旅団長は報道陣の問い掛けにほとんど答えず、眼前の暗闇を見据えて歩き続けた。

「慰霊の日」の6月23日午前5時前、沖縄県糸満市の平和祈念公園。沖縄戦の日本軍司令官、牛島満中将が自決した75年前とほぼ同じ時間、場所に、自衛官約30人が現れた。

沖縄を拠点とする陸上自衛隊第15旅団の幹部で、いずれも制服を着ている。牛島司令官らをまつる「黎明之塔」に佐藤真旅団長が献花した後、全員で手を合わせると、連れだって引き返した。

牛島司令官は本土防衛の時間稼ぎだけを目的とし、住民に「共生共死」を強いた日本軍の総責任者である。
自衛隊はその「遺志」を受け継ぐのか。

私は旅団長の背中を追いかけながら質問を重ねた。「日本軍は住民の食料を奪い、虐殺しました」「その日本軍を民主国家日本の自衛隊が顕彰するのですか」。
辛うじて旅団長が発した言葉の一つが「私的参拝ですから」だった。

制服を着て集団行動をしておきながら「私的」だと主張する。自衛隊はこの論理で
17年連続、慰霊の日の参拝を続けている。復帰間もない1976年は1000人規模の深夜行軍と集団参拝をして厳しい非難を浴び、1回だけで途絶えた。しかし、2004年に復活させてからはいくら批判されてもやめようとしない。

今、琉球弧で増強を続ける自衛隊が日本軍を正当化し、DNA継承を打ち出す姿は、沖縄にとって脅威そのものだ。
ここまできた一因は「死者にむち打つ」ことを良しとしない日本的な追悼の在り方にあるだろう。
加害者と被害者を混同し、事実や責任の所在をあいまいにしてきた。

慰霊の日、『産経新聞』に掲載された論説は象徴的だった。来年度から使われる中学校教科書の「沖縄を『捨て石』にする作戦」という記述を取り上げ、「あまりに心無い見方だ」と批判した。
「沖縄を守ろうと」本土出身の兵士多数が戦死し、航空機や戦艦も特攻したのに、という定型の美談仕立てである。

沖縄を、沖縄自身ではなく本土を守るための前線と位置づけ、出血持久戦を強いたことは大本営文書からも確定した史実だ。
心があるかないかの問題ではない。無謀な作戦で兵士多数が犬死にさせられたことと、沖縄が捨て石にされたことは全く矛盾しない。
昭和天皇を頂点とする指導部が、保身のために両者とも簡単に犠牲にした。

『産経』の論説はさらに辺野古新基地建設推進と日米同盟重視を訴え、「尖閣諸島を中国が奪おうとしている」「これは沖縄の悲劇を繰り返さないための方策だ」と結ぶ。
軍隊がいる島が狙われる、軍隊は住民を守らない、という沖縄戦の教訓を無視している。そして基地集中による「沖縄の悲劇」が今も続くことを当然視している。

加害者と被害者を区分けしない漠然とした追悼は次の戦争を防ぐどころか、招き寄せる。沖縄の現状を放置したままの不戦の誓いは矛盾を抱え、どこにも届かない。

本土でも8月にかけて「今の平和と繁栄は戦没者の尊い犠牲の上に築かれた」というような定型句があふれるだろう。その陰であいまいにされる過去と現在の責任者を見極め、ただせるか。戦後75年を生きる私たちが問われる。

(阿部岳・『沖縄タイムス』記者。2020年7月3日号)
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2020/08/13/seiji-108/