国民が「共感」できる言葉を
政治家の劣化が招く無関心
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https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2019062300003.html
「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく。
厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め……」
これは誰の言葉だろうか。4月1日に記者会見で読み上げられた新元号「令和」に関する安倍首相の談話である。希望に胸を躍らせるような会見は、様々な素晴らしい言葉で溢れかえっている。
「悠久」「薫り高き」「美しい」「見事」「咲き誇る」「願い」などなど、どれも肯定的で未来に向けて光り輝いている言葉だ。
後に続く「心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を国民の皆様と共に切り開いていく」という言葉にも異論を唱える人はいないだろう。時間にして約4分20秒あまり。熱意や心情、新時代への幕開けを象徴するかのような言葉がちりばめられている。
しかし、である。言葉の表層的な豪華さ、華麗さ、きらびやかさとは裏腹に、「薫り高き」「美しい」など、その実態は一体どういうものなのか、中身は全く見えてこない。
かつて、「美しい国」という言葉を盛んに繰り返していた人だが、歴史的な枠組み、世界的な視野で俯瞰しながら語りかけ、深遠な議論を呼び起こすようなものは、今回の言葉からもほとんど感じられなかった。
2006年には「美しい国、日本」という言葉を用い、「活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする、世界に開かれた美しい国」を訴えた。
「戦後レジームからの脱却」を唱え、先の戦争への「痛切な反省、お詫び」も含めて、「先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と主張した首相でもある。そのほかにも様々な主義・主張をしてきている。
しかし、おしなべて、国民にとってわかりやすく、確固たる説得力のある主張をほとんどしてこなかった政治家だと言えないだろうか。
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