明智光秀、実は本能寺に行っていないことが判明
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「光秀ハ鳥羽ニ」、最期の言葉も 本能寺の変に新情報
天下統一を進めていた織田信長を支えた明智光秀が、主君を裏切った本能寺の変(1582年)。事件の87年後にまとめられた「乙夜之書物(いつやのかきもの)」には、
参加した人物の証言として、光秀本人が本能寺に行かなかったことが書き残されていた。複数の研究者によれば、この古文書の記述は信頼性が高いとみられ、
今後の研究を通じて、本能寺の変に新たな解釈が加わるかもしれない。
金沢に現存する「乙夜之書物」は、加賀藩主・前田家に仕えた兵学者、関屋政春(せきやまさはる)が記した自筆本だ。
全3巻のうち本能寺の変のエピソードが記された上巻は1669年に成立し、関屋家に代々伝わってきたとみられる。
前田家に所蔵が移ったが、戦後の1948年に前田育徳会尊経閣(そんけいかく)文庫から金沢市に寄贈された。
今回、詳しく読み解いた富山市郷土博物館の萩原大輔主査学芸員(日本中世史)は、「乙夜之書物」には「光秀ハ鳥羽ニヒカエタリ」と、
光秀が本能寺に行かなかったことが記されているほか、本能寺の変に関わる以下の4点が新しい情報とみている。
@光秀重臣の斎藤利三(としみつ)が事件前日の6月1日昼に亀山城(京都府亀岡市)を訪れ、光秀謀反の決断を知る
A光秀軍の亀山城の出発は1日の日暮れ前
B光秀軍の兵たちが本能寺に向かうことを告げられたのは、真夜中に休憩した桂川の河原
C(2日早朝)信長側の光秀軍襲撃の第一発見者は寺で水をくむために門外に出てきた召使。信長は乱れ髪で白い帷子(かたびら)姿。
https://www.asahi.com/articles/ASP136SHXNDZULZU00D.html そもそも当時の発言にしても誰が聞いてたのやら
話に尾びれがいくらでも付くしな
ただ鳥羽にいたのはそこを偽るメリットがないから信憑性はある
周りは織田軍だし、信忠の件など衝動的で無計画もあったしで、朝廷や織田包囲網参加国へ支援要請の書状など急いでやらにゃならんし
まあ知らん >>614
1185で平氏滅亡で政権ぽいのが存在してたとしても、
1192に征夷大将軍任命なんだから、
日本学術連盟とかが威張る為に変更しただけだろね >>738
ヒトラーの場合は独裁者だったから誤解されることが多いが
結局はドイツ人の願望、喜ぶことを次々にぶち上げてドイツ人の
機嫌を取って支持率を高めることで独裁者になっただけだしな
ヒトラーは終始ドイツ人の願望や夢に縛られながら政治してた
ヒトラーがいなくてもヒトラーの代わりをする人が同じように
やってただろうな
ヒトラーと同じようにうまくやって絶対権力を確立するかは別として
ナチスの中にはヒトラーと同じ考えの者やヒトラーに助言する者もいたわけだし
ヒトラーが居なかったとしても別のヒトラーが絶対権力確立する可能性は高かったろうな >>766
明智・十兵衛・NHK・捏造・光秀さんです
明智・十兵衛・源・朝臣・光秀さんとは別人です 調べたら近年の歴史改ざんって学術会議のしわざみたいだな
ほんとろくな事しねえな学術会議 >>80
坂本はもう消えてもいいよ
実はそれほど重要なキャラではない
明治維新はグラバーとか誰が彼らに金を出していたからを教えたらいい 1582年の出来事を1669年に記されたのに信憑性が高ってどういうこと?
後に家光の乳母で権勢を振るった春日局が斎藤利三の娘だし、後の時代で悪く書けるわけ無いだろうに >>770
視点は大事だと思うよ
例えば、ヒトラー、ムッソリーニ、大日本帝国、全部ひとくくりにしてアメリカを中心とした
民主主義が正義っていうのが戦後教育
アメリカの行動は全て善で日本は悪、と教えられる
だから南京大虐殺、従軍慰安婦なんてフィクションが今でも幅を効かせているんだよね
21世紀の現代ですらたかだか人種による偏見すら解決出来ないアメリカの民主主義が
いかに欺瞞に満ちているかは明らか
歴史は勝者が作る、とはよく言ったものだ >>767
細川なんて信長に乗り換えた時も義昭の動向や計画を全部信長にチクってたらしいからな >>770
ヒトラーの代わりはナチスの前身ドイツ労働者党にはいなかったがな
恐らくヒトラーが入党しなかったらドイツ労働者党は他の民族主義派の政党より議席増えずソビエトの影響を強く反映して共産党が盤石な国家になっていた 信長の野望でさ
なんで武田信玄て信長より能力値高く設定されてるの? >>778
確かにその可能性も十分あったと思う
でも、ドイツ保守派が素直にドイツ共産党躍進を認めるかだな
当時、ドイツ保守派はヒトラー率いるナチスに協力して
ドイツ共産党を壊滅に追いやったが、ヒトラーもナチスもない場合は
どうしたのかが問題だな >>779
武田信玄は人気あるからな
熱狂的ファンもいるからそれなりに能力を
高くしとかないとクレームがガンガン来てしまうわけよ >>779
やっすんがクソちびって逃げ出すような奴だぞ 一部に誇張があるからぜんぶホラとか一部に間違いがあるからぜんぶデマってのはパヨクにもほどがある。自重したまえ。 現場に居なくても命令下したのは光秀
大将が遥か後方で指揮執るのは当然 >>782
武田信玄も教科書から消えたけれどクレーム凄かったろうな >>769
鎌倉幕府の成立年は「実質的に統治機構が立ち上がったのはいつか」って言い出したら
色々と意見が出て収集つかなくなって、よく分からない、という締まりの悪い状況に >>786
教科書なんて大人で見る人なんてほとんどいないだろうから
クレームなんてほとんど来なかったんじゃないの?
多くの子供が武田信玄をよく知らずに育つだけでしょ 武田信玄、教科書に載ってたことあるの?日本史で取り上げるような事あった? >>792
あるだろ、戦国大名の例として
でも信玄謙信とりあげたら
北条だ毛利だ島津だ南部だ姉小路だとややこしいことになるから浅くひろくの教科書から消えるのも仕方がない
そんなこと許した歴史学会はおかしいけれど もはや神話クラスに手掛かりも証拠も無い状況では推理できんな。 戦前は新田義貞と楠木正成は必須知識だけど今太平記ネタがどこまで通用するか 歴史の絵本で明智は農民に竹やりで刺されて死んでたんだが本当にそうなのかな 信長の延暦寺焼討ちも、浅井長政が琵琶湖の西側に勢力を伸ばして
京都を狙って延暦寺と組んでいたからって話も出てきてる そもそも信長が誰に殺されたとか理由とか日本の歴史に何の影響もないから学問としてはまるで無価値 >>798
太平記を読んだら後醍醐天皇の印象が・・・ 正史とされるのは勝者が書き換えた歴史
光秀が山崎の合戦で惨敗、敗走
小栗栖で惨めな最期を迎えていてくれないと
謀反人を取り逃がしたが天下人となった秀吉公では格好よくないだろw
姻戚関係の長曾我部家にかくまわれたとかいう伝説もあるし
事実なんてわからん >>2
勉強してりゃこんなトンデモ論は自分でも自分の知識と言葉で否定できるだろ
無学ならはいそうですかで終わるけどそもそも興味ないからどうでも良かろう >>729
日本のプロレス史なんかもわりと面白い
2 〜50年前の事件の証言本が色々とでて
You Tubeで当事者が自分の見解を語るけど
出自が怪しかったりほかの本や証言と矛盾が生まれるて
表に出たら不味い事は隠されてるから
実際の所は自分で見た資料から推測するしかないが
暇つぶしとしては中々楽しい >>807
読まなきゃ良いじゃん
そしてなんでわざわざその
長いって書く指の動きさせたの?
勿体無いよねホント >>807
知的偏差値が低い人ほど長文を忌み嫌うw ピンサロ行って二日酔いだったんだろ
信長に電話して
すみません、熱が47度あるんで休みます
って仮病したんだよ まあ長文は細かいこと突っ込まれるの覚悟で要約してほしいよね
突っ込まれたら、その都度説明すればいい
こういう掲示板なんだから、全部いっぺんに書かなくてもいい 戦国時代って比較的どうでもいい時代だよな
後世に関わるのは鉄砲流行ったのと徳川に付かなかった武将は300年冷や飯食ったくらいだろ 秀吉が主君の敵を打ったことはわかるが
そのことでそれまでの順列をくつがえして
尾田君陣営のトップ顔で
後継者の後見人に収まることができたって部分がしっくり来ない 明治以前の日本史の詳細や年表を覚えるなんて無駄すぎる >>7
全然違う。光秀が本能寺に行かず、離れたところにいたのが確定なら、今後歴史ドラマ作るとき、
本能寺の前で光秀が「かかれー」と号令かけるシーンがなくなるし、本能寺で信長の遺体を捜せと命じるシーンもなくなる。 >>819
織田家序列上位の丹羽長秀が秀吉に付いたのが大きいだろうな >>43
あれは西国に行くと見せかけて、途中で本能寺に向けて進路を変えるときに言った言葉だから問題ない。 >>826
何かのドラマでは本能寺の庭で言ってたぞw 官兵衛「殿、チャンスですぞ亡くなった半兵衛もお喜びになりましょうぞ」 >>98
6つくらいある。どのどれかまたは複数だろう。 光秀の軍勢って尾田軍の与力で
手勢ってほとんどいないんじゃなかったっけか
本人が敵は本能寺にありって言わないでもなんとかなるんだな >>833
つまんないなあ
本能寺で寝てる信長の耳元で言って欲しい >>766
ちょい長いけど、フロイスの光秀評価。
信長の宮廷に惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた。 彼はもとより高貴の出ではなく、信長の治世の初期には、公方様の屋敷の一貴人兵部大輔と称する人に奉仕していたのであるが、その才略、 深慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受けることとなり、主君とその恩恵を利することをわきまえていた。
殿内にあって彼は余所者であり、外来の身であったので、ほとんどすべての者から快く思われていなかったが、自らが(受けている)寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。
彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己れを偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。
また、築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持主で、選り抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた。
彼は誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛の情を得るためには、彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、 彼の嗜好や希望に関しては、いささかもこれに逆らうことがないよう心掛け、彼の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者がその奉仕に不熱心であるのを 目撃して、自らは(そうではないと装う)必要がある場合などは涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった。
また、友人たちの間にあっては、彼は人を欺くために七十二の方法を深く体得し、かつ学習したと吹聴していたが、ついには、このような術策と 表面だけの繕いにより、あまり謀略(という手段を弄すること)に精通してはいない信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい。
信長は彼を丹波、丹後二カ国の王に取り立て、彼(信長)がすでに破壊した比叡山の大学(延暦寺)の全収入--それは(別の)国の半ば以上の収入に相当した--とともに彼に与えるに至った。
そして明智は、都から四レーグアほど離れ、比叡山に近く、近江国の二十五レーグアもあるかの大湖(琵琶湖)の辺りにある坂本と呼ばれる 地に邸宅と城砦を築いたが、それは日本人にとって豪壮華麗なもので、信長が安土山に建てたものにつぎ、 この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった。・・・」 >>70
ノッブほど降伏者に優しいの少ないぞ
途中で裏切るとかいうのには厳しいが >>839
ノッブ「お、ええ茶器持っとるやん。それくれたら許すで」
ジャイアニズムを感じるぞw >>839
基本的に身内とかには優しかったらしいね
ただ裏切ったり自分の期待通りの働きしなかったりするのには身内だろうと容赦しないタイプ 京都3大がっかりスポット
・本能寺
・羅城門跡
・
あと何? >>840
稗田阿礼だけで書けるわけ無いだろ常考
たくさん関わってるそれが当時倭国にいた中国人 >>844
平安時代の大極殿跡とか新撰組襲撃の池田屋跡とか、跡ばっか >>845
正史の日本書記は漢文だが、私的な古事記は古代大和言葉
中国人が大和言葉に堪能だろうか? >>619
何で信忠は毛利征伐の為に、元服前の幼い男子を連れて京に居るんだよ。初陣飾らせる為には毛利は巨大だろ 光秀「お前ら先に本能寺行って。俺は行けたら行くわ」 >>202
この場合の認知症ってアルツハイマーとかじゃなくて本態性認知症ってやつな
人に対してやたらと疑い深くなったり頑固になったりする、年寄りなら割とあるやつ ドラマに合わせて都合よく新解釈が出てくる、なんと胡散臭い話か 昔の紙が高級な時代にそんな細かく記載がある訳ないじゃん。
しかも100年後?笑える >>850
平仮名、片仮名できる前だからしょうがない
詩の万葉集も日本語を無理矢理、漢字で当てはめてる 山本五十六だって部下にハワイまで行かせて自身は呉に引きこもっていたけど手柄は山本五十六になっているもんな >>819
主君の仇を討ったというのが大きい
後はどっちかというと柴田派だった滝川一益が北条に負けて上野信濃を失って逃げ帰ってきたことで清須会議に出られなかったのが痛かった
代わりが丹羽と同じく秀吉寄りだった池田恒興だからね >>807
まあこれが長いと思うおまえは100%低学歴 頭が悪い >>852
ドラマやってるからメディアで報じられやすくなって
目に止まりやすくなってるだけだろ
直虎がやっぱ男だって奴も大河やってなかったら
一般人は目にも止めんやろ >>325
人文科学とか言うが、全然科学じゃないわな
解釈学 >>412
「歴史は繰り返す」は歴史学者が一番よくつくプロパガンダ >>80
現代でも通ずる先見の明というか正確な識別力を持ってたことが
特亜のイカれっぷりで明らかになってるがそこら辺が気に要らんのか?w 家康の動きも怪しいし、光秀も秀吉も家康にハメられたってのは? >>769
まさにコレ。
幕府ってのは征夷大将軍が開いて初めて意味を持つワケであって、
『前線(?)で朝廷の許可を得ずに臨時政府を開いて対応していた』事が重要ってんなら頼朝のご先祖様・源義家こそ初代武家政権って事になっちゃう。
実にくだらない言葉遊びだよ。
戦争は事実上終結していたのに
「まだまだ反逆者達がいます。コイツらを退治する為の最高司令官としての地位と、戦場(笑)で朝廷の許可無く独自の恩賞や政策を行える『幕府』を開く権利を下さい」
って誰にでも判る嘘八百を認めさせた事が重要なのであって、
そうすると鎌倉幕府の成立はやはり征夷大将軍に任命された時点と考えるのが一番無理が無いと思うんだけどね。
今の(いや昔からか)日本史の訂正は何か真の始皇帝の死後に権力握った宦官・趙高が鹿を馬と言い張って自分の権力を見せつけてるのと同じ気がするわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています