中国は城と言うと街そのものだから住民全員戦闘員だが、日本は戦闘要員だけで戦争してたの?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
攻城戦になったら、防御側は住民は城の中に避難させるぞ 中世の欧州も戦闘員はあぶれた次男三男で構成されるから戦闘員比率は大したことない
ただ異民族・異教徒との戦いになると色々別だが >>31
その代わりって訳じゃないけど、落ち武者も農民に狙われたら命が無い事がしばしば。 一般農民は山に逃げるんやで
敵兵はそのうち手持ちの兵糧食べきって撤退するから 北条領の農民「お殿様を守るだ、城に行くべ」
秀吉「百姓どもは皆殺しだで」 >>32
武装と言っても日本刀一振りとか火縄銃一丁とかだけどね。
やはりカラシニコフというのは貧乏人でもガチで戦争できるようにしてしまった。 戦うんじゃないんだよ 一方的な虐殺になる
兵士の心理としては敵兵士の守るべき市民、特に女子供をレイプ殺害する事は最大の喜びなんだよ
軍規や条約なんて戦場には無い >>1
いや街が城壁で囲まれていたから城って呼んでるだけで
中には非戦闘員も子供もいただろw >>30
下手したら「田んぼやんなくちゃならねぇから」って兵が勝手に帰る >>40
山形に楯山城という規模の大きい山城があるんだけど、
そこは戦の時の、麓の住人の避難所だったらしい。 >>31
今川が討ち取られた所は、
今川領とも織田領とも言えない中間地点
これから領土としようとする土地で
略奪なんてしねーよ 日本人は、自分たちは特殊かもしれない、と疑問くらいは抱くべき。チャイナには昔から宗族ってのがあり、宗族のためならなんでもあり。
そうじゃないならなんでも罪って理論で成り立っている。
チャイナ共産党は宗族主義をつぶそうとして敗れ、宗族主義に塗りつぶされて辛うじて存在を許されている。
歴史的に城塞都市の内側だけがチャイナだったから、いまだに都市戸籍の人間と田舎戸籍の奴隷に差別されている。
田舎だって宗族どうしでヤクザの抗争のように略奪しあってるから、農家が小さな砦のなかで集団生活している。 略奪も乱暴狼藉もしたけど、皆殺しとか虐殺まではしなかったってだけ 日本は住民は戦があると山に逃げ込んでた
華中は山が無いから 日本は平地が少ないから城郭都市が発展しようがなかっただけ、小田原城みたいなのもある
戦国までは平時は平地の館を政庁にして有事には山地の防衛拠点に籠って戦った
戦国後期になりみな領土が広がり本拠は攻められる危険が減ったから平地に面した平山場で両方を兼ねた城になっていった
戦争の終わった江戸では城は政庁兼威光なので平地にでっかい城を建てた
これだけ >>31
収穫直前に敵国に攻め込んで田畑を焼いて回るとか普通の戦法だったしな マジレスすると日本は単一民族国家で農民は資源だから
欧米とか支那は他民族との戦争でその土地にいた農民は邪魔だから殺す >>60
ちょっと頭のいい武将だと征服後のことを考えて民に恨まれるような真似は避けるけどね
半分残して飢えないようにしたり 中国の場合、隣の村に行けば言葉が通じないなんて良くある
ちょっとした行き違いで村と村で戦争になる
そりゃ家も村も街も壁で囲う >>60
それやると自分の領土になったとき、統治がままならなくなるから
主流では全然ない 戦国時代において、合戦見物は百姓の娯楽。
当時は合戦場から離れた丘で、武士が死んでいくのを見ながら弁当広げてワイワイ飲み食いしてたそうだ。 中国はまっ平らだから城壁作るよな
日本は自然の要害から城を作る >>7
?
日本式の城が活用されていた戦国時代の戦闘員は「農民」ですよwwww 農民を頭数に入れるなみたいなこと言ったのは武田信玄だっけ 城は都市の中心にある行政府や領主の居館を守る構造物。日本の城がまんまこのイメージ
郭は都市そのものを守る構造物。中国やヨーロッパの城郭都市のイメージ
中国でも春秋の頃は防備の中心は城で郭はちょっとした柵がある程度だったんだが
当時は都市国家だから籠城戦になって城を守りきっても市街地に被害が出ると
ダメージがシャレにならんということで時代を経るごとに郭の防備に力を注ぐようになり
逆に城の防御は形骸化していって秦漢の頃には俺らがイメージする中国の城郭都市の形に収まった
因みに中国の城郭都市の城壁は版築といって土を突き固めただけのものなので
丸太で突っつくと結構崩れる >>71
ちがうよ。日本は日本人だけだから城を作る。チャイナは多民族だから、ちうか皇帝という商人の領土だけ城壁で囲うwww
もちろん圧倒的に狭いほうがちうか皇帝の領土だよ。で、攻められる立場だから壁が必要だった。
反論あるなら事実に基づいて、どうぞwww >>7
農民も戦になれば秘密のシェルターに避難してたわ。 >>26
天皇とその他豪族が争ってた歴史を知らないのかよ・・・・ >>77
それは言葉の有無であって主流かどうかは関係なくね
主流かどうかはしらないけども 農繁期は戦どころじゃねぇわ
そしてすぐ裏切り勝ちそうな方につく >>7
で?侍は非武装の農民を虐殺して自分で血まみれの田畑を耕すの?誰からそう習ったの?実名を挙げてみて。尊敬してるんだろうからwww 兵農分離前なら農民と武士の区別はないぞ
畑耕してるヤツらが有事に槍持って山賊とか攻めてきた連中と戦う >>83
勝った方の足軽は戦が終った時に割と増えてるらしいからなw 乱妨取り
当時の軍の兵は農民が多く、食料の配給や戦地での掠奪目的の自主的参加が見られた。
人狩りの戦利品が戦後、市に出され、大名もそれら乱暴狼藉を黙過したり、
褒美として付近を自由に乱取りさせた。
それら狼藉は悪事ではないとされた。
ヒャッハーーー!!!
大名は食料獲得のため隣国へ戦争をした。
その結果として領土を獲得し、家臣団に与えて下克上の芽を摘み取った。
その上で、戦場付近の村を襲い、農作物を根こそぎ奪い、女・子供をさらい売り払うか奴隷にするかした。
女性奴隷の一部は、交易を行うポルトガルによって欧州やタイ、カンボジアに性奴隷として売られた。
人身売買の相場は、通常2貫文(約30万円)であったが、大量に乱取りが行われる戦の直後は25文(約4千円)に急落した。
女性を強姦し、抵抗する者は殺した。
ヒャッハー!!! >>20
落ち延びようとする傷だらけの武士どもを狩り
甲冑やら刀やらを売りさばくのが農民
負けた武士に容赦はない >>75
中国の都城って本当に碁盤状の街を壁で囲ってる感じだからなぁ。。。
無いよりはマシだろうけどそれほど実戦に強いとも思えない。 日本の武士は、中国内の為政者や辺境の蛮族みたいに民間人を大虐殺しないからな
囲う必要がなかったのよ >>92
堀だけどな
日本は城壁作るより堀掘る方が多かったんじゃねぇかな つまり戦争当時南京で数億人殺されたってわめいてるのは全員兵士だったんだね
じゃぁ何の問題もないな 制裁の決定打は IMF救済の拒否である。
すでに日本が制裁せずとも国家破産は既定路線である。
しかしやつらはIMFによる救済をあてにして
また三年ほどで浮上できると考えている。
その希望を完全に絶やせ。
発言権の低い、貧しい衛星国家へと変貌させよ >>97
掘った土を盛って壁にするんやで。
堀をよく見ると城側の方が少し高くなってる。 >>100
石材の少ない関東では堀を掘って出た土で土塁を作る掻き揚げってスタイルが主流だったってな 堺も町民都市なんて言われてるけど
実際は天下人三好長慶が幕府を置いた場所なんだよな
作ったのは軍事専門家 状況次第よね
伊勢長島みたいに戦闘員として参加してたり
備前高松みたいに寄せ方の工事手伝ったり
三木城みたいに食料消費させるために城の中に追い込まれたり 日本ではレンガが近代までメジャーにならなかったのは何でだろうな
レンガがないと城塞都市は難しそう 大虐殺は大陸人みたいに資源は無限にあるという価値観でないと実行は難しい
資源に乏しい島国の日本では元から発想にない戦法 >>104
そもそも石垣の城なんて戦国時代後期の代物だし
最初に作られたのは六角氏の観音寺城かな
それより何百年も前に大和朝廷が朝鮮式石垣の城を作ってるけど >>96
そういうみだりに殺さぬ的な武士像は徳川の第5代将軍綱吉の時代になって武家諸法度に禁止の制度化がされてからだよ
鎌倉・室町時代の武士なんて定期的に領民を虐殺して生首を家の門に飾るのが奨励された
恐怖で領地を支配する為にな
戦国期を経て豊臣・江戸時代になっても趣味の殺しは横行した チャイナの正当な領土って、はっきりしてんだよな。帝国陸軍が直進行軍したルート上で、当時、城壁の内側だった地域。
それ以外はちうごく国民党が逃げようが、ちうごく共産党が強盗強姦殺人を繰り返そうが、ちうごくの領土ではない。
なぜならば、なぜならば、なぜならば、お役所仕事の帝国陸軍が、簡単に制圧できるのに、頑なに手出しをしていないから。
お役所仕事の帝国陸軍が。で、若造どもが暴発してなにかやらかすと、それを国家の意思だと吹聴する。
よくよく考えようねー。バカにされたくないなら。バカにされたくなかったらの話だよwww 明智光秀をKILLした農民って、なんでそいつが明智だってわかったんだろう?
直接、訊いたのかな?
農民「お前、明智?」
明智「はい、そうです」
↓
ズシャー!!(死) 合戦してると高台で
文字通りの高見の見物してた
完全に兵農分離してた織豊時代
特に関ヶ原の戦いは身内が敵味方に居たので
盛り上がったとかなんとか >>31
また嘘ばかり言うなぁ。こういうチョンモメンが世の中を悪くするんだよな。 >>113
敗走しとる偉そうな甲冑つけとるのがおるから取り敢えず狩ろうぜ→明智光秀でしたじゃね?w >>111
ID:LKyN1Mf/0 ソースもなしに必死だなぁ。 >>1
江戸城は
四ツ谷から両国まで江戸城
新橋から水道橋まで江戸城 >>111
領民を虐殺して生首を掲げたとかいてある古文書があるのか?
そんなの初めて聞いたな
ちょっと出してみてよ 鎌倉室町期の武士とその郎党がキチガイ染てるのは当時の日記とかで書かれてるんだけどね 焼き働きは職業武士の主な仕事な?
普通の合戦よりも頻度が多かった
定期的に敵国に侵入して馬の機動力で村や街や民家や田畑に火を付けて回る仕事
在々所々谷々人々迄放火候也 信長公記 >>107
そら地震でしょ
関東大地震の時に煉瓦建築は壊滅的被害受けてたし >>111
日本史の縦軸でなく同年代の世界を横軸に見て見よう
残忍さの質が違うから 今昔物語集 鎌倉時代成立 14巻とか有名だろ
弓矢を以て朝暮の翫として人を罰し、畜生を殺すを以て業とす
夏は河に行て魚を捕り、秋は山に交はりて人を狩る 上杉謙信は結構酷かったって話はあるよね
農民からみたら城内に領民集めて守ってくれる北条方はさぞや頼もしかったろう
小田原城の拡大と治世の安定に寄与してたのかもな 侵略戦争と妨害戦争がごっちゃになってるやつ多いな
妨害戦争が主だった安土以前は普通に略奪ヒャッハー多いぞ ていうか近代以前の戦争は世界中どこでもたいてい貴族と傭兵のものだよ
民主主義と大量生産と鉄道輸送が戦争を総力戦に変えたんだよ >>120
横レスだが
常の心がけとして定期的に人殺しておけよって戒めがあったのをどっかで見たが思い出せん
鎌倉末期の結城宗広は男女問わず毎日首切ってたって話もあったな うちの実家は遠江なんだけど
武田の兵に二度も屋敷を焼かれてる
家人も殺されたらしい
屋敷内にそのこと記した石碑が残ってる >>127
ひどかったのに勝率が世界一はありえないね。理にかなっていたから勝率が世界一なんだね。ちがうなら謙信はどんな魔法を使ったの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています