り込んで来て小谷の二の丸までマッハで占領され次舐めた真似したら殺すで?って脅されたのがトラウマで朝倉を裏切ったらおしまいだとビビりまくる老臣や親父の久政を説得できなかったからなんだよな
もう宗滴は死んで当主の義景はバカ殿なのに
今の福井と全然違うやんけ! >>378
後藤久美子がやってたな
行軍速度が秀吉とか
ナポレオン軍元帥ダヴークラスの神速 甲斐国という、富士の日陰で日照量が少なく土地は溶岩or火山灰、しかも平地が少なく
コメの生産高が低く、極端に貧しいという「信長の野望」でいえばほぼ積んでいる土地で
しかも、父親は凶暴。背後には、戦マニアのストーカー上杉謙信・・・
この状態から始めて、恐らく当時の日本最強クラスの軍団を作ったんだから、
信玄はすごいよね >>390
平均寿命が短く13歳で成人し、多く子を産むのが生き残る術だった時代なのでロリコンではない。8歳の嫁もらった奴がいたのは当時でもオイオイと言われたみたいだけど ゆるキャンでこういう風に食えみたいに言ってたけど、これって粉と蜜をペロペロする事前提だよな
袋に粉と蜜めっちゃ残しててずっとモヤモヤしてる
https://i.imgur.com/kHEZOXl.jpg >>395
ネタで言ってるよね?
山梨県の日照時間は北杜市が全自治体として全国一位
甲府市が県庁所在地として全国一位になるぐらいに長い
甲府盆地の土壌は粘土質で江戸時代から桃や柿が名産とされてきたぐらいに肥沃な土地 >>383
あれ違う人みたいだよ
今はマキタスポーツ似の肖像画になってる >>401
ネタではないよ。
戦国期の国力は、領国内でどれだけコメがとれるかで左右される。
カロリーベースで考えたら桃や柿といった主食になりえない作物がどれだけとれても
人口を養うことができない。
江戸期でも、水田をもたずに、畑しかもっていない百姓は、畑百姓として、差別をうけた。 信玄の死後飢饉が起きたときに
村人が食べ物を探して山中を彷徨ってたら栗が群生してて
こんなこともあろうかと真田さんが用意してた栗畑だった 勝頼で武田が滅んだのは信玄の呪いと言っても過言ではない >>296
俺は勝頼をディスってるのではない
あんな跡目の継がせ方をしたら勝頼じゃなくても
家臣団はまとまらなかっただろ、古参が言う事を聞かないんじゃどうにもならない
実際長篠で古参の家臣団をこぞって処分できたから
その後10年、武田を持ちこたえる事ができたんだからな。 >>404
富士山の日陰で日照時間がとかどう考えてもネタでしょ 結局徒歩とか馬の時代に田舎に生まれたのが悪い
京都から近すぎてもダメ遠すぎてもダメだったんだろう >>408
家臣が言うこと聞かないならそもそも重臣たちは出陣に反対した長篠まで来ないし
家康なんて言うこと聞かないどころか家臣団に一揆まで起こされてるぞ
穴山梅雪は処分すべきだっただろうけど 江戸時代に江戸幕府の徳川のアホどもの謀略と
武田狩りのせいで悪いイメージにされてしまっただけで
本当はそんなに悪いやつじゃないんだよね
徳川が悪い噂を流しまくっただけだから ,ィ __
,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、 , -‐、/./.- 、 書き込みのはやきこと風の如く
/ | | ヽ l l ( 火◇風 ノ
/o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、 ノ ◇ ◇ ( 他人と会話せざること林の如く
/o O / l´ ノ ヽ lo ',ヽ ( 山◇ 林 }
\___/. ト、 ● ● ハ ∧ `⌒/7へ‐´ ネットで煽ること火の如く
/ ,イ レ_ ( _●_) ミl~T--‐彡 /./
/ ̄ ̄l. 彡、 |∪| ノ'l l::::::::::彡ー7⌒つ、 部屋から動かざる事山の如し
彡:::::::::::l ト、___ヽノ /| l::::::::::::ミ {,_.イニノ
彡ソ/ノハ ト、 \ / ,イ 川ハ ヾー‐'^┴ >>265
昭和時代でも天皇の為なら1億玉砕とか本気で考えてた人あまりいねーよ
大坂の陣なんて豊臣恩顧の大名が多く寝返って見捨てるってレベルやないぞ 昔は強い大名のイメージあったけど戦国時代知ってくると序盤で倒れた雑魚大名だよな
三国志で例えると袁紹レベルの 何考えてるかわからない毛利元就が当主だった頃は領内の商人もびびりまくって金を貸してくれず毛利家は万年金欠だったからあれだけ他家に態度コロコロ変えてたのに領内をまとめてた信玄はすげえと思う
毛利家の財政を安定させたのは息子のたかもとだしな 若狭の武田家って何なんだろうな…
松前も家系伝説ニセ物だし 世継を決めずに死亡したから後継の勝頼が苦労しすぎた >>432
跡継ぎは勝頼の息子信勝で勝頼は元服までの陣代と遺言で決めてる 三國志で例える袁紹で信長が曹操というのも遠からずか >>426
勢力はあったけど終始小競り合いで終わっちゃった感だよな ゲームとかだと真田幸村の師匠みたいなキャラなんだけど面識あるの? >>429
先見性なら信長だが、軍略、領国経営は信玄だな。
家康は領国経営や軍略に当たって信玄のマネはしたが、盟友の筈の信長は殆ど参考にしていない。
信長は謂わば現代の急成長するベンチャー企業の剛腕社長。
学歴、身分は問わないが能力第一主義。出世というニンジンをぶら下げて家臣を競わせで領地拡大するまでは良かったが、家臣同士の仲はすこぶる悪かった。
その家臣団も各々の出世の為に必死で働いていたから、信長と家臣の利害が一致してる時の織田軍は最強だった。
しかし結局信長は家臣の光秀に殺された挙句、死後織田家の為に働いたのは愚直な権六しか居ませんでしたってオチ。
まぁ信玄と信長が戦えば結局信長が勝ったと思うが、それは国力の差。
美濃尾張近江と甲斐信濃駿河じゃ石高も経済力、兵力も違いすぎる。
もし同じ国力、兵力で戦ったなら信玄が勝ったよ。 さあさあ!そのイチモツでワシの金鉱脈を掘りまくりんしゃい!
ホレホレ早う早う! >>341
割と最近まで生きてたんやな
普通に三方原以降も生きてそう >>426
兵力の少ない相手とばかりと戦ってたしな
強い奴とは戦わないことに徹してたな 陣中で自ら包丁を握ってほうとうを作って家臣たちに振る舞ってたって噂はマジなのかな。 山梨という大ハンデ地域が本拠なのに名古屋をひけひけにしたんだぜ
三河ごときなら木っ端微塵
天才過ぎ 信玄餅をお土産にあげたら福岡のやつがこれ筑紫餅のパクリやんって言うから大喧嘩になったわ
黒田如きが調子乗るなや 強い武将にはホモがたくさんいたという専門家の話を聞いた時に凄く驚いたな 戦国時代は男色も結構あったらしいからな
信長と蘭丸も有名
秀吉は一切男には興味なかったようだ 平安後期、鎌倉期から続く名門で、彼の代で実力を大きく伸ばして、怖いイメージ。
今川や北条とも対等に渡り合い、周辺諸国には脅しの外交を展開。
一旦敵認定されたら、領国の内部崩壊など、あらゆる手を使ってきて手に負えない。
脅し外交と汚い(ように見える)調略で追い詰め、無理にでも従わせる。
信玄に対抗できるのは、戦にはむちゃくちゃ強く一歩も引かない謙信(おまけに財力も信玄よりある)、
濃尾方面と最終的には京・堺を抑えて財力では負けない信長くらい。
徳川家康はとことんイヤな目にあっている。
だが、信玄の外交や調略は脅し・すかしに重きを置いたものゆえ、寛大さや信用といった面から程遠かった。
そのつけを彼が亡くなった後、勝頼が払う羽目になってしまう。
真田が形式上は離反しなかったのが、せめてもの慰めなのかもしれない。 >>448
全然ハンデじゃないだろ
戦国期の甲斐はゴールドラッシュの大金持ちだぞ
結局の所、強さとはカネだよカネ 志し途中で死んだ
残った子供が信長に滅ぼされた
で合ってる? >>435
詩人とか兵法書の注釈とか
マルチさある曹操のほうがすき >>401
桃や柿が出来たら「肥沃な土地」かよ!?w
日本の場合は、基本主食である「米」が多く収穫出来ない土地を肥沃とは言わない >>460
肥沃なのは善光寺平要する北信濃やね
だがここは越後の基地外が目を付けてたせいで粘着されて泥沼
結果的に勢力拡大が遅れて徳川を潰せなくなったのが武田の敗因 失敗を勝頼のせいにしてうまいことやった印象
※個人の感想です >>455>>467
信玄の晩年は北条氏政と再同盟の上に(まだあまり知られてないけど)上杉謙信とも和睦した上で甲斐・信濃・駿河・西上野に領域を広げていて
勝頼はその地盤をもとに長篠の敗戦まで信玄にも劣らぬ勢いで連勝を続けていた
武田の滅亡の遠因になる上杉の後継者を巡る御館の乱がなければ、
もしくは勝頼が目指した景勝・景虎の和平が実現されていれば歴史は大きく違っていただろう
勝頼は和平の最中に徳川の駿河侵攻に対処すべくやむなく撤兵するが
せめてその隙をつくように北条氏政が越後に出兵し景虎が攻勢に
→しかし豪雪に阻まれ結局北条撤兵
→景勝、逆に勢い付いて遂に景虎を討ってしまう、という最悪な結末がなければね… >>453
男色は武士の嗜みだぞ
戦場に女連れていけないしな
秀吉が出自に関係もあって例外 本当に男色に興味がないかどうか?を確かめようと
家臣が、美少年の御小姓を秀吉付けにして、どうするか?様子を見てたら
秀吉 「そちに姉は居るかの?」 とか言ってて家臣ひっくり返ったと言う逸話 好きw >>449
ひよ子盗んでる東京もんには言われたくないな >>461
ホモ相手にお手紙で、もう不倫しませんで貴男だけを見ますと詫びていたんだっけ マンガでかっこいい印象植え付けられてたから、肖像画らしきものを見たときはがっかりした。
これは宮本武蔵にも言えるが。 >>159
ウルトラマンタロウとスカイライダーが何か >>439
親父の安房守昌幸が信玄の側近だったのは間違いない 信長の野望の創造で一番苦労した
上杉とバチバチやり合ってる時に信玄の野郎がイベントで今川に喧嘩売りやがって、それに怒った北条さんまで敵に回すわ、便乗して織田まで攻めてきて四面楚歌にさせられてエラく苦労させられた 何年か前に豪雪で山梨が通行不可になったのを見て、
ああここから外へ討って出て天下取るのは不可能だなと思った 昌幸がもうちょっと早く と言うか信玄の片腕みたいになってたらな 甲斐の国さえよければ他の国の民はどーでもいい
甲斐の民には好かれるだろうが、天下を取る資格はなしw 武田信玄や毛利元就があと10年生きてたらとか
伊達政宗があと10年早く生まれてたらとか
今川が信長退けてたらとか妄想するのは楽しいけど、
まぁ天下三分の一あたりまで制しても
そこからが難しいんだろうなぁ 攻めてる限りは強いが守りは弱い
バーサーカー
戦に勝って国亡ぼす >>12
信長は専属の武士団を作ったけど
信玄の兵力は農民が主力
動ける時期が限られるから 晴信もなんだかんだ慧眼で
新しいものいろいろ取り入れてやってたほうだけど
どこで学んだんだろうな?師匠とかいるのかね まあ謙信については長生きしても北陸方面軍が食い止められるだけで大局は変わらんだろうがその場合、本能寺がどうなるかわからんからな
信玄については生きてたら徳川の領地を相当削ってたので織田の拡大速度がかなり鈍ったのは間違いない
決戦にしても長篠のような絶望的戦力差にはならなかったろうな 西の尼子、東の武田
どっちも大大名だったが寄り合い所帯だから崩壊し出すと止められなかった 中国では春秋戦国時代を制したのは、内陸の秦だったけどな >>364
北条氏康は善いことしかしてないぞ それでいてだ武力は戦国最強
ウルトラマンのような人だ 家康の正妻、長男殺しは信長の命令だから悪人とは違うだろう 小さい椅子に座って卓球のラケット振り回してるむくつけきおじさん >>215
確かここらへんに1,000石だか1,500石だか貰ったんじゃなかったかと
北条家に嫁に行って、信玄が駿河攻めたせいで送り返された姉の黄梅院の墓が山梨の双葉SA近くにあるけどこっちは寂しいね
https://goo.gl/maps/k7H35GP31bUe5iMk6 ついでに500ゲト
梅が付くから生前の名前もお梅とかだったのかなとか想像してみたり 大名は国人どもになめられるとやっていけない。安芸武田はなめられ続けてぱっとしないまま萎んで消えていった
若狭武田は本家ヅラしてブイブイいわせてたけど戦争下手くそすぎてなめられて朝倉頼ってその朝倉にトドメさされた 男色含めて今の価値観では語れないな
ヤクザが県を支配して戦争したり
物凄く良い政治を行ったり、宮家と
お付き合いがあったりするようなもんだ
神様言ってる外人はライフル売りに来て
女を買って帰る 織田の領土拡大が異常すぎる
尾張美濃を領有している段階でトップなのに伊勢を押さえてさらに畿内を…
他勢力の倍くらい大きくて更に徳川と同盟結んでいる
信玄が甲府を動かなかったのは結局失敗だったと思う 今川義元が死んだらとっとと同盟破棄して攻め込んだ不義理者
そのときの騒動で嫡男や飯富虎昌を死に追いやってるし >>497
命令などない家康が自分の意思で妻と長男殺した。戦国時代でも妻殺しは聞いたことないな。
叔父で尾張三河の大名である水野信元も殺してるしこちらは表に全くでないから色々と闇を感じるね。 自身が上洛して天下を治めることは取り敢えず諦めて
三方ヶ原で家康始末して後顧の憂いを断ち
畿内進出の足掛かりとして尾張を獲って支配体制きっちり確立してれば
勝頼がもっと楽になれたのに >>3
山しかね〜わ 海ほし〜わ
ホモデハゲデブ〜♪ >>489
「信長の兵農分離、それ以外の大名は農兵」とか現在の日本中世史学者のほとんどが否定してる事を未だに信じてるのは恥ずかしい
兵農分離はあったのか、は名書なので読んでほしい
>>506
武田・徳川による駿河併合は義元が死んでいきなりではない
義元死後の今川領における三州錯乱・遠州忩劇への対処が失敗し今川の支配体制が崩壊した末に両者は切り取りを決めた
信長から義元の首を返還させた岡部丹波守を始め今川家の重臣は大半が武田・徳川の家臣として吸収されていった >>504
織田の領土拡大のヨシ!←孫正義のヨシ!だよ
あいつがビビって、カミンスクがあーぼんwwww 問題点は、ベトナムの太陽光発電の一人歩き状態
関東甲信越とか豪雪地地帯や雪崩の多い地域とかの電力供給に、
ハザードマップとかチェック必要
というか、灯油が完璧必要 躑躅ヶ崎館ってのがかっこいい
悪の統領が住んでそう >>508
信長の命令自体がなかったってこと?
それだったら事実関係の大誤認じゃないか
歴史学会は正式に訂正を発表して、歴史書も全部書き換えなきゃいけないレベルじゃん >>516
ライバルの上杉謙信も毎年のように北条領への関東出兵を行うなら
わざわざ春日山城まで戻らず北関東あたりに拠点を持てばよかったと思うわ >>495
肖像画の見た目もウルトラマンに似てるしな
男色話もあまり聞かないな
正室に十何人もの子供産ませてるし
何気なくすごい人って感じ
川越の夜戦で10倍の敵を破った話も凄いな 川中島の戦いはどっちも勝ってないどっちも負けてない人が死んだだけ 52歳で死んでる
俺も似たような歳になったが何もしてないな >>497
最近の説では信長の命令じゃないそうだぞ
むしろ、長男切腹させたという報告を聞いた信長が
一緒にいた側近たちと仰天したという話が出て来てる >>504
信長より先に美濃を制して美濃に本拠を移すべきだったよな
まあ、基本的に強い相手とは戦わないのが信玄の戦略だし
天下を取る気もなかったしで仕方ないか
基本的には甲斐武田家の生き残りしか考えてなかったもんな >>510
それをしたかったが出来なかったって感じだな
家康は始末するより武田側に寝返らせたかったのだと思う
しかし、ボコボコにしてやったのに寝返らせられなかったな
さすがに、信長と信玄を天秤にかけたら信長を選ばざるを得ないな >>520
歴史のプロも氏康を最高の武将の一人に推すことが多いね
専門家の眼鏡でも「武将の中の武将 戦国武将の鑑」とこないだのテレビでも言ってた >>504
信長は運に恵まれ過ぎ。
斎藤義龍が早々と病没は大きい。
義龍健在なら、美濃を落とせずに天下布武どころでなかったし。 >>508
主君のやり方に異を唱える一部の家臣が、長男を盛り立てて主君を追い落とそうという
よくある御家騒動の一つという説だったっけ?
武田信玄と武田義信のような例もあるし、普通にありそうだな
そっちは妻までは殺してないが >>430
松前は秋田の安東氏のいとこだけど
武田四菱使ってたのは真下の青森を支配してた南部氏の方
南部氏は甲斐出身で甲斐武田のいとこ
鎌倉幕府倒幕の時に幕府側の安東氏と倒幕側の南部氏が闘って南部氏が勝ち安東氏の支配していた津軽平野を奪い安東氏は出羽(秋田)と北海道に追いやられ敵対してたが北海道の安東氏の(松前)が南部氏側に従属し一門に入る
その時に家紋貰ったんでしょ
南部氏はその後家紋を今の南部鶴に変えてるから
盛岡藩の家紋は鶴菱と言って南部鶴と武田四菱を混ぜてあの武田信玄のいとこですよというアピールしてる >>526
綺麗すぎるのは乱世の雄としては魅力が欠けるのかもしれないな >>533
小田原市長が大河ドラマの誘致にNHKに出向いたとき、
制作担当から言われた言葉がまさにそれだってw
「素晴らしいんだけど、欠点がなさすぎるのもドラマとしてはちょっと難しいかも」
なんじゃそりゃ!
現代の国民にもっと倫理道徳を説かんかい >>534
綺麗すぎると偽善に見えてしまう部分も多いからでしょ
戦争屋であることには変わりないんだし
好漢ならば自ら荒事にも手を染めて汚い部分もあるけど
尖った人間性が魅力的と描ける 甲府駅前の武田信玄像を
亀有駅前の両さん像くらいの大きさにすると
武田信玄を抜く大物が増えるよ >>524
無理じゃないかな
川中島の戦いが集結したのは1564年で信長の稲葉山攻略が1567年
川中島以降、信玄は信長とは協調路線で南下政策に転換
ここまでは唯一無二の正解路線だろう
問題は1568年にようやくスルガ銀行開始と侵攻が遅れたこと、徳川と共闘して北条への根回しを怠って結果的に駿河攻略が北条徳川今川連合を相手にする羽目になったこと
これのせいで信長に大幅に遅れをとる羽目になってしまった
信玄の西上が早ければ早いほど、信長はより少ない勢力で圧迫受けることになって、それだけ勢力拡大が遅れたはずだからね >>537
たぶんそんな大局的にとらえてなかったんじゃない?
天下を取って征夷大将軍になる、とか、考えてもみなかったと思う
だから領国の統治に必死に取り組んでた
信長がそういう行動を取り始めて、ようやくこりゃやばいってんで動いたんだろ >>535
マスコミのない時代に偽善をする必要なんてないでしょ
そもそも世襲だからそれ以上出世する必要もない
北条氏は撫民政策といって減税などを行ったことで有名だが
それによって多くの領民を抱えることができ強い経済力を持った→軍事力も増強
こういうのも現代の政治に通ずるものだし
早雲以来の民主的先進的ともいえるような人道哲学も背景にあったといわれる
だから武将(=政治家)の鑑なのさ 川中島の戦いなんて大局的には無意味だし
征夷大将軍なりに任命されて天下を束ねようと思えば
ますます上杉と戦う意味なんてない
相手がその気でいるからとかは、日本をまとめようと思うって説明すれば
上杉も馬鹿じゃないんだから無意味に5回も戦ったりしないだろ ん?北信濃領有せず甲斐だけでどうやって勢力拡大するの?
大局観あるらしいから教えて 北に上杉、南に今川、東に北条、西に織田
後世から見ると武田って詰んでるよねw いやいや、武田家、領国経営 実質これしか考えてなかったってこと かなりの重税で、領民は疲弊しまくってた。
織田が攻めてきた時はみんな織田の味方したんだってな >>543
???
川中島が無意味ってことは北信濃攻略が「大局的に無意味」ってことでしょ?
じゃああなたのいう「領国経営以外を考えた信玄」がいたとして、大局的にどう動くべきだったの?
話を逸らさないでよ >>540は川中島の経緯も善光寺平の戦略的価値も何も知らないで、聞きかじったいい加減な知識で有名な武将貶して自分が偉くなったつもりになってるだけ 川中島の戦いの経緯とか村上がどうとか諏訪がどうとか
歴史の流れの大局からしたら何の意味もないよ
戦ったっていう事実だけ その後の歴史に与するところなんて皆無だよ
武田氏が征夷大将軍の位をもらうか、それか執権にでもならない限り
上杉との戦いなんて何の意味もない 後釜とかそれを支える家臣団とか
後継者の育成って無茶苦茶重要だよな 信長の施政や布告、戦の仕方の数々がその後の歴史に寄与したのに対して
上杉家と武田家が山奥で5回も戦ったっていうのは完全に無意味だよ
その後の歴史になんの寄与もしていない
甲州法度くらいなら何かの参考になったかも知れないけど >>554
そりゃリターンマッチばかりやっていたら上洛のタイミングを逃してしまう。
織田をボコボコにするだけだった。
もし、足利義昭の思惑どおりというか、リターンマッチを一時中止にして武田と上杉が協調していたら戦国の歴史は変わっていたかな。戦国時代の後半はわからんけど。 >>556
そうなるよね
将軍や執権となって日本をまとめるビジョンがあったら
どうあっても上杉家とは戦わないべきだった
だけど春信はそうしなかった
信濃から追い出した豪族が上杉を頼るから、武田家を盤石にするために−、
っていうところからでることができなかった
5回も戦って時間を無駄にした >>550
でも正直いえば、結果論から今目線から俯瞰すればどうしても
そう思えてしょうがないよな
ドラマでも秀吉にこういうセリフいわせるもの
「なんと無駄な戦に費やしたことよw(・・おかげでこっちは大助かりだった)」 >>161
産まれも育ちも山梨だが
富士山周辺の観光に留めておくのが
吉だと思う
他所から来た人が住める土地じゃ無い 大男が酒飲みながら、一人で敵陣に乗り込み大笑いしながら敵を全滅させるイメージやな 実父を追放
実子を自殺に追い込む
姉の嫁ぎ先に攻め込み、義兄を殺害
戦国時代でも、ここまでの悪党はいないだろう 親が見てた大河ドラマで知ったので、教科書で信玄見たときはクワマンすぎて驚愕した。 >>497
徳川時代の捏造 だよw 信長のせい()
普通に息子信康のクーデターを恐れた子殺し したのが家康 >>554
>>550が答えたつもりだっていうならお話にならないから
「大局」とか「歴史に寄与」って具体的に何の話なの?
京から遠く離れた甲斐と南信濃領有した段階で何をやれば歴史に寄与できるわけ?
上杉と和睦っていうけど、北信濃攻略を目指せば上杉との対立が必然ってこともわからないの? >>562
眼前の最適手と思われることを容赦なく実行する人だね
悪く言えば近視眼的で情がない
信玄は外交は常に眼前だけを見て一手先は無視する傾向にあったように見える
だから集権化を進められなかったのかも >>561
やっぱり実際に住んでる人にはよく分かる不便さがあるんだろうね
ロケーション最高で終の住みかにしたいんだが >>567
大局というのはとうぜん、戦国時代を終わらせて幕藩体制なり統治を徹底し
つぎの時代へ繋げていく流れのことだよ
歴史に寄与とは、その後の時代に参照され利用され今の時代の礎となったかどうかだよ
武田家がそれをなそうと思えば上杉とは戦わずに将軍か執権となり
武田時代をつくらなきゃならなかった
それができるなら北信濃がだれのものかなんてどうでもよかった、武田家も存続した
だけど春信は北信濃の統治を巡る意地の張り合いに終始して時間を無駄にした
上杉に勝つという選択肢以外を選べなかった
織田信長が将軍を庇護し日本を統治するという動きを見せて、ようやく行動したけど
遅すぎた、大局観がなかったから武田家は滅んだんだよ
これは550で書いたのと同じ内容だけどね >>520
河越の籠城戦はよく河越夜戦と呼ばれてるけど
夜戦であったという史料はないので研究者は河越城の戦いと呼んでいる
>>554
近年では信長の革新性とされた兵農分離も楽市楽座も否定されていて
歴史学者の池上祐子氏は信長にはむしろ他大名と比べ後進的な点も目立つとしている
楽座なんて実際の意味が逆だし
>>562
父を殺さずに無血クーデターを成功させたのは戦国の世で珍しい、その後も今川に養育費を払っているし
親族で殺し合うのは徳川・今川・織田・上杉と逆にしていない大名も少ないだろう
>>571
北信濃は北条の対上杉戦と同様に防衛戦の面が強い
近年見つかった史料で信玄の晩年には
甲越和与で謙信と講和していて
北信濃の領有を安定化させた事も判っている これ史実の話なんだけど、
武田信玄は女中たちの糞を集めてそれに栗をいれて蒸して栗蒸し羊羹を作った
これを信長に送ったりしてた >>571
つまり甲斐と南信濃しか領有しないいち戦国大名だろうが、九州、東北の大名だろうが、戦国時代を終わらせ政権を構築しようとしない限り「大局観がない」ってことかな?
それは単にあなたが北信濃の戦略的価値を理解してないだけだね
俺はずっと「北信濃の領有もなしにどうすべきだったのか」「具体的」回答を求めてるので、未だにまともな回答は得られてません 北条との同盟もあったから北信濃で上杉を牽制する必要があったんだっけか 甲斐の戦国大名は信濃を併合しない限り天下なんて狙える目はないし、それが可能だと思えるならそれこそ「大局観がない」だろうよ
信長にとっての美濃が信玄にとっての信濃 >>518
謙信1人なら関東に滞在出来ただろうし、実際長期間対陣した例もある。ただ越後兵は帰さないといけない。農業に従事してる者は農業やらせないといけないし、そうでない者も維持コストがかさむ。それは信玄も同じ。
長期間遠方に派兵出来るほどの強い経済力と兵站を維持出来たのは戦国末期では信長だけだろう。地盤の軍勢を率いて遠征するにも時間的、距離的限界点があると思う。
秀吉以降の時代は違って来るけど。 武田も上杉も北条もなまじ名門であるだけに(北条はニワカの名門だが)
地方豪族に過ぎなかった織田や徳川や秀吉のような成り上がり者の持つ
企業合併によって市場を支配する、という自由で現代的発想が抱けなかったんだろうね 「北信濃の領有もなしにどうすべきだったのか」
この答えを出さなきゃならなかったのは武田晴信だよ
間違った答えを出したから滅んだと言ってもいい
無駄に領地を拡大して全国平定の敵になってしまった
甲斐が貧しくて天下を狙えないならそもそも信濃攻略などすべきでなかった
戦国時代を終わらせる新しい征夷大将軍に全力で従えばよかった >>532
それで岩手の一部には武田家の落武者達が住んだと噂される所があるのか さっきから一生懸命持論を展開してる>>582くんはたぶんクラスで孤立してるんだろうなあ 戦国大名からしたら、そんなん後から言われても知らんがなと思う事ばかり
だろう せめてネットでもあれば
エゴサも出来るんだがな 俯瞰して見るツールも判断材料もない時代のローカル大名に「大局観」って…
そんなん拡大してったから見えるモンじゃねーの >>539
北条五代の約100年でお家騒動が全くないのが凄いとこだな
世界史的にも稀らしい たとえば18歳で家督を継いだ信長がどうすればスムーズに征夷大将軍となったか
(本人が望んだかは別として)とか、説明を試みても無意味だろw おっさん
めっちゃ強い
赤のイメージ
肝心な所で病死
勝頼は結局有能なんだか無能なんだかよく分からん 戦国最強の武将で負けをほとんど知らないけど
山梨県を統一するのだけでも30年掛かってしまったな
まあ孫子を体現すると時間食うよ >>587
初代から伝わる家訓が素晴らしかったんだろうね
多くの戦国大名も北条の家訓を範としたという
ほかに築城術とか水路整備とか合議制とか政治的に後世に与えた影響は大きいと思うよ
家康も関東を承継したあと、当然統治システムは一定程度引き継いでいるはず
内政でしくじったら秀吉の思うつぼってことはわかってるだろうから >>576
それは無い。
勝頼は戦場の指揮官止まり。
家中をまとめられない。
武田侵攻作戦では、裏切りの連続。 山梨の様な地域から勢力有る一戦国大名として顔を売っただけでも大したもの
ま、半分は金山収入のお陰なんですけどね 実力的には三英傑より格上で、早死にしなければ余裕で天下取ってたようなイメージだけどそうでもないのかな。 甲斐で内紛を信虎の代までやってて信虎の代で甲斐統一 内政をしないまま信濃せめて信虎追放 家臣に担ぎあげられたのが信玄 武田集権を晩年にやってようやく領土拡大出来た 家臣が源氏とかが多くて纏めるのが大変なイメージ 信虎とーちゃんの代で
諏訪や今川と誼結んだり
領土拡張の下地はできてた >>550
その理屈で言うと三国志なんてなんの意味もないな
結局は晋になるだけだし、その晋もすぐ滅ぶしなw >>594
いやあの時代の武田家中まとめるなんて無理だろ
若くて経験も少ない上にそもそも庶子だから反発もある
まぁ信玄より有能ってのはないが、無能なわけでもない
あの時代と状況じゃ信長秀吉でも滅亡待ったなしよ 信長が尾張美濃を抑え信玄が甲斐信濃を抑えた段階で共に100万石相当として、そこからの両者の拡大速度の差があまりに大きい
三方原までに信玄は駿河と上野の一部を切り取った程度だが、信長は畿内経済圏に食い込んで300万石超のナンバーワン勢力に飛躍した
甲尾同盟は結局、信長にとって大きなメリットだった。武田は徳川との対立が必然だから結局、意味が薄かった 子供の勝頼って信長の娘と結婚してたんだよな?
なら、跡を継いだら信長と和解して娘と再婚させてくれとか言えば良かったと思うんだよね
信長の妹のお市が美人だったってんだから、娘も美人だったんじゃないかな
あるいは勝頼の好みのタイプじゃなかったか? >>582
北信濃を領有した上で謙信と和睦したって文が読めてる?
>>602
勝頼は長篠の戦いで敗れるまで信玄にも劣らないスピードで領地を拡大していたし
その敗戦後さえ東国で勢力を広げていた
ネットで拾ったニワカ知識ではなくきちんとした中近世日本史学者の書籍を読んでる人なら
武田の滅亡は武田単独の問題ではなく御館の乱による甲相越の同盟関係の分裂が主因と理解しているよ 自国から逃亡してまで生き残りに全力でやった伊東や小笠原は大名として復活したのにプライドが許さなかった武田は滅んだ。 武田狩りがひどかったんだよ
ちゃんと逃げてはいるけど、武田方なのを隠していた
江戸の悪魔達に見つかると殺されてしまうのだ 八王子スレが立っていて千人同心のレスがあったが
千人同心は、武田の遺臣を家康公が召し抱え
甲州口の警備を任せたのがはじまり、これマメな >>606
勝頼は優秀だったけど所詮諏訪の子、諏訪勝頼。君主ではなく信勝の陣代。
現代でいう下請け企業(諏訪)の社長で武田本社社長の参謀役に過ぎない。
そんな勝頼だから、戦で勝ち続けて武田譜代の家臣を黙られるしか方法が無かったのは悲劇だった。
義信が生きていて勝頼が家臣の立場なら、伊達成実、北条綱成、立花宗茂を超える名将になってたよ。 先代の部下が有力なまま残されてるとやりづらい
畠山は部下に追い出された。六角は部下をクビ(ちょんぱ)にした。織田は部下が独立した。龍造寺は部下に乗っ取られた
勝頼は部下になめられないよう頑張ったけど、頑張りすぎて部下にも無理させてしまい人望をなくした >>520
氏康は仕事の前の朝酒薦めてるな
テレワークの連中も真似してみたら能率上がるかも知れないぞ 女だった説あるけど、
ワキ毛ボーボーに生やしてて、オッパイはボディービルダーみたいな胸筋(男の)で、クリトリスやたらデカそう。 折角、山梨から出たと思ったら長野とか群馬、八王子、静岡だし
また直ぐに山梨に戻るし、積極的に防衛と略奪だけしてたんじゃないかと思っちゃうわ >>12
いや、思わなった。信玄は金で褒美をあしていたのに対して信長は領土や官位で家臣を食わせていたからね。
今とは違って物が育たず、川が氾濫すれば作物がダメになる、難癖をつけて戦をしなければやっていけない。
ゲームだとそれがあっても信長みたいにすれば、何とかなるから。 >>568
信玄は父、信虎の独裁・中央集権化を嫌った家臣たちに
担ぎ上げられて当主の座に就いてるから父と同じ
中央集権化をしようとはあまり思わなかったのかもな
一応、甲州法度は出してみたが有力家臣たちは従わなかったし
最初からほぼ諦め状態だったのではないかな
まあ、確かに近視眼的で出来るだけ弱い敵とだけ安全に戦って
領土を増やして滅亡しないようにという戦略って感じだしな
謙信と戦う羽目になったのは誤算だったろうが中央集権化してて
結束の強い北条家と組んで戦えたのは幸運だったな >>572
孫子の兵法には全然忠実じゃない
信玄自身も日本の風土に合わないと言ってる
(孫子の兵法は中央集権化してる前提だが武田家はそうじゃないということか?)
風林火山は極一部を引用したに過ぎない
(文の続きの「知りがたきこと影のごとく」と「動くこと雷の振るうがごとく」が割愛されてるし)
旗なら織田信長の銭の旗のほうが孫子の兵法の理念に適ってる
(孫子の兵法の重要部分である戦争には莫大な費用が掛かっていることを良く表してる) >>578
信玄は北条を高く評価し恐れてる感じだから
北条との同盟を重視して上杉との和睦は考えなかったという
可能性はあるだろうな >>593
家康は北条のやり方をほぼそのまま引き継いだという研究者もいるしな
もちろん、内政でしくじって秀吉に突っつかれないために
仕方なくな部分もあったろうとのこと
信長も命令の出し方で北条式を真似たと言われてるな
(それまでの美辞麗句や私事を織り交ぜた煩雑な命令書から簡潔明瞭な命令書に) >>596
>実力的には三英傑より格上
それはないと思う
ずっと下じゃないのかな
信玄の魅力は凡人でも懸命に努力すればそれなりの
成果を出せるということだと思うけどな >>164
知ってる、冗談に思われてて落とされたんだよね、武田信玄本人が確認したら本当に居たんだと合格通知を受け取ったんだよね。週刊誌で知った 信玄餅=普通のきなこ餅 ほうとう=なんだかぼんやりしたうどん
山梨うめぇもんがねぇ >>605
信長と和解して何が得られるんだ?
家臣たちは武田家に所属してるから領地増やせると
思ってついて来てる。その家臣たちの納得する利益があるのかが問題
家臣たちとの合議で成り立ってるわけで特に武田家は
家臣たちの発言権は強いし >>612
ああ、それ氏康の話だったか
氏康がそう言うなら試す価値ありそうだ
いい情報をありがとう 普通に優秀だろ
武田・上杉・北条の3つの勢力が互いに均衡して、大きくなれなかった
対して織田信長は尾張統一後、桶狭間で突進し、今川義元を討つ。
三河の徳川と同盟、東隣の備えとする。美濃の斎藤氏を滅ぼし
近江北部の浅井長政と同盟、足利義昭を擁立して上洛。
本願寺、毛利氏と戦い、朝倉義景を攻めるが、浅井に裏切られる。
延暦寺焼き討ち、浅井・朝倉を姉川で破るが、決定打とならず。
信長包囲網形成。
石山本願寺、浅井、朝倉、六角、西の毛利氏、東の武田氏、相次いで信長を包囲。
120万石となった武田信玄3万の軍勢で西上。
信玄は本願寺顕如、朝倉義景、足利義昭と使者・書状で連絡を取り、信長を包囲、
松永久秀を裏切らせ、三河の徳川家康を浜松城北の三方ヶ原で撃破、糞漏らしで逃亡させる。
追い詰められた信長は信玄と和睦を考える。
その後、信玄病死。
↑これ見て優秀じゃないといえるか? 信玄が早くから鉄砲による戦争をしてたら天下統一してたんだろうな >>631
>追い詰められた信長は信玄と和睦を考える
そんな話始めて聞いたな
信長は普通に家康と援軍に信玄を任せて安土から京に出陣
朝倉は信玄出馬と知るとやれやれ肩の荷が下りたと、とっとと帰国
家康は敗れても武田に寝返らず織田陣営に踏みとどまる
時間切れで信玄帰国、途中で病没
優秀うんぬんとかじゃなく普通によく頑張ったなあという感想だな
信長は家康に寝返られたわけでもないしで尾張を切り取られたわけでもないしで和睦必要ないじゃん
普通に攻略できずに撤退じゃ和睦する必要ない >>615
武田もどこも侍大将などの一定以上の位の家臣に領地を与えたり安堵するのは同じ
>>619
もしかして「信長は楽市楽座で銭を稼いだ」とか戦前の旧説を未だに信じてる? >>615
というか江戸以前の官位って朝廷に献金して買ったり勝手に名乗ったりするもの(例・ 信長の上総介)で
例えるならトラックのデコレーションみたいなもの >>635
>もしかして「信長は楽市楽座で銭を稼いだ」とか戦前の旧説を未だに信じてる?
意味不明。楽市楽座のことなんかまったく触れてないが?
戦争には莫大な費用が掛かってることを強く主張してる孫子の兵法は
別にそのための金の稼ぎ方とかには触れてないぞ。兵法だからな。内政の書じゃないから 金をどれだけ持っていようが戦争をすれば金がかかる
これを忘れるなってのが孫子の兵法の重要な主張 男色で有名になってしまった高坂も例の真田も信濃で活動していた武将だよな
武田家の中では新参者
真田は勝頼の時代は親族除けば家臣筆頭くらいのポジションに出世していて
対北条の北関東切り崩しの責任者くらいの役割だったらし >>632
武田は比較的早い時期から鉄砲を導入してる大名 >>605
勝頼は織田と縁の深い信勝に家督を譲り、松姫に新たな結婚相手を用意せず信忠との再度の婚約を求め
織田との和解を模索したけど
一番苦しい時に裏切った武田を信長は決して許さなかった 昔、おんな風林火山 っていう大映の大河ドラマみたいなのがあったよね
鈴木保奈美の松姫主役
女性視点で描いてて割と面白かった >>642
橋田壽賀子のいのち
独眼竜政宗って視聴率30越えの
モンスター相手に裏で爆死した大映ドラマ >>637>>638
風林火山の旗と永楽通宝の旗を比べてどちらが孫氏に忠実かという論は疑問なので曲解してたらすまんわ
ところで孫氏では物資(糧や財)の運用について書かれていて「侵掠如火」も相手方の物資を奪うという見方が定説だけど
具体的に銭がどうたらっていう文はあったっけ? >>641
武田が一番しんどいときに、織田は上杉との和睦を斡旋してくれたし徳川もなだめてくれた。なのにアレだからな。ほんとやべえ奴
信玄は、「家が亡ぶのを天意、運命と皆はいうけれどそれは違う。そいつのやり方がマズかったから滅ぶのだ。」って言ってたその通りになった まあ東京と隣接してるのに県の人口約80万人しかいないところに立地の難易度がわかるよね
元長野県民からすると上野原辺りは東京への通勤圏としてもっと発展しててもおかしくないのだが >>146
日本刀でのタイマンを子供の頃目撃した明治の人が書いてたけど
お互いに「おりゃー!」とか叫ぶばっかで時々ちょっと斬りつけては
逃げ腰で引いて構え直す繰り返しだったらしい
そのうち出血の多い方がへたばって終了
腕の差があったり集団戦だとまた話は違うだろうけど >>649
集団戦だと名前を売りたい奴に次々と狙われたり
飽和攻撃で速攻やられちゃう説あるよw >>649
猿叫で威嚇するキチガイ剣法示現流が最強だな 長男を始末した後にちゃんとした跡継ぎを立てずに死んだ無能 >>448
三河ごときとか、何時勝った事があるんだ
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 >>249
日本の歴史ってそんなんばっかやん
聖徳太子像→実は違う人でした >>449
筑紫餅は1977、信玄餅は1968
信玄餅も安倍川餅のパクりって公言してるけどさぁ >>641>>646
将軍・足利義昭の号令や信玄を頼り皇族の覚如が亡命してきた比叡山焼き討ちを無視して信長英雄史観から見るのはよくない
>>654
勝頼は御館の乱がなければ「失敗を挽回した武将」と言われてると思う >>644
「兵は拙速を聞くも未だ巧久を睹ざるなり」で有名な作戦編だよ
「日に千金を費やして」とか「久しく師を暴さば則ち国用足らず」で直に触れてる
戦争には莫大な金がかかる、だから巧久でなく拙速で、食料は敵に求めろ、水攻めより火攻め、
百戦百勝より戦わずしてかつなど常に金がかかることを念頭に話が組み立てられてる
なので孫子の兵法の根幹だろうと思う
だから信長の永楽通宝の旗の方が孫子の理念に適ってると思う
旗を見るたびに金がかかってるのを自覚できる >>661
覚如ではなく覚恕だ、恥ずかしか
>>662
ありがとう、勉強不足だわ >>496
鉛中毒のローマ皇帝シリーズとか酷すぎて乾いた笑いが出るレベル >>662
金が至上なら
室町時代に主流の貫高制から石高制に転換して
唐入りという大規模な軍事活動を行った豊臣秀吉は後進的だったの? >>391
武田信玄は陰と雷を省略しやがった。
原文は、疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷霆 >>668
金が至上なんて言ってないぞ
戦争には莫大な金がかかるという事実を踏まえて
孫子の兵法は論理を組み立てているのではと言ってるだけ
孫子の兵法も金が至上なんて別に説いてない
だから貫高制から石高制に転換とか孫子の兵法とは関係ない内政の話
唐入りについての是非は検討の余地ありだろう
孫子の兵法的には良しとしないと思う >>297
まあ、胃がんだった人があんなに太ってるわけはないもんな >>307
今思えば無双やバサラの先駆けかもしれない >>297
5ちゃん民のおっさんであるお前がそう思うんなら
5ちゃん民の知識とはお前同様のものなんだろう 信玄餅は2つあって
なんか争ってるなw
しかもうちはどっち派とか >桔梗屋の「信玄餅」は1968年(昭和43年)、金精軒の「信玄餅」は1972年(昭和47年)に発売された。
なんだけどね^^ >>676
日本住血吸虫は山梨に限らず全国各地、というか東アジア各地に分布 武田のことを、貧しい土地で背伸びした能無しの田舎もんが調子のって生意気と嘲ったやつらはみんな武田にボコボコにされた ニワカほどいきり立って貶しがちだけど、知れば知るほど凄い人だったと思う
情や体裁にとらわれず着々と眼前の戦略目標達成していった人 >>560
大叔母(千葉県出身)の旦那さんが山梨県出身だったけど、
「千葉の人は暢気でいいな」ってよく言ってたな。
温暖だと性格もまるくなるらしい。
ちなみに神奈川県に住んでいて、家紋は武田菱だった。 >>686
甲斐のクソ田舎から出発して、あそこまで版図を広げたのは凄いわな。
信長と信玄で本拠地が逆だったら、また違ったろうし。 武田は名門だから国人から成り上がった毛利元就の方が上かな
秀吉には勝てないけど 信長が桶狭間で今川義元を討った頃、信長の養女を信玄の四男・勝頼の妻として友好関係を結ぶ。
その2年後、信玄の娘を信長の嫡子・信忠の妻とする約束を結ぶ。
信長が弱い頃は、下手に出て、信玄と友好関係を結び、東方の脅威を少なくし、信長は西に勢力を拡大した。
しかし、その後、両勢力の関係は
信長は、尾張、美濃、近江、飛騨、山城、大和、河内、和泉、摂津、伊勢、志摩、伊賀の12ヶ国に急拡大
それに対し
信玄は、甲斐、信濃、駿河、上野、飛騨、美濃の6ヶ国だけ。
信玄は、元亀・天正の頃にはようやく気がつき、それまで信長にたばかられてきたと怒り、
信長は錦の袋に毒石を包んだような男である、と吐き捨てた。
信玄は、北条氏康が死去した後、子の氏政と和睦。後顧の憂いを断ち、
反信長大同盟と手を結び、遠江に侵攻。浜松城の北に糞漏らしを誘き出し、三方ヶ原で撃破。
織田の援軍・平手汎秀が戦死。
信玄は信長包囲網の石山本願寺、足利義昭、浅井長政、朝倉義景、六角氏、斎藤龍興の残党、三好党、毛利氏と
連絡を取りながら、西進。松永久秀を裏切らせることに成功。
越前の朝倉義景と東西から信長を挟撃しようとした。しかし、朝倉が帰国。
「貴国の兵の半数以上が帰国されたそうで驚き入っております」と書状で朝倉を非難。
本願寺顕如に書状を送り美濃尾張遠江三河の門徒を蜂起させるよう依頼。信玄の妻と顕如の妻は姉妹で、両者は昵懇の間柄。
顕如は朝倉が帰国したのは北越が大雪で人馬の交通が困難なためと説明。2月26日には義景が出馬すると書状で報告。
将軍義昭、松永久秀、三好党、六角の残党が活発化して、信長が焦る。
信長は義昭に依頼して信玄との和睦を仲介してくれ、と依頼。
しかし、三河・野田城を包囲中に信玄病死。 >>691を見れば、信玄病死しなければ、信長も結構危なかったことがわかる。
武田・上杉・北条の3勢力が拮抗している間に
織田が急成長。
九州は島津・大友・竜造寺の3勢力均衡から、島津九州統一へ。
四国は長宗我部元親が四国統一へ。
山陰・山陽は毛利氏が尼子氏を徐々に圧倒し、宇喜多直家が対抗馬として台頭。
各ブロックの制覇者が遠交近攻で勢力拡大へ。
歴史にイフはないが、信玄が武田・北条・今川三国同盟で今川を実像より重く見て
越後の長尾景虎を若輩者と軽視したことが、武田の勢力拡大を遅らせた。
上杉輝虎の実力は武田信玄と北条氏康が束になってかかって、ようやく互角。
ここを見誤って織田の台頭を許した。 信長という勝ち馬に乗っていられれば良かったのにね
ピンチにはなるんだけどしぶとく抜けていく信長が異常なのかもしれんが
徳川さんはさすがの目利き 信玄は単なる戦闘バカ。
そこが天下収めた三英傑とは違うところ。 戦闘バカは謙信だ
美濃が弱体化した時に方向性を転換できなかったのが敗因だろう 謙信は未だに人物像がはっきりしないな
義の武将はフィクションとは言われるけど、何考えてるのか掴めない >>697
考えたら家康も信長同様本拠地を移して浜松にずっといたよね
結局地元に留まるより移動したほうがいいってことなのかな
面倒臭い三河衆より井伊直政なんかのほうが扱いやすかったのか…
武田も勝頼時代に新府城に移ろうとしたが遅すぎた >>701
何か躁鬱じゃねーかと思うんだよな謙信って
「オレは毘沙門天の生まれ変わりじゃー(`・ω・´)!」ってなったり
「自分はダメ人間です・・・僧になりますから探さないで・・・(´;ω;`)」って
一時期失踪したり でも本当のところ長篠とか信玄以来の旧臣で常に勝頼を見下していた、戦場ではもはや役に
立たない爺どもが死んだだけで、武田にとり致命傷ではなかったんだよな。本当の致命傷は
甲州金が枯渇してしまったことなんだよな。これ見ると武田のやり方と戦国がどういう時代
だったか薄々わかるな
https://youtu.be/6sms6Z9tkik >>701
隆慶曰く「戦争芸術家」だからな
合戦は爆発だあ!とか言ってたのかも知れんw 信長が美濃を平定した段階で武田と織田がほぼ互角ぐらいかな
その後の信長も決してイージーモードではないとはいえ、それに見合うリターンを得ながら急拡大
一方の信玄は北条と敵対したせいで駿河一国を平定するのに手こずって勢力に大きな差がでてしまった 甲斐武田(山梨)の家臣は、新羅三郎系に限らず、多田、山県、その他、摂津源氏や美濃源氏系もいるし、
その後に移住した、安芸武田系(広島県)にも繋がるの興味深いよね?
この辺は、長野県、山形県に似てる。子孫が沢山いるし... >>702
新府なんかより甲府の方が遥かに交通もよく優れてるよ
新府城は武田衰退の象徴でしかない
信玄が仮に本拠地を移すとしたら駿河なんだけど、平定した時期がそもそも遅すぎた >>2
みんながそう言うから
最近は信長の野望の顔グラでさえガチホモ感丸出しだぞ、どうしてくれる
https://i.imgur.com/9kmQiSf.jpg >>686
戦国時代あるある
信玄謙信政宗など有名どころを超人のイメージで見過ぎて勝手に幻滅して勝手に恥ずかしがって貶しまくる
その後色々読んで他の中小大名の知識も増えてきて相対的に評価できるようになってくると
やっぱり凄かったんだとわかってきて無闇に叩いていたのがまた恥ずかしくなる 信玄が出てくるホモビは昭和末期の作品なんだよな、存命なのかな
撮影場所も特定されてるけど今と街並みも変わってるし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています