沖縄戦・"歴戦" 終戦まで陣地を死守し続けた陸軍歩兵第32聯隊第1大隊長「伊東孝一」大尉死去
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沖縄守備隊だった第24師団歩兵第32連隊の伊東孝一・元大隊長が今年2月19日、ご自宅にて逝去されました。
http://IJA.24D.32i 約3か月後の夏、終戦の日が近くなった頃に返事が届き、便箋代わりの原稿用紙10枚に大隊長の想いと、手紙を託して下さる意思が綴られていました。
「戦争をゲームのように捉えられている昨今、人の殺し合いがどれだけ悲惨で残酷なものかという真実を伝えてほしい」との言葉と共に。
大隊長へ辛いお願いをしたこともありました。あるご遺族から、「ぜひ、大隊長にお目にかかり、父の最期の瞬間を直接お聞きしたい」との訴えがあり、二組のご遺族との面会を打診しました。
「分かった。会おう。今の私でどこまでご要望にお応えできるか不安だが、責任は果たしたい。そして、こちらから伝えたいこともある」。覚悟を決めるように了承して下さいました。
その場で、「私があなた方の大切なお父さまを戦死させた張本人の一人です。真に申し訳ございませんでした。心よりのお詫びと故人のご冥福をお祈り申し上げます」と深々と頭を下げられました。
さらに、「こうして生き恥を晒しているのは、私の部下だった兵士たちの働きを後世に伝えたいとの想いでからです。それほど、皆さまのご家族は一生懸命に戦った。
私自身はそれを誇りに感じています。そして、子孫である皆さまにも先祖の生き様に誇りを持ち続けて戴きたい」と涙ながらに語られました。
「大隊の部下の9割を失って」名前:伊東 孝一さん(山形・歩兵第32連隊)戦地:日本(沖縄) (NHK戦争証言アーカイブス)
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001100434_00000 伊東部隊の健闘が上聞に達した(天皇に知らせられた)ことを報ずる新聞
https://i.imgur.com/xPRsF7y.jpg
第32軍牛島満陸軍中将からの感状
「是れ大隊長の卓越せる統率指揮の下鐵血の團結堅く烈々たる責任観念を以て一意任務に挺進し遺憾なく大隊戰鬪の本領を發揮せるもの」
https://i.imgur.com/VEzzRdw.jpg そろそろもう一度、沖縄を守ってもらう出番が来るのに ソース
http://hamate●tsu.saku●ra.ne.jp/?post_type=active2 シュガーローフ戦は凄かった
日本軍が米軍を逆襲したからな この人といい、サイパンの大津理作中尉といい
舩坂弘とかいうネトウヨに戦史叢書に個人名が唯一載る(実際は載ってない)とかわけのわからん持ち上げ方されてる奴よりよほど偉い。 沖縄県民はよくやってくれた、後年ご高配賜わんことをって言って死んだ人ってだれだっけ? 防空壕で女学生をリンカーンしてたと中学の教員から教わった シュガーローフの戦いでは丘陵地を11回も日米で取り合いして
米兵側は死傷者もさることながら
肉体の損傷がない戦闘神経症でもかなりの数が戦線離脱したんだよな 太平洋戦争は狭い島内の超局地戦だから日本軍の貧弱な火力も効果的に集中できたからな >>1
遂に亡くなられたか
この人の証言記録は本当に貴重な資料だったわ
ご冥福をお祈りいたします >>13
海軍の大田中将
息子が湾岸戦争の機雷処理に行った海上自衛隊の司令官やってる
他の息子は反戦活動家やってたけど 欧米植民地解放・天皇陛下は現人神・無謀な戦略・当然敗戦・アメリカの属国
こんな感じだよね? こういう人ってほんと長生きするよな
自衛隊の偉い人も長生きな印象 太平洋戦争での師団最強はって聞かれたら
18師団(フーコンでの死闘)
1師団(レイテ島で敵師団と正面から激闘)
14師団(ペリリューの歩兵第二聯隊)
56師団(拉孟・騰越の戦いで40倍の敵を相手に数ヶ月死闘)
あたりを挙げとくと"通"ぶれるぞ もし、そんな連隊に配属されたらと思うとゾッとするな >>33
敵と正面切って戦えた師団は幸運だったのかな
まともに戦える場面すらなく輸送船を沈められて溺死や
ジャングルを彷徨い餓死した将兵のなんと多い事か うちの爺ちゃんは、徴兵で沖縄に派遣されてた。
戦争中の事はあまり話さなかったけど、
「ドラマで日本兵が悪く描かれてるのは嫌だな。みんな沖縄のために頑張ったのに」とポツンと言ったのが忘れられない。 >>35
太平洋戦争で唯一ほぼ完全装備で米師団と正面から衝突したのは上記の第1師団だけ
制空権取られてるから最後は負けるけど非常な敢闘をした
ほとんどが潜水艦に襲われて重火器沈んで軽装備で戦う羽目になってる >>37
だよね
目的の島につく前に兵員輸送船を沈められて溺死とか
命からがら島にはついたけど武器食料はなく手ぶらとか多いもんな >>37
第一師団と対決した米陸軍24師団は損害甚大の為増援部隊と交代させられてるからね フィリピンでの戦いもレイテじゃなくて予定通りルソン決戦ならもっと戦えたのにな 八甲田山の三十一連隊が青森 (弘前)とか秋田の連隊だからお隣の連隊だな みんなが沖縄のために戦ったのに
アメリカ軍が攻め込む前に日本軍が沖縄の人を殺して回ったと言い続ける年寄りがいる >>33
嘉数で散った第62師団歩兵第63旅団独立歩兵第13大隊の京都出身者もすごいぞ >>40
ルソン決戦はルソン決戦で問題があるんだよね
レイテに敵上陸してきて飛行場作ったらP-38やらB-24がルソン爆撃しまくりになってルソン決戦が成り立たない恐れがある
従って大本営陸軍部では本当はレイテ地上決戦を行いたかったが、戦力の分散はだめということで我慢していた
ところがアホ海軍が台湾沖航空戦で空母19隻轟沈破などど意味不明なことを言い出した
心のなかではレイテ島で地上決戦を行いたかった大本営陸軍部はスッカリこれに騙されてしまった まだ士官級の人が存命だった事に驚き。
99歳とはまさに天寿を全うされたんだな。 >>46
ルソンで準備万端米軍を待ち受けて上陸してくる米軍をコテンパンにしてやるって鼻息荒かった山下奉文は
なんとかルソンでやらせてくれって言ったのに
無理やりレイテに送られて逆に待ち受けてた米軍にコテンパンにやられて山に逃げ込んて手も足もだせず
基本日本の偉い人は現地や現場の意見を軽視しすぎだよ 洞窟からさっさと出て米軍に投降した夫人を演じたのは最高の司馬懿でした
黒木瞳さん、本当に美味しいワインありがとうございました。 >>16
韓国人ならやっててもおかしくない
あいつら当時は日本人だからな >>49
つかマニラを無血開城しなかったのが大失策 >>45
「嘉数の戦い」は冷戦期自衛隊が参考にした防衛戦だな まぁとはいえ米兵の損失が大きくなればなるほど戦後日本への扱いは凄惨なものになるしな
こればっかりは何とも言えない。 風に閃(ひらめ)く聯隊旗(れんたいき)
記紋(しるし)は昇(のぼ)る朝日子(あさひこ)よ
旗は飛びくる彈丸に
破るることこそ譽れなれ
身は日の本(ひのもと)の兵士(つわもの)よ
旗にな愧(は)じそ進めよや
斃(たお)るるまでも進めよや
裂かるるまでも進めよや
旗にな愧(は)じそ耻(は)じなせそ
などて恐るる事やある
などて猶豫う事やある 浜崎順平中尉
ゾット島の戦いにおいて日本軍側の戦死者0人成し遂げ、「GONIN(業人)」と呼ばれ米軍から最も恐れられた男。
しかしイオン諸島の戦いにおいて偽情報を掴まされあえなく玉砕。
同日8月11日戦死、享年32。
(出典・大物士官 同隊誰も来ず斃れる) 鬼畜米英が間違っていた、日本が正しかった
というのが判明するのはいつも事態が取り返しのつかない事になってからだわ
中共ウィルステロのダイプリへの対応があれでよかったんだと
米畜英畜がようやく認識したときには既にパンデミックが起きて終息不能になってた
露助に組したばかりに冷戦が起こり世界に核兵器が拡散した
支那や蒋介石を支援したばかりに今のウィルステロや法を無視した支那の跳梁跋扈がある
ほんとうに毛唐や紅毛は馬鹿ばかり
スペイン風邪の時の日本はすでにマスクや手洗いの励行ができてたのに
今の白豚クロンボは100年前の日本以下の衛生意識の不潔大国だわ 日本軍と言えば必要以上に精神主義の時代遅れだと強調されるけど、火力重視で関東軍の部隊なんかは意外と火力充実してるのよね 沖縄はいつまで被害者意識なんだって言う奴がいるけど勘違いも甚だしい
リベラルとは加害者意識からなるもの >>65
検索したら漫画やテレビに出るくらいにはレジェンドなようだ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%B1%BA%E6%88%A6_(%E6%BC%AB%E7%94%BB)
『沖縄決戦』(おきなわけっせん)は、新里堅進による日本の漫画。
伊東孝一(いとう こういち)大尉第24師団、歩兵第32連隊の大隊長、攻勢で唯一陣地を奪還した大隊長。しかし、米第7師団と米第77師団に包囲されて撤退する。
https://s.kakaku.com/tv/channel=6/programID=73502/episodeID=1239035/
札幌・大通公園で2月に開催される「さっぽろ雪まつり」。その近くにある札幌護国神社には沖縄戦戦没者慰霊碑がある。北海道は戦場となった沖縄の次に多い、約1万人が戦死している。
そんな北海道に住む兵士の遺族たちと手紙のやり取りをした軍人がいた。2017年11月、横浜・金沢区に暮らす旧日本陸軍・歩兵第三十二連隊・第一大隊長であった伊東孝一は、当時、24歳の若さで799人の兵を率いていた。
太平洋戦争では沖縄本土に上陸したアメリカ軍は圧倒的な兵力で日本軍を追い詰め、伊東が率いた歩兵第三十二連隊・第一大隊は劣勢のなか、敵陣深く攻め込むなど激しい戦闘を繰り返していた。
伊東は当時、部隊の名簿を作成し、名前や故郷の住所を記録していた。歩兵第三十二連隊・第一大隊の多くは北海道出身で、戦争により9割の約700人が戦死している。
2018年2月、沖縄県糸満市にある洞窟は、かつて伊東の部隊が立てこもったことがあり、土の中には未だに遺骨が眠っている。
この地で遺骨収集のボランティアをしている学生の篠原美優は、始めは興味本位であったが、今では遺骨を可能な限り外に出してあげたいのだと語った。
そんなボランティアの案内役を写真家の浜田哲二が務めている。
JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス
2019年2月18日(月)01:20〜01:50
TBS >>59
「戦わせると強い人達」ってイメージついたから良かった
沖縄本島1,199�km�@4~6月
北朝鮮120,500�km�@9~11月
日本軍は面積1/6を貧弱な装備、孤立無縁で
米軍が侵攻して来て北朝鮮軍とだいたい同じ時間防衛してる
北朝鮮側は中国ソ連の援助もあった >>66
聯隊規模だと米軍より火力は優越してるね
師団クラスになると砲兵と戦車でどうしようもなくなるが
元々日本陸軍は機関銃や火力支援のもと歩兵が浸透戦術するというドクトリンだから当時の標準的な戦法だったからな
ガタルカナル当時の日本軍歩兵聯隊と米海兵連隊の装備比較
http://i.imgur.com/k40n85F.jpg
http://i.imgur.com/WvCEewU.jpg
日本:重擲弾筒243、軽機関銃81、重機関銃24、37mm速射砲4、大隊砲6、連隊砲4
米:60mm軽迫撃砲18、81mm迫撃砲12、ロケラン47、軽機関銃108、重機関銃8、ライフルグレネード97、20mm機銃18、75mm砲2
と明らかに日本軍聯隊が火力で圧倒してる
まあ、輸送船ボカ沈で大砲ほとんど海の藻屑、軽火器しか持てなかった上に、ジャングルでは擲弾筒も役に立たないからガタルカナルでは米軍陣地に銃剣突撃しかなかったわけだな
レイテの第一師団はリモン峠という山で戦闘した
ここでは圧倒的な艦砲射撃も届かないし米軍戦車も運用が難しい
制空権握られてるのに1個師団相手に互角以上に戦えたのは山に登ったから、ペリリューでも日本軍が山に籠もって米軍が大苦戦してる
馬謖が歓喜するな >>33
やはり九州と関東の兵(東京除く)は勇猛だったんだな
戦闘が始まった途端「負けるが勝ちや」「わしらほんまは戦争反対だったんや」と
逃亡兵が続出した大阪の兵とは大違い
ちなみに同じ関西でも京都の兵は「お公家さん」と揶揄されながら
嘉数高地攻防戦で圧倒的な米軍を幾度も撃退する活躍をした >>33
拉孟・騰越の戦い - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%89%E5%AD%9F%E3%83%BB%E9%A8%B0%E8%B6%8A%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
負傷した兵を除くと、まともに戦える戦闘員は実質1000名に満たなかった。
一方、拉孟を包囲した敵戦力は、蒋介石の直系栄与第1師団(日本の近衞師団に相当)を中心とする5個師団。この軍は、新式装備・兵の質もきわめて優秀な精鋭部隊であった。
兵力48000名
15センチ榴弾砲7門・山砲、速射砲74門・重迫撃砲、迫撃砲332門
敵対比率は50倍以上も開きがあったにもかかわらず、拉孟守備隊は死守を命じられ、100日間も粘り強く戦闘が行われたのである。
9月7日をもって全戦闘は終結した。1300名の兵力のうち、残存兵力はゼロ、すなわち玉砕であった。
中国軍の捕虜となった傷病者と、本隊への連絡のために軍命によって拉孟を脱出した者が、わずかながら生還している[4]。
一方の中国軍も日本軍の数倍の死傷者を出した。拉孟の戦いについて9月9日に蒋介石は次のような"逆感状"をもって雲南軍を叱咤激励した。
「わが将校以下は、日本軍の松山守備隊あるいはミイトキーナ守備隊が孤軍奮闘最後の一兵に至るまで命を完うしある現状を範とすべし」
— 防衛庁防衛研修所戦史室 編、『イラワジ会戦 ビルマ防衛の破綻』 朝雲新聞社〈戦史叢書25〉、1969年 p285
やっぱり九州兵はだいぶ頭がおかしいわ
流石修羅の国 >>49
>ルソンで準備万端米軍を待ち受けて上陸してくる米軍をコテンパンにしてやるって鼻息荒かった山下奉文は
指揮官が米軍をコテンパンにできるって認識な時点でアカンだろ。 >>73
20万の米軍軍事顧問と米国式中国軍は拉孟・騰越の戦いやミイトキーナの戦いで日本軍を壊滅に追い込んでいるが、
一方で蒋介石の軍隊は日本陸軍
服部卓四朗大佐作戦立案の大陸打通作戦によって無残に敗北している。
1949年国共内戦終盤、中華人民共和国が成立。ほどなく国民党軍は厦門を失陥。金門島での決戦が迫る中、
旧日本陸軍中将 根本博を日本から招聘
根本は塹壕戦の指導を行う。
そして金門島における古寧頭戦役を指揮、
上陸してきた中国人民解放軍を破り、同島を死守した。
この歩兵第32連隊は北海道出身者が多い
やはり北海道、東北、九州の兵隊は強い >>75
まあ大陸打通作戦は確かに無敵皇軍なんだがそもそもあんまり戦略的に意味がないんだよなー
B-29の基地爆砕→それ以前にマリアナが落ちて意味なし
打通して南方航路が壊滅しても南方と連絡取れるようにする→実際には陸路で物資輸送などできなかった
蒋介石軍に致命的打撃を与える→大打撃与えたがギリギリ生き残ってた
と戦略目的をどれも達成してない >>69
それは島が狭いから戦闘正面が限られ日本軍の貧弱な火力を効果的に集中できたんだよ >>77
そりゃ蒋介石でしょ
1907~1911まで日本軍に留学して士官候補生までならせてあげたのに勝手に帰ってしまう
ソ連・ドイツ・アメリカと軍事顧問を変えて行き
最後は毛沢東に負け台湾に落ち延び旧日本軍軍事顧問団に中華民国軍を再建してもらう
最初から日本と反共同盟を結び仲良くしてれば日中戦争という無駄な血は流れなかった 貧弱な武器で気が狂ったように戦うさまは世界一ーーーッ >>81
そういうのを無駄な抵抗ってね
軍事的に無意味な抵抗は無意味な犠牲を増やしてしまい
敵の憎悪をかきたてる原因になる >>79
狭い島というのは日本軍にとって最大の鬼門。
何故なら制空権、制海権を握られていて艦砲射撃で木っ端微塵にされるから。
ギルバート・マーシャル諸島の戦いがいい例。 >>81
これどうみても長所だが。
ソ連が勝ててフランスが負けた理由じゃん。 >>83
十分な陣地が構築できてれば砲爆撃には耐えられる
ペリリュー、硫黄島、沖縄はそうやん >>84
近代戦において蛮勇は戦争をより凄惨にするだけ >>86
近代どころか現代でもイスラム国なんて民兵にイラク正規軍がボロ負けし続けたのも同じだろ?
お前が何を言ってるか本気で分からんわ。 >>87
そういう土人国家を引合いにだすかねぇ
もっと行儀よく戦争しろよ >>71
なんのつもりか知らんが第1師団は東京だぞ。リモン峠で70日米軍と激戦した。
そもそもレイテ島防衛していた京都16師団は1日で壊滅してw山に逃げた。 >>85
それらは例外的に数ヶ月という陣地構築の時間があった
だがほとんどはそんな時間なかったわけで、島しょ部の日本軍が次々玉砕するはめになった
米軍にとっては硬い島や陣地はスルーしてどんどん蛙飛び戦法で背後を攻略して放置していくからな
サイパン、レイテ、ルソンなどほとんどの戦闘は潜水艦で工事装備や重火器が海没した上、米軍はそんな悠長な陣地構築の時間を与えてはくれなかった為に早々に壊滅した >>89
第16師団は陣地構築する暇なかったからな
その上沿岸に主力を置いていたから艦砲射撃で壊乱した >>91
暇が無かったかな?レイテ戦記が実家だから調べられないがそんな印象無いな。
あとあの時期に沿岸に主力を置くのもペリリューの戦訓を活かしきれて無いのでは?方面軍から指示ありとも思えない。
まぁ東京の玉兵は頑張ったという事が俺は言いたいだけ。 >>71
西南戦争から太平洋戦争まで、
第4師団、大阪師団が逃げ回ったなんて記録は無いようだが >>13
大田実中将(´・ω・`)
本来なら県民の事については県知事が報告するものだが戦場になっていて交戦中だったため
代理で打った。 軍というのは普通軍の動静以外は評価しない。 >>93
第四師団の前身は強姦しまくった様だがな。
そしてそれが、会津の長州嫌いの直接原因。 >>90
ペリリューは戦後というか当時ですら
なんで落とす必要あんだ?
って感じらしいな
沖縄と硫黄島はどうしても必要だったけど >>35
角田さんだっけ
帝国海軍後期最強の猛将と言われながら
軍艦も飛行機も栗田あたりが無駄遣いしたせいで回してくれなくて
最後は海軍なのに防空壕に手榴弾持って消えていったの >>97
角田覚治は確かに南方作戦の龍驤、南太平洋海戦の隼鷹などで攻撃精神を発揮して大活躍してるが
マリアナ諸島の戦いでは大本営海軍部が決戦戦力として期待してた基地航空部隊の司令長官となって致命的なミスをしてる
参謀(真珠湾攻撃の総指揮官淵田美津雄)が退避させましょうと止めるのにも関わらず、見敵必戦だと数百機の大群の空襲に93機で無謀な迎撃を敢行、90機を失い全滅させる
この中には最も老練な搭乗員ばかりだった
その上それを何度も繰り返した
そのおかげで肝心のマリアナ沖海戦時には
角田の基地航空隊が敵機動部隊と正面から殴り合い小沢機動部隊が横から闇討ちをかける作戦たったのが基地航空隊は戦う前から壊滅状態
おかげで圧倒的劣勢の小沢部隊が単独で倍の機体数を持つ敵機動部隊と単独で対決する羽目になった >>33
(ヽ´ん`)「時に卿は…皇軍最強はどこの師団かと思うかね?」
(^ν^)「……『菊と龍』の兵団でしょうな。」
(ヽ´ん`)「ほう…(やりますねぇ!)」 >>99
山口多聞も同じ匂いがするんだよね
名将名将と言われてるけど
山口多聞は南方作戦が終わった頃(つまり日本海軍が圧倒的有利なとき)まずハワイ、フィジーやサモアを占領、オーストラリアも占領、更に南米もドイツ海軍と共同して攻撃、米本土上陸してカリフォルニア州から全米に爆弾を降らす
という狂気じみた戦争終結案を大本営海軍部に提出してる
開戦からわずか半年のミッドウェーで飛龍の反撃と劇的な最期でさっさと死んでるから評価が下がってないと思う
これは五十六もそうだよね、明らかに不利になる寸前に死んでるからそこまでコケにされない
これが五十六が指揮し続けて、史実通りソロモンで消耗戦やって戦力が皆無になったとこに
ギルバート・マーシャル・マリアナをあっさり占領とかされてたら愚将という罵倒の嵐だったろう >>10
戦史叢書に唯一個人名が乗るって意味不明だよな
ガダルカナル、マリアナ玉砕、比島決戦、沖縄決戦とか大量に活躍した個人名出てきてるのに
魔王ルーデル閣下とか人形決戦兵器舩坂弘とかキャッキャッてしてるアホはまともに戦史読んだ事ないってはっきりわかんだね >>102
山本は愚将と罵倒されてるぞ
まあ、趣味で作戦立てて、部下が死ぬか生きるかというときに、将棋指したりビール賭けたり
決戦場に行く途中、愛人にラブレター書いたり
適当なおっさんだよ >>108
普通の人として付き合う分には、実に良い人だったらしい
真珠湾作戦なんて博打同然、くだらんと息巻いてた連中が
「山本さんに、君たち、そう博打博打と言うなよと宥められると突っ張る気がなくなった」
と回想してた この人から見た今の沖縄のキチガイ具合はどう見えてたんだろ こんな戦歴の御仁がつい最近までご存命だったとは知らなかった。
32連隊の総攻撃、シュガーローフの戦いなどを振り返ると、
イメージとは異なり米軍と一進一退の激しい攻防であったことが良くわかる。 それが単なる本土決戦までの時間稼ぎなとこが悲しいね 牛島の用兵は県民を盾にした持久戦だったという結果になった
その点は参謀の八原と共に批判されても仕方ないな >>70
そこまで圧倒的かな?
あと海兵隊より陸軍と比べた方がフェアだろ >>111
沖縄は南方向けの補給処だったから
日本軍の弾薬量は豊富で装備も良好だった >>115
重擲弾筒は60mm軽迫撃砲に匹敵するから
射手1名と弾運搬1名で運用できるのもメリット
60mm軽迫は4名+弾運搬1名を必要とするから数が少ない 89式は性能がチート過ぎて日本製かと疑いたくなるほど高性能だな >>112, 114
大本営陸軍部と海軍は沖縄で大打撃を与えて一撃講和しようという考え
現地第32軍は本土決戦前の捨て石としてできるだけ長く抗戦して敵に出血させるという考え
なので陸軍部と海軍は執拗に飛行場奪還と攻勢転移を要求した
天皇も「現地軍は何しとるか、こうなったら九州から特攻的に輸送船を突撃させて逆上陸させたらどうか」と一撃講和に希望を繋ぎ、苛立っていた
そこで行われたのが伊東大尉が批判してる攻勢で無事失敗
>>113の県民を犠牲にというのはある意味正しい、県民を南部に避難させたのに首里陣地が陥落しそうになると32軍は南部に脱出してなお抗戦しようとしたからな >>104
負け戦の中の溜飲なんだから察してやれよ >>120
ヘタクソな戦争してるな
一撃講和論とか妄想にすがるとか >>122
いや、そういう意味じゃなくて。
載ってねえんだよ、舩坂弘なんて。
舩坂の戦った場所はアンガウルで、その戦史叢書を俺持ってるんだよ。
で、船坂なんて戦闘状況を書いてる箇所に出てこねーの。
船坂の自分語り(頭部を撃たれて昏倒、三日後奇跡的に蘇生云々)を(注)としてしか載せてねーのよ。
それを何故か「その白兵戦におけるあまりの戦果から、個人名としては唯一「戦史叢書」に名前が載っている。」等とわけのわからぬ事がWikipediaに書かれてるのよ。
個人名として勇戦したのは戦史叢書では、サイパンの大津理作中尉やガダルカナルの若林東一中尉などが「抜群の武功」として戦闘状況書いてる箇所に載ってる。
だが舩坂は載ってねえんだよ。
http://i.imgur.com/LHfN3xS.jpg
http://i.imgur.com/HgM3yE5.jpg
http://i.imgur.com/LiN0MmL.jpg まあどうせ戦史叢書なぞ読んだ事も無いやつが船坂や三島由紀夫の本でも読んで日本軍最終人型決戦兵器舩坂弘!リアルチート!(キャッキャッとかのノリででっち上げたんだろうがよ。
はっきり言って英霊をブジョクしとると俺は思うわけよ。
戦闘の経過すら知らずに捏造するなんてな。 >>28
東日本大震災の東北方面総監は陸幕長までなったが退官後すぐ亡くなった
日露戦争レベルのオペレーションだったんだろうな
日露戦争終戦の次の年に亡くなった児玉源太郎みたいだ >>124
あんたwikiのアカウント取得して修正しなよ >>127
おかしな項目なんぞ関わるだけ無駄だぞ
どうせすぐに元に戻される
暇なキチガイは無敵 うんぬんかんぬん
あるかも知らんが、ネトウヨの妄想
「戦艦大和」が、沖縄に、パンパース搭載して
駆けつけてくれたことは。
沖縄県民に教えてほしい >「戦艦大和」が、沖縄に、パンパース搭載して
これは資料によっては「生理用品」となってるのもある
そんなものを積むくらいだから
「突撃一番」はもちろん、ごっそりだったろう >>15
あんただけ違う人を教えてくれたから調べてみたけどこの人もすげえ人だな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています