英国のシマウマさん、花火に驚いて死ぬ
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シマウマの赤ちゃん、花火の音が原因で死ぬ 英動物園
(CNN)英イングランドのブリストルの動物園はこのほど、シマウマの赤ちゃんが地元のお祭りで鳴り響いた花火の音に驚いたのが原因で死んだと報告した。
声明によると、生後8カ月の赤ちゃん「ホープ」は今月4日、花火の音におびえて突然走り出すような行動を示し、
飼育場の仕切りの構造物に衝突。検視の結果、衝突の衝撃で即死だったことが判明したという。
ホープは、英国が新型コロナウイルスの感染拡大を受けて最初の全国規模の封鎖措置が実施されていた今年3月に生まれていた。
社会に暗い空気が漂う中での誕生だっただけに、動物園の職員や多くの来園者は前向きな気持ちを抱かせる象徴として喜んでいたという。
花火の打ち上げは11月5日前後のお祭り「ボンファイア・ナイト」を祝う行事の一環だった。
今年は新型コロナの影響で住民らが集まることが禁止されて大半の打ち上げは中止となったが、多くの住民が自宅の庭で花火に興じていたという。
動物園の幹部は声明で、ホープが死んだことに触れ、花火を使った住民らが意図したことではなかったことは承知していると指摘。
その上で、シマウマやウマ、野生生物であれ、あるいは自宅にいるペットであれ、花火が動物にもたらし得る影響を悲劇的な方法で明示したことになると述べた。
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/19211629/
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/b/4/b42c9_1470_8d8c079bcdde82c43f271fb54986ecc2.jpg 人間も重度のストレスで弱るからまぁわからん話でもない。 うちの実家の近所の犬も花火でびっくりして死んじゃったって聞いたことある 驚いて死ぬというか、驚いてぶつかって死んだのか
馬って臆病だというしなー 家から50mない天竜川の花火大会に毎年車で親戚と花火見に行ってたけど、花火怖がってる犬連れて行って車に置いといたら
暴れすぎてロープで首吊りして死にかけてたわ、雷でも瞳孔開いてたしシマウマ死ぬのはしゃーない >>15
おめぇ呼び鈴で驚く俺に喧嘩売ってんのか! マンボウさんは飛び上がって海面にビターンで死ぬんだっけ?
自然界は厳しいですなぁ ドナウ河近くの動物園ではライオンが豹の檻に入り出られなくなっています マッスルインフェルノの練習台にされて死んだシマウマの身にもなれよ! ウマは可愛いのにシマウマは可愛くないのは前髪の有無のせい
シマウマはモヒカンなのじゃ もっと広いとこで飼えよ
仕切りにぶつかったとかしらんわw ボンファイアナイト?
今はガイフォークスデイって言わないのか >>28
ガイフォークスデイに焚かれるかがり火をボンファイアっていうんだけど、いまはついでに夜に打ち上げられる花火が有名でボンファイアナイトとも言う。スコットランドでは英雄を称えるお祭り。 衝突が死因じゃねーかよ
つーかアメリカは独立記念日?しか花火やっちゃいけないって話聞いたことあるが
イギリスはそういうのなくていつでも花火していいのか? シマウマとオルフェーヴルが競争したらどっちが速いの?
フィールドは天皇賞秋で >>1
「海ゆかば:皇国海戦史」大果書房 永松浅造 著 昭和17(1942)
明治三十三年の北清事変(義和団事件)には、
帝國海軍は英・米・露・獨・佛・伊の六ヶ國の海軍と共に、太沽砲台の攻撃に参加したが、
我が陸戦隊は列国の陸戦隊を尻目にして堂々と砲台の一番乗りをして、帝國海軍の実力を、列強海軍環視の中で示した。
陸戦隊第一中隊長の白石大尉が、持合わせた白のハンカチに、
傍に戦死していた清兵の血を以て日章旗をつくり、これを竿頭高く掲げると
いつの時代でも狡猾なイギリス兵が、これを奪ってイギリスの旗を掲げようとしたので、
白石大尉はこれを蹴飛ばして、帝國海軍のために万丈の気を吐いた。 「大東亜戦争記録画報. 前編」大阪出版社 英文大阪毎日学習号編輯局 編 1943.6
九龍へ進撃
九龍は香港要塞の本防御陣地であって最新の装備と険峻な地形をもって
英軍が難攻不落を誇る近代式永久築城地帯で縦深6キロに亘りその堅固の度は往年の旅順要塞に優ると云われていた。
皇軍九龍へ入城
英國は香港を領有して間もなく即ち1898年対岸の九龍半島を租借し、ここに強力なる要塞化をはかり
支那艦隊支那駐屯軍の司令部を設けて日本に対峙していた、従って九龍の主陣地攻略は軍事的に最も重大意義がある。
皇軍は九龍攻略と共に12月12日市民の大歓迎裡に堂々と九龍へ入城した。 >>36
昭和16年12月8日開戦以来香港要塞を攻撃中であった帝國陸軍は
近代的装備を施せる半永久築城陣地たるその本防御線を突破し、
12月12日九龍市街一帯の地区を完全に攻略し、引続き香港島総攻撃の態勢を整えた。
啓徳飛行場 東隅には英國空軍の兵舎があり、これら一連の建物の北端に空軍の再建を焦る重慶政権の飛行学校があった。
12月8日午前8時一斉に基地を出発したわが陸の荒鷲の果敢な低空機銃掃射を受けて
飛行場に引出されていた12機が一挙に炎上してしまったのである。
12月8日 我が海の荒鷲香港上空制圧
我が陸の荒鷲は12月8日月曜日の朝香港港上空を制圧し、敵の防御施設に大損害を与えた。 >>37
香港陥落
東亞に於ける英國統治の難攻不落の牙城として大自慢の香港は
勇猛なる皇軍猛攻の下にカルタで組立た家の如くはかなく崩壊した。
香港戦線
全島トーチカの山と称された香港島はその堅固を誇ったトーチカも次ぎ次ぎと皇軍に破壊され、
攻撃開始以来僅か12日間で慴伏し、わが軍の占領するところとなった。 >>38
香港陥落を祝して
昭和16年12月18日夜半香港島の一角に突入してより僅か8日、
同月25日・・・英國が在支勢力の最大を誇った牙城はここに全く潰滅した。
中軍司令部屋上の空高く「アジヤの癌香港落つ」のアドバルーンが掲げられ、誰もが力一ぱいに萬歳を叫んでいる イギリス|日本製のひげブラシには炭疽菌が付着していると世界に悪宣伝
連合国は日本製品をことごとくつぶしていった。
【出典】神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 商品検査(2-005)大阪毎日新聞 1920.2.18 (大正9)
しかもかくの如き恥辱をも血涙を飲んで耐え忍んだ日本は、
その後一剣を磨くこと二十年、遂に今日に至って決然として蹶起するや、
開戦後僅かに三日にして敵艦数十、数万噸を屠るの大戦果を挙げ
彼等の虚偽と欺瞞を世界の面前に剥奪した。また快なりというべきである。 ●真珠湾には地上からの見学コースもある。
ここではまず真珠湾攻撃の歴史が映像で語られるが、日本は完璧な悪役で登場し、
卑怯な不意打ちの結果「アリゾナで1177人、オクラホマで415人が死に、そして一般市民も…」の語りで終わる。
日本軍は米軍と違って非戦闘員は殺さない。
現に真珠湾にあった軍用艦船約120隻は大なり小なり被弾被害があったが、
たった1隻、病院船は機銃弾すら当たっていなかった。
聞いてみたら米軍が撃った対空砲火の破片で市民57人が死んだとか。日本機が殺したとはよく言う。
《高山正之 週刊新潮2015/10/8》 >>1
つーか粘着陰気なイギリス蛮族のことだから 「ベルリンの壁」崩壊のことかww
『東西兩方のドイツ人に花火を楽しんで欲しい』 >>43
火薬は武器ではなく、平和の架け橋になった瞬間。
日本人らしいよなぁ 【日本の世界史上初】
1905年3月10日、日露戦争奉天戦において日本陸軍が勝利
世界の有色人種に、欧米列強による有色人種支配体制を打ち破る夢と希望を与えた
1941年12月10日、日本軍航空隊がイギリス海軍の誇る最新鋭の戦艦
「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を撃沈
※これが真実の”平和の象徴”
「マレー沖海戦」にて【航行中の戦艦を飛行機だけで沈めた世界初の出来事】
「航空機優位」の時代が到来したことを日本は緒戦で世界に示しこれにより「イギリス東洋艦隊」は壊滅
キリストカルト教国の侵略植民地・奴隷解放
【アメリカの世界史上初】
東京大虐殺、民間人を狙いたった2時間で10万人以上を焼殺す
原爆ホロコースト、民間人を標的にした兵器実験 ●「イギリスの最新最良の戦艦2隻が日本軍の飛行機によって撃沈されたことは、
特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
なぜなら1840年のアヘン戦争以来東アジアにおけるイギリスの力は、
この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである
1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した
この啓示が有色人種の志気に及ぼした恒久的な影響は絶大であった」
「東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。
民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということを
イギリス・オランダは戦後になって思い知ることになるのである。
さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義に武器を与えた。日本軍敗走の跡には
二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが、残ったのである。」 ●ビルマ初代首相バ・モオ氏…
◇1943年8月1日独立式典に内外の記者団に対して…
「ビルマ国民は生涯今日の日には遭遇し得ぬものと諦めていたから、われわれは歓喜の涙にくれている」
◇翌日のラジオ…
「…実にイギリスのビルマに対して行った侵略ほど、残虐で積悪暴戻極まるものはないのである。
イギリスはわが国民、わが町、わが家庭、わが繁栄を破壊するためになさざるところはなかったのである」
◇独立宣言書…
「英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。
…ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従いて総ての国民的実質、莫大なる物的資源、
機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い…
ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。
…ビルマはこのビルマに対する最大の貢献に対する日本人への感謝を永久に記憶せんことを希望するものなり…」
《日下公人 「一問に百答」》 ●1977年マニラでの国際会議で、
インドネシアの大統領特別補佐官アリ・ムルトポ准将の発言(日本を激しく責める韓国代表を窘めて)
…「日本はアジアの光である。太平洋戦争はアジアの独立のための戦争であったゆえ、
本来ならアジア人が戦うべきであったのに、日本人が敢然と立ち上がって犠牲になった」
《前野徹 「戦後歴史の真実」》
●インドネシア・ユドヨノ大統領は、調整大臣だった平成14年当時、
山崎拓幹事長に対して「日本軍の進攻がわがインドネシアの独立につながった」と明言している。
そもそも東南アジアには、中国・韓国と全く別の歴史観が存在することを知る必要がある。
《江碕道朗 正論2005/8月号》 ●マハティール(1992年香港で開かれた欧州・東アジア経済フォーラムで)…
「もし日本なかりせば、欧米諸国が世界の工業を永遠に支配していただろう。
南側諸国は貧しさを強いられ、自分たちは(欧米に)太刀打ちできないと信じていただろう。
…そうした国々でも立派にやっていけることを証明したのは日本だった。
そして東アジア諸国は挑戦し、自分でも信じられない成功を遂げた」
演説のさなかに、欧米代表が席を蹴立てて出ていった。
《高山正之 「世界は腹黒い」》 ●「バンドン会議」とは、インドネシアのスカルノやインドのネルー、エジプトのナセルらが呼びかけて、
アジア・アフリカの29ヵ国が集まって開いたもので、戦後独立した国が殆どだった。
このため会議は独立の尊さをアピールする会合となり、大東亜戦争が称賛された会議でもあった。
これに参加した故加瀬俊一(初代国連大使)は
「この会議の主催者から、出席の案内が来た。(中略)出てみると、
アフリカからもアジア各国からも『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。
日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々は今もイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった」
といわれたと後に講演している。
《山際澄夫 諸君!2006/8月号》 【司馬遼太郎が敬愛した台湾人・蔡焜燦
「誇り高い日本精神よ、再び」旭日双光章を受章した「愛日家」】(インタビュー)
●台湾の下水道施設は、内地(本土)よりも早く整備されたほどで、
蔓延していた伝染病は一掃されました。それほどまでに日本は台湾の発展を考えていた。
確かに日本が台湾で作ったインフラは、戦後の台湾の発展に大いに役立った。
だが、我々が最も喜ぶのは、ダムや橋や鉄道ではなく、正直さや勤勉さ、約束を守ることなどを大切にする教育です。
そうした道徳観を、台湾では『日本精神』と呼んでいるのです。
残念ながら、日本と入れ替わるように台湾の支配者となった中国人には、
そうした倫理観はなく、自分が儲かることしか考えていなかった。
台湾では、嘘や不正、自分勝手な行動を、『日本精神』の反対語として、『中国式』と呼ぶ人もいる。
それでは、ビジネスはうまくいくはずがない。台湾の‘元日本人‘たちの成功には、日本の教育が強く影響している。
だからこそ、私は日本への感謝を今でも日本人に伝え続けているのです。
《週刊ポスト 2014/5/23》 ●アジア最貧国といわれるバングラデシュでも、日本への信頼は厚い。
菅原伸忠氏は、NGOシャプラニールのメンバーとして10年から12年まで現地に駐在していた。
バングラデシュでは07年に巨大サイクロンに襲われ、大きな被害を受けた。
菅原氏も駐在中は復興支援活動に従事していた。
驚いたのは、11年3月。東日本大震災が発生したときだ。
このとき菅原さんは、サイクロン被害にあったバングラデシュ人から、
地震と津波の被害にあった日本人へ、応援のメッセージを預かろうとしていた。
ところが、話を聞いた地元の長老は、村の人々を集めると。こう大演説をぶったのだ。
「寄付に協力してくれ。私たちを助けてきてくれた日本人に、恩返しをしようじゃないか。1タカ(約1円強)、2タカでも構わない」
村人は呼びかけに応えて次々に、シワだらけの紙幣を長老に手渡す。
若い学生は、50タカ札を手に、悩んだ挙句に決断した。「やっぱり100タカ出す」
わずか約130円。それでも菅原さんはその気持ちが嬉しく、「思わず泣いてしまいました」という。 マレー半島は長期間イギリスの植民地であり、マレー人の中には何とかして独立したいという強い思いがあった。
そのイギリス軍と戦う日本軍の勇敢な姿にマレー人は強く心を動かされ、
日本軍を歓迎し積極的に兵士に食料を提供したり、荷物を運んだり、ジャングルの道案内をしたりという具合に協力してくれた。
その結果、マレー半島の戦いはわずか70日間で終結し、後のマレー独立に大きな影響を与えた。
…このように大東亜戦争は、日本だけが戦ったのではない。アジアの国々も独立を勝ち取るために戦ったのだ。
《藤岡信勝 「教科書が教えない歴史」》 GHQによって焚書になった「星港攻略記」(筑紫二郎著 有恒社 昭和17年5月刊行)の中の、
いよいよシンガポール攻略という直前の話を読んでみる。(星港=シンガポール)
「私達にはいつも味方があつた。それは住民である。
ジョホール・バールからやつて來た避難民の住民たちが我先にと集つて來て手傳つてくれた。
彼等は一様に『早くシンガポールを陥(おと)してくれ』と云ふ。
人力もなかなか馬鹿にならない。二日經つとなんとか飛行機が降りられるやうになつた」
例えば占領した飛行場を直そうとすると、イギリス軍ならば機械を使ってやる作業なのだが
日本軍は機械を持たないから手でやらねばならなかった。
壊れている橋や道路も人力で直さなければならない。
直しながら進軍するのだが、そういう場合には現地の人が協力してくれたという。
もっとも当時のシンガポールというのは、全人口の8割は華僑だったから実際には反日的な空気が強かったに違いない。
後からここへやってきた華僑はイギリス側について、マレーの人たちはみな日本側に味方したようである。
《西尾幹二 「GHQ焚書図書開封1 米占領軍に消された戦前の日本」》 ●戦後、イギリスやオランダはアジアの植民地を奪還しようとした。
ところが、現地の人々は占領時に白人が日本軍にさんざんやっつけられたのを見ていたから、何するものぞという独立運動が高まった。
《諸君!2002/2月号》
●1942年、石油資源確保のために日本はインドネシアに進出した。
その時日本軍はわずか9日間でオランダ軍を掃討してしまった。(植民地からの解放)
《藤岡信勝 湊川栄太 「歴史の本音」》
●日本の仏印進駐時、植民地軍(フランス軍)の一部は抵抗したが
少数の日本軍によってあっけなく撃破され降伏した。これを見たベトナム人は、弱い仏軍に呆れてしまった。
《佐治芳彦 「新戦争論「太平洋戦争」の真実」》 上野動物園でシマウマがウ◯コ食っててせっかくのデートの雰囲気を台無しにされたマジ氏ねよ >>58
付き合いが浅い段階で動物園のデートはあかんだろw
あちこちから糞の臭いが漂ってくんのに >>60
笑うに決まってるわw
笑われる自信あるし ブライアンメイがなんか言いそう。
日本でクイーン花火やったときも文句言ってて、だったらやるなよとしか思わんかった 高値で買われた競走馬が近くに雷が落ちたショックで走らなくなったとかあったしな 肉食獣に喰われるシマウマはポルノ女優の喘ぎ声とほぼ同じで興奮する。 カツカレーの次は、シウマイというニュースじゃないんだ 外ねこもパニックになって飛び出すのか、よくひかれてる(;_;) 突進してぶつかって死ぬってことは、突進して相手を殺せるだけの殺傷能力があるってことだよな。
赤ちゃんレベルでそれかよ?もしかしてシマウマ最強なのか? >>58
女に夢中になれないし
結婚して子供できた時もそう思うのか?
だったらお前はNGだ
一人で生きろ ゼブラチームはやっぱりバイクのアイツがかっこいいよな。 花火なんかせずにボンダンスでも踊ってれば良かったのにな。
日本なんかワイヤレスヘッドフォン使って無音のボンダンスとかもやってるのに。 雷と花火と飛行機の音が聞こえると
柴犬の尻尾が垂れ下がる 本能「危険を感じたら全力で走れ」
シマウマ「うんわかった」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています