天才画家のピカソが101年前に描いたクリスマス晩餐はがきが発見される 初期のタッチで非常に貴重
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天才画家のパブロ・ピカソが101年前に描いたとされるクリスマス晩餐はがきが発見された。
はがきは1919年の冬、ピカソがフランスのパリでイギリスのロンドンにいる知人アンリ·デフォーセに充てて書いたものだ。
このハガキはクリスマス晩餐の絵が描かれており、招待状とかではなくいわゆる年賀状のようなもの。
横14p、縦9pサイズの小さなはがき左上には、ワインとパン、バナナ、ブドウ、七面鳥などでクリスマスの食卓の光景が描かれている。
立体派の画家であるピカソ特有の表現主義の手法は見られない静的なイラストだ。
またピカソの直筆のメッセージが確認でき、「ダイニングテーブルと一緒に幸運を込めて送る」と書かれているとフランス語で書かれている。
更に表にはフランス語で「良い年を(BonneAnnée)」という一文も確認出来る。
このハガキをオークション業者IAAに販売を委託したところ、見積もりだけで3万ポンド(約400万円)は行くと予想。
このハガキのイラストはピカソ初期の作品でほかの作品とは異なったタッチだという。
ピカソは30歳のときにルーブル美術館からモナリザが盗まれた際に、容疑者として疑われ逮捕されたことがある。
https://gogotsu.com/archives/60998
https://gogotsu.com/wp-content/uploads/2020/12/Picasso01.jpg
https://gogotsu.com/wp-content/uploads/2020/12/Picasso02.jpg
みんなが知ってるピカソ
https://dotup.org/uploda/dotup.org2323938.jpg >ピカソは30歳のときにルーブル美術館からモナリザが盗まれた際に、容疑者として疑われ逮捕されたことがある
なんで疑われてるだよw ピカソは元々こういう絵が書きたかったらしいからな。 左上のディナーの絵がお茶目。
1919年てことはベルサイユ条約の年かあ、すごいね >>3
ギヨーム・アポリネール
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%AB
> 当時彼の秘書(または雑用係)をしていたベルギー生まれのジェリ・ピエレがルーヴル美術館から古代の小彫像を盗み出した事件との関連で逮捕されたのである。
> ピエレはすでに数年前にルーヴルから盗んだ彫像2点をピカソに売りつけ、姿をくらましていた。
> パリに戻ったときにアポリネールの秘書として雇われたが、1911年5月に再びルーヴルから彫像を盗み出した。
> 住み込みの秘書であったため、盗品はアポリネールのアパートに置かれていた。
> この3か月後にモナ・リザ盗難事件が起こったのである。
> 犯人逮捕のために国境を封鎖するほどの大事件となり、ピエレの窃盗に気づいていたアポリネールは不安にかられた。
> ピエレに返却するよう勧めたが、彼はこれに応じるどころか、むしろ買い手を探してほしいと言うばかりであった。
> アポリネールはピカソに相談した。
> 買い取った彫像が盗品であることを知らなかった彼は愕然とし、セーヌ川に投げ捨てようという話にすらなったが、それもためらわれ、当時、アポリネールが寄稿していた『パリ・ジュルナル』紙に頼んで、匿名で盗品を返してもらうことになった。
> 『パリ・ジュルナル』紙はこれを引き受けたが、警察の目に留まり、アポリネールは家宅捜査を受けて逮捕・投獄され、ピカソも召喚された。
> 結局は、すでにパリからベルギーへ逃亡したピエレが予審判事宛にアポリネールの無罪を証明する手紙を送ったため、1週間後に釈放されることになったが、アポリネールもピカソも外国人であったために、新聞にゼノフォビア的な記事を書き立てられ、大きな精神的痛手を負うことになった
> 真犯人ビンセンツォ・ペルージャが逮捕され、《モナ・リザ》がルーヴル美術館に返却されたのは2年後のことである 2枚目は心を揺さぶられるいい雰囲気の絵だな
3枚目がエシディシにしか見えんが ピカソが何がすごいかというと
絵の固定概念を打ち砕いて、新しい絵の可能性を示した第一人者ってところ
No1の絵がかけるって意味じゃあない 芸術の教養的要素ってウザイんだよなぁ。
絵画もジャズも歴史的文脈で語る側面あって
感覚に訴えるのは二の次みたいなトコロあるし。
大好きなキングクリムゾンだって俺は宮殿なんて有難み無いし。
直近のジャケ担当してるP.Jクルックはピカソの影響受けてるけど
メタル調のサウンドとはミスマッチでこれまた有難み無いし。
ピカソをパクって昇華したんだろうが俺には教養が無いから分からん。 80歳くらいで結婚して20くらいの娘に財産ぶんどられたことくらいしか知らない >>19
作者名さえ伏せて欲しいよね
岸田劉生やら奈良美智みたいなのはダメだけど サインペンみたいなので描いてもうめーなぁ
1919 >>35
本気で描けば上手いけど、それは求められていないって点で三峯画伯が頭に浮かんだ >>36
しかも、その2枚15歳の時に描いた絵なんだよなあ 絵画も音楽も19世紀に頂点を見てしまったので、20世紀からはそれまでの系譜を踏襲しつつも新しい表現方法の開発に主眼が置かれるようになった
ピカソのキュビスムはセザンヌの静物画を思いっきり飛躍させたもので、決して突拍子のないものではない(それだと評価されない)
まあ、つまらないけどね >>25
ラッセラー!ラッセラー!ラッセンラッセンラッセンラー! ちなみにピカソの親父も画家だったけど、中学生の息子の絵を見て筆を折った >>38
ヒトラーなんだ
陰影がなくてのっぺりして絵画というよりイラストみたい >>19
これは凄くその通り
ただどっちも良さを言語化できないから、何か語ろうとすると歴史的変遷をベースに語るくらいしかないんだろうな >>19
教養から自由になるために一定程度の教養が必要ってだけ
逆説的だけどな >>35
よくそう言われるけど全然関係ない
いきなりゲルニカ描いたとしてもピカソは天才 ピカソ
写しとると決めて書いた絵なんか、少し離れて見たら写真かと思うもんな。
有名な画風は俺には解らんwが天才には違いない >>1
二枚目の絵が好きだわ
写実は面白味がない
抽象は奇をてらい過ぎてつまらない 教科書通りに上手ければ人気でるってわけじゃないからな
写実画は飽きられる 2枚目好きだけど個性は感じないから結果として3枚目とかゲルニカのタッチのがよかったんだろうな ピカソも浮世絵にハマってたようで、前に海外でピカソがコレクションしてた浮世絵と影響受けたと見られる浮世絵の展示会がやってたな >>35
結局重要なのはコネとセンスだろ
ガチモンのドヘタでも味のあるイラストが描けたらそれなりに評価される >>35
写実主義に囚われてる時点で下手くそってところまで行っちまったのさ >>35
漫☆画太郎も普通に上手い絵が描けるもんな ピカソにダリやベラスケスやゴヤとスペインは世界的な画家を多数輩出しているのに
キリスト像をお猿さんに改造して修復したのもスペインだった >>41
写実的に正しければ良い絵ではないという、アフリカの美術を評価するブームが
ヨーロッパで起こってキュビズムやピカソもその影響をたぶんに受けているらしいね >>66
浮世絵もそうだったようだね
ゴッホやピカソやモネなどヨーロッパの多数の画家に影響与えた
スペインでピカソが所有してた浮世絵コレクション展示会もやってたな >>70
俺は小学生とか子供の頃から
やり方は誰も満足に教えてくれないのに
やみくもにやらされた挙げ句、やれ誰は金賞だ、誰は下手くそだのと
評価されることに不満があったので美術自体嫌いになっちゃったわ >>71
やり方って何を教えて欲しかったの?
やり方がわからない曖昧なまま絵が評価されるのなんて学校に限らずプロの世界でも同じだし
典型的な自分の絵が評価されないのは世間が悪い!(キリッ
って感じ? >>75
覚えてるのは、小学校1年生のとき
消防車を題材にした写生大会で
たかし君は、奥行き表現の書き方を知っていてデッサン的に正しい構図だったが金賞をとった
自分は知らなかったので銀賞だった
賞だけでなく、美術の成績でもそういう技術面を評定するのであれば
それは教えておいて然るべきなんじゃないかと思うけどね。教えても本人にできない、苦手というなら仕方がないが
ちなみに、この話をした美術大学を卒業したデザイナーの知り合いは
そんなもの教えられるまでもなく全て最初から身についていて
小学校から高校まで美術展で賞が取れなかったことなんかなかったという話を聞いて笑っちゃったw 写真が出てきて絵画の今までの表現じゃ勝てないってなったからね。
デフォルメ系に発達した >>76
デッサンなんて普通に学校で配られる美術の教科書にも乗ってたし、俺は習ったけどな
お前の学校に教科書無かったわけないし、授業中に時間避けなかっただけだろ
自分で教科書読み込めばよかっただけだろ
粘着逆恨みきもいわ >>35
相田みつをもミミズが這いつくばった字を書いてるけど、真面目に書くとめちゃくくちゃうまいからな。
ヘタウマの芸風なんだろうな ピカソはどんなスタイルでも描けた器用な天才
世の中の風潮に合わせて作風を変えていった商売人
小切手を愛用した逸話は有名
ピカソのサインがある小切手はコレクションされるから換金されなくてただ飯よく食ってたらしい。
女性の敵ってのもよく知られた話で、ゲルニカはわざと愛人同士を鉢合わせさせて修羅場になってる所を題材にしたとか。 プレバトで芸能人の絵を評価するコーナーがあったりするけど
あれを見ると子供の頃の、周りの子はどんどん書き終えて先生からOKもらって遊んでるのに
自分は時間内に書ききれるかどうかって焦燥感ばっかり思い出されて
イヤーーーって辛い気分になる
自分が自分の子供に美術を教える教員と面談することがもしあるのなら
絵を書くことなんか上手くしてくれなくて結構だから、せめて余計なことして絵を嫌いにさせるようなことだけはやめてくれって言う >>79
ほっといても学ぶ絵の才能のある子はそうだったんだろうな
美術の教科書や資料集なんかは買わされたけど
需要でそれを開いた覚えも、開くように言われた覚えもねえや >>83
いいじゃん
俺も幼稚園のとき遊んでばっかりで滑り込みで描いてた
飛行機に翼つけるの忘れたこともある フルネームが超長いんや
テストで長い名前のサンプルとして使ったことあるわ >>79
ていうか、君、人としゃべるときの態度が非常に悪いね
絵がうまいとか以前の人間性に問題があると思うよ >>53
記事内容からすると貴重だと言及してるのは一枚目のことばかりだから、二枚目は本人が描いた絵じゃなくて既存の絵葉書にメッセージを書き添えただけじゃね >>90
連投レスきめぇ
ほんと粘着質なんだな
そして自分に都合に悪いことは全て世間のせい! >>38
カルチャーセンターのおばちゃん生徒レベル
ブッシュの描いたプーチンとかのほうが味があって好きやわ やれやれ、発狂しちゃったよw
障ってはいかんやつに障ってしまったようだな >>57
ピカソの傑作「朝鮮虐殺」は黒歴史なんだよ
そもそも韓国には黒歴史が多すぎるw >>43
ダヴィンチに自作を手伝わせた親方が筆を折った伝説みたいなもんか 泣く女、久々に観たら衝撃にも似た感動を覚えるよね。
やっぱ天才だよ。 信川虐殺事件
他方、大韓民国(韓国)の小説家黄ル暎は、現地を取材し、また、この地で生まれ育ったニューヨーク在住の韓国人牧師から当時の目撃談を聞いて、2001年に小説『客人(ソンニム)』を著した。同書は、虐殺は北朝鮮政府が公式に伝えるような米軍によるものではなく、プロテスタントの民族主義者たちによるものであり、朝鮮戦争は南北の軍や米軍・中国軍の戦争であっただけでなく、同じ村人たちの殺し合いでもあった、としている。黄は、北朝鮮政府の見解を支持する人々からも、韓国のキリスト教関係者からも指弾された。
画家パブロ・ピカソは、1951年、この事件をもとに「朝鮮の虐殺」(ピカソ美術館 (パリ)蔵)を描いた。 ttps://up.gc-img.net/post_img/2019/12/vjBNaUYHGOVpDnA_4eDSh_2.jpeg >>95
連投してまで発狂してた奴が、指摘された途端にアンカーつけずにダサい誤魔化し勝利宣言ワロタw
一生被害者陶酔してろw
お前にはなんでも世間のせいにして被害者面してるケンモの方がお似合いだよ ヒソカに空目した
連載再開を潜在意識では待ってるのかな ピカソはガチで絵がうまかったからこその、個性的な絵が評価されんだよ。マジで。
絵が下手なやつが書いたら、落書きになる。 >>90
芸術に人間性求めるとか
それともお前は才能あると皮肉りたいの? 子供でもとか、子供なら書けると言われても
子供でもすぐに大人や周りの人間の評価や影響を受けて変わってしまうから
やっぱり子供でも書けないんだってさ なんでキュピティーに傾倒したかな2枚目めちゃくちゃうまいやないか(´・ω・`) もしピカソが子供の頃の最初からゲルニカの画風なら
周りからお前絵が下手くそだなって言われて絵を書くのをやめてると思うわ
そういう意味で写実的にも当然無茶苦茶上手いって理由付けは必要 >>106
手の線が途切れてて布団の色が流れちゃったんだろ 1枚目は人の顔では?
だとすると3枚目に通じるものがある >>25
ラッセンはお姉さんの勧誘のイメージしかないわ ピカソの絵が転がってようがjpgで保存しようとも思わない >>113
上手いけど特に印象に残らない量産型だろ >>125
印象派がゴシック期の名画が手に入らないアメリカで無理やり有り難がった価値を後付けしたようなものなんじゃないかね
マネとかセザンヌとか何が上手いのやらさっぱり分からんw >>130
ボンは英語のグッド
アニーはイヤー
(西暦A.Dはアンノ.ドミニ から)
語尾変化してる 科学と慈愛
キュビズムはただの忖度で描いてただけだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています