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現在のロシアの主流な学者やマスコミが述べている事実を歪曲した歴史の捏造とは異なり
当時はこのような事があった為、北千島に暮らす人々は南へ南へとどんどん逃れて行きました。

もともと北千島のシャスコタン島では一年に一度、
北海道東部のアイヌの人々も含めたアイヌ人の市場が催されていましたので、凶暴なロシアの噂は広まっていました。
その為、南千島、つまり我が北方領土である択捉島と国後島の住民は北から逃れて来た人々を受け入れました。

歴史的にも文化的にも南千島として区分される択捉島と国後島は
遅くとも1600年代の初期つまり17世紀はじめの頃から日本と関わっていました。
国後島と択捉島は樺太や北海道と常に一体をなして来ました。
その為、特に国後島のアイヌ人は北方からの新たなる脅威に簡単には屈しない気骨を持っていました。