徳川家康入府時の江戸は
「町屋なども茅葺の家百ばかりもあるか無しの体、城は形ばかりにて城のようにもこれ無く、あさましき」

家が100軒ほどしかなかった

ここに江戸の街を建設するため、田舎から人を集めて急造した

年貢米は集まるが、近郊の農作物の生産量は全く追いつかなかった

だから、江戸の街では、おかずがない食卓だった