尼崎JR脱線事故から14年 現場で初の追悼慰霊式
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乗客106人と運転士が亡くなった尼崎JR脱線事故から14年となった25日、兵庫県尼崎市久々知3の事故現場に整備された「祈りの杜」で、初めての追悼慰霊式が開かれた。「安心して眠れるところで安全を見守っていてね」。
式典では5年ぶりに遺族が「慰霊のことば」を語り、参列した約520人が犠牲者の冥福を祈った。
【写真】現場近くの献花台で手を合わせる人たち
列車がけたたましく行き交うJR宝塚線のカーブのそばで、祈りの杜の一角はしんと静まり、厳粛な雰囲気に包まれていた。
雲の垂れ込めた午前8時に開場すると、遺族や負傷した被害者の乗るマイクロバスの出入りが絶え間なく続いた。
事故発生時刻の午前9時18分が近づき、快速電車が長い警笛を鳴らし、カーブをゆっくりと通過する。JR西日本の来島達夫社長ら役員は、脱線車両が衝突した傷痕の残るマンションに向かい深々と黙とうした。
午前9時40分からの式典では、長男の満さん=当時(37)=を亡くした斉藤百合子さん(76)=伊丹市=が真新しい慰霊碑の前で、「14年もの長い年月、寂しかったでしょ。
今日は笑顔で別れようね、また会えるから」と語り掛け、参列者はじっと聞き入った。
初めてとなる現場での慰霊式。会場の祈りの杜は、マンションの4階までを残してアーチ屋根で覆い、慰霊碑や事故に関する展示施設を設けて、昨年9月に公開を始めた。
マンションを「全保存」するか「全撤去」か−など整備を巡っては、遺族間で意見は割れた。名碑も犠牲者全員の名前は刻まれておらず、JR西は人数を公表していない。
現場での慰霊式も、「亡くなった時刻に現場にいたくない」と抵抗感のある遺族や、約1カ月もの設営期間中に参拝が制限されることに疑問を感じる遺族もいる。
式典中は周囲がシートで覆われ、一部をモニター中継するほかは非公開とされた。JR西は、慰霊式を来年以降も現地で行うとしており、式典のあり方は今後も問われることになる。(田中真治)