太平洋戦争で戦場となり、約1万人の日本兵が戦死したパラオ・ペリリュー島から生還した永井敬司さん(98)=茨城町=が4日朝、入院先の同町内の病院で、S状結腸がんで死去した。
令和まで生き抜いた数少ない戦争の語り手が世を去り、関係者からは惜しむ声が聞かれた。

永井さんは笠間市出身。水戸市に拠点を置く陸軍歩兵第二連隊の軍曹で、太平洋戦争中にペリリュー島で米軍と戦った。
敗戦後も33人の仲間と島の洞窟に潜み続け、1947年5月に帰還。戦後は茨城町内で和菓子屋を営んだ。

44年9月から約2カ月にわたるペリリュー島の戦闘では、日米合わせて約1万2千人が死亡したとされる。
資料や生存者の少なさから語られる機会が少なく、長く「忘れられた戦場」とされてきた。

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