【お盆スレ】ばあちゃんとの思い出
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母親が入院中、母方の婆ちゃんが飯を作りに来てくれたけど、料理下手だったんで地獄だった
婆ちゃんベジタリアンだから肉じゃがに肉は入ってないし
「豚肉でいいから入れてよ」って言ったら「贅沢は敵だ!」って返された(´・ω・`) おばあちゃんが言っていた。アベだけは総理にするなと なんでも煮物にしちゃうばあちゃんだったけど、茶碗蒸しは兎に角絶品だった 孫の俺は茄子とかきゅうりで牛馬の作り方教わった
数年後に祖父の遺産を巡った諍いのなか自殺した
悲しかった 母親があまり服を買ってくれなかったから、よく祖母が買ってくれた
あとなぜかハンカチも
母親が甲状腺ガンで入院していたときは、家に来てくれてご飯作ってくれた
まだ私が小学校の時だった
インスタントのUFOの作り方を知らなくて水を入れてそのままガスにかけた時は焦った 美味しくない菓子を俺のためにいつも買ってくれてた
不味いと言えず無理して食ってたなあ 気持ちは嬉しかったよ 夏休みに2週間遊びに行った
毎回食べ終わると「お粗末さま」と声をかけてくれるお婆ちゃん ばぁちゃんが言った。
「1番は1番いいけど1番大変だよ。2番目くらいがいいんじゃないかねぇ」
僕は聞いた
「でも2番は2番目に大変なんでしょ」
ばぁちゃんは言った。
「そうだね。でもね2番には1番になるって目標があるからね、頑張れるよ」
そんなばあちゃんが病気で倒れたとき僕はばあちゃんに言った。
「ばぁちゃん、僕、ばあちゃんのことが世界で1番好きだよ。早く元気になって。
僕をひとりにしないで」
ばあちゃんは一生懸命笑って言った
「こればっかりはやっぱり1番が1番嬉しいねぇ」
ばぁちゃん、覚えてますか?
その1番はばぁちゃんがずっと持っていてください。
僕は1番になる目標を持った2番でいいんだ。
ばぁちゃんが好きだった2番が大好きなんだ。
ばぁちゃんに届け!20ゲット! 子供の頃、散歩してたばあちゃんが、どこかから逃げてきた野良犬に襲われて膝を噛み砕かれた。
犬の牙は骨を貫通しており、後に歩行に障害が出るほどの重症を負った。
医者の話では犬が全力で人を噛むと骨が砕けてあまりの激痛に屈強な男でも失神してしまうらしい。
しかし、うちのばあちゃんは、膝を噛み砕かれながら犬を羽交い締めにして
「こンのバカ犬めが〜!」
と血まみれで犬をしばき回していた。
女の人はつえーやと思った。 被害妄想強かったな
年寄りって何の根拠もなく自分の言い分が正しいというイメージしかない
あと平気で変なウソついてた
○○さん家のジジイが竜の子供殺したとか 子守歌でSOUL'd OUTの1,000,000 MONSTERS ATTACKをよく朝まで歌ってもらったな おばあちゃん子だったからありすぎるくらい思い出があるけど
春にノビルや明日葉を採りに行って一緒に食べたのが一番の思い出 社会人になってなかなか会えず久しぶりに行ったら「この人誰?」って言われた
名前言っても思い出してもらえなかった年取るって怖え 2人の婆ちゃんと手をつないで、お祭りに行く2歳頃の写真を見ると泣けてくる 500円玉が出たばかりの頃家に来る度にパンパンに袋詰めした500円玉くれたなあ。殆ど好きなCD買うのに使っちゃったけどその頃買ったCDは今でも大事に聴いてるわ。 昔は意地悪な糞ばばあだと思ってたが
爺さんが糞甘で何でも買ってくれたから
婆が悪者役やってたんだなと
大人になってほんの少し見直した
だが孫が買ってきた高級マスカット
文句言いながらバカスカ食うな
曾孫に必要以上に物買うな 「テレビばっかり見てると馬鹿になるよ」と言われ「うるせえなあ」と返していた
すまん婆ちゃん… 婆さんボケてて
夜中の3時頃に人の枕元に座り込んで
じーっと顔を覗き込んでたんだ
母に聞いたら叔母が一人、戦中に栄養失調で亡くなってるらしいんだけど
ボケた事で記憶が退行してその時と勘違いしてたらしい
こっちは心臓が止まりかけたが ばあちゃん去年96歳で死んだけど、
3年ぐらい前に近況の報告に行ったら「ゲロゲロ!」とか言って驚いてくれたなぁ よく駄菓子屋でトコロテンを食べさせてくれた
あまり美味しいと思った事はなかったが
今でも甘酢のトコロテンはばーちゃんの記憶 学生の頃学校から帰ってくると、必ずおにぎりを握ってくれた
それがとても美味しかった 利発で元気な人だった
もう片方の祖母は若くして亡くなっていたから会えなかった 婆ちゃんのオリジナル料理を1回美味しいって言うと執拗に出て来る かーちゃんとケンカしてた事が多かったな
ドラマだったら臨終間際に和解する展開があるが、現実にはそんなもんは無かった >>24
変な嘘は子供相手なら適当な大人はたいてい言うな
メジャーなものだとお前は橋の下で拾ったとか俺は空を飛べるとか さつまいもをすり潰して練ったおやつが旨かった。
今で言うスイートポテトみたいな感じかな(´・ω・) ばあちゃん家の前に川があってタニシがいっぱいいたからバケツいっぱい取って誇らしげに見せびらかした当時5歳の僕
ばあちゃんが速攻で川に投げ捨てた 春夏冬と休みになるとばあぁちゃんの家に預けられてたなぁ
毎日釣りして虫とって買い物について行ってお菓子買ってもらって一番楽しい時間だった よくイチゴジャムを作ってた
幼かった俺はイチゴジャムを食べ飽きてて
イチゴそのまま食べたいなといつも思っていた
煮詰める甘い匂いが忘れられない 俺俺詐欺に引っ掛かって300万円失ったのを、親戚といとこと俺とその兄弟とで
「普通こんなのに騙されない」とか
「ばあちゃん身内の声忘れたの?頭の病院行った方が良いよ」
とか、寄って集ってバカにしまくったら何にも言い返さず黙ったままで、その内震えながら泣き出してさ
以後自分の部屋に引きこもる様になっちまって、ほぼ外出しなくなったわ
あれから5年経つのに未だに引きこもっていてコソコソ隠れる様に生きてる
どんだけ周りに迷惑掛けりゃ気がすむんだろうなあの老害は >>7
まさかおまえ国民投票で総理が決まると思ってるのか ばあちゃんと歩いてたら、ばあちゃんが突然自分のばあちゃんのことを話始めた
ばあちゃんは孫である俺と歩くことで、自分のばあちゃん(俺にとってはひいひいばあちゃん)との思い出を思い出してたんだな お盆だからね、ばあちゃんと一緒に墓参り行かんとね
ν速の世代はどこもばあちゃん全滅か ど田舎なので親は都会で仕事してもらってばあちゃんとじいちゃんに育ててもらった
ばあちゃんと塩持参で畑に行って採れたてのトマトやスイカをその場で食べるの好きだった 理由もなく切る前の長い沢庵で殴られた
あの時親父が居なかったら沢庵で殺されてた >>53
おいおい犯人を憎めよ
怒りが身内に向いてて犯人が高笑いしてるぜ たまにドライブに連れてくと喜んでたなぁ…( ;∀;) 戦争体験聞く宿題で当時のこと聞いたら
ばあちゃんが尋常小学校の頃、クソむかつく先公を闇討ちして竹槍でボコボコにしたら父親にめっちゃ怒られたって戦争全然関係ない話ばっかだった 源頼朝だかの家臣の血筋だったらしいけど性格はキツかったな
夏休みと冬休みに毎回寺でコキ使われた記憶ぐらいしかないけど
自分の葬式代にへそくり150万隠してたのは流石だと思った 一子相伝の究極奥義を教えて貰ってる最中に寿命が来てしまった
今はひい婆ちゃんに教わってる あの小遣いとかお菓子とかおもちゃってやっぱり年金からやりくりしてたんだよな
返したい時にはもう居ないとか‥ ばあちゃんが亡くなって30年。
住んでた家は誰も住む事も無く、というかしばらくは俺の父親が手入れしてたけど、遺産目当てだろみたいな陰口を叩く遠い親戚にうんざりして手入れやめてしまってからは、荒れ放題で小学生の間では入ると死ぬとかいう謂われのない廃墟扱いになった。
でももう陰口叩く遠い親戚も全滅したから、いろいろ調整して住めるようにできたらなって思う。 >>68
い・・今一度!!神よ一瞬の命を〜〜!!とか言ってなかった? 入院しててほとんど意識がないところに御見舞いに行った
「○○が来たよー!」と話しかけたら朦朧としながら
「あら、○○ちゃん来たの?じゃ今日は良いお寿司取りましょうね」ってベッドの上でか細い声で言ってくれた
翌日亡くなった 母方の婆ちゃんはボケて父親までしか認識できなくなった
多分古い記憶しかなく俺のことはわからなくなっていたが、結婚すると伝えたら、
妻に対しては厳しく接しても甘く接してもいけない、普通が一番だぞ、と助言してくれた
それ以来嫁だけではなく他人に対しては甘くも辛くもならないよう心がけている 料理が上手かった
手紙を貰っても達筆過ぎて何が書いてあるのか分からなかった 婆ちゃんと夜道を帰る途中脇の畑で何かやってる人達がいたんだ。
そしたら婆ちゃんが急に遠回りて帰ろうな、なんて言うから、
あの人たち何してるん?て聞いたら
お前見えるんか!?って 本格的なタレ乳を生で見たのはお婆ちゃんと風呂に入ったときだけのレア体験。 子供が親より先に逝った為に落ち込みから回復させるのに苦労した 自分が親と仲悪かったせいでばあちゃんが死んだのは何年も後に他人づてに聞かされた
いよいよ親と縁が切れるきっかけができたと小躍りしたわ
死んだら祝杯あげてやるわクソ母め 子供の頃は孫でうちだけ墓参りと平和記念式典に付き合っとった。
高校生になってからは、リウマチでしんどい言うばぁちゃんに、効くんかわからんけど度々学校帰りに手のひらのマッサージしにばーちゃんちに寄ってた。
十年前に亡くなった…(・ω・、)ホロリ 老人ホームにもっと会いに行ってあげればよかった
すごく後悔してる 親父の実家がとうほぐだからすげー訛っててガキには聞き取れなかったな
ジジババも自分たちの言葉が微妙に通じないから段々イライラしてあんまり会話しなくなって畑に逃げてたな 美容室開いて女手一つで親父育てた人だったが、婆さんだったのに金勘定が早かった 辛い事があると必ず夢に出て来て微笑んでくれる10年前に死んだ婆ちゃん
いつでも見守ってくれてるんだとまた頑張れるよ ばあちゃんが生きてた頃に岡山空襲の話をしてくれて途中から録音したものが残ってる
声聞いたら泣きそうになるから聞かないけど ばあちゃん漫画いっぱい買ってくれたなあ
歳食ったせいか時々昔に戻りたくなる 俺のうつ病気質は婆ちゃん由来だと思う
先祖はつくづくロクな遺伝子を残してくれない >>53
子供が孫を心配した優しいおばあちゃんでしょ
どうみても 死んじゃった方のばあちゃんには何もしてあげられなかったなぁ
車でどっか連れてって美味いもん食わせてとかしとけばよかったわ
生きてる方のばあちゃんは病気やってからボケちゃってるしなぁ 小学校低学年の時に死んだけど
死ぬこととはなんぞってのがいまいち理解できてなかった
から普通に過ごしてたわ
ごめんなばぁちゃん 自分が6才の頃亡くなったからあんまり記憶がないけど、いつもバラの季節(5月)を思い出すわ
あらかわ遊園に連れてってもらってた 高校に入るまでばあちゃんの家に預けられてたから、ばあちゃんが育ての親みたいなもの
実家で暮らすようになってからも、会いに行ってたけど、自分は肉なんかいらないだろうにいつも焼き肉食べさしてくれた
骨折して入院したのがきっかけで痴呆が始まり、老人ホームに入ってからは、後悔しないようにと、週に1回以上は会いに行ってた
去年亡くなって、最後の2年ぐらいは言葉を話すこともめったになくやったけど、覚悟はしてたから、病院行って顔見たときも意外と冷静だった
でも斎場で棺桶に入ったあばあちゃんの顔見たとき、もう会えないと思うと涙が止まらなくて、声をあげてずっと泣いてた
おばあちゃん子だったのを親戚はみんな知ってたから、俺が冷静なのが違和感あったのか、遠巻きにしてたのに、泣き出したらみんな、ホッとしたように話しかけてきた
これ書いてても涙が止まらない
いっぱい大事にしてもらって感謝してる 子供の頃は釜で蒸かしてくれたさつま芋がオヤツだった 子どもの頃のばあちゃんて、実は50代や60代前半で若いんだよね。 ばあちゃんももう80後半だからそろそろ迎えが来てもおかしくないんだが
今から考えただけでも辛えわ
いい歳して葬式で泣かない自信がない ヒラヤーチ、美味しかったです。
ソーメンチャンプルーも
おばーから、借りた1万円は
大切に持っておこうと思ってたけど
じつは、何に使ったか、覚えていません。
おばー。ありがとう 102歳になったがボケもせず元気一杯によく喋る
ちょっと耳が遠いけどね もう十五年くらいまえに死んだが
102才だよ102!上等だろ! クズ揃いのくせに意外とばあちゃん子が多いんだな
もっとばあちゃんに頻繁に金の無心しに行った話とかねえのかよ あと帰る時は雨が降っていても見えなくなるまで外で見送ってくれてた 50歳だが俺にも孫が出来たが可愛いくてたまらない
お前らも子供は作れ。孫なんて気がついたら布団の中に入って来て寝てるし。嫁なんか孫貯金とかしているぞ 小さい頃に亡くなってしまって、本人より入院した病院の記憶しかない 庭でしゃがんでなんかやってるから聞いてみた
指で輪を作って地面に影を作ってた
その日は日食だった
ひとつ知恵が増えた おばあちゃんがよく作ってくれた甘めの味つけの煮物が美味しかった。あとチャーハン、具はソーセージだけだったけどこれも美味しかった。小学生の頃土曜日はいつもおばあちゃんが昼ご飯作ってくれてたな。懐かしい。 なまんだぶが口癖だった
今では俺が真言に目覚めておる 俺の誕生日に編んでくれたセーターを「こんなダサいの着れるかよ!」と突き返した
あの時のおばあちゃんの悲しそうな顔
優しかったおばあちゃんはもういない
あの時のことを思い出すたびに胸が苦しくなる 爺さん婆さん世代の昔話は聞いておいた方がいいよ
うちの爺さんはシベリア出兵した親(ひい爺さんになるのか)の話をしてくれた
当時のリアルの話を聞いて、文章なり何かに記録に残しておかないと
死んだら全部無になってしまうから 爺さん婆さんの子供時代の話も
帰省した時に聞いておくといいよ
自分たちや自分の子供たちには決して経験できない生活の話が聞ける
本で読むよりずっと良い体験になる
子供の頃はメンドクセー、ゲームか漫画読んでたいーとか思ってたけど
大人になるとあの時色々聞いておけばよかったと後悔するから
子供達には夏休みの自由研究を兼ねて聞き取りをやらせるといい
後でよい思い出になるはず。 >>103
みんな普通に泣くから大丈夫
愛知県民は知らんがなw 婆ちゃんが時々マルシンハンバーグを焼いてくれたんだが
少しずつ舌が肥えていた俺は手をつけなかった事いま悔やんでいます 都合悪くなるとボケたふりする
そのくせ2週間ぐらいまえのメシが不味かったとか異様に記憶力がいい ばあちゃんちに行くとあれやこれや食べろ食べろって言われたな 小さい頃は婆ちゃんの料理好きじゃなかったな
煮物とか茄子の煮浸し、東北だから赤飯とか
ソバがきが甘くてびっくりした 婆さんが漬けた梅干しが塩の結晶がくっついて、すげーしょっぱかったけど、
おにぎりに入れると美味かったんだよな
作り方を教えてもらう前にポックリ逝っちまったから、母ちゃんと親子で悔やんでる >>133
今考えるとわかるんだけど久々に孫と会っても他にあまり共通する会話がなかったんだろうな
だからほら食え大きくなれってのが一番のコミュニケーション 21人いる孫の中でばあちゃんが一番可愛がったのが俺らしい。
一番下だからかな?ばあちゃああああああん 子供の頃遊びに行くと、よくカレーライス作ってくれた
じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、豚肉、ルーはバーモント
隠し味なんて入れてないはずなのにめちゃうまかった
大人になってあの味を再現しようと同じ材料買ってきて作るんだけど
どうしてもあの味にならない
それなりにおいしいんだけど、ばあちゃんの味とは違うんだ… 母子相姦の話は聞くけど祖母子相姦の話はあまり聞かんな うちのばあちゃんもおれおれ詐欺に引っ掛かる寸前で、振込できなくてショボーンな顔して帰って来たけど、孫の俺か目の前にいたもんだから(゜ロ゜)って顔してあれこれ慌てて話してたのが亡くなって数年経った今でも忘れれんわ。
着拒してもう大丈夫やけんなって言っても、それでも慌ててたなぁ。
ばあちゃん、あの時はバカ孫の為にありがとう。 数十年ぶりにあったら挨拶もせず口あんぐりで目をむいて黙ったまま別れた 料理が上手い人で煮物から赤飯までいろいろと教えてもらった 婆ちゃんの手伝いでガーデニングはまって婆ちゃん死んでからやる気無くして
花とか全然育てなくなった 「意地張るより頬張れ」
反抗期の俺によくそう言って諌めようとしてたな
当時はくだらないダジャレと取り合わなかったけど、今では座右の銘 母親を若い時に時に亡くしたもんで家事全般を俺がやっていた
ある時、婆ちゃんがあまりに我が儘を言うので強く当たってしまった
数日後に絶対行きたくないと言っていた
老人施設に入ると言い出した
止めたが聞かず入所する事に…
足腰は弱っていたが元気だったのに1ヶ月もしないうちに天国へ…
病は気からとはよく言ったもんだ
婆ちゃん ゴメンよ ぼた餅作ってくれてたな。
店で買うやつよりも美味しいから忘れられん 大学ん時に彼女を妊娠させてしまい
おばあちゃんに相談して中絶費用を出してもらった
アホな孫ですまなかった 物心つくまえには死んでたからなあ……
そのぶんか知らんがものすごいじいちゃんっ子だった 親父の方はいつも笑顔だったけどかぁちゃんの方はぼやいてばっかだった ずっと婆ちゃんだと思ってた人が、実は爺ちゃんの再婚相手だったって爺ちゃんが亡くなった日に知った おばあちゃん家の独特の匂いが懐かしい
今思えばカビ臭いんだけどw
昼はよくロースハムが入った本中華作ってくれた
あの頃に戻りたいな イノシシ狩りに行った山の中で置いてきぼりにされた
実際は里山余裕なんだけど、あれは子供にゃ酷だぜ婆ちゃん(´・ω・`) >>154
俺は離婚の時慰謝料出してもらった…
んー、コロナっても老害は死ねって言うけど、そういう老人は死んで欲しくないな
まぁ、何も孝行できなかったりけど、最後死ぬ間際にひ孫を見せれて良かった ずっと自分はばあちゃんだと思ってたのが死んでからじいちゃんだと分かった >>164
なんか本当にピンチの時って親よりばあちゃんの方が頼れたなあ Nimdaウイルスが出て来た時に「機械にも伝染する病気があるんか不思議やなぁ」とか言ってたなぁ 幼い時の話、おなか減った〜って言って台所で夕飯の支度をするばあちゃんに抱き付くと、ちょうど顔が前掛けに埋もれる感じになるんだけど、この時のキュウリやピーマンなんかの青臭い匂いが忘れられない
ばあちゃんの前掛けは今でも大事にとってある お婆ちゃんの作ってくれたぼた餅は、どこで食べたぼた餅よりも美味しかった
今でもあの美味しさを越えるぼた餅には出逢ってない 父側のbaaはお年玉が500円だった
貧乏に加えけちだったので大嫌いだったわ 俺のばあちゃんは、頑張りすぎは良くないっていう考えの持主だった。
「いいかい、サトシ。トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。
それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、
ちょうどいいくらいってとこなんだ」
って良く教えてくれたよ。
今はばあちゃんと一緒に老人ホームに入ってる。 生きてたら100歳くらいかな?
味噌汁にめっちゃ味の素かハイミー入れるしたまに具に竹輪入ってた
500円貯金めっちゃしててそれを小学校の頃から盗みまくってエロ本買ってたw
鶴橋で待ち合わせしてお好み焼きよく食べたな〜
あんなに可愛がって貰ったのに墓がどこにあるかさえ知らん 母方のばーちゃんは教育に厳しい人だった。さすが鈴木善幸の妹
父方のばーちゃんはまだ生きてる。毎日隣にお茶飲みに行ってる >>25
おばあちゃん「でべでいでべでいでべでべでい」 末期がんのばあちゃんと最後に会った時、
「人に迷惑だけはかけたらダメよ」と言われた。
その1ヶ月後、ばあちゃんは亡くなった。
さらに1ヶ月後、俺は逮捕されてニュー速にスレが立った。 ばーちゃん家に行くといつも激甘のUCCコーヒーとネクターがあって
ばーちゃんジュース好きなんだなって思ってたけど
今にして思えば飲んでるの見たことなかったし孫のために買ってたんだな 子どもの頃はばあちゃんは貧乏だと思ってたけど、死んだら遺産が預金と株だけで億超えてた >>1
おしょうさんに聞いてほしいのだけど
成仏して極楽にいった方は未練がないのでこちらには戻ってこないそうだ
地獄の窯があく季節というが
要するにまだ未熟で地獄にいるようなご先祖様が戻ってくるのがお盆だ
成仏させたのではないのか?
お盆では誰をまねくのか?
インドではそもそも先祖を敬うという教えはなかった
中国でビジネスとして追加されたものだ
お盆の合理的な説明がほしい
おしょうに戒名代もいれて100万近くとられたけど
ちゃんと成仏して極楽にいるのではないのか? ばあちゃんが茹でてくれる
「ほうれん草のオヒタシ」が柔らか過ぎてキライだった >>184
うちは逆にいつもたくさんの孫にお小遣いいっぱい渡してたからめっちゃ金持ちだと思ってたけど遺産は現金3000円位だった。あの世に金は持って行けないからと生きてる間に俺らにありったけくれてたんだな。 早朝、ばあちゃんが畑でとってきたトウロモコシを茹でて、ラジオ体操から戻ったら朝ごはんに食ってた。
畑の野菜はもちろん、梅干しに干し芋、ドクダミ茶、切り干し大根、甘酒、なんでも手作りしてた。
今思えば贅沢。ばあちゃんにありがとう言いそびれてしまった。 >>187
あるあるw
俺の場合は、餃子のあんと皮を両方ばあちゃんが手作りして
水餃子作ってくれた。
ばあちゃんの作る水餃子は
何故だか魚の身を骨までミンチにしたのをあんに使ってて
普通に考えたらそんなの美味いのかと思うが
子供の舌でも激ウマだった。 おばあちゃんの知恵とかいって老人は生活の知恵があるっていっときゴリ押ししてたのなんなの
老人だからってねえよ
普通に企業に勤めてて農民してねえから
企業人の知恵とかガキンチョに言ってもわからねえし世代も違うから使えねえよ
使えなくなったボールペンを再び使うネタや小物入れをチラシで作ってどうすんの ウチの祖母は寝たきりで
ずっと長男のおじさんが面倒みていた
寝たきりといっても、足が悪くて動き回れないだけで
半身不随とかボケてる訳では無く、四六時中ベットの上で生活してるというだけで
まぁ、元気は元気で、ウチの母もちょくちょく会いに行っていたが
俺自身はもう何十年も会ってなかった
ところが、祖母が「○○(俺の名前)に会う夢を見た」
と母と話をしたらしく
母から連絡があり
「アンタも長いこと会ってないし、おばあちゃんも年も年で何時どうなるかも分からんし
多分、次に会う事も無いかも知れんから、今度帰って来た時1回会っといたり」
と言うので
少しの小遣いを持って会いに行った
ひとしきり話をして、帰り間際に
「多分、死ぬ迄にもう会う事は無いかも知れんけど、元気でな」
と、挨拶をして帰ったら
しばらくしてから死んだ
間に合って良かったと思った むかし納豆食べれなかったオレに食べさせようとチャーハンに入れて出してくれた
食べてる途中で納豆が入ってることに気づいたオレは吐き気をもよおして食べれなくなった
ひどいことするよなーって思った
でも何とか食べさせようとしてくれてたその気持ちは今は分かる
納豆おいしいよばあちゃん天国でまた会おうね [ ::━◎]ノ 電気つけっぱなしにしてると滅茶苦茶怒られたw. おまいら早く結婚して子供作ったほうがいいぞ。
高齢で結婚すると自分の子供にばあちゃんに会わせてあげられなくなる 父方の婆さんは生まれる1年前に交通事故死したし
爺さんに至っては親父が高校生の頃病死したから最初からいないな・・・ >>53
よく出来てるw
人情を知り尽くし人心をささくれ立てる表現力に秀でており文のまとめ方も上手い 盆休みが終わり、
家に帰る俺たちの車をずっと見送る婆ちゃん。
バックミラー越しの婆ちゃんが忘れられない。 >>126
同意
他界したじいちゃんにゲートルの巻き方聞いておくんだったと今でも後悔してる 納豆に砂糖と卵の黄身と醤油は、俺が3歳の時に亡くなった唯一ばあちゃんの味 母親の入院中に手伝いに来てくれて
ペヤングのお湯を捨てずにソースラーメンみたいの作ってくれた >>18
「ごかぼう」とか「しそ味の筒状のせんべい」とか「オブラートに包まれたやたら甘いゼリー」とか記憶に残ってる 片栗粉を水に溶かして砂糖を入れて鍋で煮た「粘性の強いゼリーみたいなもの」
を良く作ってもらってた 色恋沙汰と無縁の非リア充だからかなり心配されてるのは感じる
おもむろに詩集引っ張り出して解説が始まった…恋の詩だった
子孫残せなさそうな孫でごめんよ >>1
当時ダメージの入ったリーバイス501履いてたんだけど、婆ちゃんが『Gパンボロボロだったから直しておいたよ』って
ダメージ部分をアップリケとか手縫いで補修された。 先月、祖母が他界しました。私が眠れないときには子守歌でSOUL'd OUTの「1,000,000 MONSTERS ATTACK」
をよく朝まで振り付きで歌ってもらいました。全力で歌う祖母を二度と見ることができないと思うと涙がとまりません。 >>130
去年葬儀に参列したら外孫は大泣きで内孫は何事もなかったかのような涼しい顔してた
嫁いびりの結果かね >>116
うちもだ
ばあちゃんてオロナミン好きなのかな
おろなみんしーって発音できないのに >>116
うちも箱買いしてたわ
「若者は炭酸好きでしょ」ってよく言ってたな >>215
お年寄りて英語習ってないから
いつも英語無理やり読んでてちょっと可愛い(´・ω・`) ばあちゃんち帰るとビー玉遊びとか誘ってきてたけど
近所の兄ちゃんと野球する方が楽しかったからいつも断ってたな
ばあちゃんはいつも一人でやってた
もっと一緒に遊んで祖母孝行すればよかったと後悔している
今でもばあちゃんちに行ったら生きてるんじゃないかって気がするけど時折涙が出る もうちょっと会いに行った方が良かったかなって今になって思うな ばあちゃんのお葬式の時
どういう詰め方したのか知らないけど、棺の中の首が横向いてた
今まで幾多のお葬式でご遺体見てきたし、実の親も送ったけど
顔が横向いた遺体はあの時だけ 風呂上がりに良くおっぱいを見せつけてきたな
年のわりに良いものを持ってたけど見たくは無かった 一緒におはぎとかお寿司作ったりしてた
あの頃に戻りたいなあ 小学生の頃妹が入院して母親が付き添いで居なくなるから母方の祖母が家に来てくれた
夕飯は醤油の味付けばっかりだったけど当たり前だが母親と同じ味だったw
暫くして国語で手紙を書いて実際に出してみようと言う授業があったときその時のお礼と「ご飯はお母さんと同じ味だったよ」って書いたら
「あたしが教えたから当然だろうw」と笑ってたそうだ >>202
こんな文書ける奴が婆ちゃん蔑ろにしてるとは思えんな >>81
俺はそれを回復させるのができなかった。ばあちゃん被爆者で、それのせいって言ってた。この時期になると思い出す。 もうみんな墓の中だな。
金だけはバカみたいに有るが、自分が死んでも喜び他人しかいない世界に生きてる意味があるのかねぇ。 >>170
俺もばあちゃんのぼた餅美味くて本当に好きだったわ
俺がいつも一番食ってた 何十歳も年の離れた爺様は戦前満洲でなくなったが満洲のために尽くした立派な人だった
つーてた 子供の時におばあちゃんの家に行くと必ず山のようにイシイのハンバーグが買ってあった。
それというのも、おばあちゃんとスーパーに買い物に行ったときに何か好きなものがあったら買うから
かごに入れなさいと言われハンバーグを入れた。その時は何の気なしに入れたのだが、
次に行くときから沢山それを出されて、正直また出されるのかと思うと負担だった。
今考えると孫が可愛くて来る前から買い物に行って好きなものを用意してくれてたんだなあと。
死んでしまって相当な時間が経つけど思い出して、今でもたまに美味しくもないイシイのハンバーグを買ってしまうよ。 小学生の確か夏休み前頃に学校から帰ったら家に丸顔の知らないお婆さんがいた
誰だろうと思って良く見たらウチの婆ちゃんだった
山の畑でスズメバチに頭を刺されたらしい
痩せた婆ちゃんだったのに顔がパンパンになってた すんごい躾の厳しい婆だった
一時期祖母に預けられていたが未だに恨んでるし他所の家が羨ましかったわ 男だからと差別されてきた
この人は女しか育てて来なかったからしょうがないと言われてきたが
母のいもうとが男児を産んでその子の守をするようになったらそのこの名前ばかり呼ぶようになった
オレをみてもそう呼ぶ 何人かいたがばあちゃんの手作りあんこのぼたもち旨いよな俺も大好きだったよ
うちのばあちゃんは餅つき機持ってて正月は餅も自作なんだけどいつもばあちゃんちは七輪焚いてたからヨモギ餅を自分で焼いておやつにしてたなぁ 両親共働きでおばあちゃんが家にいてご飯作ってくれた
味噌汁を思い出す
クソガキだったからいっぱい怒られたけど思い出すのは笑顔だ お前らババァ好き?
ババァ好きって大人になると、年増好きとかなんのよ ババァどもの家転々と、預けれて
がんずき?黒糖味の蒸しパン、
ハスの花に、ナスやキュウリ?当時は、動物コレクションかと、
単なるお盆のお供えもの 玉子焼きはおばあちゃんのが一番好きだった
ぼたもちも懐かしい。きな粉のを作ってもらってた
親に怒られると自転車でプチ家出し、駅前のおばあちゃんちに駆け込んだもんだ 仮面ライダースーパー1のベルトを電話で買って送るよう頼んだ >>219
「ばあちゃんはいつも一人でやってた」って、
おいおい、
泣かせないでくれよ… >>219
そうやって思い出してあげることが何よりの供養
ばあちゃんにはちゃんと伝わってるさ ウチは母子家庭(父親は病死)で母親は仕事でオレは学校だから、毎朝ばあちゃんが二人を起こして飯食わせて送り出すような家庭だった
だから母親は姉貴の様な存在でばあちゃんが完全に母親のポジション
子供目線だったからだろうが逞しい腕に大きな背中、昔ながらの肝っ玉母ちゃんの様なばあさんで、男親もいなかったからばあちゃんの背中を見て育った
家の前で酔い潰れてる知らないおっさんを家に上げて介抱してやる様な人だった >>249
あの時の酔いつぶれたおっさんです
お世話になりました 優しかったお婆ちゃん、原爆症で死んじゃったんだよな… スレタイがそのうちばあちゃんからかあちゃんになるんだろうな 安倍ウイルス(晋型コロナウイルス)のおかげで全国のばあちゃんが死ぬんだな・・・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています