曹操墓出土の鏡、邪馬台国時代の九州大分出土の鏡と「酷似」中国の研究者が発表 これで決着だな!
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曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」 中国の研究者発表
2019年9月8日08時00分
中国の三国志時代の英雄で、魏の礎を築いた曹操(155〜220)。
その墓から出土した鏡が、大分県日田市の古墳から戦前に
出土したとされる重要文化財の鏡と「酷似」していることがわかった。
中国の河南省安陽市にある曹操の墓「曹操高陵」を発掘した
河南省文物考古研究院の潘偉斌研究員が、東京国立博物館で開催中の
「三国志」展(16日まで)に関連した学術交流団座談会で明らかにした。
2008年から行われた発掘で見つかったが鉄製でさびがひどく、
文様などはよくわかっていなかった。
同研究院でX線を使って調査したところ、表面に金で文様が象嵌(ぞうがん)され、
貴石などもちりばめられていることがわかった。
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20190907001638_commL.jpg
潘研究員は「日本の日田市で見つかったという鏡
『金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)』
とほぼ同型式である可能性が高い」と話す。
金銀錯嵌珠龍文鏡は、1933(昭和8)年に鉄道の線路工事の際に見つかったといわれ、
考古学者の梅原末治によって1963年に報告された。翌64年に重文に指定されている。
邪馬台国の女王・卑弥呼に贈られたとみて、「邪馬台国九州説」を補強する材料の一つと考える研究者もいた。
https://www.asahi.com/articles/ASM9705QTM96ULZU012.html 何が決着したんだよハゲ
邪馬台国なんて弱小勢力どうでもいいわ 邪馬台国は当時日本にたくさんあった国の一つに過ぎん 邪馬台国の勢力圏が畿内から九州にかけて広がってたわけだな(´・ω・`) そもそも宮崎に高天原ってあるじゃん
宮崎から船に乗って和歌山に移動してきたんだよ そんな事より卑弥呼が美人だったのかブスだったのか解析はよ 蒼天航路から三国志入ったから
曹操が悪者の風潮だったっていうのびっくりしたわ >>22
日本神話の山の神はブス子だったんだから推して知るべし お屠蘇って料理も酷い名前だよな
滅ぼした敵がかつてどんだけ憎かったにせよ、
縁起物の料理にこの名前つけるかと。 ヤマト朝廷成立前から日本にいた部族はむちゃくちゃ仲が悪かったんだろうと思う 俺が4半世紀前にみた日本の歴史漫画では、それまで百発百中で占い的中させてきた卑弥呼だったが
ついにハズレて他国との戦争に負けて、責任とって海の沖のほうに歩いていく入水自殺やってた 邪馬台国って魏志倭人伝だけの一発屋だろ
どうでもいいわ 邪馬台国は大分だったのか
宮崎だったら、天皇家とつながるのに 各部族を和解させるのにむちゃくちゃ神経を使った痕跡が国名その他から窺えるけど
たぶん和解させるのには失敗している >>23
俺の中では董卓も絶対悪ではないと思ってる >>1
つまり韓国起源が証明されたわけですね?
証拠の提出ありがとうございました >>1
>鉄道の線路工事の際に見つかったといわれ
こういう曖昧な表現されると
神の手のせいで、うさんくせーと思っちゃうな >>47
しかも資料が残ってなくて、正確な場所が解りません アイヌが駆逐されてしなちょんとツングースがのさばった結果、
生れたのが平安美人だからな
現在とはだいぶん美的感覚が違うかも 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(復元)は銅鏡と比べると物凄くきれい
銅鏡百枚より遥かに価値がある特別な物に見える 当時は、日本国内もいろいろ王朝みたいなのがあったのだろうなあぁ
その一つが九州に一大勢力としてあったと >>23
蒼天航路では、曹操の徐州虐殺やってないの? >>53
それはそう、銅鏡百枚は砂型に青銅を流し込んだだけの大量生産品
コレは、窪みに金や銀をはめ込んだ特注品・王侯貴族しか所有できないもの アイヌとツングースって鎌倉時代ぐらいになってもまだ
元を巻き込んで戦争やってたらしいからな
北海道とかで
それがのちの元冦の原因になった >>55
やってる。死体が河を塞き止めててそれを見た関羽さんが赤い顔を更に真っ赤にさせて怒ってた これは数年前に奈良から盗まれたものだ!
って云うのかなー >>59
ショタっ子の孔明が初登場したのその時だっけ? >>55
たぶん演義での悪行は大体出てるんじゃないかな
荀ケ空弁当事件もやったし
あの演出は上手かった >>27
遺物からは2〜3世紀頃九州にあった集団と畿内にあった集団との貿易が推測されてる
魏志倭人伝には倭国大乱の記述があるけど大規模な戦闘跡ってのは実のところ今んとこ見つかってない 当時の九州と近畿の関係は京都と東京みたいなもんだろう >>2
邪馬台を中国人が読んで発音とすると、
「ヤマト」となるのは本当ですか? 邪馬台国は九州
天孫降臨は宮崎
維新は鹿児島
九州最強だな 中国、チョンの発表は全て自国にとって都合がいいだけの捏造でこじつけなだけ。 >>69
試しに聞いてみたら「シャマタイ」って言われた
多分北京語話者 卑弥呼の次代に幼女イヨが後継者になったけど、荒くれの京都大阪の部族が滅ぼした >>74
上古音と現行普通話はまるっきり別の発音やからなあ
それに上古音は研究者によって説が違うってくらい再建が進んでないし 卑弥呼って、諸葛孔明とか司馬懿仲達あたりと年齢変わらんだろ。 あの時代の後に関西に移動していったから、そりゃ九州だろうよ 九州説は古事記とも一致するな
古代の近畿の地形も合わせ見れば
東遷・・ >>82
・諸葛亮が死んだので蜀軍が本国に帰る
↓
・それまで防衛のため西に貼りついていた魏軍に余裕ができる
↓
・朝鮮半島北部を支配する公孫淵に魏が派兵して滅ぼす
↓
・卑弥呼が魏に難升米を使わす そもそもあの時代の中国から見た「倭」というのは九州北部のことで
近畿はまだまだわずかな土人がいたかどうか >>85
呂伯奢の一件は、演義の創作なんじゃぁ... そもそも邪馬台国なんてあるわけ無いだろ
卑弥呼だっているわけない
ほんとにあったらもっと伝承が残ってるはず
なんでシナの文献だけにしか残ってないんだよ 関東以南が全部邪馬台国支配下地域。
九州説近畿説そのものがナンセンスだろ。
その当時、首都なんて考えかたなんて無いから。 >>87
同時期畿内に大規模集落があったことはもう確定しとる
当時の中国にとっての倭ってのはざっくり朝鮮半島南端から東全部のことだ
中近世ヨーロッパにとっての「トルコ」がバルカン半島南部からざっくり東全部だったのと同じ 全然関係ないけどインドネシアにジャワ島ってのがあったな
なんとなく思い出した 魏がケツ持ちになってくれて強くなったから、東のほうまで行けるようになった、とか? > 卑弥呼が魏に難升米を使わす
この行動の必然性って何だったんだろうか?そして中国大陸で大規模な戦乱がほぼ終結して
安定期に入ろうとしていたことを、どういう手段で知ったのだろうか?
卑弥呼の所在地を北九州のしかも大分方面というのは昔から言われてきた話ではある。
ただ、風俗を描いたくだりが北九州というよりも南九州以南の沖縄を含む南西諸島を思わせる。 >>91
そう、韓国からも縄文式土器は出るし、前方後円墳もある。
濊族や奇譚人が南下するまでは、朝鮮半島から日本の関東かたりまでが、倭人の地域。 >>77
>現存する三国志の版本では「邪馬壹國」(新字体:邪馬壱国)と表記されているが、
>晩唐以降の写本で誤写が生じたものとするのが通説である
>(台の旧字体「臺」は壱の旧字体「壹」と似ているため。また誤写ではないとする異論がある)。
>現代人の著作の多くは、それぞれ「壱」「台」で代用しているので、本項でも「邪馬台国」と表記する。
旧字の壹で邪馬壹を読ませるとチェンマイ
邪馬台だとシェンマーティみたくなる 邪馬台国の一般的イメージ
8(・ω・)8 卑弥呼さまー 大分で作った鏡が曹操の墓に入ってたのか?そんなわけないだろ
曹操の時代に魏が作ってた鏡が大分でも出土したってだけなら、日本のどこでも出るようなものだろ >>17
そういうこと
愛知県から九州までの範囲が当時の倭国 /__.))ノヽ
.|ミ.l _ ._ i.)
(^'ミ/.´・ .〈・ リ
.しi r、_) | わしが埋めておいた
| `ニニ' /
ノ `ー―i´ 邪馬台国からの使者の民族が途中で入れ替わってる疑惑も持たれてたしな >>103
静岡の西部も入ってるだろ
銅鐸文化圏だったし
ヤマトタケルの時代になって
敵対していた焼津や草薙以東を制圧したんだわ >>106
古代の天皇の近衛兵は久米部という
日本語で「め」と「ま」はほぼ同意で表現によって変わるだけ
久米部が隈部、熊部であったとしてもおかしくない >>96
当時、司馬氏の政敵である曹真がインドのクシャーナ朝を朝貢させることに
成功した為、それに対抗する手段が倭の朝貢だったのだと思う
(日本は弱小だけど、海を越えてやってくることがインパクトでかい)
もちろん邪馬台国側にも後ろ盾ができるのは、外交上有利という思惑もあった ヤマトと思ってたのがチェンマイやジャワ島だったらどうする
ヒミコは日本語っぽいけど あっち系の民族が北九州にも住んでた可能性はそこそこ高いよね >>89
当時のジャップランドには文字文明がなかったからねw 東南アジアの各民族も中国本土からばらけて移住してったやつだから >>114
南九州と大和は瀬戸内海や黒潮で直結していたとして、福岡などの北部九州には朝鮮半島やそれと結ぶ勢力がいくらかいたかもしれない
その場合、大和南九州同盟勢力と北九州勢力の境界線が大分県あたり >>113
これはありえるよなあ、南国感半端ないし 大分だって宇佐があるし
鏡くらい持っててもおかしくないだろ 邪馬台国の気候もどう考えても九州近畿とは違うんだよな
最低でも沖縄以南
近畿なんか冬は平安貴族の女房が寒気のつらさを書き連ねるほどの寒さなんだから
冬でも暖かく裸足で野菜が取れる場所なわけがない
九州も同様。
魏や漢の鏡や金印あっても別口でもらった別国である可能性が高い >>118
日田は北部九州勢力を抑える為の強力なクサビとして理想的な位置と地形だしな。 >>96
>安定期に入ろうとしていたことを、どういう手段で知ったのだろうか?
たぶん、司馬氏が意図的に日本の伊都国まできて情報をリークしている
じゃないと、公孫氏が滅んで半年後に朝貢するなんて無理 >>116
現用の地球上の文字のほぼ全てが借用乃至改変であることを知らない無知無教養
古代に発生した場所で曲がりなりにも発生した形のまま使われてるのなんて唯一漢字だけ そもそも、邪馬台国ってそんなに重要なのかな?
魏志倭人伝が女国王だから称賛して書いただけであって、
おそらく、このころ九州海岸全土に小さな国がいくつもあって、その中の一つなだけで
それ以上でもそれ以下でもない感じがするな
邪馬台国探しをするよりも、別な視点で考えたほうがいいような
って、歴史を知らない私は思う 何かの漫画で読んだ説が有力だろ
大和朝廷は宮崎にあったが阿蘇山の噴火を恐れて火山がない近畿へ大移動した 邪馬台国オタが旧唐書を無視するのはなぜ?
邪馬台国を含む倭国が今の九州で、日本が本州の西側と四国ってはっきり書いてあるから? サビッサビで判らんな
ようつべに何でもピッカピカに磨き上げる奴いたろ
あいつに鏡面仕上げにしてもらえ 出土状況が怪しいというか、実際は違う場所で出土した可能性が極めて高いから
これを根拠にするのは厳しい 韓国の学者が意地でも認めないけど
朝鮮南部って完全に倭人国家あったよな >>46
事実上は曹芳の時代
難升米が洛陽に来たのが239年1月だが
曹叡も同月に崩御している
曹叡は正月に危篤になっているので
少なくとも直接の謁見は不可能だったと思われる
そう考えると実際に応対に当たったのは実は司馬懿だった可能性が高い >>118
なんで頑なに朝鮮半島以外の民族を眼中に入れないようにしているの
どう見たって寒冷な日本海の荒波を渡るより
沖縄台湾中国のほうが温暖で波も低くて近いし簡単に渡れる 卑弥呼の墓が箸墓である事だけは絶対にない
おまえら騙されるなよ 絶対にないから >>133
1枚しか出土してないのか?それならだいぶ怪しいな
記事中でもそこは断言してないし
金銀錯嵌珠龍文鏡は、1933(昭和8)年に鉄道の線路工事の際に見つかったといわれ、 曹操の墓といえば、白磁の起源を一気に遡るあの白磁が出てきたことの方がミステリーやろ
あれどこで作られたんや >白磁
生物分野でいうコンタミってやつだ
後から持ち込んだ >>128
本来の九州説はそういうニュアンスだと思う >>121
鉄鏡というのが重要。
日本に製鉄技術が伝わるのは600年頃。
発掘鉄鏡は200年頃。
中国の帝と誰が国交をやっていたのかの証になる。 >>122
当時と今と気候一緒なわけないじゃない
生きてるこの短い期間でも暑くなったり寒くなったりしてるのに
平安から邪馬台国あった年代までどれだけ離れてるのかと バカチョン「百済から強奪されたものニダ!!返還と謝罪と賠償を求めるニダ!!」 >>116
硯もめっかってるだろバカ?高麗棒子?
檄文もらってるのに文盲? 九州から奈良に遷都?したなら、何かしら伝承や文献が残っててもおかしくないと思うんだけどな〜。 >>161
さっき日本人とミャオ族だかブータン人が似てるスレ見たからか
そうであって欲しくなった かの鉄鏡が卑弥呼のものだという確証が得られたとしたら、むしろ九州説は瓦解するのです。 邪馬台国の場所なんてどーでもいい。
それより瓜生島が実在してたのかが気になる 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡
> ttp://www.netpia.jp/history/kagami.htm
> 日田は以前は日向(ひむか)という地名で古代より太陽信仰がおこなわれて
日向が北九州にあると歴史の読み方が変わってくるかも
それにしても綺麗な鏡だな >>138
朝鮮半島から対馬に渡って壱岐に行き佐賀県唐津市に渡ってくるってルートが一番生存率が高かったんだが
東シナ海よりもな 邪馬台国があったのは愛知県岩倉市東町掛目188-1 最近青森の遺跡から縄文文明はエジプトより古い文明の可能性が出てきた これ畿内から出たら証拠が出たと相当騒ぎ立てるんだろうけどね >>1
何が決着なんだ?
九州は邪馬台国への通過点なんだから
何らかの理由で外来モンが有ったって
不思議じゃないだろw 大分とか宮崎ってなんかすごい神話の世界の空気残ってるよな。ちょっと待てよって言いたくなる。 >>98
あいつらは都合の悪い事実だから日本式の古墳は潰して埋めた >>187
時期による
古代は税の流れ(土器の移動)が畿内から九州北部への流入と、中国地方から宮崎へ流入の2ルートある
つまり九州北部と宮崎は徴税する側だった
YouTubeにそれの流れを視覚化した動画あって分かりやすい >>10
曹操がじつは女で卑弥呼だった!
これで漫画描けそう >>187
曹操の墓から出た鏡と同じものがそうそう出てくる訳無いだろ >>194
仮にそうだったとしても1品だけw
それこそ、そうそうないわ
おかしすぎるでしょ 伊都国の関係者ってだけだろこれ
伊都国は邪馬台国の出先機関 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%8A%80%E9%8C%AF%E5%B5%8C%E7%8F%A0%E9%BE%8D%E6%96%87%E9%89%84%E9%8F%A1
このような希少な鉄鏡がなぜ日田で出土したのかは不明であり、様々な仮説が唱えられている。九州国立博物館の河野一隆・
文化財課長は、伊都国との争いに敗れた奴国の王族が、王権を象徴する物品が伊都国の手に渡らないように、漢委奴国王印を
志賀島に埋納する一方、この鉄鏡や同じく日田市で発見された金錯鉄帯鉤を日田に持ち込み埋納したとする仮説を提唱している
奴国だわ >>180
『照姫』伝説!
あれは本当は古代の言い伝えだったのか!? 至對馬國から至末廬國までは疑いの余地がない対馬と松浦(肥前国つまり佐賀か長崎県の松浦
到伊都國は普通に考えて福岡県の糸島半島だろ
東南至奴國百里ならそこは博多から太宰府大野城の一帯、地名に「なの津」まで残ってる
東行至不彌國百里は飯塚市かな
とすれば
南至邪馬壹國は遠賀川水系をさかのぼった日田あたりだろう >>201
じゃあ東行至不彌國百里は豊前小倉か行橋だな
豊後水道を南に行けばどちらにしろヒムカだ >>193
さんざっぱら女人化されとるやんけ
それも三国志丸ごと 大事な1枚が出たんだから確定臭いな
銅鏡なら1枚下賜したで通るけど 豊のクニの行橋京都郡はなんらかの謎があるだろうな。
景行天皇の行宮とかそれ以外に。
日田も近いよ。 というわけで邪馬台国論争は九州で決着おしまい
畿内説はゴールを動かしようなことは韓国人みたいなこと言ってないでね 日田の鏡は発見者が古美術商から買ったって記事があるぞ じゃあ邪馬台国から一歩も出てない九州人はアフリカの土人と同レベルだと言うことだな 最初っから邪馬台国は九州説以外有りえない。
近畿説を唱えてる自称歴史学者どもは、ほぼ全員が、邪馬台国=ヤマト朝廷 って事にしたい皇国史観のアホどもw
実際は手塚治虫の「火の鳥」黎明編 みたいな展開だったんだよwww あれ?
こうなると今の皇族の血筋(系譜)の正当性が…。
今の皇族って、近畿説を前提として繋がっているんでしょ? >>190
箸墓古墳のあの地域に静岡?から九州まで広い範囲の土器が見つかってるとかNHKでやてたぞ 邪馬台国と皇族の繋がりなんて元から何の証拠もないぞ 朝貢して、使節はお宝を抱えて帰り道を行くわけだが、中央と同程度の力がある地方の王族、豪族の支配地域を通過する際には、お前にはあげられないって出来ないだろう?
一個二個と、配って近畿まで行ったんだよ。 にしても、先に日本で発見されていて、誰からも素性に文句がつけれないのがわらた >>211
それ反対だ!
皇国史観だったら邪馬台国は否定になるはな。
だって天皇家は南九州に降下した天の国の神の子孫で、神武が大和国を制圧したのは紀元前の話ってことになってるから。 >>207
面白いね。線路工事で日田の古墳を壊したら色々出てきた
価値がわからないまま小学校に展示していたら丸ごと盗まれた
奈良の骨董屋で「日田の出土品」として売られているのを
研究者が見つけて買い取った→土の分析で日田の物と確認された
一部復元作業をしたら綺麗な鉄鏡だった→文化財指定
同じ物が曹操の墓から見つかった←今ここ
卑弥呼の金印も何処かの骨董屋でゴミとして眠っているかも知れない >>211
むしろ本居宣長が九州説を流布したんだが?
天皇が朝貢してたなんて、そんなはずがない!九州にあったどこぞの勢力がしてたんだろ!って
それが今まで尾を引いてる NHKで8月3日にやってた三国志特番 昨日再放送してたけど、あれの中で曹操を悪者の中心みたいに出演者みんな言ってて
で、中国では英雄扱いされてるのを意外みたいに驚いてたくだりが有ったが、あれはねーだろw
三国志ってそもそも魏→晋を漢王朝からの正当王朝と見なしてる歴史書なんだし、その三国志や中国で魏王朝の開祖の
曹操が英雄扱いされてんのは当たり前だろw
曹操がラスボスみたいに描かれてんのは歴史書の三国志じゃなく、それから1000年くらい後に書かれた小説「三国志演義」だからなw バカかと思ったw >>219
出土地点はあやふやでも一応、日田の辺りとは認定されてる。
鉄の鏡は国内でコレ一枚しか出ていない。
しかも華麗なデザインでよくある鋳造製の銅鏡とは全く価値の違うもの。
鉄鏡については触れてないが中国文献に魏は卑弥呼に贈り物をしたと明記されてる。
考古学ファンにとっては知られてたそうだけど
ちょっと興味があるレベルでもこれは無茶苦茶気になる内容。 >>40
いやいや董卓が実はすごくいい奴だっら
もう三国志何も信じられなくなるだろ >>224
つーか、悪者とヒーローの区分けは三国志演義だろw 三国志じゃねーってのw >>225
いや、三国志と、三国志演義の違いは
分かるけとさ、曹操を善とした三国志はあれど
董卓のそれなんて一文足りとも存在する?? >>226
それが易姓革命って奴なのよ
中国では王朝が変わる時、変わったものは中国を支配する徳を持っているから変わったと肯定され、変わられたものは徳をなくしたから変わられたと定義される
あの国の歴史では悪い人間だけど中国を支配した奴ってのはいないし、善人だけど負けた奴もいない
全ては結果次第で後の人物評にバイアスかかりまくる
だから董卓みたいに一代で滅んだ人間は、同じようなことをしていてもことさら悪く書かれる >>230
また出てきた。異説古代史。
倭の五王や遣隋使も大和朝廷でなく九州王朝の出来事とかいうやつ。 卑弥呼は魏と取引する前、公孫氏勢力とは交流があって
魏が公孫氏を滅ぼした時にそこの公文書を押収していて
それに倭国に関する記述があったって本当? >>232
また適当なミスリードを誘おうとして
邪馬台国論争は四国には関係ないから
>>230をよく読みなさい
日本語わからないなら教えてあげるよ
それとも理解したうえで嘘も100回言えば真実になるとでも?
異説古代史とは邪馬台国四国説とか何でも韓国起源説みたいなのを言うんだよ 論争に中国の研究を取り入れるのは今後増えてくるだろうなw 邪馬台国を立候補している他の自治体からクレーム、
または何故か似たような鏡が出てくる……とか >>239
お前は、歴史習ってないのか
魏志倭人伝に出てくるのが邪馬台国
魏の国作ったのが曹操 `‐、ヽ.ゝ、_ _,,.. ‐'´ //l , ‐'´, ‐'`‐、\ |
ヽ、.三 ミニ、_ ___ _,. ‐'´//-─=====-、ヾ /ヽ く
,.‐'´ `''‐- 、._ヽ /.i ∠,. -─;==:- 、ゝ‐;----// ヾ.、
[ |、! /' ̄r'bゝ}二. {`´ '´__ (_Y_),. |.r-'‐┬‐l l⌒ | } 高千穂、宇佐、日田を結んでみろ
゙l |`} ..:ヽ--゙‐´リ ̄ヽd、 ''''  ̄ ̄ |l !ニ! !⌒ // わ
i.! l .::::: ソ;;:.. ヽ、._ _,ノ' ゞ)ノ./ その中心に何がある
` ー==--‐'´(__,. ..、  ̄ ̄ ̄ i/‐'/
i .:::ト、  ̄ ´ l、_/::| っ
! |: |
ヽ ー‐==:ニニニ⊃ !:: ト、 ! 上野で三国志展やってなかったけ?
銅鏡も展示されてたはず >>191
こういうやつが時々いるけど
「漢字の議論は全く意味がない」ことがわかってない。
この漢字はただの「発音に対する当て字」
邪馬台国を示す当時の発音が、漢字表記だとそうなっただけ。
問われるのは、その漢字が当時どのように発音されたか。
当時の発音では「ヤム(ン)ト」国となる。
つまり邪馬台国は自分たちを「ヤマト」と自称していたのが正解。 >>211
今の「邪馬台国=ヤマト朝廷」説では
九州に邪馬台国はあったになっている。
九州の邪馬台国が近畿に落ち延びてのちの大和朝廷となった。
九州と近畿の地名が同じなのも当然それが理由。 1.邪馬台国王統は大和朝廷よって滅ぼされた。
2.邪馬台国王統が東征し、畿内を平定、大和朝廷を確立した。
3.狗奴国が邪馬台国王統を滅ぼし、東征し、大和朝廷を確立した。 そもそもこれ曹操の墓なのか疑われてるんじゃないの?
曹操の墓なら于禁に命乞いする関羽の絵が描かれてるはずらしいし 邪馬台国が九州説だとしたら、魏志倭人伝に書かれている魏〜邪馬台国までの経路と
日数が合わないのは、どう解釈するの? 放射説を使えば合わないわけではないけど魏志倭人伝に書かれた工程から場所を特定するのは不可能 日本書紀や古事記に、神武天皇が九州の日向から近畿へ東征したことが記されている
日本書紀と古事記は、大和朝廷を讃える書なので、その創始者が滅ぼされた畿内出身であるはずがない >>96
数年前のスレに宇佐神宮が卑弥呼の墓説とかあったな >>187
鏡は当時としては貴重品だろ。
ただの通過点にそんなに貴重品があるとは思えないが? >>250
普通だったら直進したルートで日数を計算するけど、くねくね曲がりくねったルートだったんじゃね? >>250
単に速度が遅かったから。船の速度や山道の速度は大陸の平地を移動する速度よりも確実に遅くなるから。 >>178
文字もメタル製品も都市もないのに 文明を名乗ることに何の意味が? >>261
え?
そういうふうに考えたことはなかった
だったらすごいよな >>190
>中国地方から宮崎へ流入
神武東征の出発点が宮崎だから、
出雲の国譲りって実は宮崎と出雲の話であって、後の大和朝廷は関係なかった?
もしそう考えると日本書紀の方で出雲関連を削ってるのが自然だったり >>249
盗掘されてんだと
でも残されてた遺物の中に、遺品の説明書いてある小さな石版タグみたいなのあって
そこに魏の武王ってあって、あっ曹操やんてなったらしいよ >>266
魏武王(曹操)が戦の時携えていた大戟という札だな
副葬品には、その人にゆかりのあるものを入れるから 見つかった石牌8点に曹操って書いてあるんやから曹操の墓やろw >>249
早い時期に盗掘にあってるのと、中国のトレジャーハンター達がヤバイ
お宝探しの掲示板等で情報交換してて、ある墓石に「曹操の墓が近くにある」と書かれていたのを手掛かりに学者より先に盗掘団が見付けた
曹操の頭蓋骨の顔の部分は剥ぎ取られていた
唐の時代の貞順皇后の墓も盗掘団がダイナマイト使って盗掘して、ニューヨークの競売に出されていた(返還された) >>248の1だよ
邪馬台国は九州で、大和朝廷の発祥は近畿
近畿の大和朝廷が九州の邪馬台国を滅ぼした後、邪馬台国と中国との交流を継承する目的で邪馬台国を自称した その南に狗奴国あり。
男子を王となす、その官に狗古智卑狗あり。
女王に属さず。
(中略)その八年(正始8年)、太守王頎官に到る。
倭の女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓呼ともとより和せず、
倭の載斯・烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く。
『魏書』東夷伝
狗奴国は奴国にある程度近くにあり
北側(西側)に奴国がないと成立しない >>273
何で卑弥呼が天皇になるの?
天皇は大和朝廷の大王(の後の呼称)であって邪馬台国の首領のことでは無いよ 倭国と日の本(ヤマト王権、大和朝廷)は
別物と考えるべきだな 卑弥呼「ブルーダイヤ!」
曹操「金銀パールプレゼント!」 これは、可能性を示すだけで、正しい事実を示していない。
邪馬台国以外にも銅鏡を送った可能性がある。
卑弥呼と書かれた木簡の破片でも見つかれば まあ親魏倭王のお墨付きもらったのが卑弥呼だけみたいだし >>77
昔の中原は客家語らしいて聞いたことがある。 >>271
卑弥呼とされることもある神功皇后の逸話だけど、福岡の山門郡にいた土蜘蛛族の
女酋・タブラツヒメを討ったってあるんだよな。
討った神功皇后じゃなくて、討たれたタブラツヒメのほうが卑弥呼かその後継だったとか。 >>203
はああ??
曹操=卑弥呼の漫画なんてあるんなら言ってみろや糞馬鹿 >>282
神功皇后そのものは架空でも倭国軍が高句麗と死闘を繰り広げたのは史実で、
4世紀後半から5世記最初で卑弥呼とは時代が合わない。もちろんタブラツ姫とも。
タブラツ姫は女王が巫女もやってる邪馬台国系の勢力だと思う。
景行天皇の九州侵攻でも女リンダーの国を滅ぼしたとか降伏させたとかそんな話が多く出てくる。 >>272
これからして久那国は邪馬台国と同じ文化圏にありながら
それぞれの王が個人的には仲が悪いように読めるんだよな。
卑弥呼が北九州地方の各国から連合国の王として祭り上げられた時に
卑弥呼子はこれを認めず連合を離脱した感じで。 >>284
仲哀天皇、神功皇后については、福岡の香椎宮も遺ってるし、それに当たる人物はいたと思うけどな・・・
三韓征伐の年代については干支しかはっきりとは解ってないし。
普通言われてる通り四世紀半ばだとすれば、卑弥呼の時代から百年くらいしか経ってない。
「山門の土蜘蛛」が邪馬台国の少し後の姿ってことは有り得るだろ。
女王の兄弟が軍事を宰領していたと言うのもそれらしいと思う。 >>264
大国主命の息子である伊勢津彦が国譲りで伊勢を譲っている 神功の子供の「応神」には神の字が使われている
他に「神」が付くのは神武と崇神だけ
しかもこの二人は同一人物とも言われ外から来て国を始めた人
神功、応神とはいったい何処から来た誰なのか 4世紀の奈良の前方後円墳は任那じゃなく
5世紀のチョルラドで発見されてる
藤原鎌足は百済王、中大兄皇子は新羅
河内、摂津、泉は百済国
大化の改新で古代倭国は滅んだ >>288
現天皇家は継体天皇の系統だけど、
応神天皇系や崇神天皇系の王はどこにルーツがあるんだろうね? 安土桃山時代で50年の寿命なのに、
紀元前後で130まで生きるはずがない。
古事記日本書紀はファンタジー。ラノベ。 >>284
高句麗もやたらと息が長いよな。
最近、ブックオフで投げ売りされてたDVDで、大王四神紀買ったんだけど、韓国人の認識ではヨン様の広開土王 >>284
高句麗もやたらと息が長いよな。
最近、ブックオフで投げ売りされてたDVDで、大王四神紀買ったんだけど、韓国人の認識ではヨン様の広開土王が青州の青島半島まで支配してる。
どうなっとんのやろ? さっき+の同じスレ見たらこんなのあった
631 名無しさん@1周年[] 2019/09/09(月) 21:50:21.20 ID:r27kf74Z0
>>628
日本史板で見たが、実はヤマタノオロチ伝説って出雲国風土記には載ってないらしい
地元なのになぜ?というのは古代史の謎の一つ
ついでに言うと国譲り神話も載ってないらしい
> 649 :日本@名無史さん :2019/09/08(日) 22:01:02.95
> >>647
> 山鹿・菊池は怪しいねえ
> なんとスサノオのヤマタノオロチ退治の逸話がこのあたりにもあるらしい
> 実はヤマタノオロチ退治の逸話って地元のはずの出雲国風土記にはなぜか載ってないんだよね
> 本当はこの地域の話だったんじゃないか?
>
> https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12513375590.html
> >熊本県山鹿市菊池市一帯は「肥川 ひのかわ」と呼ばれる菊池川が流れ、八岐大蛇(やまたのおろち)神話の櫛稲田姫(くしなだひめ)生誕の
> >伝説の地・熊本県山鹿市に旧稲田村があります。櫛稲田姫の本来の名称は「稲田媛」。
>
> >福岡県高良大社の「高良玉垂宮神秘書」第1条に「ヤマタノオロチと天叢雲の剣」について古典的記載があります。 臨月近いハラボテのまんさんが
海を渡って熊襲に続いて百済、高句麗を征伐って
もうちょっとましな嘘つけよ
エベンキが 其餘旁國の一つやろな、たぶん。
狗奴國との戦争で邪馬台国に加担した見返りとしてもらったんかもしれん。 >>96
百済と交易しとったやろし、百済も大陸各地と交易しとったやろからちゃうか? >>138
台湾ー沖縄間、沖縄ー鹿児島間には対馬海流とは比べもんにならん黒潮があるため、
目的地に到着するためにはその流れより速く漕ぎ続けなければならない。
力尽きた時点でアメリカ行きがほぼ決定。
更に難しいのは高い山のない島だと近づかなければ場所が分からないので、
方向を間違える可能性が無視できない。
間違えればアメリカ行きがほぼ決定。 >>159
文献によれば神武の軍勢が日向から侵攻して橿原辺りで建国した。
考古学的には、弥生後期に奈良盆地の銅鐸文化圏が屈服、
2世紀の終わりには銅鐸文化圏全域が屈服し、
3世紀にその勢力圏は畿内やその周辺地域にまで及ぶようになった。
わかってんのはそのくらいちゃう? >>171
日向って東みたいな意味があったんじゃね?
九州北部主要地域の東の国を意味してたんかもしれんな。 >>190
それは税でなく、たぶんアウトソーシングの痕跡やで。
対価として米が九州から畿内に流れとったはずやと思うけど。 >>212
一部の学者が騒いでるだけで、天皇家は魏志倭人伝の記述を知ってるだけやろ。 >>230
Wikipediaによると朝廷は官僚組織をともなった政府および政権らしいので、
官僚組織と呼べるようなものが備わったのはおそらく雄略が呉に使いを送っていろんな見識を得、
少し後になるが百済からなんちゃら博士が来ていろいろ教えてもらった後だろうから、
それ以前は別の呼び方しといた方がいいんかもね。
むしろ九州側の方が朝廷と呼ぶにふさわしい政権だったかもしれんし。
後、大和側の政権を語る上では銅鐸文化圏の盛衰と関りについても触れといた方がいいだろうな。 >>256
邪馬台国に関しては7万戸を養える米所だったんだろうから、
場所がわかり難いよう回り道した可能性が高いだろうな。 >>258
農耕があって建造物を建てた集落に世代をまたいで定住してるような跡があったら、
それは原始文明扱いしてもいいと思うけどな。 >>312
原始人がいた痕跡ならエジプトより古いのがアフリカにありそうだけど >>285
倭国版南北戦争と言ったところなんやろな。
大和は何らかの形でこの戦争に介入し、九州北部勢力と有利な関係を築き、
朝鮮半島に足掛かりを得、鉄を入手しだしたと考えればいろいろとつじつま合うな。 >>314
狩猟生活じゃなく、農耕文明がなきゃ文明とは呼べんと思うけどね。 邪馬台国と大和朝廷は同じものだぞ
漢人が発音間違えた結果、邪馬台国になった しかし三国志時代に日本は邪馬台国時代か。
なんかピンとこんな。三国志時代に日本が戦国時代なら胸熱なんだがな。 >>319
それだと親魏倭王とか漢委奴国王印との整合性がとれない 九州勢力とヤマト勢力の話
600年に遣隋使を送ったらお前らは国の体をなしていない
トットと帰れと追い返された
それから慌てて聖徳太子が色々の決まりを定めて607年に再び遣隋使を送った
因みに600年の遣隋使は日本の歴史からは消えている
倭は紀元前から中国と交流があって卑弥呼や倭の五王の話もあるのに何故なのか
一節には600年までの大陸との交流は九州勢力であったと言う >>224
董卓の評価をするためには何進派の政治や袁隗を中心とした袁一族と袁一族の跳ねっ返り袁紹を密に評価せんと実像は出て来んのよね 九州北部は日本人奴隷貿易をしてたからお礼だろ
天孫は奴隷貿易を批判した勢力 邪馬台国論争とか金印のナノ国論争とか、あんなの有難がるってどういう事よ?
日本国の始まりをどうしても中華帝国の冊封体制下の属国だったってしたい反日勢力か?
あんなボケみたいなの学校教育でも禁止にして、古事記日本書紀の神話をしっかり教えろ >>320
今出てくる三国志の映像的資料はほぼ全てもっと新しい時代の影響受けてるものだからな
実際は武器も技術も千年以上前のものだから、戦国時代と並ぶレベルであるはずもない 董卓の暴虐非道って権力を握った中国人なら誰でもやりそうなところがなんとも・・・ 卑弥呼や倭の五王は記紀には無いんだわ
やはり中国に朝貢は不味いんだろ「日出ずる国でんでん」 それで志賀島の金印の加工の痕跡はあれからどうなった? >>178
縄文じゃなくて遼河文明だろあれ
中国東北部を本拠にするウラル系文明の植民都市
だから青森のあの辺だけY染色体ハプログループNが残っている >>47
工事中は見つからない方が嬉しい。遺跡と支援保存となると工事中の事業が中止になる >>90
隋の時代に“倭国の面積が広がっている”ので、
隋が倭国の使者へ不信感を抱いている
つまりそれ以前の(中国から見た)倭国は面積が小さかった そもそも邪馬台国が大和政権の前身でないと困る勢力は何が困るかわからん
中国様のお墨付きがいるってそれは中国の属国じゃまいか
邪馬台国近畿論者は日本が中国の属国だったことを望む売国奴 スレ全部読んだ。面白いわ
>>17
>>103
『隋書』以後はそう。でも以前の場合は、
魏志に「倭国の東に海があって、その向こうに別の倭種の国があるが、よく分からない」とある
>>110
神武東征を信じるなら故郷の者に自分の警護をさせた?
>>162
意味としてはそう書いてある。「昔の倭国とは違う人たちが来たっぽい」と疑われて、
倭国と日本国がそれぞれ別の国として書かれてしまっている
>>247>>248
そこに入っていないパターンとして、加治将一のNo2移住説がある
金正男みたいな故郷ではNo1にはなれない大物が新天地に次々に移住する
次々の部分が好き。日本中に同じような地名が無数にコピーされている
>>323
面白いなぁ。卑弥呼の時代よりも外交知識が退化していたってことだよな 魏の貴種がやって来たんだろうか
邪馬台国のケツ持ちが魏で、クナ国のケツ持ちが呉
クナ国の一族は太平洋沿いにいち早く進出し、クナ国の本体も東征してきた なるほど、クナコクがヤマト王権というのも面白いが
やはり鉄器を半島から持ち込んで、
銅器の邪馬台国を滅ぼしたのがヤマト王権だろうな
織田や徳川が鉄砲でクーデターを成功させたように 鉄器は、紀元前5世紀ごろ
弥生人と一緒に入ってきてますが やっぱり宇佐(神宮)説は正しかったか
境内の下に眠るという墓というか古墳を調査してみればいいのに >>342
伊勢神宮が出来た頃までは岐阜城近くまで伊勢湾が入り込んでおり、名古屋城のすぐ北や西の低地も海だったので、伊勢湾のことだと思う 大陸と国交のあった倭国の中の一国なのは間違い無いだろうさ >>327
武器や戦いは、たぶん三国志演義が成立した明代の感覚で書かれてるだろうな。
明の頃に、千年以上昔の三国時代の技術や戦術とか調べようもなかったろう。
実際は兵馬俑とかのほうが近かったんだろうな・・・ >>346
製造は6世紀の古墳時代になってから
古墳とともに朝鮮半島から
邪馬台国滅亡時の奈良飛鳥時代に繋がる 曹操の近親者の墓から倭人との同盟を検討している墓誌が発見されたのを思い出したわ。 邪馬台国ってそんなに統治がよかったんか?幻のとか言うけど何がそんなに天国社会やったの? >>352
それもただの一説
弥生時代から製鉄があったという学者もたくさんいる タイミング的には魏が遼東の公孫氏を滅ぼした直後なんで >>1
- これで決着やな!
時期曹操、早まるな! ほんとなら凄いけどな、記紀が世紀の偽書になる。これはおもろい >>348
海があるだけじゃなくて、遠すぎて分からないと書いてあるんだ 女王が治めていたならその痕跡があってもいいが記紀にあるのは神功皇后ぐらい それほどの国があったのに
土地に名前が残らない訳がない
大分の耶馬渓のあたりだろ >>357
じゃあ邪馬台国は鉄の武器を製造して戦闘に使用していたのかね
往生際が悪いのは半島の血のせい? >>11
そうやで
だからこそ中国は周辺土人国家に鉄製品を下賜してその技術力を誇示したんや >>372
遷都あとには良く似た名前をつけるからなぁ >>80
曹操は元々夏侯っていう姓で、宦官の曹の養子になって家督を継いだんだよ。 >>96
後漢の皇帝の子孫の山陽公家が魏に保護されていたからじゃないだろうか。
倭は前漢時代から漢とは親交が深かったし、多分敵対した事がなかった国のひとつ。 九州の邪馬台国で権力闘争に敗れた勢力が東遷して近畿でヤマトを創った
そして近畿で大きな勢力になったそのヤマト朝廷に邪馬台国が逆に再征服されたってことじゃないの
権力闘争に敗れた勢力が追放されて追放された先で大きな勢力となって帰って来て、もとの勢力が再征服されるあるいはされそうになるって話は日本の逸話でけっこう頻出するよね
義経がジンギスカンになって日本が征服されそうになるとか、豊臣家が関が原のあと鹿児島に逃げ延びてその末裔が明治維新を起こして徳川を滅ぼすとか
ただの与太話にしてもやたらとそういう方向に話を持っていこうとする傾向はある せやな
日本のは河川敷に落ちてるエロ本みたいな見つかり方やからな
てことで・・・俺は「唐物コレクターのゴミ投棄説」を推すけどな、どうせ遺品整理で遺族が山に捨てたんでしょ(´・ω・`) >>373
最近、壱岐のカラカミ遺跡で1〜3世紀の鍛治炉、もしかしたら製鉄炉が見つかったろ。
邪馬台国の時代だぞ。
朝鮮半島の弁韓が倭人の国だったとすると、もしかすると紀元前から製鉄してた事になるかも。 >>382
しつこいなあw
卑弥呼の軍が鉄器を使ってたのか?
違うだろ違うだろこのハゲえ! >>306
なんでそんな遠方にアウトソーシングを頼むんだよ >>11
最新技術というより、たぶん資源の無駄遣いかな。
鏡を鉄で作る必要が無さそう。
鉄製品を作る大変さはDr.STONEを見てもわかるし。 >>388
費用対効果は考慮すべきだろうけど、知識を増やすことは大事やで。 思ったんだけど、最初九州にあった邪馬台国が神武東征で近畿を征服して拠点を近畿に移して成立したのが大和朝廷じゃあかんんの? >>390
個人的にはそう思ってるけど、証拠が無い。 中国の資料と記紀を合理的に解釈すればそうなるよね
なのに何で九州説vs近畿説のどっちかみたいな形になってるんだろ? ここでやってる鉄器論争ねえ
魏志倭人伝には倭人は「鉄の鏃」を使うとか
矢は竹であり矢先には鉄や骨の鏃が付いているってあるんだね
鉄の産地では2世紀のはじめ頃に石器から鉄器に移行してる
青銅器は祭祀用で3世紀の半ばに消滅ってあるね 戦前、天皇家の神格化の為に畿内説を持ち出しただけだから素直に解釈すると九州説になるんだよ 鉄の方が資源量は遥かに豊富だもんね
精錬技術さえ導入されたらむしろハードルは低くなる 前方後円墳から大量に鉄器が出土してるんだよ
邪馬台国に鉄の武器が豊富であれば
ヤマト王権に負けて国がえする理由もない
後漢と魏
魏と晋どころじゃない
当時の敗戦国である倭人からすれば外国人が中心となって
国づくりがはじまったことになる
だから背乗りでのっとった末裔やその奴隷たちが
畿内説をごり押ししたくなる理由はわからなくもない
記紀は当時の雰囲気を知る手がかりにはなっても
真実からは程遠い
大和朝廷がいつの間にかヤマト王権になったように
無理がありすぎる
作り話が多すぎて そうそうの墓ってまだ出土するようなもん残ってるのか?
とっくの昔に盗掘されまくってんだろ >>397
悪いけど何言ってるのかよくわかんないわ
前方後円墳から大量に鉄器が出土してるってのは本当なのか? >>308
事実の不明なただの妄想を真実かのように前提にして更に妄想を深めるってただの糖質だよね >>399
はい
そして前方後円墳は畿内より関東で多く発見されている
天智天皇、天武天皇らは武蔵に高句麗、新羅からの植民地を作っている
そして卑弥呼没後の3世紀後半から6世紀中頃から7世紀までしか作られていない >>336
昔なんて気にせず壊してたんやろな
もうないやろ >>400
妄想というのはキリストの墓みたいなものを言うんだよ
仏教徒さん >>402
つまり朝鮮半島からの渡来人が鉄器と前方後円墳の文化を伝えたと言いたいのか?
あるいはもっと踏み込んでその渡来人が近畿で大和朝廷を興して邪馬台国を滅ぼしたとか?
でも卑弥呼の没した年代と天智天皇じゃ時代がぜんぜん違うだろ 少し言っている意味がわかった
卑弥呼や青銅器の弥生を終わらせて古墳文化を持ち込んだ畿内の外来勢力
崇神や応神は鉄製の武器を持った侵略者と言う事か
しかしこれを奪い返した継体天皇は越の国から来た純粋の和人に思える
越の国も古くから鉄器を作り半島や大陸との交流があった
そして今の皇室は継体の血を継いでいるのではと 天岩戸はギリシャ神話の直輸入だから、日本での日蝕とか調べてもムダ >>400
それは記紀の編者について言ってるってこと? >>405
別に卑弥呼の死イコール邪馬台国滅亡ではないよ
トヨだかイヨみたいな後継者もいたわけで
ヤマトの発生が卑弥呼の死後50年後、
ヤマトの背乗りが4世紀から6世紀にかけて
7世紀に完成
関係ないけど卑弥呼の死の20年前に曹操が死んでる
曹操65歳
卑弥呼78歳
意外と歳が近かったんだね >>406
そもそも日本の場合、鉄器と青銅器はほぼ同時に入ってきたんだろ
青銅器のみの時代はなかったはず >>406
継体は新羅に太いパイプを持つ勢力を後見に持ってたろうな。
他にも百済に太いパイプを持つ勢力、
日本列島独自の勢力に見えるが元は渡来人に起因するものとかもあったろうし。
何をもって純粋の和人と考えるかは難しいだろう。
南九州・東北が純粋の和人に近く、むしろ琉球の方が純度が高いと考えるのか。 近畿のわけないもんな
九州から近畿に勢力が拡大して大和朝廷が誕生 >>410
祭祀用の青銅器って事で銅鐸や銅戈これは消滅してる 記紀や魏志倭人伝の記述を合理的に解釈すれば、九州にあった邪馬台国が神武東征で近畿を征服して拠点を近畿に移して大和朝廷が成立したとするのがいちばん自然だと思うけど
その後に朝鮮半島から鉄器と古墳文化が伝来したとしてもおかしく無いだろ
渡来人が近畿で大和朝廷を興して、その大和朝廷が邪馬台国を滅ぼしたとするなら、上のシナリオを覆すような強い根拠が必要だけどそれがあるのか? 奈良の葛城に高天彦神社がある
ここが高天原じゃないかと言われてる
さらにその近くに高鴨神社というのもある
土蜘蛛の話とか結構面白くて
邪馬台国なんかよりそそられる 多分初代のヤマト王権とされる崇神が神武であるならそれでいい
そうでない場合は出自が見えないイリ王朝(イリヒコ、イリヒメ)
次の王権である応神も出所不明。この2つが巨大古墳の最盛期で
後者は倭の五王とも言われる覇王 >>159
いきっているとこ申し訳ないが、伝承より文献より明らかな証拠が残っているぞ。
それは地名!
わっかるかな〜。 >>258
なにテメー インカディスってんの?
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