【画像】 社会学博士が「江戸時代のごはん」を再現 ご先祖様はこんなもん食ってたんか……
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「玄米2合はやべえ」 つけもの、汁物、手前みそ、塩、玄米2合――社会学博士が作った「江戸時代のごはん」がとんでもない破壊力
つけもの、汁物、手前みそ、塩、玄米2合――。社会学博士が作った「江戸時代のごはん」がなかなかの破壊力で話題を呼んでいます。昔の人すごい……!
投稿者は中部大学人文学部コミュニケーション学科の助教・おうこうはん(@SUSHIwanghaofan)さん。
「いつも『江戸時代の食事がね』みたいなことを授業でしゃべってるんですけど、諸事情で自分でつくる必要がでてきてつくってみたんですよ。
玄米2合はやべえっすね」と、自分で作った“江戸時代のごはん”を画像付きで紹介したところ、5万件を超える“いいね”が寄せられました。
お米1合が大体お茶碗2杯分と言われるので、玄米2合だと4杯分。重量にして1036グラム。
これを食べきるためにつけものが大量に必要だということがビジュアルからしっかり伝わってきます。
https://image.itmedia.co.jp/nl/articles/2007/05/l_kikka_200705kome001.jpg
このツイートには、「茨城の小作の子孫ですが、二代前まではほぼこれに近い食生活でした。父の実家は、農作業の途中のおやつも米を食べていたようです。
『お中飯』と呼んでたそうです」「私は神奈川の貧農の子孫ですが、戦前の主食は雑穀米で白米を食べるのは1日と15日だけだったと叔母に聞いたことがあります」と
農業に関係する人からの声や、「当時の飛脚の皆さんは『とにかく飯食って、とにかく走る』という生活で、カロリーが完全に右から左に抜けてったような感じだったそうで……
これ見ると米喰わんとやってられんよなぁと思うw」と博識なコメントも寄せられています。
今回作ったご飯についておうこうはんさんは「当然ながら2合の玄米を食べるのはさすがにぼくでもきついので、残ったご飯はおにぎりにして明日の朝ご飯にしたり、
冷凍して後日食べます」と大量に残った玄米の画像を添えて報告。ラム肉丼などのアレンジレシピを作り、何とか4食かけて食べきったそうです。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2007/05/news023.html >>411
今でも最底辺の貧乏人は大して変わらんぞ
ご飯だけじゃなくパンやパスタや即席ラーメンと主食の選択肢が増えただけで >>75
いや、昔の穀類はタンパク質の塊だった
品種改良でタンパク質含量を減らして今の美味い米が出来た
その技術を応用したのが腎臓病患者用の低蛋白米 江戸時代の大名は貴族でありながら官僚でもある
昼前に軽い運動して飯食べたら深夜までずっと事務仕事してたからデブにはならない >>372
こういう居酒屋作って欲しい。
やっぱ日本人だったら畳にお盆置いて直座りだろ。
椅子とか机とか邪道の極み。
我々のDNAに刻まれた寛ぎの間はこの絵の中にこそある。 >>414
でもその時代の女の子はワキ毛ボボボーボ・ボーボボだぞ >>408
幕府が精一杯の豪華な食事を用意したらペリー一行はあまりに質素に見えたからわざとショボい飯を出してきたと勘違いしたらしいな
逆にペリー側が宴会に幕府を招待したらみんな旨すぎて出てきた菓子やら持って帰ってたみたいだ
その後明治政府は外交儀礼を重視してフランス料理をちゃんと出すようにしたみたいだけど
今のアメリカ人が豪華懐石料理を見ても食べ慣れてなければガッカリするのと同じだと思う >>450
毎日でもいいと思ったけど実際食べるとなるとキツいかもね。
たまにくらいがいいのかな。 >>428
そういやボタン鍋はシシ鍋の隠語だっけ。
剣客商売には普通に軍鶏鍋屋が出てくるな。 >>458
ちゃんとフリルのついた可愛い小さめパンツ履いてるし脇毛なんてない
でもブラジャーはなくてサラシを巻いてるっていう感じで なんで肉食わなかったの?また宗教とかいうゴミのせいでクソ坊主が規制してたんだっけ?
中世鎌倉時代より身体的に劣るドチビばっかりになる欠陥食事勧めんなよ 母をたずねて三千里のアニメでマルコが昼食を作る場面
パスタを茹でるだけ
それに粉チーズかけて親父さんと食ってた
ハイジのパンとえらい違いだった >>428
慶喜は豚一様があだ名だったし、多分現代人が思ってるほど
実は肉食自体はタブー視されていなかったんじゃないかな?
まあ、一般人ほど仏教の教えを忠実に守って、死んだ牛馬の
肉を食ってる人を忌避してたって文献もあるけど 中国の炭鉱で働く出稼ぎ労働者の昼食の米の量凄かったぞ…
でかいドンブリ山盛りだった 百姓とかバリバリ体動かしてる人らは玄米四合ぐらいいってたっぽい >>110
テイスティングしてんじゃないかな?ただの趣味だ。 若い頃は普通に1食2合位は食べてたけど
驚いたのは機械化してない昔なのに日本国内で一人づつ1食
それだけ食えるコメを生産できてたんだな
凄い 白米のもちもちに慣れてると玄米は物足りない
大昔ヘルシーだとか謎の理由で玄米が流行ったころがあって
意識高い系の親に食べさせられたことがあったけど好きになれなかった >>466
牛は農作業に使うし馬は移動に使うからだろう
それ以外の肉は割と食べてたみたいだけど 江戸っ子はわりと頻繁に魚食べてた記録あるよ
魚屋も多かったらしいし >>167
ウィスキーのテイスティングじゃないかな >>461
何回かブームがあったけど結局白米に戻るな
7分搗きくらいでなら続けられるかもしれんわ >>5
あんまり質素だと脚気になる
当時はいい治療法なかったようだし ドラマの仁は場所が江戸なのでいろんなものが手に入るんだろ
好物が揚げだし豆腐て時点で豆腐売りと菜種油売りが存在する 江戸時代は人口比で言うと小作農7割
小作農を現代で例えると技能実習生
今の技能実習生は小作農みたいな食生活じゃないけど 玄米食はまず食事に時間を掛けられる環境がないと厳しいね >>266
鮎 アメゴ イワナ ウナギ
は一般的だったのでは?
毎日は食べなくても月に数回は食べるとか
とはいえ内陸部では塩サバや干物のアジなどのほうが流通多かっただろうから
商いの記録に残ったのは海洋魚類で
川魚は近隣の流通にとどまって記録に残ってないのかも いまでこそ東北は米所やけど
江戸時代は全然水田できへん不毛の地やったらしいなあ・・・ >>467
ハイジは山に住んでるってだけで
別に貧乏じゃないしな
でもマルコん家は母ちゃんが出稼ぎに行く程貧乏
住んでる地域も貧乏で飲み水にボウフラ湧いてる描写もたしかあった タンパク質ねえじゃん
こんなんじゃヒョロガリしか無理 >>372
大小が3セットあるけど士分はどいつだろな
あとでかい算盤を携行してる奴がおる うろ覚えだが米だけは自給率100%超えてるんだっけ? >>465
当時は下はボーボーな方が尊敬されてたらしいぞ
当時のかわら版とかで、江戸の町人は運河とか川で入水した心中話聞くと
安置されてる場所に行って特に女性の方のお毛並み拝見してたそうな
でもって、可愛いふりしてあの子割とやるもんだね(=ボーボー)と言ってたらしいわ >>483
玄米のが体にいいと言うのは本当なの?
玄米は家族が食べないからたまにパックの買って食べてる。 農家やってたばーちゃんも体がちっさいのに白米二合位喰ってたな
おかずは塩辛い漬物とか魚の干物
昔の労働者は運動量が半端なかったからそれが普通だったんやろ >>488
自分とこで作った自家製味噌
転じて「自分で自分を褒める、自慢」の意味になった
「やっべ、この自家製味噌旨くね!ブリリリリリ!」 成人して長生きでも60〜70で死んじゃうのがよくわかるわ そういや長谷川平蔵の部下に料理ばっかりしてる奴がいたなあの人の能書きを聞くとなんでもうまそうだったあと五鉄の軍鶏鍋も >>412
織田信長の天下布武、信長の配下に地方を分け与えて岐阜を首都にする政策だから
明智光秀が裏切らなくても戦国時代は終わってた >>186
でも魚、昆虫、豆などでタンパク質が採れる。 クソ農民が好き勝手獣狩って山が荒れ荒れに荒れてクソ農民は肉食禁止なってなったぐらい肉食ってたんだぞご先祖様は ちなみに米至上主義を作ったのは豊臣秀吉と石田三成の検地から
税の単価を米に決めたので徳川家康もそれに乗っかった タンパク質は玄米ごはん2合で10g弱
あとは大豆で補うか、大豆は100gでタンパク質34gあるしな
しかし過度の運動前提ありきの炭水化物過食の菜食すげえな 上方でわりと一般的だった鰻は江戸で広まるまでは夫役に携わる人足くらいしか食べなかったらしいし
好みもあるんやろな >>502
確かビタミンが豊富なはず
よく噛んで食べないと胃に負担が
昔の人は胃も丈夫なんかね 徳川の将軍より現代の年収300万ぐらいのやつの方が遥かに良いもの食ってるんだろうなぁ >>477
釈迦「農業生産量上げるには家畜を使えばいいのにいくら説明してもバカな民衆どもは冬に屠殺してしまう……せや!教義で四本脚の動物の殺生を禁止したろ!」
ムハンマド「あいつら何度言っても豚肉食べて食中毒になりよる……せや豚食禁止したろ!」
これが宗教の発祥やぞ 普通に美味しそう
昔のご飯を再現したお店とかあったら面白そう >>523
ごはんにもあるし、味噌にもあるかな
豆乳とか飲むとけっこう腹の足しになるし 糖質ばっかりでクソだろ
肉をもっと増やせ
あと食った後にサプリメントは必須だな >>527
実際ものすごくよく噛んで食ってたんじゃないの? 平均的な食事って胡散臭い
現代の平均的な食事なんて意外と食べていない >>489
小作農が増えたのは現金納税化された明治以降
桃山〜江戸時代は基本自作農ばっかり
耕作する当人が現物納税 >>528
将軍ってお膳3つじゃなかったっけ?
おかずがいっぱい
なお肉は、ほぼないw >>524
江戸の町人は八杯豆腐をよく食ってたしね
豆腐も今の一丁の倍ぐらいの大きさのを
一人で毎日食べてたみたい >>538
上顎ざザラザラするでござるwwwwwww 信長のシェフも
信長に当時としては変わったモノばかり出すけど
信長もそれが普通の料理になって最近はノーリアクションになったな
ジャガイモ食わせろは笑った >>539
しかし平均身長を見てみると、やっぱり栄養は足りてなかったみたいだね。
カルシウムとか諸々だろうけど。 >>545
それ系のフィクションだと
へうげもの、の家康接待が面白かった記憶
パイナップルで供応された家康がガチギレするシーン >>537
ちょっと高そうな旅館の飯みたいなの食ってたのかな
それでも大抵の旅館なら肉も出してくるし
どんなおかずが多かったんだろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています