祖父も本当は零戦みたいな花形の戦闘機乗りに憧れてたが、急降下爆撃機の操縦士に配属され正直ショックだったそうだけど、
開戦から九九艦爆や彗星を操り終戦までに数百回を超える出撃、
沖縄戦の時は連日の夜間攻撃に参加、敵の物資補給を少しでも削ろうと、タンカーや輸送船を狙い撃破した。
急降下爆撃のベテランだったせいか特攻の命令は下らず終戦まで生き延びた。
祖父の操縦の癖で命中率を上げるためギリギリまで急降下し激突寸前で機体を引き起こす訳だが、カミカゼと勘違いし恐怖におののく米兵達の顔が目に焼き付いてるとよく語っていた。