ひき逃げ死亡事件 時効まであと1年「自首してください…」息子亡くした両親の涙
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「9年前、息子が倒れていた国道20号線です。血だまりのあったこの場所に、夫と足を運び、ビールと水を流し、今年も息子を感じました……」
そう語るのは、平野るり子さん(66)です。
2月25日……。平野さん夫妻は、毎年この日が来ると、佐賀県の自宅から時間をかけて山梨県甲斐市志田の事故現場まで足を運んでいるのです。
9年目のひき逃げ現場。血だまりのあった場所にビールと水を流す平野さん夫妻(平野さん提供)
■事故の時効(10年)まであと1年に迫って
三男の隆史さん(当時24)が、亡くなったのは、今から9年前の2011年2月25日未明のことでした。
大学を卒業後、大手の飲料メーカーに就職した隆史さんは、その前夜、会社の送別会に出席。午前2時50分頃、同僚とともに自宅の近くまで戻りました。
ところが、それから約1時間後、国道20号線で倒れているところを通りかかったトラック運転手に発見されたのです。
事故の知らせを受けて平野さん夫妻が山梨へ駆けつけたとき、隆史さんはすでに人工呼吸器をつけ、集中治療室で処置を受けていました。
そして翌日、一度も意識を回復することなく息を引き取ったのです。
ひき逃げ事件を報じる当時の新聞(平野さん提供)
国道20号線は東京都中央区から長野県の塩尻市までを結ぶ幹線道路です。
交通量は多く、他府県ナンバーの長距離トラックも頻繁に行き交います。
事故現場の状況などから、山梨県警は「ひき逃げ」と断定しましたが、現場には車の破片やブレーキの痕跡などはほとんど残されておらず、捜査は難航しています。
「1年が過ぎ、2年が過ぎても、犯人につながる有力な情報はなく、あっという間に9年の歳月が過ぎてしまいました。2年前には『ひき逃げ(救護義務違反)』の時効(7年)が成立し、本当に悔しい思いをしました。
あと1年で事故から10年。今度は交通事故そのものの時効を迎えることになり、犯人は逃げ切ってしまいます。それが私たち遺族にとって、何より悔しいことです」(るり子さん)