中国は城と言うと街そのものだから住民全員戦闘員だが、日本は戦闘要員だけで戦争してたの?
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石が豊富だと外国の城は街を囲めるけど日本は積むだけであとはお堀任せでしょ >>1 そんな区別は近代以降の産物だから(半ギレ) >>2
将軍様も9条制定すれば軍事費考えなくて済むのにな 日本は上級国民(侍)だけシェルター(城)に避難して一般人(農民)は見捨てるからね 戦国時代とかその辺の話か
大名なんて誰がなったって
誰が国を治めても同じだべ?
政に過度な期待はしてない
出来れば巻き込まれたくないべ 住民は基本殺さなかったから
上が変わっても年貢の納め先が変わるくらいの認識 戦争は武人が行うもので、農民や町民とは関係ないからな。 篭城戦は素人でも戦える唯一の戦場だぞ
城壁上から投石するだけでも戦力だし 侵略される側になれば住民は全員戦闘員だし、相手から見れば殺害対象だ
満州にしろ沖縄にしろ成人男性は全員徴兵され、女は準兵員で看護や設営にあてがわれた
従わない者は銃殺
そして容赦なくロシア軍やアメリカ軍はこのような徴兵・準兵員・それ以外の老人子供も虐殺した
中国国民党軍の拠点の都市は侵略する日本軍から見れば全て抹殺対象である 世界で最初に職業軍人だけの軍隊をつくったのは信長
俗が聖の上に立ったのも信長が世界初 関ヶ原の合戦を、農民は山の上から弁当持って見物してたらしいな 中国は古代から多民族国家で民族の存亡を掛けた戦いだから
街全体というより(当時の)国全体を囲む必要があった
日本の場合は基本的には領主一族同士の戦いでしかない >>1
総構えや御土居、鎌倉城、堺城、環濠集落なんかは日本には無かったって事でいいんすね?w 中国でも大きな街だと戦闘員は数パーセントだよ。莫大な兵糧が要るからね。
日本は戦国時代までは半農半兵で専業の武士はごく一部しかいなかった。 中国大陸は多民族が入り乱れてるから規模が違いますわ
日本は全員日本人で一番上は天皇っていう同じ共同体の中での諍いだし 土地と資源を奪って戦闘員皆殺し、人民は奴隷にするのが異民族間の戦争
日本国内の戦争は先にもあったけどヤクザのシマ争い 豪族みたいな単位だと普段は農耕で
有事の時だけ軍編成してたんでないの 大陸は住民ごと殲滅するから
日本は住民は基本殺さなかったから 日本の戦国時代は農民は生産力として保護対象だったなどと言うのは大ウソだぞ
実際は相手の領地に攻め入った時にそこの農民を虐殺レイプするのは当たり前であった
乱獲りといって勝者の特権であり自軍兵士たちの戦闘に報いる為に奨励された
織田信長が今川を討ち取れたのも今川が織田領内を荒らし回って虐殺レイプし放題で油断した所を一気に急襲した結果だ >>21
兵農分離政策進むまではほぼ全員武装してたの知らん人多いよね
時代劇とかで逃げ惑う民衆とか一番白ける演出だわ 攻城戦になったら、防御側は住民は城の中に避難させるぞ 中世の欧州も戦闘員はあぶれた次男三男で構成されるから戦闘員比率は大したことない
ただ異民族・異教徒との戦いになると色々別だが >>31
その代わりって訳じゃないけど、落ち武者も農民に狙われたら命が無い事がしばしば。 一般農民は山に逃げるんやで
敵兵はそのうち手持ちの兵糧食べきって撤退するから 北条領の農民「お殿様を守るだ、城に行くべ」
秀吉「百姓どもは皆殺しだで」 >>32
武装と言っても日本刀一振りとか火縄銃一丁とかだけどね。
やはりカラシニコフというのは貧乏人でもガチで戦争できるようにしてしまった。 戦うんじゃないんだよ 一方的な虐殺になる
兵士の心理としては敵兵士の守るべき市民、特に女子供をレイプ殺害する事は最大の喜びなんだよ
軍規や条約なんて戦場には無い >>1
いや街が城壁で囲まれていたから城って呼んでるだけで
中には非戦闘員も子供もいただろw >>30
下手したら「田んぼやんなくちゃならねぇから」って兵が勝手に帰る >>40
山形に楯山城という規模の大きい山城があるんだけど、
そこは戦の時の、麓の住人の避難所だったらしい。 >>31
今川が討ち取られた所は、
今川領とも織田領とも言えない中間地点
これから領土としようとする土地で
略奪なんてしねーよ 日本人は、自分たちは特殊かもしれない、と疑問くらいは抱くべき。チャイナには昔から宗族ってのがあり、宗族のためならなんでもあり。
そうじゃないならなんでも罪って理論で成り立っている。
チャイナ共産党は宗族主義をつぶそうとして敗れ、宗族主義に塗りつぶされて辛うじて存在を許されている。
歴史的に城塞都市の内側だけがチャイナだったから、いまだに都市戸籍の人間と田舎戸籍の奴隷に差別されている。
田舎だって宗族どうしでヤクザの抗争のように略奪しあってるから、農家が小さな砦のなかで集団生活している。 略奪も乱暴狼藉もしたけど、皆殺しとか虐殺まではしなかったってだけ 日本は住民は戦があると山に逃げ込んでた
華中は山が無いから 日本は平地が少ないから城郭都市が発展しようがなかっただけ、小田原城みたいなのもある
戦国までは平時は平地の館を政庁にして有事には山地の防衛拠点に籠って戦った
戦国後期になりみな領土が広がり本拠は攻められる危険が減ったから平地に面した平山場で両方を兼ねた城になっていった
戦争の終わった江戸では城は政庁兼威光なので平地にでっかい城を建てた
これだけ >>31
収穫直前に敵国に攻め込んで田畑を焼いて回るとか普通の戦法だったしな マジレスすると日本は単一民族国家で農民は資源だから
欧米とか支那は他民族との戦争でその土地にいた農民は邪魔だから殺す >>60
ちょっと頭のいい武将だと征服後のことを考えて民に恨まれるような真似は避けるけどね
半分残して飢えないようにしたり 中国の場合、隣の村に行けば言葉が通じないなんて良くある
ちょっとした行き違いで村と村で戦争になる
そりゃ家も村も街も壁で囲う >>60
それやると自分の領土になったとき、統治がままならなくなるから
主流では全然ない 戦国時代において、合戦見物は百姓の娯楽。
当時は合戦場から離れた丘で、武士が死んでいくのを見ながら弁当広げてワイワイ飲み食いしてたそうだ。 中国はまっ平らだから城壁作るよな
日本は自然の要害から城を作る >>7
?
日本式の城が活用されていた戦国時代の戦闘員は「農民」ですよwwww 農民を頭数に入れるなみたいなこと言ったのは武田信玄だっけ 城は都市の中心にある行政府や領主の居館を守る構造物。日本の城がまんまこのイメージ
郭は都市そのものを守る構造物。中国やヨーロッパの城郭都市のイメージ
中国でも春秋の頃は防備の中心は城で郭はちょっとした柵がある程度だったんだが
当時は都市国家だから籠城戦になって城を守りきっても市街地に被害が出ると
ダメージがシャレにならんということで時代を経るごとに郭の防備に力を注ぐようになり
逆に城の防御は形骸化していって秦漢の頃には俺らがイメージする中国の城郭都市の形に収まった
因みに中国の城郭都市の城壁は版築といって土を突き固めただけのものなので
丸太で突っつくと結構崩れる >>71
ちがうよ。日本は日本人だけだから城を作る。チャイナは多民族だから、ちうか皇帝という商人の領土だけ城壁で囲うwww
もちろん圧倒的に狭いほうがちうか皇帝の領土だよ。で、攻められる立場だから壁が必要だった。
反論あるなら事実に基づいて、どうぞwww >>7
農民も戦になれば秘密のシェルターに避難してたわ。 >>26
天皇とその他豪族が争ってた歴史を知らないのかよ・・・・ >>77
それは言葉の有無であって主流かどうかは関係なくね
主流かどうかはしらないけども 農繁期は戦どころじゃねぇわ
そしてすぐ裏切り勝ちそうな方につく >>7
で?侍は非武装の農民を虐殺して自分で血まみれの田畑を耕すの?誰からそう習ったの?実名を挙げてみて。尊敬してるんだろうからwww 兵農分離前なら農民と武士の区別はないぞ
畑耕してるヤツらが有事に槍持って山賊とか攻めてきた連中と戦う >>83
勝った方の足軽は戦が終った時に割と増えてるらしいからなw 乱妨取り
当時の軍の兵は農民が多く、食料の配給や戦地での掠奪目的の自主的参加が見られた。
人狩りの戦利品が戦後、市に出され、大名もそれら乱暴狼藉を黙過したり、
褒美として付近を自由に乱取りさせた。
それら狼藉は悪事ではないとされた。
ヒャッハーーー!!!
大名は食料獲得のため隣国へ戦争をした。
その結果として領土を獲得し、家臣団に与えて下克上の芽を摘み取った。
その上で、戦場付近の村を襲い、農作物を根こそぎ奪い、女・子供をさらい売り払うか奴隷にするかした。
女性奴隷の一部は、交易を行うポルトガルによって欧州やタイ、カンボジアに性奴隷として売られた。
人身売買の相場は、通常2貫文(約30万円)であったが、大量に乱取りが行われる戦の直後は25文(約4千円)に急落した。
女性を強姦し、抵抗する者は殺した。
ヒャッハー!!! >>20
落ち延びようとする傷だらけの武士どもを狩り
甲冑やら刀やらを売りさばくのが農民
負けた武士に容赦はない >>75
中国の都城って本当に碁盤状の街を壁で囲ってる感じだからなぁ。。。
無いよりはマシだろうけどそれほど実戦に強いとも思えない。 日本の武士は、中国内の為政者や辺境の蛮族みたいに民間人を大虐殺しないからな
囲う必要がなかったのよ >>92
堀だけどな
日本は城壁作るより堀掘る方が多かったんじゃねぇかな つまり戦争当時南京で数億人殺されたってわめいてるのは全員兵士だったんだね
じゃぁ何の問題もないな 制裁の決定打は IMF救済の拒否である。
すでに日本が制裁せずとも国家破産は既定路線である。
しかしやつらはIMFによる救済をあてにして
また三年ほどで浮上できると考えている。
その希望を完全に絶やせ。
発言権の低い、貧しい衛星国家へと変貌させよ >>97
掘った土を盛って壁にするんやで。
堀をよく見ると城側の方が少し高くなってる。 >>100
石材の少ない関東では堀を掘って出た土で土塁を作る掻き揚げってスタイルが主流だったってな 堺も町民都市なんて言われてるけど
実際は天下人三好長慶が幕府を置いた場所なんだよな
作ったのは軍事専門家 状況次第よね
伊勢長島みたいに戦闘員として参加してたり
備前高松みたいに寄せ方の工事手伝ったり
三木城みたいに食料消費させるために城の中に追い込まれたり 日本ではレンガが近代までメジャーにならなかったのは何でだろうな
レンガがないと城塞都市は難しそう 大虐殺は大陸人みたいに資源は無限にあるという価値観でないと実行は難しい
資源に乏しい島国の日本では元から発想にない戦法 >>104
そもそも石垣の城なんて戦国時代後期の代物だし
最初に作られたのは六角氏の観音寺城かな
それより何百年も前に大和朝廷が朝鮮式石垣の城を作ってるけど >>96
そういうみだりに殺さぬ的な武士像は徳川の第5代将軍綱吉の時代になって武家諸法度に禁止の制度化がされてからだよ
鎌倉・室町時代の武士なんて定期的に領民を虐殺して生首を家の門に飾るのが奨励された
恐怖で領地を支配する為にな
戦国期を経て豊臣・江戸時代になっても趣味の殺しは横行した チャイナの正当な領土って、はっきりしてんだよな。帝国陸軍が直進行軍したルート上で、当時、城壁の内側だった地域。
それ以外はちうごく国民党が逃げようが、ちうごく共産党が強盗強姦殺人を繰り返そうが、ちうごくの領土ではない。
なぜならば、なぜならば、なぜならば、お役所仕事の帝国陸軍が、簡単に制圧できるのに、頑なに手出しをしていないから。
お役所仕事の帝国陸軍が。で、若造どもが暴発してなにかやらかすと、それを国家の意思だと吹聴する。
よくよく考えようねー。バカにされたくないなら。バカにされたくなかったらの話だよwww 明智光秀をKILLした農民って、なんでそいつが明智だってわかったんだろう?
直接、訊いたのかな?
農民「お前、明智?」
明智「はい、そうです」
↓
ズシャー!!(死) 合戦してると高台で
文字通りの高見の見物してた
完全に兵農分離してた織豊時代
特に関ヶ原の戦いは身内が敵味方に居たので
盛り上がったとかなんとか >>31
また嘘ばかり言うなぁ。こういうチョンモメンが世の中を悪くするんだよな。 >>113
敗走しとる偉そうな甲冑つけとるのがおるから取り敢えず狩ろうぜ→明智光秀でしたじゃね?w >>111
ID:LKyN1Mf/0 ソースもなしに必死だなぁ。 >>1
江戸城は
四ツ谷から両国まで江戸城
新橋から水道橋まで江戸城 >>111
領民を虐殺して生首を掲げたとかいてある古文書があるのか?
そんなの初めて聞いたな
ちょっと出してみてよ 鎌倉室町期の武士とその郎党がキチガイ染てるのは当時の日記とかで書かれてるんだけどね 焼き働きは職業武士の主な仕事な?
普通の合戦よりも頻度が多かった
定期的に敵国に侵入して馬の機動力で村や街や民家や田畑に火を付けて回る仕事
在々所々谷々人々迄放火候也 信長公記 >>107
そら地震でしょ
関東大地震の時に煉瓦建築は壊滅的被害受けてたし >>111
日本史の縦軸でなく同年代の世界を横軸に見て見よう
残忍さの質が違うから 今昔物語集 鎌倉時代成立 14巻とか有名だろ
弓矢を以て朝暮の翫として人を罰し、畜生を殺すを以て業とす
夏は河に行て魚を捕り、秋は山に交はりて人を狩る 上杉謙信は結構酷かったって話はあるよね
農民からみたら城内に領民集めて守ってくれる北条方はさぞや頼もしかったろう
小田原城の拡大と治世の安定に寄与してたのかもな 侵略戦争と妨害戦争がごっちゃになってるやつ多いな
妨害戦争が主だった安土以前は普通に略奪ヒャッハー多いぞ ていうか近代以前の戦争は世界中どこでもたいてい貴族と傭兵のものだよ
民主主義と大量生産と鉄道輸送が戦争を総力戦に変えたんだよ >>120
横レスだが
常の心がけとして定期的に人殺しておけよって戒めがあったのをどっかで見たが思い出せん
鎌倉末期の結城宗広は男女問わず毎日首切ってたって話もあったな うちの実家は遠江なんだけど
武田の兵に二度も屋敷を焼かれてる
家人も殺されたらしい
屋敷内にそのこと記した石碑が残ってる >>127
ひどかったのに勝率が世界一はありえないね。理にかなっていたから勝率が世界一なんだね。ちがうなら謙信はどんな魔法を使ったの? >>133
戦は経済力ですよ
上杉氏は戦場で掠め取った女子供を奴隷として売って莫大な利益を得ていた 江戸城造るのに石材は伊豆から切り出したってNHKでやってたな
でも江戸城付近で石灰岩は出ないんだろか
ブラタモリ見てると過去浅い海底で隆起した土地には必ず貝殻による石灰岩の地層がありそうなんだけどね
おまけに珊瑚礁から出来た石灰岩地層がプレート運動によって運ばれてきて日本は石灰岩王国なんてやってたけど
プレート運動で運ばれてきやつは圧力のせいでめっちゃ堅くなるとも言ってたから当時の技術じゃ加工が難しかったのかな
なんにせよ地学って面白そうだ
子供の頃にブラタモリみたいな番組見たらもっと有意義な学生時代過ごせたかな
それで食っていけるのか知らないけど 上杉謙信とか局地戦には強いけど戦略目標達成した戦はあんま無いべ >>131
武田軍は略奪放火大好きだからな
甲陽軍監に、掠奪に熱中するあまり敵の勝利に気づかない、敵を討つ戦意に欠ける兵を問題視する記述があったりする >>1
東京大空襲とかいう市民虐殺をした理由は
全員戦闘員ってみなしたから >>77
語源があるからと主流かどうかは全然関係ないだろ
戦争にかっても統治に困ったら意味ないし
そもそもなんで戦争するかってと、田んぼと農民という富が欲しいからなのに >>138
今川館を攻め落とした時に信玄自ら略奪行為に夢中になってたら
後世の世にあさましい大将だと汚名が残ると激怒して
集めた宝物をすべて火中に投げ込んだのって山県だっけ?
かっこいい武士だなあ >>129
ちょっと違う。封建社会が成立したくにとしなかった国で違う >>135
子供の頃に楽しめたかどうか
天文ならともかく
成人したからこその、知識欲ってのはあると思う >>7
そもそも農民や町民は戦争に参加しないから襲われなくて、おにぎり食べながら戦を観戦してたなんて記録も残ってんだが
だから大阪の陣は日本のゲルニカって言われてんだよ
徳川側が町人まで襲った最悪な戦 戦闘要員だけ分離したのは織田信長。これは城下町の構造をみればすぐわかる。
町人町を「外町」と称して城から追い出したのは信長。この構造が秀吉、家康と引き継がれる。
小田原の北条氏は豊臣秀吉に攻められる段になっても、まだ総構の中に町家を抱えて全員野球だった。 肥後の町民農民に追い返される薩摩の西郷隆盛とホモ侍たちって・・・ >>147
旧薩摩藩でも生活手段が確保できてた郷士は笑って参加しなかったようだし。 戦国時代でも多くは兵農分離できてなかったからね
明治維新期ですらまだまだだったし 永禄2年の毛利元就配下の博多焼討は凄まじかった
それまで最大級の交易の街として栄えていた博多が尽く殺され焼き尽くされて無人の焦土になってしまった
それから暫く人が住んでない
ルイスフロイスもドン引きするぐらいだった >>151
善光寺付近の確保と村上氏の本領復帰は果たされたか? また朝鮮人が原爆正当化する為に立てたのか?
あいつら日本各地の空襲や原爆投下を正当化して日本人を馬鹿にしたくてしょうがないんだよな
今は倫理的に非難されるからこうやってしつこく重箱の隅つついて倫理観を変えようとしてる
サクラの起源や旭日旗なんかとパターンが同じ 中国って70年たらずのロシアの属国やろ?最近宗主国にイキッてるようだけども てか日本は武士と農民の区別が曖昧でしょ
平和だった江戸時代も下級武士は普通に生計立てるために農家やってたぞ >>141
調べたら馬場だった
頭煤けてて自分にワロタ 中国って徴兵やってるんだっけ
そうだったら強いわな。
人口の多さが強さにつながる てか戦国時代は山には山賊、海には海賊も普通に居て
ヒャッハーな国だったよな >>159
ところが大陸の兵士は弱いんだよ
地続きだからどこへでも逃げれるのもあってすぐ脱走するの
逆に逃げ場が殆ど無い島国の兵士はとてつもない士気でゲリラ戦挑んできたりするの あれ?川中島の合戦について聞いて支離滅裂なアンカーがついたからNGにしたら自分のレスまで消えた。あ、そーゆーことかwww 戦国時代の戦で弁当持って高見の見物なんてそれソース無いデマやぞ?
鎌倉時代だと承久の変の宇治の戦いに農民が物見湯山感覚で見物に行って巻き込まれて多数死亡しててバカじゃね?というのが藤原定家の日記にある
江戸時代の天草四郎の乱と幕末の甲州の戊辰戦争では農民の見物の木6がある
弁当持って見物の記録があるのは後者の甲州勝沼の戦い
その舐めっぷりが幕府軍怒らせて威嚇射撃されてから村を焼かれてる 城塞都市で住民が戦闘員として役だった例は極めて少ない
陥落間近で降伏も許されなくて、それでも指揮官が優秀みたいな稀有な例しかない 三国志とか一回の戦闘で数万死ぬからね
日本の戦国時代よりよっぽど農民の命やすかった >>164
幕府は甲州を冷遇してたから、新政府軍は大歓迎されたんだよなあ。。。 上杉謙信の戦略達成してないのが支離滅裂とか馬鹿なんかw あと自分が連鎖あぼ〜ん設定してるのも知らん間抜けw なんか日本語通じない人っぽいからレスしても無駄じゃないの?
勝率の話自体、全く何の関係もないし 中国は異民族との戦いだからな
日本の戦国時代はヤクザの抗争と同じ >>167
チャイナはアカじゃなくても盛るからね。しかも、督戦隊ってのがサボってる奴を後ろから涼しい顔で攻撃するから。 > 関ヶ原の合戦を農民は山の上から弁当持って見物してたらしい
どの山だったら巻き込まれないのかな:
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/0/05/Sekigahara.png
主軍がいない山も斥候や先遣隊派遣して抑えてる筈だぜ 天海の川中島の逸話で弁当持って戦見物してたとかあったんじゃなかったっけ? >>141
一方後北条氏は降伏した相手の乱取りを許さず
信長に至っては即日首チョンパして
市中で晒し者にしてた
兵の質は領土拡大の必須条件 でも現存してる日本の天守閣は12基しかないんだよね?
残りの大半はどうなっちゃったの? >>135
テレビが知識の源とか赤っ恥レベルだなwww >>178
太平洋戦争の戦災で旧国宝含む結構な数の城の建築物が消失してる >>178
多い順に
1.元から天守が無かった
2.明治6年の廃城令でぶっ壊した
3.江戸時代の火事落雷
4.米軍の空襲
5.その他 南北戦争でも市民がピクニック気分で見物してエラいことになったって聞いたけど >>1
日本人は世界から称賛される日本刀を作り上げた戦闘民族なんだよ。 日本の戦国時代はただの内乱で領土の奪い合いだが
大陸の戦争は民族間紛争だったり権力闘争だったり
民衆の価値が変わるから虐殺略奪焼き討ちは
起こりうる可能性は高い >>184
ん、でも三種の神器は全部形代(レプリカ)なんだが
この件はどう説明できるんだい?
型在るものは全て壊れるんだよ? 179 名前:名無しさん@涙目です。(群馬県)[ニダ] :2019/04/14(日) 14:14:17.82 ID:bnpxHYE80
>>135
テレビが知識の源とか赤っ恥レベルだなwww
184 名前:名無しさん@涙目です。(群馬県)[ニダ] :2019/04/14(日) 14:20:58.12 ID:bnpxHYE80
>>1
日本人は世界から称賛される日本刀を作り上げた戦闘民族なんだよ。
5chで頭の悪さをドヤってるお前も相当なもんだと思うぞwww 小田原北条氏のどこだかの支城では、周辺の村人全員が篭って防戦に当たったとか。
結局落城して皆殺しになっちゃった。
今でも、命日には城跡から流れ出す川が赤く染まるとか・・・
たしか秀吉の小田原攻めの時のはなし。
関東とか、そうだったのかも。
島原の乱の時の原城とか専ら戦ったのは農民だろうし、あと浄土真宗の村とか、
掘に囲まれてて、お寺が城みたいになってる。あれは戦う村だろ。 >>141
一度盗んでから燃やしても浅ましさは変わらんのにw >>2
9条の精神は、戦争するくらいなら殺されようだよ >>56
中国も結構山だらけやで
動乱の時代は省境の山脈に隠れて戦が去ったら出てくるとか普通にあった
特に山がちな華中、華南とかでは >>191
じゃあ誰の土地かと言われればほぼ漢族しか住んでないんだよなぁ… ハドリアヌスの長城の外にはスコッランド人とかいう蛮族が住んどる >>7
日本の戦では基本的に農民や町民は巻き込まれねえから
なんにも知らねえんだな 「支配層は農民に支えられてる、だから農民は大事にしないといけない」って価値観は
どこでも共通かと思ったらそうでもないらしい
交易で稼いで食料輸入できれば別に農民いらんから >>178
江戸期のお城って
・都市の中心にある
・敷地面積もかなりなもん
ってことで
>>181が挙げてる廃城令の時に
軍の駐屯地とか学校とかに転用するケースも多かったんだよな
>>193
戦乱の後で人口減るのって実際は流民化して戸籍を離れてるだけだったりするんだよな 当時は銃弾(まだ丸かった)を合戦後に拾って回収する業者がいた
これ豆な >>197
殺す価値もなかったんじゃないのか?
辻斬りなんかは 刀の切れ味試すだけの為に百姓とか切ってたんだろ
命の価値がなかったんだと思う 大陸の争いは一般市民まで全部虐殺するから全部を囲わないとダメ
日本の中の争いは基本は農民は蚊帳の外。城主が誰になろうが関係なかった。
合戦は農民がおにぎり食べながら観戦してました。 >>201
その土地を支配した時に年貢を納めるのは農民だからだよ
大事な納税者を殺してどうする 自分とこの農民は大事だけど、よその農民、畑のことなんか知ったことじゃない >>199
というか日本の都市の大半は先に城が出来てその後に街が出来てるんだわ
城の場所決めは防備しやすい地形図で交通の要になり兵を動かし安い場所が選ばれる
東京、大阪、名古屋、仙台、広島、熊本、金沢、岐阜、姫路、小田原、等々 普段は農民、戦になると足軽として領主にくっついて参戦
大坂夏の陣には東北からはるばる駆けつけた。
平和な江戸期はずっと百姓として、土地の新田開発に勤しんだ。
戊辰戦争では先祖伝来の槍を武器に薩長と戦った。うちの先祖はそうだったと聞いている 日本も先に街があってそこを防衛しようとしたらシナみたいになったのかな
京都は秀吉が城壁で囲もうとしたし
平城京や平安京の羅城門の"羅城"とは城塀に囲まれた城塞都市を意味する語 >>210
乱妨取り、青田刈り、刈り働き、焼き働き
というれっきとした日本の戦国時代の概念だよ >>1
中国は戦乱中、人肉食ってたからな
人肉宴会の国は一味違う 日本の戦国時代は農民が石ころ投げ合って適当に逃げてただけだぞ なんだ。
中国は街そのものが住民戦闘員なら、民間人を殺した南京大虐殺は無かったってことじゃん。
単なる中国人戦闘員と、日本軍との戦い。 城郭みんな戦闘員ってスタイルは、日本だと一向一揆とか対民草の宗教戦争に近い
ああいう血みどろの絶滅戦争を数千年続けているのが大陸スタイル 日本の場合、戦で勝っても農民を奴隷にせず虐殺もしなかった
南京事件は戦闘はあったが虐殺はでっち上げだろうね >>206
領地と領民の取り合いしてるのにその戦利品殺してどうすんだよw >>187
赤っ恥過ぎて電話で反論
効いてるwww効いてるwwww効いてるwww効いてるwwww >>135
テレビが知識の源とか赤っ恥レベルだなwww >>218
大坂の陣や戊辰戦争では普通に虐殺やレイプしてたんだがw >>221
領民なんてそのまま住ませてたらいつ裏切るか分からんから
さっさとぶっ殺して売れそうな女子供はレイプした後に南蛮人へ奴隷として売り払いで換金ですわ
で空いた土地は戦で功を上げた自国の次男坊三男坊に与えて住まわせるわけよ 九州の大友氏なんかは女子どもを南蛮人に黒色火薬と引き換えに奴隷として売っていたのは有名な話。
だから当時、世界中の港に裸同然の日本人女性が奴隷として見られたそうよ。
だからポルトガルの港町にも日本人の痕跡(DNA)もあった。救われた(同化)って証でもあるが。 上級である武士は適当に下々の農民あおってりゃ農民同士が潰しあってくれる
えたひにんとか作って農民のストレスのはけ口作って下々同士が勝手に互いに潰しあってる間
武士は公家の連中と豪遊してた
そんな感じだったと思うわ
現代の状況見てると 七尾城の戦い
奴隷集め目的ヒャッハー軍の上杉謙信を恐れて畠山氏の領民は領主を頼って七尾城に逃げ込む(15000人)
↓
あまりにも多くの領民が逃げ込み過ぎて食料より先に糞尿の処理が追い付かなくなり場内の衛生状態が悪化
↓
不衛生で城内に疫病が流行
↓
ついには城主で幼君であった畠山春王丸も疫病に罹り死亡
↓
城主死亡で混乱し上杉方に内応する家臣も出て来て最後は臭くて嫌になった裏切り者が城門を開けて落城
↓
一族皆殺しに
領主は奴隷となる なるほど
日本人が城塞都市を作らなかったのって単に危機管理意識が低いからだけじゃね?
南海トラフ来ると言われてるのに自分だけは大丈夫と思って危険な地に住み続けてる異様な感覚
シナ人とかはいつでも脱出できるように身につける金目の物まとめたり海外に資産置いたり海外に親戚のネットワーク作ったりしてるけど
そういう意識全くないよね?
冷戦時代に核シェルター全く作らなかったような現実の危機を考えないようにする思考回路があるんじゃね? >>229
単に地形じゃないのかね?
平原だと防御拠点を作るなら自動的に中国や欧州みたいな城壁で囲んだ「城」になる訳だよね
でも、鎌倉が分かり易い例だけど、
山が多い地形だと、そこに向かう交通の要所を抑えれば防備はできる訳で
大規模な城壁の必要性が無い 七尾の畠山も三木の別所も、彼らなりの勝算があって籠城した
後詰めが包囲を破ってくれるか有利な条件での和睦を目論んでた
うまくいけばそうなったけど、相手が想像以上にヤバいやつらだったので悲惨なことになった
籠城してうまくいった例は長篠の奥平と河越の北条
勝算なし捨てごま上等で籠城したのが高遠の仁科と伏見の鳥居岩屋の高橋 >>232
伏見の鳥居や岩屋の高橋は
大元守るための時間稼ぎだから
高遠城とは違うと思う >>232
籠城戦自体は時間稼ぎで事態が変わるのに賭ける博打なので、
それは外れると悲惨な最後にしかならんね 大軍で兵站を維持しながら長期に包囲できるのは、チート勢力しかいないからな 鳥取城とか町人入れた結果共食い始めたくらい悲惨だったらしいが >>233
岩屋伏見が粘ったおかげで、あるじの目標は達成されたわけだからたしかに目論見どおり
勝算なし捨てごま上等と書くのは不適当だったね。おれの書き込みが間違ってた 国民徴用令で全員軍人扱いだぞ
だから東京大空襲でたくさん殺しても問題ないってのが欧米の判断 山が城壁みたいなものと考えれば中国と変わらないかも
盆地なり谷間なりが城塞都市
朝倉氏の一乗谷城とか、そんな感じでは
細い谷間なんだけど、その両端だけ守って町そのものを囲い込んでた
そう言えば、越前一向一揆で乗っ取られたんだよね
浄土真宗側も地形的に欲しかったのかも >>135
テレビが知識の源とか赤っ恥レベルだなwww やろんやろん言ってるチョン群馬がこんなとこにもいんのか >>239
日本の場合、平野の周りの山間の交通拠点に「要塞」としての城を立てれば防備は十分できる
なので、要塞=城になるのはその地形ならでは >>241
殺すぞゴキブリ朝鮮人、さっさと日本から出て行け! うちの爺さんは、マライ・シンガポールでゴム園を
やっていたけど
襲ってくる中国人達を相手に、使用人の現地イスラム達と
銃を取って戦ったそうな
ちなみに爺さんは日本人だったけど、現地に合わせて
イスラム教徒だった
(これが不気味な爺さんで、恐くて言葉交わした記憶が無い) >>244
マラヤ共産党軍だっけ
あの辺は戦後も共産党ゲリラとの闘いが長らく続いたんだよな 日本の戦はヤクザの抗争みたいなものだから
統治は朝廷の仕事で天皇を頂点にしていた
外国のは天皇が2人いて天皇同士が戦うような戦争だから規模が違うわな 中国の内戦 他民族との戦い。
日本の内戦 日本人同士の戦い。
日本は住民が虐殺される事は無い。 >>249 外国のは天皇が2人いて天皇同士が戦うような戦争
後醍醐天皇と光明天皇で争ってたやん 日本で本格的で大掛かりな城郭都市って小田原くらいでしょ。「総構え」って言うんだっけ。
ゆる〜い城郭都市ならいっぱいあるな。それこそ江戸なんてそうだし。 日本の場合は負けた側の部下を自分の部下に取り込むタイプの
トレーディング人間ゲームの側面があるので
基本的には武士以外は戦わないのでいつの間にかに非戦闘員の概念がつくられてた
西洋ではカメハメハ1世に教わるまではどうだったのだろうか >>248
畠山家祖の畠山泰国は父が新田義重に育てられた足利義純、母は北条時政の娘
初代能登守護の畠山基国は天下の三管領として上杉、伊勢、今川、吉良、武田、小笠原より格上の存在 >>175
しかし、何度見てもそこにいない秀忠のバカさ加減が強烈すぎるな。 弥生時代は環濠集落だし
古都京都や鎌倉は城塞都市だ
とは言え確かに城郭都市と言うのは
あまり無かった印象
その癖、兵農一致で国人衆を無下にはできないし
国ごと根絶やしにするような支配者が
出てこなかった不思議 >>255
俺もそれ思った
南京は城壁で囲まれた都市なんだっけか
じゃその中にいる人達は、男だろうが老人や女子供だろうがみんな戦闘員て認識で良いことになる >>31
つーか普通に侵攻地域の人間を奴隷にして売ってた
昔の大河では普通に描かれてたがもう見なくなった
今の価値観を当てはめて否定するやつ多いけどな >>113
そりゃ身につけてる物が違うから
大将首だってことは分かるだろ >>245
お前みたいなのはロックハート城でも行ってればいいと思うよ
城跡で残ってるんだから城のない県なんかないよ >>230
山がちな朝鮮半島もスウォン城とか長大な城壁作ってるから地形はそこまで関係ないんじゃないか >>264
キリスト(新)VSキリスト(旧)も狂気対決な模様 スマホゲーの日本の戦国時代ものを中国の会社が作ってるらしくて
戦国時代の城が中国様式でさらに城壁で街が囲まれた城の絵が出て来た違和感満載 >>258
ネトウヨジョークきっつwww
それ明日リアルで友達にでも話してみろよ 天守閣がほとんど残って無いのは江戸幕府が破壊命令を出して新規建造を封じたからだ
城の補修をする場合には必ず幕府の許可が必要だった 城の設計もすべて幕府が把握した
偉そうなのは徳川とその側近だけで良いし反乱がおこれば攻め落とせるようにな
あと農民が保護されるはず無いだろ
異民族として人種的殲滅が無かっただけで普通に戦火に巻き込まれて虐殺はあった
だから農民も武装して自分たちを防衛した
弁当を手に戦争見物だとか馬鹿も休み休み言え 日本は寧ろ町を防壁に使ってたからなあ。
江戸なんてその最たるものだ。 >>271
天守を持つ城ってそんなにあったの?
舘と見張り台と土塁と柵と堀があれば
充分だと思ってた。 天守って言うのは3階建程度の小さいものでも権威の象徴だから
幕府としては地方大名が権威を持つのは面白くない >>273
真田とかすべての山に城(砦)作ってたけど天守はなかったろ その理論だと南京大虐殺は虐殺にはならんな
そもそもそんな物は存在してないが >>243
池沼群馬が基地外っぷりに拍車がかかっててワロタ
お前何処にでも現れんな
流石はゴキブリカス >>89
そういうのをやめさせたのがお前らの嫌いな名君豊臣秀吉な >>7
おめぇおもしれぇなぁ(笑)ペェズリしてくれ! >>271
お前の言い分にはまるで意味がない
分類を特定しない一部の事例を全体化して、一部の事例を否定してるだけだからな
弁当持って戦争見物してた戦だってあるさ
石投げあっただけでさっさと引き上げた戦だってあるんだから
奴隷売買を明確に禁じたのは豊臣秀吉 国民皆兵制度を内外に宣伝した日本人が全員戦闘員でしょ
戦闘服着て脚絆巻いて戦闘訓練してたんだからさ >>271
戦国は乱取りされるから農民は城に逃げてたぞ
兵士要員でもあるし <丶`+´> < >>7
上級国民って、野党ネトサポの在日朝鮮人の御用達の言葉じゃねーか
日本人様には全く定着してないのに、不自然に使ってwww
てか、大阪?大阪?
おまえ、マジで大阪の在日朝鮮人かよ?マジで?マジで?ウケるわwwwwwwwww(笑) 生の方?鶴の方? (笑)wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 戦国時代の農民なんて下手な侍どもより実戦経験豊富だぞ
シナ畜ども山賊と一緒すんなよw >>278
バカチョン、悔しいのうwww悔しいのうwwww 武田信玄はガチの山賊だろ
山ばっかで食いもん無いから他国に侵略略奪殺しまくり
今でも山梨に昆虫食文化が残ってる場所あるのがその時代の名残 >>1
まず、戦国時代のイクサについて、
これは古代中国のような民族同士の戦いではない。
同じ日本人なので、その土地の文化まで破壊することはしない。むしろその土地の特産品など「新しい殿様」は欲した。
イクサをやるのはサムライの仕事だった。
農民は米を作るのが仕事でその他町人は文化の肥やしだった。
イクサで死ぬのはサムライの本望だし、負けた側の殿様は勝った側の殿様から首を切られた。殿様は一人いれば良いからね。
つまり、
イクサでの勝ち負けはサムライの世界の話であって農民は殿様が誰になろうと米を作り続け、その他町人は文化を育てた。 >>291
武田軍(だけじゃないけど)は農繁期が終わると周辺に進軍し、農繁期になると農業に戻る。
信長あたりは常備軍だけど、プロは(命が大事なので)弱いw >>292
それ俗説
史料読んでみると戦国大名は季節無関係で必要な時にいつでも合戦している
おそらく冬になると(日本海側は雪で何も出来ないから)関東にやってきて略奪するのが恒例だった
越後勢から生まれた説なんだろうけど やっぱり山や地形を防壁として使うのが主流になったから、城壁で囲む
城塞都市にはならなかっただけかも。
城壁だと城門を破城槌とかで突破されたら機能しなくなってしまう。
山の傾斜なら、尾根や峠を固めて防戦側が戦ってる限り破壊されないからな。
そう言う観点で言うと比叡山や高野山の山上都市も、日本流の城塞都市と言える。 日本の戦争なんて、農民は見物していたんだぞ。
皆殺しが基本の中国と一緒にしないで欲しい。 >>296
それをシナチョウセン人は理解出来ないそうだよw
敵国の人間から文明まですべて滅ぼしてから自分たちの都合の良い歴史で書き換えるのが戦争だと思い込んでいるからね、それで日本とアメリカがいま現在仲が良いことも不思議らしいw
ちな、農民も志願すればサムライとして戦い出世出するのも出来た。
有名なところだと豊臣秀吉。 >>1
中国は今でも国民皆兵…いや年齢制限あったか
チョンは有事=皆兵
朝鮮で戦争あったら在日朝鮮人も兵隊として扱わねばならぬ >>298
チャイナは共産党員の中から選抜されたうえで徴兵なので国民皆兵じゃないよ
大学生は軍への入隊研修が数週間あるけど軍人にはならなくても良いと留学生の中国人が教えてくれた。
北朝鮮は元は志願兵ばかりだったけど軍の食料事情が悪化していき若い人達が軍に魅力を感じなくなったそうで現在は徴兵制。
韓国はいまだ馬鹿みたいに国民皆兵w
烏合の衆ばかりで統率がとれていない。 近隣国家の有事法を伝えないメディアも教育もおかしい
なんで知らない人ばかりなのか >>1
荒野の真ん中に城と城下町が巨大な壁で囲まれてたな。漫画の墨攻で見た。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています