【伝説のパソコンMSX】仕掛け人がついに明かす「失敗の本質」
西 和彦
https://diamond.jp/articles/amp/253320



「カシオの値下げ」で各社のMSXはほとんど死んだ
 パソコンの統一規格をつくる――。

 その理念のもと、アスキーが「MSX」というブランドを立ち上げたのは、1983年のことだ。

 今では、どのメーカーのパソコンを使っても、何不自由なくデータを共有することができるが、当時は、それができなかった。多くのメーカーが独自のハードウェアをつくり、僕が社長を務めていたアスキー・マイクロソフトが、それぞれの仕様に合わせて、マイクロソフトBASICを大幅にカスタマイズして“移植”していたから、メーカーごと、機種ごとの互換性がなかったのだ。

 ユーザーにとって不便極まりない状況を変えなければ、パソコンが「一家に一台」普及することはありない。そう考えた僕は、ビル・ゲイツとともに、パソコンの統一規格「MSX」を構築するとともに、日本メーカーに参画を呼びかけた。そして、松下電器、ソニー、日立、東芝、三菱、富士通、三洋、日本ビクター、パイオニア、京セラ、キヤノン、ヤマハなど錚々たるメーカーが参画を決断してくださった(このあたりの詳しい経緯は連載第18回参照)。





 そして、1983年6月16日に共同記者発表会を開くことを決定したのだが、その直前に、孫正義氏が十数社のメーカーとともに、MSXに対抗する統一規格を出す用意があると発表。「アスキーがMSXをどうしても強行するというなら、日本ソフトバンクも別の統一規格を提唱して主導権争いをする」と、僕に「挑戦状」を叩きつけて、マスコミが「MSX戦争か?」とマスコミが騒ぎ立てる一波乱もあったが、松下電器の前田一泰さんの仲介で一件落着(このあたりの詳しい経緯は連載第19回参照)。いよいよ、10月くらいから、各社のMSXマシンが出荷されるようになった。

 値段はだいたい5万円くらい。使いやすいパソコンだったから、年末商戦でちょっとしたブームになった。新しくMSXに参画する企業も相次いだ。当初は、うまくいくかと思っていた。

 ところが、カシオが、ほぼ半額の2万9800円でMSXマシンを発売。これをきっかけに、MSX陣営内部での激しい値引き合戦が始まった。これが痛かった。一生懸命作って、一生懸命売っても、それで利益が出なければプロジェクトは続かない。あ〜あ、と思った。





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