応仁の乱って結局何がどうなったの?
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応仁の乱をまるでNHKの歴史番組のように解説してくれる動画シリーズ「戦国への道」が分かりやすいと評判です。
「応仁の乱」といえば、よくゲームや漫画の題材となる戦国時代を生むきっかけともなった重要な出来事が起こった時代です。
ところがその重要性の反面、高い人気を誇る戦国時代などに比べると影が薄い印象があります。
その理由としては「いろいろな勢力が入り乱れてややこしい」
「最終的に『〇〇が全国を支配する』といったような区切りがない」ことなどが挙げられます。
もっとストレートに言えば、応仁の乱はとても分かりづらく、楽しみづらいのです。
動画では、そんな応仁の乱のややこしさを象徴する「なぜこの人物同士の対立が起こってしまったのか」
「誰と誰が手を組んでいるのか」といったポイントを、テレビ番組風な演出と共に解説しています。
同シリーズは2017年夏からニコニコ動画で不定期に投稿されているもの。
手間暇のかかった映像編集もさることながら、驚かされるのは各エンディングに掲載される膨大な参考資料の数です。
動画の制作者は「一介の歴史好き」だというニコニコユーザーのterakeiさん。
動画冒頭には「色々な本から得た知識をつなぎ合わせているので、内容は正確ではありません」との断り書きがありますが、
動画からは地道な手間や努力の積み重ね、そして日本史への思い入れが感じられます。
「応仁の乱」の解説動画が熱意と工夫満点ですごい 「野生のNHK」「金払わせろ」と好評
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2002/03/news044.html 動画を再生していくと、東軍大将細川勝元に西軍のリーダー山名宗全、しぶとい軍略家畠山義就に天下一の極悪人朝倉孝景(敏景)、
そして図らずも大乱の原因を作ってしまった「東山殿」足利義政など、戦国時代に負けない個性豊かな人物の軌跡をスムーズに楽しめます。
これもまた熱意と工夫のなせる業でしょう。
応仁の乱編は第2集「応仁の乱の衝撃」をもってひとまず終了。
現在は関東を大乱の渦に巻き込んだ「享徳の乱」を解説するシリーズが投稿されています。
この乱は応仁の乱に先駆けて火蓋が切られ、実に30年弱も続いた大乱なのですが、知名度は決して高いとはいえません。
そんな「地味」な乱を投稿者は、不屈のリベンジャー足利成氏や、
江戸城の生みの親である太田道灌といった英雄的人物の活躍を交えつつ、丁寧に解説していきます。
近年では応仁の乱を解説した呉座勇一さんの新書『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』が異例のベストセラーを記録し、
同時代を舞台にしたゆうきまさみさんによる漫画『新九郎、奔る!』が連載されるなど、応仁の乱への注目度も高まってきています。
この動画もまた、応仁の乱を知るためのきっかけとしてネット上の歴史好きの人気を集めているようです。 将軍家のお家騒動に色々なお家騒動が便乗してグダグダに 応仁の乱か
あれは京都がもはや日本の中心とはなり得ない事を証明した悲しい出来事だった… 応仁の乱をわかり易く説明できるのか???
最初の理由から変遷していく様に途中で挫折してしまったけど?
何が何だかわからなくなって投げ出してしまった 竹槍もってフンドシ準備ってスレたったよな
今ならモヒカン肩パッド的な >>18
観応の擾乱から応仁の乱で京都なんかメチャクチャになってやっと復興したのは
秀吉のあたりなのになんでいま京都市中に住んでる連中が歴史を誇って
偉そうにできるのかさっぱりわからん 大義もないまま辺り一面焼け野原とかまあジャップらしいよ 東軍と西軍行ったり来たりするやつが多くてわけわからんのよ 関東のほうが長くスケール大きくぐちゃぐちゃ
享徳の乱だけじゃねえ 室町ダイナスティ崩壊前に幕府財宝が秘匿された
M資金と呼ばれ、戦後政府の秘密資金として使われたってのは聞いたことある ヒットエンドランって聞いた事はあるだろ?
あとは言わなくても分かるよな? 応仁の乱とは
立ち上がってはならぬところで応仁仁(おにんにん)が立ち上がってしまうことを言う
例)海やプールで水着の時、舞台上、夏場の電車内など >>15
動画はわかりやすかったわ。
ちゃんと紐解けば難しい話ではなかったのな。
中央のしょうもない権力闘争ってだけ。 要するに、次の将軍を
現将軍の息子にするか、弟にするかで揉めて開戦したわけだけど
どうして途中で互いの後ろ楯がそっくり入れ替わってしまったのかがわからん >>45
すいません
わからないんで解説してください 元々支配力のあまりなかった室町幕府が完全に機内限定になって群雄割拠 乱であまりにも人が死に過ぎたんで念仏踊りが流行ったんやで 京都で前の戦といえば応仁の乱か蛤御門の変しかないから そもそも室町幕府がほとんどわからん
南北朝もわからん
だから応仁の乱の土台になってるものがまずわからん >>57
飛鳥時代もわからんし、鎌倉時代もわからんよな 骨折り損のくたびれ儲け的な何かで、なんだかなぁ〜って感想が残った。 これマジで意味不明なんだよな
敵と味方が入れ替わったりしてるし 足利義政
伊勢貞親
畠山義銀
コイツらが全部悪い。細川勝元や山名宗全は寧ろ巻き込まれた被害者 物凄く複雑で一言では言えない
詳しくは「応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱」で 将軍が無能な働き者であちこち火をつけまくったってとこか 何回チャレンジしても、国に精神的に戦いを挑んでも、国立はおろかFラン私大に合格することが出来なかった
ー完ー >>62
山名の娘が細川の嫁じゃなかったっけ?もう訳わからん 承久の乱に比べれば何もかも稚拙だよな応仁の乱は
状況によって人は退化するという証 >>64
きっかけはそいつらでも、乱を大きくしたり複雑にしたり長引かせたりしたのは
ほとんど細川さんじゃね 時代劇ってあるけども大体戦国時代か幕末だから
たまには縄文時代劇とかないのかなとは思う >>66
あれ読んだけど
大和と興福寺が中心の話ばっかで纏まってなかったし
悪い本とは言わないが、あれが何でヒットしたのか分からん 室町時代から戦国時代よな
関東やらめちゃめちゃ
むしろ後北条の治世のが平和まである >>4
実際、旧民主党の連中の権力党争みたいなもんだからな
コロコロくっついたり離れたりする上にgdgdで一般人にはよく分からん 室町幕府の正当性を巡っての聖杯戦争を、しかし天皇がそもそも「室町幕府イラネんじゃね?」だったから、戦う理由を次第に失って、やっぱ天皇大事だわ、に成ってオチになったとか >>82
関東をおかしくしたのは西のゴタゴタを逃げで
持ち込んで元々関東にはそこまで緻密になかった
街道整備やらなにやらを関東の武装農民にやらせ
踏ん反り返ってたお坊ちゃん幕府の源氏勢。 大根飯が不味くてキレたけど最後はやり手の経営者になった >>84
朝廷なんて存在すら忘れ去られて
天皇死んでも葬式すら上げられない状況になりましたが 将軍が子なしだったので弟に譲ろうとしたら子供が産まれて、やっぱ子供に譲るべきじゃね?ってなり、
弟はふざけんなテメェとなったお家騒動。
で、味方増やしたくて双方利権ばらまいたので権威低下し
下の武士どもが好き勝手やり始めたのが戦国時代の幕開け 川挟んでやりあったんだっけ?
ただのご近所トラブルじゃん >>91
アイツが西軍に付いた?じゃあ俺は東軍に付く!で全国に波及した様なもんだからな
中央の政局が地方の争い大義名分に利用された
第一次大戦と同様 ゆうきまさみの北条早雲のやつがわかりやすいと書こうと思ったら>>1でもう出てたか >>80
あれニダーの趣味にも合わせてるみたい。
連中は古代(〜平安中頃)や江戸の頃のような太平の世を嫌い、源平合戦や戦国・幕末のような動乱期を好む傾向がある。
※ただし白鳳〜奈良、南北朝〜室町初期といった
天皇の権力が強い時期は動乱期であっても嫌う >>80
資料ないからでしょ
平安期でも庶民の暮らしの資料はほとんどないし >>18 >>19
それもう古いよ
最近の研究によれば京の街は足利義輝の時代には応仁の乱の以前並みに復興が進んでいたらしい
しかし上京区は織田信長の上京焼き討ちで甚大な被害を受けて復興は後の時代に 京都が焼け野原になって
山口が日本で一番人口が多い都市になり
公家や将軍が山口に住まい
雪舟が水墨画を描いた
山口時代 あたしーよく分かんないんだけど、細川さん親子が悪いと思うのー >>104
京都以外 先の戦争=太平洋戦争
京都 先の戦争=応仁の乱 学ラン着て踊ってた奴らに訊いみたいんだが、何処行った? >>98
応仁の乱の以前の京都なんて
ボロボロの状態だろ >>95
買ってみるわ
てかスピリッツは立ち読みしてるがこんなマンガあるの気づかなかった
北条早雲のキャラクターは「センゴク」がいい
あのマンガは人物像作るのが上手い >>35
平日の朝からこんなくだらないこと書き込むやつもいるんだな
どんな仕事についてるんだろう 将軍の後継者争いは二次的なもので畠山家の内紛に細川山名の二大有力者が介入したのが発端
それに将軍家含む他の家のゴタゴタも巻き込んで大名たちがあっちついたりこっちついたり
細川山名が和睦しても病死しても他の大名たちは戦い続け収拾がつかなくなった
最期は元凶で乱の中心人物だった畠山義就が京を出て地元の奈良に戻ったので一応終息 >>1
先ず、適切なサブ・タイトルが必要なんだが、これからして色々あり過ぎるんだよな
「御上の権力闘争」から「京童が地下的に仕組んだ市民革命」まで
多すぎて…
京童(様々な階級の人達の横断的ネットワーク)の説が魅力的で面白いけどね
一面的には事実だし世界初の市民革命としての側面もある >>110
日野富子と一休のそばにいた女性森待者が
中の人が入れ替わってるとかいろいろファンタジー要素がすごい
富子の兄日野勝光の草刈正雄のひたすら悪な公家っぷりもいいけど
真田と違って 2つ目まで見たけどめちゃくちゃわかりやすいなこれw
もちろんこの解釈が全てではないので盲信するわけじゃないが
すんなりと入っていきやすい 荒廃したままそん勝利も敗北もないまま孤独なraceは続いていくんだお 乱が一応終結した後も両畠山氏の争いはその後何代にも渡って続いて両氏とも徐々に衰退し最後は自然消滅した 結局グダグダのまま終わらずに何となく戦国時代になったって感じ? ある程度歴史に興味ある人の間では
日野富子悪女説はもう完全に否定されてるけど
一般の間ではまだ続いてるだろうなぁ >>81
おまおれ。ブコフの100円棚に何故か回ってたのでなく
定価で買ってたらブチ切れてた。 せやな
京兆家は名前だけ無駄にカッコイイよな・・・壮大なストーリーが始まるぜ(´・ω・`) >>120
>日野富子悪女説はもう完全に否定されてるけど
足利義尚を産んじまったところだけはあかんな
女の子産んでればもうちょっとマシになってたかもしれんw >>87
まあそれでもその後、戦国時代になっても征夷大将軍とかの権威性が天皇には残っていくと言うのは、「天皇を守る方が勝者になった」とも言えないか
なんかもう天皇要らないよね、俺が神様、をい何をいってんだ、の戦いは根拠の無いままぐたぐたに成って行って
ここまで考えると解るが、今もこの先で「天皇を尊重する」様な話は言いにくく成ってる様な、そう言う空気の中で、「それでも」とかそう言う Zガンダムの、ティターンズがいつの間にか小さくなってシロッコがアクシズがなにをどうして
気付いたらアクシズだけ巨大になりZZに繋がったすらよく分からん俺には、応仁の乱なんて無理だわ 細川は畿内で権力闘争を続ける余力があったけど、山名は出し尽くして徐々に萎んでいった ヨーロッパのバラ戦争もよくわからんがまとめサイトみたいなのある? 切っ掛けが判らん
誰と誰が戦ったのかわからん
誰と誰が終わらせたのかもわからん このころ関東は日本ではなかった
家康が関東植民地作る120年前だ >>138
>誰と誰が戦ったのかわからん
日本人を名乗るなら、足利義視 VS 義尚くらいはわかっておいたほうがいいぞ
細川、山名、畠山、赤松、斯波、伊勢、その他諸々はいったん外して良い >>57
ある坊主が貧民の為に商人に「お椀1杯でいいので米を恵んで下さい」と言って了承させてから
超絶巨大なお椀を出して米蔵の米を粗方ふんだくって行くような時代 >>134
ティターンズとアクシズはわかるが、エゥーゴの政治的位置がすげぇ曖昧な気がする
急進派:ティターンズ
穏健派:連邦軍
エゥーゴ:?
みたいな 大内がさっさと上洛して平定すればその後の戦国時代も無かったろうに >>139
そうか、、、関東管領は日本人の仕事ではなかったわけだなw
山内上杉や扇谷上杉の皆さんはあっちで泣いてるぞw 本当は鬼の乱
それを応仁の乱と言い換えて歴史の闇の葬られた存在がある まあ少なくとも江戸は沼地みたいな漁村だったわけでしょ >>147
太田道灌はもうちょっとまともな仕事してる
同じ漁村でも横浜と真鶴くらいには違うはずw >>142
ティターンズは地球至上主義者
連邦は守旧派
エゥーゴはスペースノイドの権利拡大を求める穏健派
だろ >>149
それだとティターンズと連邦の違いが曖昧でね?
この後100年くらい、連邦軍はコロニーの人を「宇宙人」呼ばわりする組織として描かれるわけだし
反ジオンに徹してくれりゃもうちょいわかりやすかったんだけど、シロッコが出てきてから
わけわかめになった気がする >>144
関所までが国内で関所の東は国外(異人の居場所)
それが「関東」という言葉の語源
日本が勢力下に置いていたが化外の土地 京都が焼けたことと中央政府の権威や治安維持能力が失墜したということ
誰と誰が対立して誰が裏切ってとかは些末なことと気にしないほうが身のため >>151
おいおい、室町殿はそもそも鎌倉殿の出先扱いだぞ(義満のあたりから政庁扱いされたが)
南北朝が終わってもしばらくの間、鎌倉は依然として政治的中心地(のひとつ)だった
ってのを忘れたらあかんと思うが 「関東」という概念は古来の日本からヤマト政権化の住民の間にあったが、
その一方で「関西」という概念は存在せず、「関西」という用語の使用例もほとんどなかった。
これは現在「関西」と呼ばれる地域が長らく日本の中心地であり、
地方的な意味での「関西」という概念が存在せず、
畿内以外では「上方」などの地域名称を用いたためである。
現在のような「関西」という概念は、
江戸の東京への改称以後(特に大正末期・昭和初期以降)になって醸成された 名も無い人たちが武力によって台頭し、武士というヤバイ勢力が跋扈しはじめた歴史的分岐点 >>153
イギリス貴族が東インド会社で大成功してもインドはインド
イギリスにはなれないww >>15
>>57
応仁の乱は一言で言えば南北朝の代理戦争だな >>155
それは承平天慶の乱(平将門+藤原純友)のころじゃないかな
人によっては治承寿永の乱(源平の争乱)のころを指したりもするが >>157
吉野勢は応仁の乱に表立って関与してないと思う
基本的には足利将軍家の跡目争いで、そこに守護大名や成り上がり(戦国大名の走り)がからんでわけわかんなくなる >>150
ナチスドイツのSSと思えば分かりやすいかも
同じ軍隊のはずなのにSSの方が偉い >>71
細川の嫁になったが、子供が出来ないので、嫁の弟を養子にして細川家の跡取りに決定。
しかし、その後子供が出来てしまい、嫁の弟は跡取りをキャンセルされて、実家に戻される
この仕打ちに山名父さんはぶち切れ、戦争に発展 あと、童貞を極めても、空は飛べないことが、実証できた。 大河で応仁の乱やらんのは何故?
グダグダで爽快感が無いから?
それとも何ぞ現皇室に都合悪いことあるますか?教えてエロい人 本当は京の都に鬼が現れて大暴れしたんだけど、後世の歴史家が信じなくて無理矢理応仁と当て字をしたのが真実やで >>162 現在だとイランが国軍と革命防衛隊みたいな感じか >>176
>大河で応仁の乱やらんのは何故?
だから「花の乱」でやったってば >>180
確か大河でワーストの視聴率を叩き出したんだっけか このあと北斗の拳になったというきっかけの動乱だよな 領地ばら撒いたら幕府が弱くなってみんな独立しちゃった >>184
室町幕府≒神聖ローマ帝国
と見ればいいかと >>181
面白かったんだけどな
キャストも豪華だったし >>188
草刈のシャレコウベ持ったら顔の部分は落ちたとかか? 大内は応仁の乱では足利義政の弟・足利義視を擁立する西軍に介入して乱を長引かせてなにも獲るものがなかったが
明応の政変では京兆家の跡継ぎ争いに介入して足利義視の息子・足利義材(義稙)を擁立して
日明貿易の交易権も掌握し漁夫の利をえた
応仁の乱はずっと東軍優位に進んだが、義視の血統の義輝や義昭が将軍の本流になったことから最終的には西軍の勝ち ヨーロッパ史やると、応仁の乱レベルの混乱戦争を日常的にやっててビビる
応仁の乱はまだ国内事情だからまだマシだが、ヨーロッパはそれを平気で国際間でやる
まさに欧州情勢複雑怪奇なりだよ >>1
見終わった
将軍と管領職家の対立からその管領職家を担う細川家と山名家の対立になり
その対立に便乗するかたちで日本を東西で二分する争いになった
で合ってる? >>1
ようつべに動画上がってるからそれ見たらよく分かる 遂には寧波の乱みたいに
大陸まで行って争ってる始末だったし >>195
ドイツオーストリアフランス
あたりに生まれなくてよかった
歴史半端ないw 畠山関連だと、京都の諸勢力すべてを一度づつ裏切って地獄に叩き落としてった木沢長政さんが最高。
最後は皆が敵になって滅びる所が最高にパンク。 あちらのお宅はこないだの戦争より後に
新しく来られた方ですさかいに
京都のことをよく知りはらへんかも
しれんどすなあ 的な >>1
京都が北斗の拳状態になって住民がひねくれ者に。。。 結局京都にいると幕府も朝廷も腐るのよ
だからこの後京都が歴史の舞台の主役から脱落していくんだよな そういや京は唐の都を模して作ったって言われるけど、あちらも似たような情勢になったの?
ドリフターズでノッブが防御性皆無のアホ都市だって評してたし、あちらの事情もちょっと気になる >>208
守るには強いよ
ただ東塞がれると物資搬入出来ないので
大都市なのも相まって簡単に兵糧攻め可能
だから唐以降の王朝は全て首都にしなかった >>207
それはちょっと違うな
応仁の乱以降も京都は日本の中心だったと思うぞ 最後は誰が誰と何のために戦ってるのかも分からなくなったグダグダ戦争 応仁の乱も明応の政変も畠山の家督争い
日本のスカイウォーカー家 一言でいえば、バカ将軍のせい
でももっと言えば、貨幣経済とプレ近世の到来 まあでも最終的には西国まとめて中国との交易もうまくいってる大内がなんとかするでしょ >>156
摂津大和河内源氏の祖源満仲全否定かよおめえは
蝦夷の武術で成り上がった男やぞ 信長の野望で兵庫の当たりが妙にしょぼくて大阪に至ってはやべー坊主軍団に占領されてるのは応仁の乱で全ての力を使いきったから
戦国時代が始まる前に全ての力を使いきった男 これ本読んだけど複雑すぎて分けわからんかった
昔の人もいろいろ考えてたんだなあとは思ったけど >>221
それは「ゲームだからだよ」
小勢力でも地方の大名並の経済力持ってたし
信長だって畿内制圧に10年以上掛けてそれがほぼ終わったらもう天下統一目前と言われただろ それはいまだ畿内に影響力があった三好と義昭がノブに抵抗してただけだぞ
ドラマとかゲームだと信長のバーターの悪役みたいな扱いだけどチョーケイが生きてた頃の全盛期の三好は近江河内以外の畿内ほぼ制圧してて石高150万石前後の大大名やぞ
うろ覚えだけど播磨はもしかしたら尼子領だったかもしれん
石高150万石以上の戦国大名は三傑除けば関八州を完全に抑えた氏政時代の小田原北条(260万石)と九州征伐で秀吉が乗り込んでくる直前の九州制覇しかけてた島津(154万石くらい)だけだよ
徳島の片田舎出身だから関西の人は無かった事にしてるけど あれだけ大暴れした細川家はちゃっかりと織田家にくっついて生き延び
その末裔か日本の総理大臣になるなんて誰も思わないよな >>1
歴史なんて捏造が普通なんだから
学ぶ必要無いと思う
嘘ばっかり言ってくる外人の話ばかり 鎌倉幕府←土地という有限のものを褒賞としたから没落
室町幕府←御家人が力を持ち過ぎていたから争いが起こり没落
家康はこれらをよく研究して江戸幕府を作った >>226
済州島出身の小沢一郎に担がれて出るとか
殿にもなったことないクズ総理大臣にさせるとかな 足利義政って、
飢饉でお膝元の京だけでも、10万人近い餓死者が出ても
自身の享楽を尽くして何の対策もなく、
時の天皇の苦言もどこ吹く風だったんでしょ?
なんか日本の歴代為政者の中でも
最悪クラスな気がするんだけど。 同じクラスに山名と畠山と島津がいたわ
だが戦国時代の話でも特に盛り上がらなかった >>230
歴代最悪は南北朝時代を始めた張本人の後醍醐だよ
関西(畿内)以外は日の本ではないと言い張るバリバリのレイシスト
だから信頼してた足利尊氏に裏切られ腹心の北畠顕家や楠木正成にも苦言を言われても無視
最後は誰も味方してくれなくなって天皇の証三種の神器をとられて奈良の吉野に追放
絵に描いたような悪役だろ NHKの歴史ヒストリアでこれ以上なくわかりやすく説明してくれてたのにな
テレビを見ないということが本当に正しいのだろうか? >>226
熊本の細川は
管領の細川京兆家とはほとんど関係ない
和泉守護系なんだが 応仁の乱で京都は人口が減って
上京と下京とが一本の道で辛うじてつながったひょうたんみたいな形の町だったらしいな 先の戦争だろ
京都は第二次大戦では5回しか空襲なかったからな 売国奴と富裕層ばかりだったんだろ
今の日本の将来を暗示する 足利が無能なんだよな
3代義満と6代義教ぐらいしか将軍らしい仕事したのがいなかった >>235
京兆家じゃないのに都知事選に出るなんて僭越だな 今年の夏、海水浴場の監視員のアルバイトをしていた。
DQNカップルに向かって
危ないぞ、沖に流されたらどうするんだ!って注意したら
DQN「おきに流されるって、後鳥羽上皇かよwww」
DQN女「マジ受けるんだけど、超承久の乱www」
とか言って聞き入れなかった >>190
義輝や義昭は 義視の血統ではないぞ!
堀越公方の政知の血統だ。 応仁の乱でも焼けなかったのが千本釈迦堂
おかめ発祥の地でもあり、快慶作の仏像が多数残ってる >>247
蛤御門は数ヶ月で片付いたけど、応仁の乱は11年続いた >>255
京都同士でどすえどすえ小競り合いしてたら北陸中四国のチンピラ大名が俺らも混ぜろや!って入ってきてプロレスのつもりがいつの間にかハチャメチャバトルになっちゃっただけのくだらねー話 途中で敵味方が入れ替わったり何の為に戦っているのかわからなくなる
まるでネットの戦争ゲーム 応仁の乱を400字以内で説明せよと言われたら、どう書きますか? 名字までしか覚えられないから家督争いはやめてほしい 応仁の乱は
戦期間も長すぎて
誰が誰と何のために戦っているのか分からなくなってきてしまい
勝敗者はっきりしないままに自然消滅した争い 根底にあるのは政争なんだろうけど…まぁグダグダよな >>259
・畠山、斯波の家督争い
・日野家が絡んだ足利将軍家の後継争い(伊勢もからんでるな)
・細川、山名の対立
・東西幕府分裂
・京極、朝倉、六角、一色、土岐、大内等のバトルロイヤル
400字じゃとても無理だな、、
足利義政+日野富子 VS 義視のあたりに細川山名を盛り込むのがせいぜいだろう
>>262
北条早雲こと伊勢盛時の成り上がりをゲームにするとこのへんは見えやすい
かもしれない、、とはいえ、そこをモロにやってるゆうきまさみのマンガで
すら混沌としててワケワカメだけど 福井の朝倉が天下とったら福井が首都だったってこと? >>266
応仁の乱終結時点では、戦国大名の先駆者が出てきた程度の段階で、下剋上と言える
状況になりきってないから、それはない。天皇が一部しかからんでないってのもある
し(南朝後胤の話は若干あるけどな)
あくまでの私戦の応酬にとどまってるので、もし天皇(朝廷)をかつぐって考え方を
する奴がいたとしたら、応仁の乱はここまでグダグダにならなかったんだろう 山口の大内や三好が失敗してるからそれはない
それに信長が朝廷から好きな官位をあげるって言われても無視してたおかげで秀吉や家康は楽に天下とれたのもある
仮に信長が朝廷の下についてれば光秀や秀吉が謀反起こしても朝廷が信長の敵討ちや!って全国の大名に檄文飛ばせばまた戦国時代が始まってふりだしに戻ってただろうな
つまり信長みたいに既存の権力を無視して革命的な事ができるやつが勝たないとずっと京都が首都のまま >>268
とはいえ信長もギリギリまで義昭の従五位下征夷大将軍って肩書きを利用してたので
既存の権力を無視しきれたわけではないと 明応の政変や享徳の乱を分かりやすく丁寧に解説してくれたほうがありがたい >>270
そこから押さえないと応仁の乱って何がなんだかわからんよなぁ、、、、
押さえててもほわーんとしてるところあるし
だから教科書だと年号暗記して終わりになってしまう 応仁の乱以降もう足利はボロボロっていうけど
足利義満の頃でも東日本と中国九州はしっかり支配出来てなかったんだよね >>195
もし明が仲介にしろ侵略にしろ介入して来ていたら普段はボンクラの日本武士団も共通の敵が現れると
妙に共闘して強力になるので明軍と全面戦争中国大陸朝鮮半島も戦場になって焦土化してたたかも 戦名も第一次東アジア大戦に。
くしくも150年後にそうなるのだが。 英仏の100年戦争みたいなもんだろ
100年戦争はフランスの国土の継承権争い
応仁の乱は将軍の職争い 籤引き将軍=兵藤和尊
義政=兵藤和貴
義視=兵藤和也 >>120
フェミニスト視点で無理やり正当化しているだけで、
実際は自分のエゴで周囲を引っ掻き回している部分は否定できない >>127
ただ生むだけなら何の問題も無かったよ
しかしやっぱり権力を握る事を許されてしまっている女性、例外無く無理を押し通し始めてしまった 将軍の名前がコロコロ変わるから取っつきにくいのはある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています