「動物はおかずだデモ」はデモの名前からして「動物はごはんじゃないデモ」のカウンターである。
また、単なるカウンターではなく、「動物はごはんじゃない」デモに対するパロディや皮肉を意識しているようだ。
それは、以下のようにふざけたトーンやダジャレなどが声明文に混ざっていることから判断できる。
(略)
特にインターネットいう場所では真面目な道徳的・政治的主張や問題提起は左右問わず敬遠されたり批判されたりしやすい一方で、
ジョークやパロディの形でされる主張は肯定的な評価を受けやすい。
ジョークやパロディは物事を相対化していて一歩引いたメタ的な立場から見ているように受け取られて、知的でスマートなように思われる。
しかし、少数派が行う権利運動や社会運動に対して多数派がパロディやジョークを作成してその運動の問題提起を無効化しようとする、
という反応は歴史を通じて見られてきたことだ。例えば、19世紀の欧米で行われてきた奴隷制廃止運動に対しても風刺画が作成されてきた。
上記のリンクに掲載されている風刺画も、19世紀当時の人々からすればパロディやジョークであり、
奴隷制廃止運動を相対化したスマートで知的な答えとしてもてはやされていたかもしれない。
だが、現代の社会に生きる我々からすれば、上記のような風刺はスマートでも相対化でもなんでもなく、
既得権を脅かされていたマジョリティの醜悪な自己防衛反応に過ぎないことが理解できる。
現在の社会では、「人の食べるものにケチを付けることは許されない」
「自分が好きなものを自由に食べることは当然の権利だ」といった価値観は当たり前のものとして自明視されている。
だが、過去の社会では自明視されていた価値観であっても、時代の変化や社会運動などを経て人々の考えが変わり、
もはや誰もその価値観を正しいとは思わなくなる、ということは歴史の常だ。
「肉を食べる権利」や「好きなものを自由に食べる権利」だって、いつ自明なものでなくなるかわからない。
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