疎開の村正の輝き再び 桑名宗社で特別公開
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太平洋戦争末期、桑名市本町の神社・桑名宗社が神宝として受け継ぐ名刀「村正」と「正重」計四振りを戦災から守ろうと刀身を漆で保護して疎開させた。
刀は無事戦後を迎え、そのままの姿で市博物館に預けられたが、このほど二振りの漆が取り除かれ、研師らの絶妙な技で本来の輝きを取り戻した。二十〜二十二日、境内で四振りとも特別公開される。
村正は、伊勢国桑名を拠点に室町時代から数代続いた刀鍛冶の名跡。江戸時代には「妖刀」の迷信が付きまとい、刀剣愛好家の間で高い知名度を誇る。正重は村正の後継「千子派」の中核として活躍した。
四振りのうち、村正二振りは室町後期の天文十二(一五四三)年の制作年が刻まれ、刃長がいずれも約七十六センチと現存する中では数少ない長刀。正重二振りはそれぞれ刃長が約七十五センチで、江戸中期の寛文元(一六六一)年、二年の制作年が入る。四振りとも、作者名とともに「勢州桑名」と刻まれているのもポイントだ。
これらを日本の敗戦直前に疎開させたのが、桑名宗社の宮司不破義人さんの祖父で、七十四年前に神職を務めていた義幹さん。
適切な管理ができなくなると予想し、刀身が空気に触れないよう漆を塗って近郊に住む知人に託した。社殿は六百人以上が犠牲となった桑名空襲で全焼したが、刀は生き延び、復興が進む境内へ帰還。一九七一年に市博物館の前身が開設されると、ほどなく寄託された。