神の奇跡を信じない人に日本人が圧倒的多数。だがしかしのろいやたたりは本気で信じるよな。
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「無神論者」と「不可知論者」について深く知るために世界6カ国で行われた大規模な調査で、神の存在を信じていない、または証明できない、と思っている人たちも、
現代科学では証明できない「超自然」的な出来事を信じる人が意外と多いことが分かった。ただし、日本の無神論者の場合はこうした「超自然」を信じる人が群を抜いて少なかった。
調査は、英国の大学で教える心理学者、社会学者、文化人類学者のチームが2017?2020年の計画で取り組む「不信仰への理解」という調査プロジェクトの一環だ。
宗教離れが近年、世界的に広がる中、世界のさまざまな文化から洞察を得る目的で、ブラジル、中国、デンマーク、日本、英国、米国の6カ国で、1カ国あたり1100人を対象に行われた。
「無神論者」は「神などいない」と考えている人で、「不可知論者」とは「神がいるかどうかは証明できない」と考えている人だ。
無神論者・不可知論者といえど、特定の宗教に属しているという人たちも少なくなく、6カ国のうち「無宗教」「不明」以外に特定の宗教としてキリスト教を挙げた人が最も多く(デンマーク28%、
ブラジル18%、英国15%など)、日本人は仏教と答えた人が最も多かった(8%)。
また、どの宗教で育てられたか、という質問でも、ブラジル(79%)、米国(63%)、デンマーク(60%)でキリスト教が最も多かった。日本では無宗教(70%)、不明(14%)と答えた人が
最も多かったが、特定の宗教の中では仏教(13%)が最も多かった。無宗教で育てられた人の割合が最も高かったのは中国の82%。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/6-50.php おなか痛いときトイレで神様ごめんなさいって心の中で叫んでるよ。 >>949
押し付けてないよ 神は俺が死んだら死ぬ それだけ >>950
日本の場合は奇跡じゃなく
冥加とか冥利なんだよね
冥利に尽きるってやつ
良い事あったら感謝します。これお布施って感じで >>953
うん、美しい答えだ
あんたを好きかもしれない 人間が神を否定することはできないよ
何故なら人間ては及ばない領域が神の領域だから。
船のない時代には海の向こうは神の領域だったし、船に乗ってやって来るやつが神だった
地球が平らだと思ってた頃は空のさらに向こうが神の領域だったし
今は宇宙の先やブラックホールの向こう、あとは別次元や多世界が神の領域で
それを渡航してくるやつを想像すると正に神の立場だろう
人間がコンピュータ内に宇宙を作り、そこで創造主としての振る舞いをしたとき
それはコンピュータ内のニンゲンは神を想像するだろう
そのとき初めて人間はニンゲンの神として想像上の神の領域の不完全さを理解できるが
それと同時に神の可能性を肯定せざるを得なくなる
どう転んでも神を否定できないんだよ 日本人の場合は、やはり近世への扉を開いた信長・秀吉・家康の3人の思考感覚の影響が大きい。
3人に共通していることは現実論者であること。決して妄想の中で判断はしない。
しかし、面白いことは、この3人も合戦の前日には南無八幡大菩薩とか神を念じたことだ。
でも神を念じながらも人間の努力を多とするところが面白い。 呪いが怖くて虫が殺せない、人間は殺す、死ねとよく思うけど > 人間ては及ばない領域が神の領域だ
欧米の科学者がわからない時に使う言葉
本や論文の最後にだいたい書かれている
中学の時に気づいたぞw >>1
日本は特殊なんだから他の国とそのまま比べるなよ
無理やり言葉にすれば日本文化教みたいなものなんだから 血液型占い、運勢占い、星占い信じる
占いに関しては世界的な土人国家 創造主たる大霊、その分霊たる人間の魂
その魂は自らを高めんと低次元の現世に肉体をまといて降りる。
苦を経験する為である。苦しみ、悶え、慈悲と愛の尊さを見つける為に地球という監獄に肉体という制限をまとい修行に励む、それが人間である。
多くの間違いを経験し、涙し、苦しみ、その中で愛の尊さを学ぶ。 神は人類を創造し
意に沿わぬ行いをしたと言っては懲らしめる
はっきり言って悪魔の所業 >>957
豊臣秀吉は落首事件や秀次事件での虐殺、誇大妄想に陥り無用な外征による国力の衰退、重税で造らせた巨大建築、その上に色欲魔の中世的な暴君であるとか田中芳樹か誰かが評してた >>957
本人の信仰もあるだろうが、兵の士気に対する配慮もあるんじゃないか? 人智を超えた何かとしての神仏を知っている人は、
当然、ほとんどの人が想像上の神仏を信じたり、否定したりしていることは理解してるはず。
日光東照宮の「想像の象」が暗示しているエピソードを考慮しても、昔から相変わらず
同じことは指摘されてきたことが伺える。 >>967
家康とかは三河一向一揆で相当苦労してる。
のちに重臣となる武将たちと内戦してるから
宗教に寛容だったとはとても思えない 日本人は秩序を作るのに神は必要無かった。
ただそれだけ。
秩序が無ければ死ぬだけの国だし。 >>971
本多正信のことか…
寛容かどうかは宗派によるんじゃないか? 想像上の神仏を盲目的に信じているとしたら、それは確かに愚かと言えるが、
人智を超えた何かとしての神仏を知る人は、人間の無知や不完全さもよく見えるもの。
ついでに言ってしまうと、想像上の神仏を得意げに否定しても、実は何も批判できていない。
この辺の事情が分かると、歴史上、凡人離れした才覚を発揮した人々が、何故、不可解なほど
信仰心に厚かったのかも理解できるかも知れない。
そもそも、バカではできない仕事をやり遂げてきた人々のはずなのだ。 端的に言って、無宗教であることを得意げに誇るようでは、あまりに平凡過ぎる。 神の奇跡とか、その時の気分で奇跡見せるようなくそやろうは神などど認めない >>968
>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人
>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人
>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人
>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人
>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人 >>968
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>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人 >>968
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>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人 >>968
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>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人
>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人
>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人
>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人 例えば般若心経でいう般若*が、人智を超えた智慧のこと。(無分別の体験智)
人智を超えた智慧に関する、知的・概念的説明はあくまで人間理性の範囲にある。(分別思考の概念智)
後者は月を指す指。
前者が月。
この場合、月は智慧を象徴するたとえ。
月を見るための方法論が、禅などの修道。
特に四諦八正道。
---
*梵語でプラジュニャ、巴語でパンニャ >>968
>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人
>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人
>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人
>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人
>人智を超えた何かとしての神仏を知っている人 良くわからないので繰り返してみました
よけいわからなりました >>380
自分のしたことの成果が自分に返って来るだけ
誰かのお陰だとしたら周りの人のお陰でけしていもしない存在の神じゃない
感謝する先を間違えてる 坐禅を修めていて、坐禅のことを聞いても話せないと言っている人は、
言語や思考を越えた領域を知っているから、言語での説明を避けている場合がある。
よくある。 日本人は基本的に過程厨で、奇跡とかなんとかは結果論だし >>986
坐禅の最中、瞑想が成功すると思考は止まります。
(思考から抜け出します)
自我は、思考と感覚が生みだしているので、思考がないとき、自我はありません。
人ではない状態になっています。
ただしこれは一時的な状態、瞑想状態なので、普段は思考も感覚も戻ってきます。
禅の中身を言葉で伝えるということは、
人ではなかった時の認識のありようを、人として伝えることになるわけです。
思考していない時の認識のありようと、言語という思考を伝達するツールで伝達するわけです。
従って、聞いた話はすべて象についての「想像の象」となるわけです。 >>966
まあ当たらないな
実際好かれてたからな 居るか居ないのか、客観的に知りたい→証明の必要がある
心の中に居る→それは覗けないからわからない→一人一人の自由で良い←今も昔も此処 人が人智を超えたものを理解できないのは、ある意味当然です。
なぜ瞑想によって分かるかというと、瞑想が成功すると(瞑想の段階にもよりますが、一時的にせよ)人ではなくなるからです。 >>990
>人ではなかった時の認識のありようを、人として伝えることになるわけです。
よけいわかりません
対象を認識する主体が無いのに認識する? >>993
理解できないのはやはり理解できません
人で無いときの認識! 対象という客体
認識という主体たる人間
その人間が存在しないのに認識する? 認識に主語を求めるのは、言語がそういう前提のうえに設計されているからなので
言語上の問題と理解した方が適切だと思います。
認識には、認識作用があるだけです。
主体とか(変わらぬ)実体とかではありません。 客観的には証明できないのなら、主観に逃げるしかないということでしょうか
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