「大阪環状に魅了されて・・・」1983年1月1日、1周10.4kmの巨大ステージが走り屋によって埋め尽くされた【Play Back The OPTION】
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1983元旦、大阪環状
「大阪環状に魅了されて・・・」1983年1月1日、1周10.4kmの巨大ステージが走り屋によって埋め尽くされた【Play Back The OPTION】
ピークは1980年代。有名無名のチームがこのステージで暴れまわっていたが、1980年代後半あたりからチーム同士の抗争や事件が急増。死亡事故も増え、無法地帯と化しつつあった大阪環状であったが、警察による取り締まりの強化やバブル景気の終焉など、複合的な要因の重なりにより一気にブームが衰退していったのである。
もちろん、OPTION誌は全盛期の大阪環状を幾度となく取材しているわけだが、ここでは数ある大阪環状記事の中で、最も盛り上がったであろう1983年の元旦走り始めの模様をプレイバック!
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激走最前線 新春走り初め 年に一度の無礼講、見よ堂々の大行進!
めでたく明けた、’83年正月。例によって三が日は全国的に交通量がグンと減少、過密国日本も気持ちのいい走りの別天地に大変貌。と思いきや、ドッコイ、走り屋の西の本拠大阪では、ちょっと事情が違うようで・・・。
健在! 関西の土性骨に脱帽
1982年末は、関東の走り屋にとって、受難の師走であった。ゼロヨン、キャノンボール、さらには首都高レーサーの検挙を報じるニュースが大々的にTV、新聞紙上を駆け巡ったのである。ともあれ、関東では警察プラス御用マスコミが共同歩調で、年末年始の走り初め威嚇キャンペーンを激しく展開し、結局、大晦日の年忘れゼロヨン大会も流れてしまった。
「正月の大阪環状はオモロイで」との風聞は以前から耳に入っていた。それも、今春初イベントというのではない。歴史と伝統ある新春恒例の走り初めだというのだ。
「元旦の初日の出は、環状で見るのが大阪の走り屋や!」「1年に1度、この日のために出てくるマシンもあるで!」いずれにしろ、関西の走り屋の土壌は厚い。その看板に偽りない土性骨のすわり具合に、キミもトクと注目して欲しい。