ネット配信者が廃病院内を探険して生放送 死体を発見してしまう
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16日の深夜1時頃、金網で囲まれた廃病院の柵を超えて中に侵入して生放送をしていた
韓国の配信者がとんでもない物を発見してしまった。
廃屋は廃墟となった病院で、配信者は懐中電灯を持って建物内を探索。
配信者が2階に上がり入院室の入口で下着を履いた約60代の男性を発見。しかしその男性は死んだ状態だった。
発見した当時その遺体は体の一部が腐敗しており、また身分証明書がおかれていた。
配信者は警察に通報し、遺体から他殺らしき点がないとして、死亡した男性はこの建物で野宿して死亡したと見られている。
いわゆるこの廃病院はホームレスの住処になっていたのだ。
警察は他殺では無いと判断したが、正確な死亡原因を明らかにするために、鑑識に解剖を依頼した。
http://gogotsu.com/archives/48329
http://gogotsu.com/wp-content/uploads/2019/02/001-16.jpg >韓国の配信者がとんでもない物を発見してしまった。
はい、解散 ゴイアニア被曝事故(ゴイアニアひばくじこ、ポルトガル語: Acidente radiológico de Goiânia)は、1987年9月にブラジルのゴイアニア市で発生した原子力事故である。
同市内にあった廃病院跡に放置されていた放射線療法用の医療機器から放射線源格納容器が盗難により持ち出され、その後廃品業者などの人手を通しているうちに格納容器が解体されてガンマ線源の137Cs(セシウム137)が露出。
光る特性に興味を持った住人が接触した結果、被曝者は249人に達し、このうち20名が急性障害の症状が認められ4名が放射線障害で死亡した。
この施設は1971年に認可を受け、医師の団体によって運営されていたが、1985年に所有権が移転し、60Co(コバルト60)を使用した照射装置も別の場所に移転した。
しかし137Csを使用した照射装置は所有権を巡って地元自治体とトラブルになっており、壁の崩壊した建物とともに放置されていた。
線源は直径36.3mm×高さ47.5mmの円柱形で、さらに大型の遮蔽装置の中に入れられており、ダイヤルキーのように遮蔽物の窓に面した時のみ照射が行われるようになっている。
封入された137Csは93gであり、製造当初の放射能は74TBq、事故当時では推定50.9TBqであった。
盗難
1987年9月10〜13日頃、2人の若者AとBが、廃病院に高価な品があるという噂を聞きつけて侵入。
線源容器のはめこまれたダイヤルキー状の回転遮蔽装置ごと持ち出し、Aの自宅に持ち帰った。
施設からAの自宅までの区間に放射能漏れは認められなかったが、2人は線源からのガンマ線を被曝し続けた。
13日 2人に嘔吐の症状が出現。食あたりと考え放置。
14日 Bにめまい、下痢、左手(おそらく線源に直に当たり続けた)に浮腫が出現。
15日 Bは病院を受診。食物アレルギーと診断され、その日は軽い仕事しかできなかった。 朝鮮(バ韓国)人が大好物のトンスルとかいう人糞でも発見したのか(笑)
はい解散 廃墟探索のホラー生放送か
ああいうのって怖いのは幽霊じゃなくて人間だからな ネット配信者じゃないけど、昔心霊系サイトで心霊スポット巡りしててそこでご遺体発見とか
度々あったみたいだし、日本でもまだあるんじゃないかな。
>>22
配信してるならそこの行ってる事は第三者も知ってるだろうし、下手に通報しなかったらアンチに
タレこまれて余計難儀するから見つけたら通報するしかないんじゃない? まぁこういう馬鹿嫌いじゃない。韓国人はこうやって使うべきだろうな 樹海で死体を発見してちゃんと通報までしてくれたアメリカの人気ユーチューバーを
日本人は何が気に食わなかったのか叩きまくってたからなぁ >>22
こういう時は正直に言うと特に何も起きないよ
林道とか廃道とか 発見時は最大の撮れ高だな
ちゃんとリアクション取れたのだろうか 廃病院内を探検していてとんでもないものを見つけてしまったーどうしよー(棒) >>31
それは公道だからじゃね
まぁ廃墟でも多少注意されて終わりだとは思うが
つーかチョンならどうでもいいわ 俺も日本で廃屋散策してたらジャップの死骸見つけたことあるはwww 現場の写真かなと思って期待してURL踏んだら可愛い絵 ホームレスが廃屋とかに住み着くけど怖くないのかな?
どんだけきれいに掃除してあっても廃屋とか廃病院で寝るなんて絶対無理だ >>51
一人だと怖いし寂しいから大勢で住む
これを廃屋満タンという。 日本の奴でも廃道向かってたら人の頭蓋骨見つけちゃったやつ居たな 廃病院はまじでヤバい
解体するときとんでとないことが起こるらしい ゴゴ痛の日本語に文句言っても仕方ないが「いわゆるこの廃病院」の意味が分からん 廃墟なのに族の落書きでびっしりなのは興醒め
お化けも族にビビってやがる >>30
あの馬鹿は死体を粗末にあつかって笑い者にしたから叩かれたんだわ とんでもないものってアレだろ
ウォンまであらぁーって偽札の現場んだろ? >>66
24日 Cの隣に住む弟がセシウムの粉末を貰い受け、食卓においた状態で家族が食事した。
特にその娘E(Cの姪、6歳)はセシウムをいじった手で食事をしていた。
25日 Cは回転遮蔽装置と取り出した鉛を別の解体業者に転売。
26日 Cの従業員数人が鉛を求めて再度施設に侵入し、残った遮蔽装置300kgを盗み出す。
事故発覚
28日 この頃には症状を呈する者が数人以上になっていた。
Cの妻Dは光る粉が原因であると確信し、従業員のHとともに、転売先の解体工場から線源容器を取り返し、
Hに持たせて2人で地元の保健当局事務所に向かう。
Dは事務所の医師Jに線源容器の入ったカバンを渡し、
「これがわたし達全員を殺そうとしている」
と訴えた。
10月23日 Cの妻Dが死亡、38歳。Cの自宅内にとどまっていて、最も長い時間線源の近くで過ごしたため。推定被曝線量5.7Gy。
全脱毛と、眼窩を含め全身にまだら状に見られる出血。口腔などの粘膜は血色に乏しい。
筋肉と内臓の多発性の出血。髄膜には多発性の出血痕があり、脳脊髄液はキサントクロミーで死亡する数日以上前から脳内出血があったことを示唆する。消化管内には大量の血便が溜まっていた。脳や肝を含む多臓器の浮腫。
直接の死因は多発性の出血(特にクモ膜下出血)か敗血症のいずれかであろうが、その両方が同時に起きていた。他に再生不良性貧血(汎血球減少症)、放射線による皮膚や末梢血管の死滅が推定される。
同日 Cの姪Eが死亡、6歳。セシウムが手に付着した状態で食事をしていたため。推定被曝線量6Gy。
27日 Cの従業員Fが死亡、22歳。線源容器から鉛を抽出しようとする作業を3日にわたって続けたため。推定被曝線量4.5Gy。
28日 Cの従業員Gが死亡、18歳。原因は同上。推定被曝線量5.4Gy。 >>72
放射能漏洩
18日 Aが自宅の庭で、線源容器にドライバーで小さな穴を開けた。中の粉末をAは火薬と思い火をつけようとした。
事故発覚後、この場所は地上1mで毎時1.1Gyという高濃度の汚染が見つかり、表土の除去とAの自宅の解体除去も行われた。
同日、Aは解体屋のCに線源容器を回転遮蔽装置ごと売却。
Cは自宅敷地内の解体工場に保管したが、同日夜、それが青白く光っていることに気づく。
Cは線源容器を自宅に運び込み、翌日から3日にわたって数人の知人を家に呼んで光る粉末を見せた。
21日 Cの友人がC宅でドライバーを使ってさらに中の顆粒状のセシウムを取り出す。友人はそれを持ち帰り、弟にも一部を分け与えた。
Cもセシウムを親族に配った。カーニバルの時に衣装をそれで光らせようという考えもあったようである。
21〜23日 Cの妻Dに嘔吐と下痢の症状が現れ、病院を受診するが食物アレルギーと診断された。Dが動けないため、その実母が地方からやってきて看病した。
22〜24日 Cの従業員FとGが回転遮蔽装置から鉛を抽出しようと作業する過程で被曝。
23日 Aが皮膚症状で入院。放射線皮膚炎であるとはこの時点で誰も気づいていなかった。原因不明のまま4日後には熱帯病病院に転院した。 まぁ廃墟好きなら某造船所跡廃墟が似たような理由で取り壊された事は知ってるはず >>76
Dは事務所の医師Jに線源容器の入ったカバンを渡し、「これがわたし達全員を殺そうとしている」と訴えた。
医師Jは事務所の庭にそれを放置して2人を熱帯病病院に向かわせた。
熱帯病病院では、同様の症状の者が数人受診しており、Dも同様に流行性の熱帯病と診断された。
しかし医師Kは、一連の患者の一部に見られる皮膚病が放射線皮膚炎ではないかと疑い始める。
医師Kが、かつての同僚で中毒情報センター上級医の医師Lに相談したところ、医師Lは保健当局の医師Jからも相談を受けていたことが分かる。
保健当局事務所に置かれたカバンの中身が放射性物質ではないのかという危惧が3人の医師の間で一気に高まった。
29日 8:00 たまたまゴイアニアにいた放射線医学専門家の医師Mが連絡を受け、線量計を持って問題のカバンのある事務所に向かった。
しかし建物の前で測定器が振り切れたので故障と思い、すぐに代替の線量計を持って事務所に向かったが同じように振り切れた
(この時使われた線量計は、ウラン鉱脈探査のために使われるもので、人工の放射線源を探索するには感度が高すぎた)。
ここで医師Mは測定不能な放射線源がそこにあると認識する。
医師Mは中の人にすぐに避難するよう呼びかけた。
12:00 医師Mは医師Jの話を聞き、Cの解体工場に向かうが、周辺はどこも線量計の針が振り切れる汚染状態だった。
2人の医師はCをはじめとした周辺の住民に避難を要請する。
22:00 Aが発見され、放射性物質が最初に漏れた場所とその後の汚染範囲が判明した。
周辺住民は市内のオリンピックスタジアムに隔離され、計11万2000人がホールボディカウンターによる計測を受け、249人に汚染が認められた。
除染を受けたのちに重症者は海軍病院に入院した。 他に重度の線量を被曝したのはA・B・C・C弟のほか、Cの妻の母(推定4.3Gy、一時重体)、線源の入ったカバンを肩にかけていたHがおり、放射線熱傷などが見られた。
入院したのは計20名であった。全員が退院までプルシアンブルーを投与されたが、内部被曝から数日以上が経っていたので体外排泄量は限られていた。
Aはその後右腕を切断、Bは右手の指何本かの切断を余儀なくされた。
Cは7.0Gyもの線量を被曝しながら生き残ったが、1996年にうつ病とアルコール多飲による肝硬変で死亡した。
前年のチェルノブイリ原子力発電所事故の記憶が世界中でさめやらぬ中、ブラジル国内では衝撃をもって報道された。
風評被害によって農産物価格は(汚染が見つからなかったにもかかわらず)50%下落、工業製品も40%下落、ゴイアニア市民は公的機関の非汚染証明書がなければタクシーもホテルも拒否されるという事態が起こった[2]。
こうした差別や高濃度汚染地域からの強制退去に対して市民の反感も強く、モニタリング用に設置された累積線量計を取り除いたり線量測定の作業を妨害するなどの行為も見られた[2]。
死亡した4人の葬儀の際には、遺体が高濃度に汚染されているとして阻止しようとする暴徒を排除しながら行わなければならなかった。
4人とも棺は鉛を内張りし、墓地の外れの一角に4人分の墓を分厚いコンクリートで造営して埋葬された。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%A2%E8%A2%AB%E6%9B%9D%E4%BA%8B%E6%95%85 一度、練炭自殺の死体を見つけたことあるけど、駐在に状況を2,3聞かれて終わりなのな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています