[AHO931] 女性は仏になれない 仏典に残る女性差別 どうすれば
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女性は修行しても仏になれないとする
「女人五障(にょにんごしょう)」
女性は親、夫、子に従うべきだとする
「三従(さんしょう)」
女性は男性に生まれ変わって成仏できる
「変成男子(へんじょうなんし)」
思想を紹介するもので、
現代の目線で見ると差別的な内容だ。
古代インド社会の女性差別観が仏教に流入したものという。
画像
https://i.imgur.com/8efE6hn.jpg
https://www.asahi.com/amp/articles/ASM693C2VM69PIHB001.html
ぐぇ
しょうがない
信仰の自由
イスラム教 >>8
むしろ、ちゃんと修行する尼僧を褒めた
という説法がある チベットでは女でも尊師とセックスすれば解脱できるぞ
やったな 前世も死後の世界もない
只今を見つめよという禅宗なら大丈夫だじゃないの 社会のあらゆる場面で男性差別により発生している男性の不利益と比べて、
その女性差別とやらはどんな不利益なんだ? なので、大乗の法華経が重要になってくる
八才の龍女のエピソード。 >>1
当たり前
女は馬鹿で無責任で利己主義
カルマの悪さは男の比じゃない 女が開祖の宗教作れば解決
既存の大きな宗教ってどれも女の扱いは悪いよw 自己中で社会性の無い生き物だからな
わかる気がする そもそも仏なんて実在しませんから男でもなれません
頭大丈夫ですか? 女が成仏できるとか、男がプリキュアになるのと同じくらいありえないでしょ。 女性と血は切っても切れないもので、そこから穢れの対象とされてたんだっけ
紫式部も小野小町も人心を乱したとして一時は妖怪扱い しかし、あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である。
祈をしたり預言をしたりする時、かしらにおおいをかけない女は、そのかしらをはずかしめる者である。それは、髪をそったのとまったく同じだからである。
もし女がおおいをかけないなら、髪を切ってしまうがよい。髪を切ったりそったりするのが、女にとって恥ずべきことであるなら、おおいをかけるべきである。
男は、神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。女は、また男の光栄である。
なぜなら、男が女から出たのではなく、女が男から出たのだからである。
また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである。
−−− 新約聖書 コリント人への第一の手紙 第11章 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています