邪馬台国って名称になんで拘るんだ?倭人が話したのを中国人が野蛮人だと思って付けた当て字でしょ
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やまは日本語かもしれないけど
たいこくは中国人が付けたんだろうね 社員が悪くないのがヤマ1国
全部社員の所為にするのがヤマ10国 ヤマト自体の当て字というか、万葉仮名っていうの?
古事記でも日本書紀でもたくさんあるもんな。
今ぐぐったら、日本書紀だけで、
「耶馬騰」「椰磨等」「夜摩苔」「夜莽苔」「揶莽等」「野麼等「野麻登」「野麻等」「耶魔等」「野麻騰」 >>5
「やまと」国 だと思うが?
「やまと」は倭人から聞いた音に当てた文字
「国」は中国人にとっての国 やまと の 大国でしょ?
卑弥呼は ひめ巫女様でしょ?
ぼくしってるんだ ひみこも姫巫女だよな。どう考えても。本名を知らない人間に教える文化もないだろうし 読み方は「やまと」だろうけど
それが今の畿内だったとは限らないんだよ 太陽信仰してたなら日巫女じゃねーの
姫ってどっから出てきたの? 魏の使者と日本の女王と称する人物が会見したのが北九州。
それは間違い無いと思うんだ。
卑弥呼を神功皇后とする説が正しいなら、それは福岡の香椎の宮かその近辺。
問題は三世紀初頭のその時点で日本の都はまだ北九州にあったのか
もう畿内に移っていたのかそれだけ。 中華思想で周辺国みなボロクソだよ。
でもな、邪馬台国とか卑弥呼とかボロクソ自分の国がかかれてる事実があるのに、
同じように蔑称使われてる他の国をその蔑称故に野蛮だったとか軽蔑する人らはどんな脳内回路もってるのかと思うわ。 >>23
トゥ〜みたいな感じだとなんかで見たことがあるな。 大和国の姫巫女だろ
わざと間違えてるだろ
小せぇ大国だな それしか手掛かりがないからだよ。
こっちにはなんの記録もないから仕方ない。 大和をヤマトと名付けたのは九州から来たニギハヤヒだからな 音読み訓読みの範疇に収まらない名称など山ほどあるわけて、それが読めないのは教養がないだけよ 結局、壱なのか台なのか
本当に壱(壹)なら後継者はイヨだし、台(臺)ならトヨ >>39
九州から近畿への遷都は遠すぎてあり得ないと思う
九州出身者の子孫が近畿で建国ならあるかも
よって九州が首都だった時期はない >>3
なまったんじゃなくて、
日本人が普通にヤマト国と言ったのを
中国人が当て字で邪馬台国にしたのでは 邪馬台はヤマトの当て字だろ
つまりは邪馬台国は近畿の大和朝廷のことだろ
九州説とか馬鹿な事言ってんなっつーの 大昔の話だからな
当時の魏ではそうだったかもしれないし
逆に当時の日本ではヤマタイと発音していたのかもしれない >>3
ジャカルタをジャガタラとか
アメリカをメリケンっつたり
イギリスをエゲレスみたいな 九州の高天原鏡ガチ勢が出雲の葦原中津国銅鐸ガチ勢をガチバトルでガチって国を譲られる
高天原ガチ勢の有力者を旧葦原中津国に派遣
派遣された高天原ガチ勢が矢や鏡の祭祀を広める(銅鐸の終焉、銅境銅鏃の始まり)
その数多いる天孫天下り勢のニギハヤヒ神武組がガチ勢に成長
天皇即位でその後日本をガチ統一 巨大勢力ならそれなりに広い平野が必要だから九州最大の筑紫平野あたりだろ 意味不な奴もいたもんだな。
歴史は創作したり捏造するもんじゃないだろ。
「邪馬台国」だろうが「野蛮」だろうが
記録に残っていれば書き換えられるものじゃない。
隣と一緒にするな。 ちゃんと資料を残しておけよって思うよね
途中で失われたのかもしれないけど
だったらそれを見越していくつもの複製を作ってあちこちに分散させておけよ
バックアップがなってないよ。 関西人は声だけはデカいからな
決めつけて圧倒しようとするあたりに自身の無さが見え見えなのは
リアルでもネットでも同じだな 当時むしろ台をたいと読んだかどうかわからんしね
倭人の発音に近い字をあてたなら一字で一音になってるほうが自然とは思う 現在の発音だから当時の魏の発音と違うだろうけど
邪馬臺國 Xie m? tai guo
だから「シマータイコー」 壱与が西晋に使いを送った後、日本の使者は3世紀の間訪れなかった。この、いずれの歴史書にも記されていない期間は、空白の3世紀と呼ばれている。。。
時はすぎ、西暦413年、東晋の皇帝の前に現れたのは、今年もうどんを茹ですぎて第一取水宣言が出てしまった、あの、うどん県県民であった(๑˃̵ᴗ˂̵) 卑弥呼の次の女王、台与を「とよ」と読むんだから邪馬台は「やまと」
日本側が「ヤマト」、中国は「倭(わ)
」と言っていた。倭はちびっ子の意味だから、日本側が同音異字でよりまともな意味のの「和」に変えたのさ。
大隋、大唐と称する中国に対抗して大を付け、「大和」とし、国内ではもともとのヤマトと読ませたのよ
あ、ヤマトは元々は山門、ミナトは水門な
知らんけど @耳で聞いてAアタマで処理してB発声しC当て字にする・・・だからな。古代シナ人の発声言語から始めるわけだから道は遠い。 >>63
倭が和で、なんか連合して統一したかなんかで大和にしたってのは
なんとなく納得するな この人の説が有力な気がするな
邪馬台国は女王麻?良国の都だった
https://youtu.be/IJ0Z-mAK7aw
陳寿が三国志を書した時代には楷書体が無かったんだと
つまり、原本は草書体で書かれていた
楷書体だと60万字もある書物を撰述しながら4年で書き上げる事は不可能なんだと
マテラ国は現在の北九州の朝倉 >22
東夷南蛮西戎北狄
東西南北、どれも野蛮な国。これが中華思想。 >>71
え? 草書→楷書 って誕生したってこと? >>58
異民族の風俗をあんだけ詳細に書いてるのは珍しいんだが 実際、ヤマトと呼んでいたものに邪馬台を魏人が当てたんだろ
秦=Chinaに支那を当てるのと全く同じ 南に水行〜〜日ってのは、北九州から、四国の南を回って大阪湾に入ったってことで、魏の使節がついたと思ったとこは畿内だったって読んだ >>55
発掘結果から見る限りではガチではやり合ってない。
今の日本と同じような状況。
せいぜい平安時代の征東大将軍のゲリラ狩りぐらいの感じだろう。 夜郎国の例えみたいなもので、鄙の国が大きいのはまずいって事だったんだろうな。
日本て一つの政体じゃなくて、部族国家の集合みたいに書いてみた。
卑奴母離なんて役職名とか、まず中央政府があって任命されてるくさい。
漢字で県守とか郡守って名前だったら誤解なかったろ。
邪馬台国論争はあれだわ、当時の日本の都がどこにあったのかって問題。
江南地方のコメを持った人たちが海を渡って来て弥生時代が始まったと
言う説が正しいなら、当然、最初の中心は壱岐や対馬、北九州あたりからだと
思うがなぁ・・・ 倭国は「ここは何て国?」と聞かれt「我の国」と答えたところから来た説 律令制以前のシャーマニズム政体に都なんかいらんやろ
有力部族の屋敷と神殿ぐらいがあればいい >>78
それこそ古代から海路として発展してた瀬戸内海を経由しなかったとは思いにくいなあ 現在確認できる人の移動の痕跡が、畿内から各地へ、という矢印しか出てこない。
が、これは九州から東へ、という動線を否定するものではない。
九州から東への動きは、あまりにも古すぎて痕跡が残っていないのだろう。
畿内から各地への動きというのは、古墳時代前後からで、時代としてだいぶ新しい。
記紀は魏志の記述を抹消した。これを解明する鍵は、個人的に物部だと思うのだが、
物部の持っている伝承は記紀の時代にはすでに抹消された。 初期ヤマト王権が部族連合であったというのは教科書に載っている基本的なこと。
この族長たちの多くは九州の出自で、物部、皇室、出雲、安曇、ほか海人系もいただろう。
倭国大乱はこの部ら族の紛争で、応仁の乱のように都の権力争いが全国を巻き込んだ。
戦後卑弥呼が立てられ、そして壱与。彼女からどのようにして皇室の祖先へ権力の委譲があったのか。
もう知る由もないだろう。 この手のスレで
邪馬台=やまと
卑弥呼=ひめみこ
とか言うやつってなんなんだろね
馬鹿自慢か >>63
> 知らんけど
いや、これしっくりくるぞ 邪馬台=ヤマトを認めたくない
バカってまだいるんだね 後継女王の臺與をトヨと読んでるのに
何故か邪馬臺はヤマタイと呼ぶ謎 邪馬台国程度の集落というか部族は当時の日本にたくさんあっただろうに、なんで邪馬台国だけにこだわるのかわからん。 >>94
今の皇統に繋がるかもしれない話だからね
本居宣長が邪馬台国が魏に朝貢していた事を問題視して
九州の偽王女説を唱えたのが始まり
細川と大内が勝手に日本国王の名代名乗って
明と朝貢していたのが公になった
寧波の乱事件を国辱としていたので、
地方の豪族が勝手に国王名乗った
同じようなものだろうとしたのが本居宣長 蛙の遺骨で大喜びしてるてなんかすごいよ
これを書き残した時代三国志で壮絶な歴史を作り上げてたのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています