尊氏方、直義方、南朝に分かれていたとして、あんな近くに南朝いるんだから北朝がすぐ滅ぼせたろ
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便所盗撮サイト乱立してるシナチ●ン犯罪者のスレタテの現実逃避スレ(笑)
アシスタント喰らい麻美婆ちゃんはアシスタントとの中だし動画大公開中だろ
アシスタント喰らい麻美婆ちゃんの名前バンバン出すわー
サンジャポすれでもな
何の知識も無く、いつも他人様におうかがいスレを立てる女みたいな池沼>>1(笑)
コイツ何かと被ってると思ったら、糞ダサい菅野とダブるわー
チョソ犯罪者集団に便所盗撮サイト乱立依頼して飛ばされた某荒木先生(笑)は目立ちたがり前川とダブるし、パヨちんや在チョソは画一的でキモいと言う特徴以外無いな
チョソ犯罪者集団に便所盗撮サイト乱立依頼して飛ばされた某荒木先生(笑)はやっぱ、在チョソ達からゆすられてんのか?
ガチで便所盗撮サイト乱立してるシナチ●ン犯罪者のスレタテ
by 宅/\朗←カネに困ってる奴ら注目 南北朝の戦いがマイナーなせいで北畠顕家までマイナーに 佐々木道誉が一番の忠義者な気がするわ
最後の最後までよくまぁ尊氏についていたよな 近鉄の京都線は標準軌で吉野線は狭軌で直接行けないから 奥州から九州まで日本全国を巻き込んだ 大乱中の大乱だよね
何でこんなマイナーなんだwww 大河ドラマ「太平記」での北畠親房と顕家のシーンが好き みんなドコかしら関係有る親戚みたいなもんだろ。
さすがに殺し合いに発展するには時間がかかるってモンだろ。 新田義貞っていいやつなの?
悪いやつなの?
時代によって評価がちがうらしい >>10
合戦後にのぼりを数えたら合戦前より増えてた話好き >>15
平安時代から出てきたかのような古い頭の戦バカ 高師直が四条畷で楠木正行を討ち取り
そのまま吉野に攻め入ったが、南朝はさらに山奥へ逃げた
北朝が吉野へ攻めたのって他にあったのかな?
各地の南朝とは戦ったが、肝心の吉野へはあまり攻めなかったと思う
南朝に勝ちたい、しかし滅ぼしくたくない、そんな気持ちだったのか? >>15
単独での戦は強かったかもしれんが集団ではなあ。尊氏のようなカリスマでは
なかったのでしょう。
で、世間知らずの田舎もん。
家柄はともかく貧乏だったのは間違いなかとですな。 ところで今の天皇は北朝・・・なんだよね。
南朝正統にしたことについてはいろいろ議論もされてたみたいだし。 >>7
北畠家の末路が悲惨すぎてなあ、信長の一番出来の悪い馬鹿息子を養子にしたあげく殺されて滅びるとか・・・ 幕府側が対立繰り返して漁夫の利で南朝延命しまくり
東国から畠山国清たちを呼び寄せた戦いでもとどめを指さずに撤退するしな、本来ならあそこで南朝チェックメイトやで 南朝といえば楠木正儀のかっこよさよ、三國志でいう後期の名将ポジション この時代の戦争の原理が謎すぎる、戦国時代以降は現代に通じる軍事の原則で理解できるし
源平合戦も割と分かり易い、ところが南北朝時代は判らん、おそらく軍事の論理では動いていない 南北朝対立を語るには尊氏&高師直対直義&直冬を掘り下げないとね
そして今では伝源頼朝像と言われてた有名な肖像画は実は足利直義像だったでファイナルアンサーらしいな >>18
頭目の尊氏が後醍醐帝をリスペクトしていたところもあったから滅ぼそうとまでは思ってなかったのは事実でしょ >>25
ぱっと見わかりにくいから、あいつら頭おかしいって言われるけど、内情知ると割とわかりやすい。
他の時代の方が敵味方の区別が簡単だから尚更そう思うんだろう。
いつの時代の戦争だって、ただぶっ殺せばいいってもんじゃないしね。あくまで外交の一手段。 >>11
そりゃま、畏れ多くもかしこきところが直接関わってるからの
色々と忖度しなきゃならんだろ >>11
後醍醐帝が崩じてからは正平の一統まで殆どgdgdだったからな 南北朝時代はどのような戦闘スタイルで戦ってたんだろうか
ここら辺全く解説されてないんだよな
太平記とか北条方が百万を動員とかあったけど絶対嘘やろし あと高師直の戦が以上に強いのも謎
どういう指揮系統なんだろうか
楠木正成とかはゲリラ戦術とか理解はできるが 貴公子顕家が東北健児らを率い長駆、足
利方を蹴散らしながら都へ怒涛の進軍。
尊氏を追い落とす。しびれるよな。 南北朝時代っておそらく全く違う二つの戦の原理が混在していた時代だと思う
一方が足利尊氏に代表される正統武士の戦の原理で
もう一方が楠木正成に代表される現代の戦争に近い論理の戦争
戦国時代以降は後者が主流になってゆくがこの時代はまだ前者の論理が主流
だから時代の覇者は足利になるが、この流れこそが足利幕府の衰退と戦国大名の勃興へと
続く日本史の流れそのものなんだろうな 大河ドラマで「西園寺寧子」を主人公にして欲しい
『皇室の歴史は内輪揉めのつぶしあいで断絶していた!』って
ナレーション入れてネトウヨ発狂させようぜwww そんなのより神功皇后を主役にして欲しい
ドラマ向きだと思う >>33
簡単に言うと三河武士だ
本拠地は三河なんだからよ
高氏、菅生郷、比志賀郷でくぐってみな >>12
なかなかリスキーなキャスティングだったけど
後藤久美子の顕家卿はルックス的によかった
演技面は父親の近藤正臣がしっかりカバー >>33
記録係を要所ごとに置いて敵の首を取ってもその場で捨ててよい事にして、重い首を本陣まで持ち帰る必要を無くしたのでより機動的な戦術が取れるようになったとか聞いた。 三種の神器の贋作が出回ったらしいけど、もはやどれが本物でどれが偽物か、当事者どうしでもわけわからん状態だった筈 今でも山深いとこなんだからこの頃なんて何が潜んでるか解らんから迂闊に攻め込めなかったろう
紀伊半島自体が江戸時代までは化外の地だしな その和歌山に紀州徳川家なんて御三家を
置いたのは畿内、西国、四国に睨みをき
かす適地だったんだね。 1. 現代でも奈良県南部の山奥は秘境。後醍醐天皇の吉野はまだしも、護良親王に大塔村なんかに潜伏されたら捜索できない
2. 九州で懐良親王が、東北で北畠顕房が鎌倉幕府の支配に不満な大名をまとめて、南朝は九州と東北で勢力を保っていた
3. 直義が尊氏を暗殺未遂して尊氏が京都から脱出したとき、尊氏が南朝支持をアピールした。また尊氏が逆襲したら直義が南朝支持をアピールしたりして、もう南朝はどうでも良くなっていた >>41
顕家「父上 この戦は一体いつ終わるのです 顕家はもう疲れました…
それで父上にお会いしたくなり ついフラフラと伊勢に来てしまいました(涙)」
親房「な…何を申すか そなたは官軍の総大将ぞ そんな弱気でどうする…(涙)」 大義名分が必要だったのと南北朝は基本天皇、将軍含めたお家騒動だしな
応仁の乱ほど大掛かりじゃないし ゲームが出ないからね
源平合戦はあったけど
南北朝と中国の南北朝(五湖含む)はゲーム化してほしかった
今の肥じゃ永遠に無理だが 日本史の授業で南北朝時代に入って朝廷同士の争いキターと思ってワクワクしてたらサラッと終わってガッカリだった
この辺りのこと詳しく書いた本読んでみたいわ 皇国史観により足利尊氏は日本史上最大の悪人とされてきて久しいが
その呪縛が解けたのはかなり最近で、NHKが大河で足利尊氏をやった頃
あの大河ですら実はおっかなビックリで企画したそうな 南北朝の内乱は朝廷対武家 最後の武力対
決。これで決着がついた。
結果
天皇公家の支配する各地荘園、領地の激
減。天皇の更なる権威失墜。
地方大名、幕府方武士の勢力拡大。
それまで朝廷に使役されてきたいわゆる
被差別部落民の更なる地位低下。
部落民は対蝦夷戦争で東北から関東以西
に移配された投降蝦夷。
被差別民らは楠木、菊池、北畠に率いら
東北勢など、反幕府の中核。 南北朝の動乱はその実態がどうであったかよりも太平記に代表されるように
それがどう解釈され後世に伝えられたか、の方が大きい
明治維新の際の徳川慶喜の行動は、足利尊氏扱いされては敵わん、
がその動機のほとんどを占めてる 未だに義満が日本国王の件で叩かれてる理不尽
元々南朝側が日本国王の称号もらったのが発端だし、しかも「部下が勝手にやったこと」で逃げられる北朝側と違って南朝側は皇族の懐良親王が日本国王になってて遥かにやばいのに ジェダイもすぐそばにシスの暗黒卿がいて脅威になってたのに誰も気がつかなかった 太平記や武田信玄
ちっとも善人が出てこないあの頃の陰鬱な大河ドラマはおもろい >>66
同意。あんなダッサイ楠木正成なんかな
わけない。
武田鉄矢がでてくるたび興ざめになって
たわ。 >>67
最近の研究っていうか尊王とかいって持ち上げられる前はあんなだったんじゃないの?
おれはあの正成好きだけどなあ。
ああいう民衆とともち土とともに生きてる人だったんだと思ってるけど。
>>57 >>62
幕末の木像はりつけの事件を考えてもあの頃からなんかね、そうなったのって。 >>67
本人が緒方拳か高倉健じゃないのかって
言ってたぐらい
皇国史観の英雄じゃない
普通の地元を愛するおじさんを描こうとしたらしい
戦嫌いだけど戦上手の >>69
そういう人物像でもいいと思うけど、武田鉄矢ではないな
どうせなら金八先生になりきって欲しかった >>70
緒方拳はいいかも。
昔の藤原純友やってた時思い出すしね。
言うことは平将門(土とともに生きる人間だ)で
やるこてゃ藤原純友みたいな・・・
>>71
誰ならよかったのかなあ。 >>57
吉川英治の随筆に、東京に行った足利出身者は逆賊とか呼ばれていじめの対象になったとか書いてあるな >>51
一天万乗の君が同時に2人いるってのは結構アツいストーリーなんだけどなぁ >>72
民衆と共に活きるということで、渥美清だったら笑えた 渥美清も悪くないんだけど、桜井の駅別れとか、後醍醐帝への献策、湊川の壮絶
な最期がお笑いみたいになりそうで怖い。
北大路欣也か榎木孝明あたりが無難かな。 でも、渥美清の熱演ぶりが案外泣かせるかもしれないね。武田鉄矢よりかいいと
思う。 いや、渥美清は寅さんにしか見えなくてみんな吹き出すだろう
榎木孝明は別の役で出てたような 沸かした糞尿がけ大作戦だぞ
武田鉄矢で充分だろ蛭子能収でもいいわ 大河ドラマ直虎で
南朝方の皇子の土地とか言ってたけど
遠江国に飛び地で南朝方の領地なんかなんだあるの? 割とリアルな数字が戦国時代と考えると鎌倉時代の戦功は眉唾なんだよな
太平記とか桁が違うようにしか思えん もう一回太平記ものやってくんないかな。
こんどは違う切り口で。 >>79
貴族の日野なんとかだな。あの人は上品で貴族っぽいからあってた。
欣也さんはなんか重々しすぎな感じ。
後醍醐さんに「頼みに思うぞ!」って言われただけで一族そろって
たくさん死ぬまで働くはめになったんだよね。
>>81
いや南朝方ってのは全国にちらほらいたんでしょ。
宗良親王って後醍醐さんの皇子が陸奥に行く途中にどうしたこうしたで
井伊谷にとどまってってことみたいよ。
俺はひこにゃん市民だったのでその辺の話は聞かされたことがあるづら。 >>85
行政府の長を籤引きで決めた前衛的かつ画期的な政権です 室町幕府はガッツリ権力財力掌握したて
の各地守護大名らを統率するのに、まだ
まだ力不足だったんだよね。 >>84
遠江に南朝方がいて、
三河や駿河に北朝いて、
そんな紛争はプロレスみたいだなぁ。 もう鎌倉幕府が朝廷とは別に各地武士らのお神輿政権として始まったときから、
戦国時代は約束されてたようなもの。 >>84
北畠顕家が戦死し、陸奥の後継者として父の親房と皇子連れて船で向かったが
嵐で遭難してしまい、北畠親房は常陸、皇子は遠江に流れてついた
両者がその地で活動し始め、皇子はまず井伊を説得した
その後信濃中心に30年ぐらい活動してたはず、最後は吉野に帰ったけど >>50
誰か弓を持て!誰か、、、弓がのうては戦もできぬは うわあああー!
何?顕家が死んだと?もうよい下がれ
待て!何処じゃと申した!誰か!
場所が分からねば奏上もできぬは うわあああー!
大河史上痺れるような名カット中の名カット
近藤正臣と後藤久美子のキャスティングは今思うと凄いよな。 >>93
逃亡してる楠木を見つけたって場面で
登場してたね
妹花夜叉一座に隠れてたのを尊氏が舞を所望して
ただの車引きなのにかかる上手さよって見逃す場面 後藤久美子が武将を演じるという画期的なキャスティング
そのゴクミも今ではすっかりオバさんに…
諸行無常 若干二十歳過ぎで生死の修羅場をくぐっ
て来た貴公子顕家の後醍醐帝への諫言文
は今でも胸を打たれるよ。
公家は決して軟弱ものばかりでなかった
んだね。 尊氏と後醍醐帝が上手く協力出来てたら成功したのかなぁ諸々 >>73
そりゃかわいそうだな
オラは関係無いだっべ、やったのは三河武士だっペ
徳川と同じ輩だっぺといってやれ
足利尊氏は、後醍醐天皇を討伐すべく、鎌倉を出発した。
途中、三河の矢作川のほとりの矢作宿(三河県岡崎市)で三河の足利党19家の兵馬の出迎えをうけたが、ここで倒幕の決意を固めた。
19家とは
01.西条吉良氏■後に将軍御一家
02.奥州吉良氏■後に奥州管領家、関東公方御一家
03.今川氏■後に九州探題、守護職
04.一色氏■後に四職家、九州探題、守護職
05.仁木氏■後に室町幕府執事、守護職
06.細川氏■後に管領家、守護職
07.斯波氏■後に管領家、守護職
08.戸賀崎(荒川)氏■後に守護職
09.畠山氏■後に管領家、守護職
10.桃井氏■後に守護職
11.渋川氏■後に将軍御一家、九州探題
12.上野氏■後に奉公衆
13.岩松氏■
14.石塔氏■後に奥州総大将、守護職
15.鹿島氏■
16.粟生氏■後に奉公衆
17.倉持氏■後に奉公衆
18.高氏■後に室町幕府執事、守護職
19.上杉氏■後に関東管領家、守護職
太平記第20回「足利決起」
https://www.youtube.com/watch?v=PkXC670fo-M >>88
アホか
南朝の本拠地も三河だ
豊田市が南朝の本拠地で、岡崎市が足利の本拠地
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市ほぼ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる >>98
建武の新政で武士たちの不平不満が爆発するからどのみち他の誰かが担ぎだされる
武士を重用したらしたで、各地で力を持った武士たちが勝手なことしだして世が乱れることに 乞食上がりの専制独裁皇帝・朱元璋に影響されたうえに邪宗真言宗立川流に帰依するとかいう異形の帝・後醍醐を排除した尊氏は正しい >>105
今日がその日だけど226みたいな失敗もたくさんあるけどね。
過去に正成やった人みたけど戦前が多くてよくわからん・・・
結局やっぱりきんぱっつあんでいい気がしてきた。
護良親王がパッションなのはいまだに納得いかない。 ♪青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
木(こ)の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に 散るは涙かはた露か
これ桜井の別れ、何と15番まで有るんだぜw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています