東京から眺めた今日の韓国はもどかしさを感じた。文在寅(ムン・ジェイン)政権が掲げた「国らしい国」とは何か。反問は続いた。「正しい国」とは何か。市民の現実に触れない政権の正義はそれでも正義か。我々は希望を持っているのか、誰が未来を話すのか。元号に歓呼する隣国の日本のように希望を生み出す政治をしているのか。

世間の話題がなぜバーニングサン、スンリ(V.I)、金学義(キム・ハクウィ)、チャン・ジャヨンなどきまり悪い事件に向かうのか。南部支庁ほどで解決してもかまわない事件が未来の談論を踏みにじって創造的な思考を毀損するのを助長する偏狭な形態にため息ばかり出てくる。

未来の韓国を涙で訴える青瓦台(チョンワデ、大統領府)参謀はいないのか。タク・ヒョンミンは演出に長けた曲芸師だったし、社会首席秘書官の金秀顕(キム・スヒョン)は不動産監視センター長、さらに中国と日本に背を向けて北側だけを凝視する外交策士。そして「差し出がましいことはやめろ」と剣突を食った。

「慰安婦合意破棄」はよくなかった。100億ウォン(約10億円)で売った朴槿恵(パク・クネ)の無知な決裁が積弊の筆頭だったが、それでも国際慣例を無視して国家間の合意を一方的に破棄すればどんな副作用を招くかを深く考えるべきだった。

過激な無効宣言が日本の道徳的良心を呼び起こしただろうか。日本のテレビは嫌韓番組を終日放送している。むしろ韓国は「信用できない国」という烙印が押された。東京から眺めた韓国は「不信国家」であり未来談論が蒸発した「過去回帰国家」だった。東京で問い返していると、改めてもどかしさを感じた。


2019年04月17日10時17分
https://japanese.joins.com/article/431/252431.html?servcode=100&;sectcode=120