今年5月の大型連休中、鳥取市の国史跡・鳥取城跡にある墓が倒れているのが見つかった。平家一門の子孫の町人一族の墓で、学術的価値が最近判明してきたものだ。

過去にはイノシシが一部を壊したことがあったが、今回はことごとく墓石が倒れていた。
人為的な可能性もあるとして事態を重く見た市は急遽(きゅうきょ)、“事件”を記者発表し、「鳥取城の重要な文化財の一つであり、大切にしてほしい」と訴えた。

「鳥取城跡で墓が壊されている」。御代替わりに伴う初めての10連休に列島が沸いていた5月3日朝、散歩中の住民から鳥取市役所に通報があった。
鳥取県立博物館の裏手、市街地が見渡せる二の丸跡の石垣近くに石を積んだ墓(五輪塔)7基が並ぶように立っていたが、崩れていた。

市教育委員会によると、これらの墓は「沢市場屋(さわいちばや)」の屋号を持つ鳥取城下の町人の墓とみられている。
沢市場屋は平家一門の子孫で、鳥取城が築城される前に、城のある久松山の山裾の沢市場村に移り住み、村の名前を屋号にした。
江戸時代の人たちの間で「古くから続く家」として知られていたという。

墓がつくられた時期などは不明だが、子孫の家譜によると、嘉永3(1850)年に今の場所で整備したという記録が残る。
また、鳥取藩士の岡嶋正義が文政12(1829)年に記した地誌「鳥府志」のもとになった記録には、子孫が墓に花を手向けに来ていたという記述もある。
市教委によると、城内に町民の墓があり、拝みにいくことまで黙認されていた例は全国でも珍しい。

「沢市場屋の歴史に敬意を表し、城内に墓を残すことや子孫がお参りすることを特別に許したのではないか」と市教委の担当者。
こうした学術的な価値は最近分かってきたもので、市教委は3月に案内看板を設置したばかりだった。

現場では以前、イノシシに墓の一部を壊されたことがあるが、今回は動物の足跡はなかった。
墓石すべてが倒されていることもあり、市教委は人為的に崩された可能性もあるとみているが、断定できる状況にはなく、警察に被害届を出すまでには至らなかった。

https://www.sankei.com/west/news/190618/wst1906180011-n1.html
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