ひめ☆ゆりってアニメ作ってアニヲタビビらせよう。女師と一高でキャッキャウフフ→爆撃で内蔵飛び出す
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■戦世生きて くらしの記録(1) 島袋淑子さん(上)
沖縄戦が始まる3年前の1942年4月、島袋淑子(よしこ)さん(92)=当時14歳=は憧れの沖縄県女子師範学校に入学し、本部町伊豆味の親元を離れて寮生活を送っていた。
上級生を含む12人ほどの相部屋で、初めは慣れないことばかり。ホームシックになり、寮の近くでヤギが鳴くと故郷の生活を思い出し「一緒に泣いた」。
◆ドキドキの学園生活
新入生の通過儀礼はドキドキだった。上級生が床一列に急須やバケツなどを並べ、新入生が目隠しをして乗り越える寮の伝統行事「障害物越え」だ。無事乗り越えられたら今後の学園生活は「安泰」、つまずいたら「要注意」と上級生から説明があった。
「かかったらどうしよう」と思いながら淑子さんが一歩を踏み出すと、上級生が「あ、危ない」「もっと足上げて!」と声を上げる。実は歩く前に障害物は取り除かれているが、何も知らない新入生は真剣そのもの。全員が歩き終わったところで障害物は元の位置に戻され、目隠しを外すと「おめでとう」の大拍手が響いた。
淑子さんら新入生が真相を知るのは1年後。何もない床を滑稽に歩く新入生を見て、上級生になった淑子さんも「笑いをこらえるのに必死だった」。
休日には寮の上級生と下級生が一緒に出掛けることも。外出には許可が必要だったが「昆虫採集」の名目で度々遠出した。
◆時には男子校にも
ある日曜日、淑子さんは先輩と一緒に軽便鉄道に乗り込んだ。白い帽子にヘチマ襟ブラウスと紺スカートの制服姿で、学校のある那覇から向かった先は嘉手納の男子校。先輩が「よしちゃん、兄さんがいるでしょう?」と兄が通う男子校への訪問を持ち掛けたのだ。
男女の交流が今のように自由でなかった時代。男子校への立ち入りは禁止されていた。
女子生徒十数人が校庭に現れると、寮にいた男子生徒たちは「女学生が来た!」と窓から身を乗り出し、「ヒューヒュー」と指笛を鳴らした。妹の姿に兄は「なんで来た。帰れ、逃げれ」と慌てたが、兄の上級生たちは「おいで、おいで」と手招きした。
日曜日で先生は不在。それでも淑子さんは男子校に立ち入ったことが心配になり、「早く帰りましょう」と先輩を促した。帰り際、男子生徒たちは校庭で育てていた花をたくさん取って持たせてくれた。
そんな楽しい学園生活にも戦争の影が忍び寄った。
◆スカートからモンペに
学校生活は少しずつ変わっていった。楽しい授業をしてくれた英語の先生が戦地に赴いた。救急かばんや防空頭巾を持ち歩き、制服のスカートに代わってモンペをはくようになった。
1944年3月に沖縄守備軍が編成されると、淑子さんの通う沖縄師範学校女子部(前沖縄県女子師範学校)の校舎も兵舎として使われるようになった。
授業は次第になくなり、1週間の半分が軍事作業の時間になった。小禄飛行場では排水工事、識名園では高射砲陣地構築に駆り出された。
お昼時間に近くの商店で豆腐1丁を買い、弁当箱のふたに乗っけて友達と分け合ったこともあった。作業はきつくても、友達と一緒なら楽しかった。
44年11月からは校内で軍医による看護教育、45年になると南風原の沖縄陸軍病院壕で実地訓練が始まり、動員に備えるようになった。
そして、忘れもしない3月23日−。
◆国に奉仕する日が来た
その日は早朝から空襲と艦砲射撃が続いていた。避難していた学校の壕が大きく揺れ、土も落ちて危なくなったため、みんなで識名園の高射砲陣地下の壕に移った。
夕方、学校に戻ると「必需品を持って集まれ」と指示があった。「いよいよ国に奉仕する日が来た」と思った。
日用品や筆記用具、メモ帳などの必需品はいつも、非常袋に入れて枕元に置いていた。それとは別に、「あれもこれも持って行きたい」と迷いながら荷物を出し入れしていると、先生が大声で「早く」とせかす。
リュックに入れたのは辞典と日記帳、着替え1着。習字が好きですずりを入れた人、アルバムから写真を剥がして入れた人もいた。
頭巾をかぶって、リュックを背負い、救急かばんを肩からかけて、沖縄陸軍病院壕を目指した。月明かりが足元を照らしていた。
「1週間もしたら学校に戻れるだろう」「病院なのだから赤十字の旗が立てられていて攻撃されないはずだ」。戦場に赴く悲愴(ひそう)感はまだなかった。
沖縄師範学校女子部の生徒だった島袋淑子(よしこ)さん(92)=本部町出身、当時17歳=は1945年3月23日、看護要員として沖縄陸軍病院壕(南風原町)に動員された。「すぐに学校に戻れる」。そう思っていた。
◆手足の切断手術を手伝う
4月1日に米軍が沖縄本島に上陸。戦闘が激化するにつれ、瀕死(ひんし)の兵士が続々と運ばれてきた。米軍を一網打尽にしているはずなのに、敵の攻撃はますます激しくなる。想像していた戦争と「違う」と感じ始めた。
負傷兵の看護や食料運搬、死体埋葬に駆けずりまわる日々になった。命令を受けて移動した糸数壕(南城市)では、手足の切断手術を手伝った。麻酔注射が不足すると、患者に薬品を嗅がせて失神状態のまま手術が始まった。
精神を病んだのか、切り落とされた手足がかごに入っているのを見て「学生さーん、それを煮てくれよ」と言う人もいた。
友達も次々と犠牲になった。撤退命令を受けて移った伊原第一外科壕(糸満市)では6月17日、壕の入り口近くに大型爆弾が落とされた。がたがた震えながら淑子さんが駆け付けると、水くみも伝令もいつも一緒だった仲良しのウタ子さんのおなかから内臓が飛び出していた。
「しっかりして。今軍医が見てくれるからね、大丈夫だよ」。そう励ますと、ウタ子さんは苦しみながら「私はもう助からないから、他の人を先にして」。最後の言葉は「天皇陛下万歳」だった。
◆「殺してください」と懇願
翌18日の晩、淑子さんたち学徒隊に解散命令が下り、米軍が包囲する戦場に放り出された。死ぬなら「即死で」と願った。動員の日にリュックに入れた辞典と日記帳は、手元にもうなかった。
逃げ惑う中、米軍の機銃掃射の弾が当たり、歩けなくなった。敵に捕まれば、恐ろしい目に遭う。「自決」を望み、そばにいた日本兵に「殺してください」と頼みもした。それでも、生き延びた。
淑子さんら「ひめゆり学徒隊」240人のうち、犠牲者は136人に上る。重傷で歩けない友達を壕に残してしまったこと。行方が分からないままの友達のこと。考えると申し訳なくて、戦後も長らく体験を語れなかった。
まさか、友達や先生が死んでいくなんて。まさか勉強ができなくなるなんて。「ただラジオから流れるものを信じていました。戦争は遠い所にあるものだと思っていました」。気付いた時には、日常全てが奪われていた。 >>1
このスレタイ見たことある
お前の持ちネタか?w
1つの校舎に2つの学校が併設
なにこのアニオタの好きそうな設定
名前の「ひめゆり」とは花の「ひめゆり」ではなく、沖縄県立第一高等女学校(一高女)の学校広報誌の名前「乙姫」と沖縄師範学校女子部の学校広報誌の名前「白百合」を併せて「姫百合」という名称が由来である。
元々は安里川にかかる粗末な橋から転落死した一高女生徒を悼み、昭和初期に安全な橋に掛け替えられた橋に「姫百合橋」と名付けたことが起源で[3]、
1940年代には女師および一高女の学舎が「ひめゆり学舎」と呼ばれるなど、両校の通称として「姫百合」の名が定着していたようである。
母体となった沖縄県女子師範学校(女師/1943年4月に師範学校教育令の改正に伴って沖縄師範学校女子部へ改組)と沖縄県立第一高等女学校(一高女)は、設立当時の沖縄県の財政事情から併設校とされ、
校長および一部の教師は兼任であった(西岡一義師範学校女子部長は一高校長)[2]。
そのため、校名は異なるものの、実質的には一つの学校に近いものであったという。 これ今でも教科書に載っているだろうから、
教科書に目を通さないボンクラと指定の教科書を使わない朝鮮人しかビビらないんじゃね。 >>22
戦地には写真も持っていけなかったから、好きだった
女の名前を紙に書いて、それを見ながら抜いた人もいたらしい 萌えキャラが砲撃や機銃掃射で肉片になったり
米兵に輪姦されてから射殺されたり
そんなん観たいか? 片渕須直監督でアニメ化してほしいな
ミリオタ萌死ぬくらいの描写してくれそう 戦争は悲惨、っていうイメージの植え付けが気に入らない まどマギコースだと思ったらパヨク思想バリバリの極左だったってこと? なんだっけな
堺雅人主演で、終戦時目を離した隙にセーラー服着た女学生十数人が洞窟内で服毒自殺
セーラー服着た白骨が座っている場面でエンディングって映画があったな
堺のニヤケ顔で悲劇にも緊迫感も何も無かった >>38
それだ!ありがとう
劇場に足を運んだ映画は大抵ソフトもう買うのに
これは買う気にならなかったから忘れてた
>>30
ひめゆりどう?って企画が流れてきたけど耐えられないと断ったらしいよ。 軍人としてアジアに出征した爺さんは
戦争を一言も語らず逝った
小学校の宿題で戦争体験を聞くというのがあったが、とても聞けなかった
婆さんに聞くと、部下を失ったりしたのよと、
ただそれだけで、むやみに聞いては行けないと悟ったよ
語り部は自由だけど偏った商売にすんな >>44
そっかー、それは残念だ
片渕監督ならさぞ丹念に調べて
沖縄戦やその当時の風俗など
後世に残せる資料にもなったろうにな
当事者が存命なうちに、誰かやってくれんだろうか? ひめゆりの塔ってまじでトラウマ残るわ
若い子がラグビーのスクラム見たいの組んで
手榴弾でぶっ飛ぶシーンとか
海岸をバイクで逃げてて爆撃されるのとかまだ覚えてるわ 聖地巡礼とか言って摩文仁の丘にばっちい奴らが押し寄せてくるのか・・・ まぁ、戦争体験が薄れてきて飯が食えなくなってきたから
またイメージ植え付けないといけないからな 姫有裏の塔
姫が幽閉された、裏結社が支配する巨塔!
各フロアに中ボス、ボスが存在し、最上階まで辿り着けたものは皆無! >>1
はい、車カス連呼キチガイ
お前が爆撃されて内臓飛び出させて死ねば良いのに 左翼の笑いどころが良く分からん
頭悪いんだろうなあ 銀英伝の戦闘シーンで大破した帝国軍の艦の中で兵士が、ママーって叫びながら腹わたを引きずって這いずるシーンは衝撃だった アメリカ許せねえ・・・あとコリアンも・・・(ワナワナ >>59
だからどうしたってことだよ。戦いなんて隣り合ってる地域で始まるもんなんだ。 >>32
全滅→玉砕、敗退→転進などと言い換えて
美化するようなのが好むタイプか 何番煎じだよってぐらい古い発想だよな
ヲタほど冷めた目で見るわ >>62
エリートヤンキー三郎ネタなんて分かるかよw >>59
総統代行がこんなワクワクするような言葉の羅列を聴いたら即開戦してしまうだろ 姫百合橋ってそんな由来だったのかwww
全然知らんかったわ、まああそこは落ちたら死ぬかもな。 >>46
自分の死んだジイさんもそうだったなー
穏やかで優しい人だったけど脳梗塞で倒れて寝たきりになってから、戦時中のフラッシュバックで夜中に叫ぶ事が増えたって聞いていたたまれなかった 戦争をリアルに体験できる装置を開発
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利用者がPTSDに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています