曹操墓出土の鏡、邪馬台国時代の九州大分出土の鏡と「酷似」中国の研究者が発表 これで決着だな!
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曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」 中国の研究者発表
2019年9月8日08時00分
中国の三国志時代の英雄で、魏の礎を築いた曹操(155〜220)。
その墓から出土した鏡が、大分県日田市の古墳から戦前に
出土したとされる重要文化財の鏡と「酷似」していることがわかった。
中国の河南省安陽市にある曹操の墓「曹操高陵」を発掘した
河南省文物考古研究院の潘偉斌研究員が、東京国立博物館で開催中の
「三国志」展(16日まで)に関連した学術交流団座談会で明らかにした。
2008年から行われた発掘で見つかったが鉄製でさびがひどく、
文様などはよくわかっていなかった。
同研究院でX線を使って調査したところ、表面に金で文様が象嵌(ぞうがん)され、
貴石などもちりばめられていることがわかった。
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20190907001638_commL.jpg
潘研究員は「日本の日田市で見つかったという鏡
『金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)』
とほぼ同型式である可能性が高い」と話す。
金銀錯嵌珠龍文鏡は、1933(昭和8)年に鉄道の線路工事の際に見つかったといわれ、
考古学者の梅原末治によって1963年に報告された。翌64年に重文に指定されている。
邪馬台国の女王・卑弥呼に贈られたとみて、「邪馬台国九州説」を補強する材料の一つと考える研究者もいた。
https://www.asahi.com/articles/ASM9705QTM96ULZU012.html 何が決着したんだよハゲ
邪馬台国なんて弱小勢力どうでもいいわ 邪馬台国は当時日本にたくさんあった国の一つに過ぎん 邪馬台国の勢力圏が畿内から九州にかけて広がってたわけだな(´・ω・`) そもそも宮崎に高天原ってあるじゃん
宮崎から船に乗って和歌山に移動してきたんだよ そんな事より卑弥呼が美人だったのかブスだったのか解析はよ 蒼天航路から三国志入ったから
曹操が悪者の風潮だったっていうのびっくりしたわ >>22
日本神話の山の神はブス子だったんだから推して知るべし お屠蘇って料理も酷い名前だよな
滅ぼした敵がかつてどんだけ憎かったにせよ、
縁起物の料理にこの名前つけるかと。 ヤマト朝廷成立前から日本にいた部族はむちゃくちゃ仲が悪かったんだろうと思う 俺が4半世紀前にみた日本の歴史漫画では、それまで百発百中で占い的中させてきた卑弥呼だったが
ついにハズレて他国との戦争に負けて、責任とって海の沖のほうに歩いていく入水自殺やってた 邪馬台国って魏志倭人伝だけの一発屋だろ
どうでもいいわ 邪馬台国は大分だったのか
宮崎だったら、天皇家とつながるのに 各部族を和解させるのにむちゃくちゃ神経を使った痕跡が国名その他から窺えるけど
たぶん和解させるのには失敗している >>23
俺の中では董卓も絶対悪ではないと思ってる >>1
つまり韓国起源が証明されたわけですね?
証拠の提出ありがとうございました >>1
>鉄道の線路工事の際に見つかったといわれ
こういう曖昧な表現されると
神の手のせいで、うさんくせーと思っちゃうな >>47
しかも資料が残ってなくて、正確な場所が解りません アイヌが駆逐されてしなちょんとツングースがのさばった結果、
生れたのが平安美人だからな
現在とはだいぶん美的感覚が違うかも 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(復元)は銅鏡と比べると物凄くきれい
銅鏡百枚より遥かに価値がある特別な物に見える 当時は、日本国内もいろいろ王朝みたいなのがあったのだろうなあぁ
その一つが九州に一大勢力としてあったと >>23
蒼天航路では、曹操の徐州虐殺やってないの? >>53
それはそう、銅鏡百枚は砂型に青銅を流し込んだだけの大量生産品
コレは、窪みに金や銀をはめ込んだ特注品・王侯貴族しか所有できないもの アイヌとツングースって鎌倉時代ぐらいになってもまだ
元を巻き込んで戦争やってたらしいからな
北海道とかで
それがのちの元冦の原因になった >>55
やってる。死体が河を塞き止めててそれを見た関羽さんが赤い顔を更に真っ赤にさせて怒ってた これは数年前に奈良から盗まれたものだ!
って云うのかなー >>59
ショタっ子の孔明が初登場したのその時だっけ? >>55
たぶん演義での悪行は大体出てるんじゃないかな
荀ケ空弁当事件もやったし
あの演出は上手かった >>27
遺物からは2〜3世紀頃九州にあった集団と畿内にあった集団との貿易が推測されてる
魏志倭人伝には倭国大乱の記述があるけど大規模な戦闘跡ってのは実のところ今んとこ見つかってない 当時の九州と近畿の関係は京都と東京みたいなもんだろう >>2
邪馬台を中国人が読んで発音とすると、
「ヤマト」となるのは本当ですか? 邪馬台国は九州
天孫降臨は宮崎
維新は鹿児島
九州最強だな 中国、チョンの発表は全て自国にとって都合がいいだけの捏造でこじつけなだけ。 >>69
試しに聞いてみたら「シャマタイ」って言われた
多分北京語話者 卑弥呼の次代に幼女イヨが後継者になったけど、荒くれの京都大阪の部族が滅ぼした >>74
上古音と現行普通話はまるっきり別の発音やからなあ
それに上古音は研究者によって説が違うってくらい再建が進んでないし 卑弥呼って、諸葛孔明とか司馬懿仲達あたりと年齢変わらんだろ。 あの時代の後に関西に移動していったから、そりゃ九州だろうよ 九州説は古事記とも一致するな
古代の近畿の地形も合わせ見れば
東遷・・ >>82
・諸葛亮が死んだので蜀軍が本国に帰る
↓
・それまで防衛のため西に貼りついていた魏軍に余裕ができる
↓
・朝鮮半島北部を支配する公孫淵に魏が派兵して滅ぼす
↓
・卑弥呼が魏に難升米を使わす そもそもあの時代の中国から見た「倭」というのは九州北部のことで
近畿はまだまだわずかな土人がいたかどうか >>85
呂伯奢の一件は、演義の創作なんじゃぁ... そもそも邪馬台国なんてあるわけ無いだろ
卑弥呼だっているわけない
ほんとにあったらもっと伝承が残ってるはず
なんでシナの文献だけにしか残ってないんだよ 関東以南が全部邪馬台国支配下地域。
九州説近畿説そのものがナンセンスだろ。
その当時、首都なんて考えかたなんて無いから。 >>87
同時期畿内に大規模集落があったことはもう確定しとる
当時の中国にとっての倭ってのはざっくり朝鮮半島南端から東全部のことだ
中近世ヨーロッパにとっての「トルコ」がバルカン半島南部からざっくり東全部だったのと同じ 全然関係ないけどインドネシアにジャワ島ってのがあったな
なんとなく思い出した 魏がケツ持ちになってくれて強くなったから、東のほうまで行けるようになった、とか? > 卑弥呼が魏に難升米を使わす
この行動の必然性って何だったんだろうか?そして中国大陸で大規模な戦乱がほぼ終結して
安定期に入ろうとしていたことを、どういう手段で知ったのだろうか?
卑弥呼の所在地を北九州のしかも大分方面というのは昔から言われてきた話ではある。
ただ、風俗を描いたくだりが北九州というよりも南九州以南の沖縄を含む南西諸島を思わせる。 >>91
そう、韓国からも縄文式土器は出るし、前方後円墳もある。
濊族や奇譚人が南下するまでは、朝鮮半島から日本の関東かたりまでが、倭人の地域。 >>77
>現存する三国志の版本では「邪馬壹國」(新字体:邪馬壱国)と表記されているが、
>晩唐以降の写本で誤写が生じたものとするのが通説である
>(台の旧字体「臺」は壱の旧字体「壹」と似ているため。また誤写ではないとする異論がある)。
>現代人の著作の多くは、それぞれ「壱」「台」で代用しているので、本項でも「邪馬台国」と表記する。
旧字の壹で邪馬壹を読ませるとチェンマイ
邪馬台だとシェンマーティみたくなる 邪馬台国の一般的イメージ
8(・ω・)8 卑弥呼さまー ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています