対立120年、2キロ途切れた県境界線…山頂の「上宮」に畏れ多く線引きできず
2020/09/23 20:53 読売新聞オンライン

福岡、大分両県にまたがる 英彦山(1199メートル)で、県境を巡り両県の主張が対立しているのをご存じだろうか。
その間、およそ120年。これだけの長きにわたり、境界線が定まらない理由とは一体……?

修験道場として知られる英彦山は明治時代、日田県(福岡県東部から宮崎県)に属していた。1871年の廃藩置県で
日田県が消滅すると、今度は豊前国を管轄していた小倉県に所属。その5年後、小倉県は福岡、大分両県に分割された。
では、県境はどうなったのか。国は1900年、英彦山の尾根で二つに分ける境界線を提示したが合意には至らず、翌年、
互いが主張する境界の中間付近にある里道に「妥協線」を引いた。正式な県境ではなかったものの、両県ともいったんはこれで納得した。
ところが67年、大分県側が妥協線を越える県境を主張し始める。国への交付金申請に伴い、山林の面積を広めに画定
させようとしたのだ。当然、福岡県側は猛反発。国は「関係自治体で意見の相違がある境界は表示しない」と結論づけた。
それから50年以上たった現在。国土地理院の地図で英彦山の山頂を見てみると、県境を示す線は約2キロにわたって途切れたままだ。
一部の道路地図には「境界未定」と記されている。

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