中国は城と言うと街そのものだから住民全員戦闘員だが、日本は戦闘要員だけで戦争してたの?
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戦闘要員だけ分離したのは織田信長。これは城下町の構造をみればすぐわかる。
町人町を「外町」と称して城から追い出したのは信長。この構造が秀吉、家康と引き継がれる。
小田原の北条氏は豊臣秀吉に攻められる段になっても、まだ総構の中に町家を抱えて全員野球だった。 肥後の町民農民に追い返される薩摩の西郷隆盛とホモ侍たちって・・・ >>147
旧薩摩藩でも生活手段が確保できてた郷士は笑って参加しなかったようだし。 戦国時代でも多くは兵農分離できてなかったからね
明治維新期ですらまだまだだったし 永禄2年の毛利元就配下の博多焼討は凄まじかった
それまで最大級の交易の街として栄えていた博多が尽く殺され焼き尽くされて無人の焦土になってしまった
それから暫く人が住んでない
ルイスフロイスもドン引きするぐらいだった >>151
善光寺付近の確保と村上氏の本領復帰は果たされたか? また朝鮮人が原爆正当化する為に立てたのか?
あいつら日本各地の空襲や原爆投下を正当化して日本人を馬鹿にしたくてしょうがないんだよな
今は倫理的に非難されるからこうやってしつこく重箱の隅つついて倫理観を変えようとしてる
サクラの起源や旭日旗なんかとパターンが同じ 中国って70年たらずのロシアの属国やろ?最近宗主国にイキッてるようだけども てか日本は武士と農民の区別が曖昧でしょ
平和だった江戸時代も下級武士は普通に生計立てるために農家やってたぞ >>141
調べたら馬場だった
頭煤けてて自分にワロタ 中国って徴兵やってるんだっけ
そうだったら強いわな。
人口の多さが強さにつながる てか戦国時代は山には山賊、海には海賊も普通に居て
ヒャッハーな国だったよな >>159
ところが大陸の兵士は弱いんだよ
地続きだからどこへでも逃げれるのもあってすぐ脱走するの
逆に逃げ場が殆ど無い島国の兵士はとてつもない士気でゲリラ戦挑んできたりするの あれ?川中島の合戦について聞いて支離滅裂なアンカーがついたからNGにしたら自分のレスまで消えた。あ、そーゆーことかwww 戦国時代の戦で弁当持って高見の見物なんてそれソース無いデマやぞ?
鎌倉時代だと承久の変の宇治の戦いに農民が物見湯山感覚で見物に行って巻き込まれて多数死亡しててバカじゃね?というのが藤原定家の日記にある
江戸時代の天草四郎の乱と幕末の甲州の戊辰戦争では農民の見物の木6がある
弁当持って見物の記録があるのは後者の甲州勝沼の戦い
その舐めっぷりが幕府軍怒らせて威嚇射撃されてから村を焼かれてる 城塞都市で住民が戦闘員として役だった例は極めて少ない
陥落間近で降伏も許されなくて、それでも指揮官が優秀みたいな稀有な例しかない 三国志とか一回の戦闘で数万死ぬからね
日本の戦国時代よりよっぽど農民の命やすかった >>164
幕府は甲州を冷遇してたから、新政府軍は大歓迎されたんだよなあ。。。 上杉謙信の戦略達成してないのが支離滅裂とか馬鹿なんかw あと自分が連鎖あぼ〜ん設定してるのも知らん間抜けw なんか日本語通じない人っぽいからレスしても無駄じゃないの?
勝率の話自体、全く何の関係もないし 中国は異民族との戦いだからな
日本の戦国時代はヤクザの抗争と同じ >>167
チャイナはアカじゃなくても盛るからね。しかも、督戦隊ってのがサボってる奴を後ろから涼しい顔で攻撃するから。 > 関ヶ原の合戦を農民は山の上から弁当持って見物してたらしい
どの山だったら巻き込まれないのかな:
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/0/05/Sekigahara.png
主軍がいない山も斥候や先遣隊派遣して抑えてる筈だぜ 天海の川中島の逸話で弁当持って戦見物してたとかあったんじゃなかったっけ? >>141
一方後北条氏は降伏した相手の乱取りを許さず
信長に至っては即日首チョンパして
市中で晒し者にしてた
兵の質は領土拡大の必須条件 でも現存してる日本の天守閣は12基しかないんだよね?
残りの大半はどうなっちゃったの? >>135
テレビが知識の源とか赤っ恥レベルだなwww >>178
太平洋戦争の戦災で旧国宝含む結構な数の城の建築物が消失してる >>178
多い順に
1.元から天守が無かった
2.明治6年の廃城令でぶっ壊した
3.江戸時代の火事落雷
4.米軍の空襲
5.その他 南北戦争でも市民がピクニック気分で見物してエラいことになったって聞いたけど >>1
日本人は世界から称賛される日本刀を作り上げた戦闘民族なんだよ。 日本の戦国時代はただの内乱で領土の奪い合いだが
大陸の戦争は民族間紛争だったり権力闘争だったり
民衆の価値が変わるから虐殺略奪焼き討ちは
起こりうる可能性は高い >>184
ん、でも三種の神器は全部形代(レプリカ)なんだが
この件はどう説明できるんだい?
型在るものは全て壊れるんだよ? 179 名前:名無しさん@涙目です。(群馬県)[ニダ] :2019/04/14(日) 14:14:17.82 ID:bnpxHYE80
>>135
テレビが知識の源とか赤っ恥レベルだなwww
184 名前:名無しさん@涙目です。(群馬県)[ニダ] :2019/04/14(日) 14:20:58.12 ID:bnpxHYE80
>>1
日本人は世界から称賛される日本刀を作り上げた戦闘民族なんだよ。
5chで頭の悪さをドヤってるお前も相当なもんだと思うぞwww 小田原北条氏のどこだかの支城では、周辺の村人全員が篭って防戦に当たったとか。
結局落城して皆殺しになっちゃった。
今でも、命日には城跡から流れ出す川が赤く染まるとか・・・
たしか秀吉の小田原攻めの時のはなし。
関東とか、そうだったのかも。
島原の乱の時の原城とか専ら戦ったのは農民だろうし、あと浄土真宗の村とか、
掘に囲まれてて、お寺が城みたいになってる。あれは戦う村だろ。 >>141
一度盗んでから燃やしても浅ましさは変わらんのにw >>2
9条の精神は、戦争するくらいなら殺されようだよ >>56
中国も結構山だらけやで
動乱の時代は省境の山脈に隠れて戦が去ったら出てくるとか普通にあった
特に山がちな華中、華南とかでは >>191
じゃあ誰の土地かと言われればほぼ漢族しか住んでないんだよなぁ… ハドリアヌスの長城の外にはスコッランド人とかいう蛮族が住んどる >>7
日本の戦では基本的に農民や町民は巻き込まれねえから
なんにも知らねえんだな 「支配層は農民に支えられてる、だから農民は大事にしないといけない」って価値観は
どこでも共通かと思ったらそうでもないらしい
交易で稼いで食料輸入できれば別に農民いらんから >>178
江戸期のお城って
・都市の中心にある
・敷地面積もかなりなもん
ってことで
>>181が挙げてる廃城令の時に
軍の駐屯地とか学校とかに転用するケースも多かったんだよな
>>193
戦乱の後で人口減るのって実際は流民化して戸籍を離れてるだけだったりするんだよな 当時は銃弾(まだ丸かった)を合戦後に拾って回収する業者がいた
これ豆な >>197
殺す価値もなかったんじゃないのか?
辻斬りなんかは 刀の切れ味試すだけの為に百姓とか切ってたんだろ
命の価値がなかったんだと思う 大陸の争いは一般市民まで全部虐殺するから全部を囲わないとダメ
日本の中の争いは基本は農民は蚊帳の外。城主が誰になろうが関係なかった。
合戦は農民がおにぎり食べながら観戦してました。 >>201
その土地を支配した時に年貢を納めるのは農民だからだよ
大事な納税者を殺してどうする 自分とこの農民は大事だけど、よその農民、畑のことなんか知ったことじゃない >>199
というか日本の都市の大半は先に城が出来てその後に街が出来てるんだわ
城の場所決めは防備しやすい地形図で交通の要になり兵を動かし安い場所が選ばれる
東京、大阪、名古屋、仙台、広島、熊本、金沢、岐阜、姫路、小田原、等々 普段は農民、戦になると足軽として領主にくっついて参戦
大坂夏の陣には東北からはるばる駆けつけた。
平和な江戸期はずっと百姓として、土地の新田開発に勤しんだ。
戊辰戦争では先祖伝来の槍を武器に薩長と戦った。うちの先祖はそうだったと聞いている 日本も先に街があってそこを防衛しようとしたらシナみたいになったのかな
京都は秀吉が城壁で囲もうとしたし
平城京や平安京の羅城門の"羅城"とは城塀に囲まれた城塞都市を意味する語 >>210
乱妨取り、青田刈り、刈り働き、焼き働き
というれっきとした日本の戦国時代の概念だよ >>1
中国は戦乱中、人肉食ってたからな
人肉宴会の国は一味違う 日本の戦国時代は農民が石ころ投げ合って適当に逃げてただけだぞ なんだ。
中国は街そのものが住民戦闘員なら、民間人を殺した南京大虐殺は無かったってことじゃん。
単なる中国人戦闘員と、日本軍との戦い。 城郭みんな戦闘員ってスタイルは、日本だと一向一揆とか対民草の宗教戦争に近い
ああいう血みどろの絶滅戦争を数千年続けているのが大陸スタイル 日本の場合、戦で勝っても農民を奴隷にせず虐殺もしなかった
南京事件は戦闘はあったが虐殺はでっち上げだろうね >>206
領地と領民の取り合いしてるのにその戦利品殺してどうすんだよw >>187
赤っ恥過ぎて電話で反論
効いてるwww効いてるwwww効いてるwww効いてるwwww >>135
テレビが知識の源とか赤っ恥レベルだなwww >>218
大坂の陣や戊辰戦争では普通に虐殺やレイプしてたんだがw >>221
領民なんてそのまま住ませてたらいつ裏切るか分からんから
さっさとぶっ殺して売れそうな女子供はレイプした後に南蛮人へ奴隷として売り払いで換金ですわ
で空いた土地は戦で功を上げた自国の次男坊三男坊に与えて住まわせるわけよ 九州の大友氏なんかは女子どもを南蛮人に黒色火薬と引き換えに奴隷として売っていたのは有名な話。
だから当時、世界中の港に裸同然の日本人女性が奴隷として見られたそうよ。
だからポルトガルの港町にも日本人の痕跡(DNA)もあった。救われた(同化)って証でもあるが。 上級である武士は適当に下々の農民あおってりゃ農民同士が潰しあってくれる
えたひにんとか作って農民のストレスのはけ口作って下々同士が勝手に互いに潰しあってる間
武士は公家の連中と豪遊してた
そんな感じだったと思うわ
現代の状況見てると 七尾城の戦い
奴隷集め目的ヒャッハー軍の上杉謙信を恐れて畠山氏の領民は領主を頼って七尾城に逃げ込む(15000人)
↓
あまりにも多くの領民が逃げ込み過ぎて食料より先に糞尿の処理が追い付かなくなり場内の衛生状態が悪化
↓
不衛生で城内に疫病が流行
↓
ついには城主で幼君であった畠山春王丸も疫病に罹り死亡
↓
城主死亡で混乱し上杉方に内応する家臣も出て来て最後は臭くて嫌になった裏切り者が城門を開けて落城
↓
一族皆殺しに
領主は奴隷となる なるほど
日本人が城塞都市を作らなかったのって単に危機管理意識が低いからだけじゃね?
南海トラフ来ると言われてるのに自分だけは大丈夫と思って危険な地に住み続けてる異様な感覚
シナ人とかはいつでも脱出できるように身につける金目の物まとめたり海外に資産置いたり海外に親戚のネットワーク作ったりしてるけど
そういう意識全くないよね?
冷戦時代に核シェルター全く作らなかったような現実の危機を考えないようにする思考回路があるんじゃね? >>229
単に地形じゃないのかね?
平原だと防御拠点を作るなら自動的に中国や欧州みたいな城壁で囲んだ「城」になる訳だよね
でも、鎌倉が分かり易い例だけど、
山が多い地形だと、そこに向かう交通の要所を抑えれば防備はできる訳で
大規模な城壁の必要性が無い 七尾の畠山も三木の別所も、彼らなりの勝算があって籠城した
後詰めが包囲を破ってくれるか有利な条件での和睦を目論んでた
うまくいけばそうなったけど、相手が想像以上にヤバいやつらだったので悲惨なことになった
籠城してうまくいった例は長篠の奥平と河越の北条
勝算なし捨てごま上等で籠城したのが高遠の仁科と伏見の鳥居岩屋の高橋 >>232
伏見の鳥居や岩屋の高橋は
大元守るための時間稼ぎだから
高遠城とは違うと思う >>232
籠城戦自体は時間稼ぎで事態が変わるのに賭ける博打なので、
それは外れると悲惨な最後にしかならんね 大軍で兵站を維持しながら長期に包囲できるのは、チート勢力しかいないからな 鳥取城とか町人入れた結果共食い始めたくらい悲惨だったらしいが >>233
岩屋伏見が粘ったおかげで、あるじの目標は達成されたわけだからたしかに目論見どおり
勝算なし捨てごま上等と書くのは不適当だったね。おれの書き込みが間違ってた 国民徴用令で全員軍人扱いだぞ
だから東京大空襲でたくさん殺しても問題ないってのが欧米の判断 山が城壁みたいなものと考えれば中国と変わらないかも
盆地なり谷間なりが城塞都市
朝倉氏の一乗谷城とか、そんな感じでは
細い谷間なんだけど、その両端だけ守って町そのものを囲い込んでた
そう言えば、越前一向一揆で乗っ取られたんだよね
浄土真宗側も地形的に欲しかったのかも >>135
テレビが知識の源とか赤っ恥レベルだなwww やろんやろん言ってるチョン群馬がこんなとこにもいんのか >>239
日本の場合、平野の周りの山間の交通拠点に「要塞」としての城を立てれば防備は十分できる
なので、要塞=城になるのはその地形ならでは >>241
殺すぞゴキブリ朝鮮人、さっさと日本から出て行け! うちの爺さんは、マライ・シンガポールでゴム園を
やっていたけど
襲ってくる中国人達を相手に、使用人の現地イスラム達と
銃を取って戦ったそうな
ちなみに爺さんは日本人だったけど、現地に合わせて
イスラム教徒だった
(これが不気味な爺さんで、恐くて言葉交わした記憶が無い) >>244
マラヤ共産党軍だっけ
あの辺は戦後も共産党ゲリラとの闘いが長らく続いたんだよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています