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日野美歌と佳山明生と「氷雨」が大ヒットしてたころ箱崎晋一郎版だけ「氷雨のよっちゃん」呼ばれワラタ
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0001クロアシネコ(SB-Android) [ニダ]
垢版 |
2020/07/31(金) 12:46:59.01ID:cgTCIOp+0●?2BP(4000)

期待されていなかった「たのきんトリオ」が人気になった理由
https://news.yahoo.co.jp/articles/ff46fadf6c02902c8c2c4e39c779f6540d0d4bcc


当時の渋谷公会堂とNHKホールの近くにある代々木公園では、「親衛隊」と呼ばれるたのきんファンたちが、コールの練習をしていた(イラスト/なとみみわ)

「わりとSMAPがアイドルのバラエティーの走りみたいだと言われてるけどな」(明石家さんま・65才)

【写真】当時、事務所前に駐車してあるワゴン車にも、思う存分3人への愛を叫ぶ落書きが!

「いやいや俺たち(たのきんトリオ)、結構やってたんだけどな〜。ぼくに至っては、『カックラキン大放送!!』(日本テレビ系のバラエティー番組)をやってましたからね」(近藤真彦)

 当時、ジャニーズ事務所に所属していた田原俊彦(た/トシちゃん)、野村義男(の/ヨッちゃん)、近藤真彦(きん/マッチ)の3人によるアイドルユニットが『たのきんトリオ』。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系、1979年)の第1シリーズ出演後にブレーク。命名は、ジャニーズ事務所社長だった故ジャニー喜多川さん。1枚のシングルも出さないまま、1983年8月、大阪球場で解散コンサートを行った――。

 これは、6月19日に放送されたスペシャル番組『さんまのまんま35周年SP』(カンテレ・フジテレビ系)にゲスト出演した近藤真彦が、明石家さんまと当時を振り返って語った言葉だ。

 いまでこそ、アイドルがバラエティー番組で活躍するのは当たり前だが、その基盤を築いたのが、『たのきんトリオ』だったということだ。

 1980年、人気絶頂の頃の彼らについて、放送作家・山田美保子さんは、次のように振り返る。

「三人三様の個性の持ち主だったので、ファンには選ぶ楽しみがありました。キラキラ王子様のトシちゃん、やんちゃなマッチ、お人よしで三枚目のヨッちゃんという具合に、明確に立ち位置が分かれていたので、“見れば誰のファンかがわかる”と、彼らのマネジャーが言うくらいファンも個性が際立っていました」

 そんな彼らが注目を集めた1980年代初めは、「アイドルの過渡期だった」と、当時をよく知るライターで『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)著者で松木安太郎研究家でもある岡野誠さんは語る。

「特にジャニーズ事務所は長い低迷期に突入していたんです。1960〜1970年代にかけてのジャニーズは、フォーリーブスで男性アイドルのノウハウを構築し、郷ひろみ(64才)で大ブレークを果たしたものの、1975年には突然、郷がほかのプロダクションに移籍し、1978年にはフォーリーブスも解散してしまいました」(岡野さん・以下同)
0002ボルネオウンピョウ(広島県) [CO]
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2020/07/31(金) 12:51:58.10ID:mnkZPlvJ0
抱擁しか知らん
0004ロシアンブルー(東京都) [CN]
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2020/07/31(金) 13:02:33.55ID:YQKfm8M/0
たのきんのずっと前から8時だよ全員集合!ではアイドルが体操とか合唱団やらされてたよ
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